
決めつけちゃダメ! 私にとって一番大切なもの――、それは舞台を待つお客さん。そして、そのお客さんとつくる新たな想い出だから。

「しるくの覚悟」
大きな出来事
メインキャラクター:るるか
目標
怪盗団ファントムに疑念を持たれないよう立ち回りつつ、しるくの平穏を守る。
課題
怪盗団ファントムの一員として、しるくが大切にしているイヤリングを盗まなければならない。しかし彼女の舞台を邪魔したくはない。大事にしたくない。
また、できることならしるくに接触したい。ゴウエモンがついてきてしまったため、大っぴらにはできない話になってしまったが。
結末
【失敗】
しるくの舞台とイヤリングは守られたが、ゴウエモンに自分の出自を疑わせるきっかけを与えてしまった。
少しだけしるくと会話することはできたが、るるかにとって望ましい邂逅とはならなかった。
心の変化
【ネガティブ】
しるくは過去よりも現在を優先した。
そして、現在のしるくはあんなたちと強固な信頼関係を築いているようだ。そもそも彼女の過去の記憶のなかにるるかとの想い出は存在しない。
バトル
イヤリングを素体としたハンニンダー。
苦戦
ビームを発射する。
ただし、今回はむしろ積極的にバトルに参加するキュアアルカナ・シャドウのほうが脅威。
勝利
しるくの信頼に応えようとする姿勢を示したところ、キュアアルカナ・シャドウが動揺した。その隙にハンニンダーを浄化した。
ピックアップ
『Sの喜劇』

おそらく元ネタは1984年公開 東映映画の『Wの悲劇』。
夏樹静子の同名推理小説を原作としているが、ストーリーは大きく異なる。新人俳優を主人公とした人間ドラマと、その主人公が主役を演じる劇中劇の筋書きとが密接に絡みあい、後ろめたさをテーマとした物語が展開される。
劇中劇はとある製薬会社の会長が殺害されたところから始まる。
主役はその孫娘。もうひとりの主人公として彼女の母親もいる。2人はお互いが殺人犯だと思い込み、罪を引き受けようとそれぞれ自ら殺人犯であるかのように立ち回る。
最終的に全てのウソは暴かれるのだが、「喜劇」とするしるくの舞台と異なり、「悲劇」であるこちらは誰も救われない物語として幕を綴じる。
サクラよし乃
元ネタの『Wの悲劇』に登場する看板女優役(劇中劇では主役の母親役)を演じたのが“三田佳子”だった。
応援のぼり

私自身はこの手の有名俳優が出演するタイプの舞台を観たことがないから知らなかったが、どうやらこれは「応援のぼり」というものらしい。
要はアイドルライブなんかでファンがよく贈っているフラワースタンド(フラスタ)のようなもの。この手の演劇は公演期間が1ヶ月とか2ヶ月とかあることもザラだから、生花であるフラワースタンドより、のぼりのほうが都合がいいのだろう。
キュアエクレールは記憶喪失
つまり、キュアエクレール当ては本人の言動ではなく周囲の反応を根拠に推理する必要がある、ということになる。
楽屋の花束

一応先に言っておくと、これはるるかを象徴するユリではない。
あちらは花びらにピンクのハート模様があるし、雄しべと柱頭の先もそれぞれ黄色と赤のハート型をしている。
この花はカサブランカ。「百合の女王」とも呼ばれる大輪のユリで、豪華で見映えすることから結婚式など祝いごとの席によく用いられる。花言葉もそれに合わせて「祝賀」。
ただ、じゃあるるかと無関係かというと、そうも言いきれない。
何かメッセージカードが挟まれている。しかも折り畳まれていて中が見えない。今後の伏線かもしれない。
俳優の矜持

「役者さんって大変ですか?」
「そうね。けどね、何にでも化けてみせるのは楽しいわ」
「化けているんですか?」
「ええ。今だって演じているわ。サクラよし乃という役をね」
俳優に限った話ではないですが、芸能人というのは大なり小なりそういうところがあります。
役を演じていないときがその人の素だと考えているなら大間違い。あなただって、会社や学校にいるときは多少なりともそれにふさわしいペルソナを演じているものでしょう? 芸名を名乗って活動している姿と、プライベートの姿というものはまったくの別物です。
「キズナアイさんって架空なんですよね?」
「そうですね。バーチャルの世界にいます」
「あのね、“さだまさし”もバーチャルなんですよ。ひらがなでさだまさしって書いてるんですけど、ひらがなの『さだまさし』じゃパスポートひとつ取れないんですよ」
「だから、さだまさしさんも架空? だから私のこのバーチャルな姿を見てもあまり驚かれないんですね」
「そう。全然驚かないですよ。みんなむしろ僕のほうを見て驚いてますよ。『普通じゃん!』って」(2020年『NHKバーチャル文化祭』)
去年も引用しましたが、やっぱりこの対談が一番わかりやすい説明になっていると思います。
「さだまさし」という人物は現実に生きていません。「さだまさし」はテレビの向こう、あるいは舞台の上にのみ存在する架空の存在で、彼はパスポートひとつ取得することができません。
生身の人間なのは本名「佐田雅志」のみです。彼なら現実に生きています。ただし、その彼は「さだまさし」を演じている“中の人”でしかないので、私たちが彼に芸能人としての振る舞いを期待したところで肩透かしを食うことでしょう。
特に俳優の場合は職業柄、嫌が応でもこの事実を強く自覚するものです。

「役者はね、自分じゃない誰かになるために、いつでも誰かを観察しているの」
俳優の仕事というのは、ただカッコよくセリフを言ったり、様々な声色を使い分けたりするだけのものではありません。むしろそれらのテクニックは小手先のごまかしでしかない、と嫌悪する人すらいます。
俳優の本当の仕事は、自分の役を理解するところにあります。
この人はどういう人物で、どういう生まれで、どういう人たちとつきあい、何を学んで育ち、何に挫折し、何に執着し、どうしてそういう性格になって、今は何を目指していて、最終的には何者になろうとしているんだろう?
大抵の脚本には絶対書かれていない、その役の人物の人生すべてを想像し、自分事として共感していくのが、俳優の仕事の本質です。
「演技」とはいいますが、“演じる”んじゃないんです。“なる”んです。本当は。
もし俳優がその人そのものになれたなら、カッコつけた演技なんて、かえってウソっぽくなるだけです。声色なんて切り換えなくたって、そこにいるだけで間違いなくその人であると伝わるはずです。
とはいえ、ゼロから想像だけで他人のパーソナリティすべてを理解するのは難しいので、俳優というものはよく生身の人間を観察します。
役の人物そのものな人間に出会えることはめったにありませんが、それでも自分と違う人生を歩んできた人を観察した経験は、間違いなく芸の肥やしになります。頭のなかで応用したらいいんです。
まあ、それが簡単にできたら誰も苦労しないんですけどね。
そういう視点に立つなら、「佐田雅志」と「さだまさし」はたしかに別の人間です。
だって経験してきたことも、将来の目的意識も、それぞれ別にあるから。人生が異なるなら人生観だって当然異なるはずで、従って人格からして別人ということになるわけです。

「しるく! 怪盗はもうこの劇場に潜入しています。舞台に邪魔が入ったら大変。だからそのイヤリング、私が預かっておきます」
るるかの小手先の演技を、一流の俳優であるしるくは即座に見破ります。
「『邪魔が入ったら大変』? あんなさんなら、『邪魔が入ったとしても、何がなんでも守る』そう言ってくれるはずよ」
もっとわかりやすいポカがあるのに、しるくは先にそっちに注目するんですね。
言いまわしよりも人間性。表面的に見える部分よりも人間としての本質。
彼女たちが日頃相手にしているのはフィクションです。
脚本の文字列にしか存在しえない、不完全で、不確かで、薄っぺらい“キャラクター”。そこを起点に人生を想像し、創造し、架空の血肉を与えて、実在感のある“人間”に育てるのが俳優。
何が安易なつくりもので、何が本当らしく見えるのか、しるくはそれを見定めるプロといえるでしょう。
ちなみに三流未満の私は素直に「しるく!」と呼び捨てしたところに注目していました。
「それに、あんなさんは私のこと、どんなに慌てていても『しるくさん』って呼んでくれるわ」

では、もうひとつ踏み込みましょう。
俳優論にまで踏み込んで語る今話の脚本なら、おそらくこのあたりの疑問は当然想定しているはずです。
どうしてるるかは「しるく!」と呼び捨てにしたのか?
先ほど説明したとおり、「演じる」というのは本質的に「その役の人間性に本来あるべきものを俳優の想像力で補完する」行為です。
あんなは日頃から礼儀正しい子で、呼び捨てにするのはみくるたちクラスメイトか、ニジーら敵くらいのもの。るるか自身「るるかさん」と、さん付けで呼ばれています。
るるかがあんなの人となりを見誤るにしても、よほど人を見る目がない大根役者でもない限り、ここで呼び捨てにする選択はありません。逆に慇懃になりすぎてしまうほうがまだ納得できる場面です。
じゃあどうしてこんな間違いをしたのか? 簡単ですね。
俳優は自分の人生観の埒外にある他人を演じるための参考資料として、よく周りの人間を観察します。自分の人生経験の範囲内でばかり想像していると、たとえフィクションのキャラクターであろうと見誤ってしまうことが多々あります。
おそらく、るるかは自分の人生経験に基づいて、手癖で演技してしまったのでしょう。
「しるく!」と。
きっと、るるかにとってはそれが一番自然な呼びかただったんです。

もうしるくがキュアエクレールでいいんじゃないかな
これで予想を外していたら小っ恥ずかしいなんてもんじゃないですが、まあいいや。このままいきます。
「るるかさんが予告状まで出してしるくさんのイヤリングを狙ったのって――」
「彼女の失くした記憶を呼び戻そうとしたとか?」
さすが、このふたりはいい着目点といい考察力を持っています。

予告状というのは本来、怪盗にとって不利にしかならないものです。
どこぞの怪盗キッドみたいに様式美としてやってる人ならともかく、イマドキのミステリに予告状が出てくる場合、何かしら裏の意図がつきものです。
実際、第11話でるるかが出した予告状にも“ニセモノを展示している館長を告発する”という裏の狙いがありましたしね。
では、逆に考えてみましょう。
今回るるかは予告状を出すことで、何を得られたか?
しるくと会話する時間です。
予告状によって犯行時刻が確定していたため、今回あんなとみくるはしるくの身辺警護を行わず、観客やスタッフの中から疑わしい人物を見出すことに注力していました。
おかげで彼女たちの妨害なく、1対1でしるくと話すことができました。ゴウエモンとかいう余計なのがくっついてきたせいで、腹を割って全て打ち明けることまでは叶いませんでしたが――。
犯行時刻は午後7時。ちょうど開演の時間。開演直前に盗み出せたらウソにならず、なおかつしるくの舞台を邪魔することもありません。るるかにとってはとても都合がいい。
さて。この貴重な時間に、実際るるかはしるくから何を聞くことができたでしょうか?

「意外。想い出がたくさん詰まった大切なお守りなんでしょう?」
「決めつけちゃダメ! 私にとって一番大切なもの――、それは舞台を待つお客さん。そして、そのお客さんとつくる新たな想い出だから」
「私はみんなが待っている舞台に行きます。・・・あとはお願いね、探偵さん」
うわ、きっつい。
せっかく手間暇かけて時間をつくったのに、結果待っていたのはこの仕打ち。
しるくが記憶を失っているのは織り込み済み。顔を見せただけで全部思い出してもらえるとはるるかもさすがに思っていなかったことでしょう。でも、それにしたって。
過去に大切な縁があった自分の目の前で、「過去よりも現在を選ぶ」と言われちゃいました。
しかも、ごく最近知りあったばかりのあんなたちとの確固たる信頼関係を見せつけられてしまいました。

よほど神経に来たんでしょうね。
今話のバトル中のるるかは全体的に迂闊です。前話、失言女王の名を欲しいままにしていたマシュタンを睨んでいた姿との対比で、なおのことその印象が強くなります。
「アルカナ・シャドウ!」「キュアエクレールと同じ探偵事務所にいた。そうでしょう!?」
「なっ・・・!」
「それが答え?」
ゴウエモンに聞かせてはマズい発言をあんなたちに許してしまったうえ、それを暗に認める返答までしてしまいました。
ゴウエモンは本人が言うほど忠義の人じゃ全然ないので飲みこんでおいてくれる可能性もありますが、もし実際に迎撃されたことのあるニジーやアゲセーヌの証言を聞く機会があったら、さてどうなるか。
合わせて、珍しく弱音を吐いてしまっています。
「想い出? そんなかたちのないものを守るなんて、ムダね」
「ムダなんかじゃない! かたちのないものだからこそ、想い出は誰にも奪えない!」
「もしも――、全て忘れてしまったら? 記憶をなくしてしまったら? 想い出に意味なんてない。そう。あなたたちが探しているキュアエクレールに記憶はない。だから探してもムダ。諦めなさい」
これはあんなたちに言っても仕方のないことです。
現状、あんなたちはキュアエクレールについての情報をほとんど持っていません。ただ、過去にそんな名前のプリキュアが存在していたということだけ。キュアエクレール本人も記憶を失っているのなら、どうせ辿りつく手段がありません。
あんなたちに諦めさせるまでもありません。

「想い出に意味なんてない」と言ったとき、今にも泣きだしそうに声が震えていたことからもわかるように、これはるるかの自問自答。
真に諦めてほしいのは自分自身。
諦めたくて、でも諦められなくて、あんなたちを説き伏せるのにかこつけて、本当は自分自身の意志を挫きたいのです。なのに、諦めきれるものではなくて。
今話、るるかが守るべきだったのはしるくの舞台とイヤリング。
目的はすでにほぼ達成されています。あとはあんなたちにハンニンダーを浄化させるだけ。もはや彼女たちとこんなに熱心に戦う意味なんてありません。心をへし折ろうとする意味なんてありません。
それでも。
しるくが選んだのは過去ではなく、今。
しるくと仲よしなのは自分ではなく、あんなたち。
全部、ついさっき突きつけられてしまったというのに、それでも――。

「それでも――、信じている!」
砕かれ、今にも消え入りそうな、幾百万の光のさざめきよ
人格は人生観によって育まれ、すなわち人格とはこれまでとこれからの人生のありようそのものです。
「あなたはもう終わりね。これで愛も夢も、全てを失うのよ」
「あなたは私から何も奪うことはできないわ!」


絹江を演じる、家入しるくが吠えます。
今話は少し珍しい趣向。
プリキュアと怪盗団ファントムとの戦いに、『Sの喜劇』の舞台上の光景がオーバーラップします。
はて。どういう演出意図なのでしょう?
「そんなかたちのないものを守るなんて、ムダね」
「ムダなんかじゃない! かたちのないものだからこそ、想い出は誰にも奪えない!」
元ネタでは母娘。こちらの舞台の2人はいったいどういう関係性なんでしょうか?
まるでるるかの問いかけに答えるようにして、しるくが想い出というものの強さを語ります。
ついさっき、過去よりも現在のほうが大事だって言ってたくせに。
「あなたたちが探しているキュアエクレールに記憶はない。だから探してもムダ。諦めなさい」
「それでも――、信じている! 誰もが私を疑っていても。全てを奪われ、私が私でなくなってしまっても。信じてくれる仲間がいれば何も怖くない! 私の“本当”を守ってくれる!! ・・・そうでしょう?」
絹江にとって、エステルはけっして憎らしいばかりの相手ではないようです。
元ネタのように母娘の関係なのかまではわかりませんが、いずれにせよ、本当は大切な人だったようです。
何があったのでしょうか。
どうして対決しなければならなくなったのでしょうか。
本当に戦わなければならなかったんでしょうか?
諦めるべきだ、と自分に言い聞かせるように語るるるかに対し、絹江の口を通じてしるくが高らかに謳います。

信じている、と。
疑われても構わない。
全てを奪われたって怖くない。
私は私じゃなくなっているかもしれない。
それでも、私の“本当”を守ってくれている仲間がいる!
しるくは何も知りません。
記憶はたしかに失われました。
では、ここにいる彼女は何者でしょうか?
語っている言葉は脚本どおり。
しょせんは借りものの言葉。
けれどその文字列に血肉を与えているのはしるく。
絹江の思いに共感できているのは、しるく。
しるくをしるくたらしめているものは何でしょうか?
人生観? そんなもの、記憶とともに失われているはずです。
人格とは人生あってこそのものです。
だったら。
ここにいる家入しるくとは何者でしょうか?
彼女と出会い、言葉を交わし、過去よりも今を優先すると言われたるるかが傷ついたのはどうしてでしょうか?
他人にそんなことを言われて、はたしてそんなにも傷つくものでしょうか?
「ミサンガが見守ってくれたことも、マサミさんが彼のことを思う気持ちも、どちらもウソじゃない。本当のことでしょう? だったらその気持ちは大事にして。忘れちゃダメ」(第12話)
以前、るるかの口から不意にこぼれ出た真心。
どうやらしるくもあなたと同じ思いを抱いているようです。今でも。
「守るって約束した」
「私たちを信じてくれた」
「マコトジュエルを!」「取り返す!」

しるくからの信頼を得て、心励まされるあんなたち。
羨ましいと思うでしょう。
憎いとすら思うかもしれません。
けれど、本来あなたに向けられるべきだったその思いは。
完全に失われてしまったとは――、まだ決まっていない。
そこにしるくがいるのであれば。
あなたから見て、彼女が家入しるくに見えるのであれば。
きっとそこに彼女はいるのでしょう。彼女の人格は、人生観は、そして人生は、いかなる形でかまだそこに残っているのでしょう。
諦めなきゃいけない、なんてことはありません。
「ありがとう。本当に、よかった・・・! 本当はすごく不安だったんだ。でも、私にとって舞台は何よりも大切なもの。それはお客さんと私の新たな想い出になるものだから」

しるくは過去を否定したわけではありませんでした。
現在と比べて過去には価値がないと言ったわけではありませんでした。
ただ、どちらも大切なだけ。
これまでの想い出も、これからの想い出も、全部大切に抱きしめて。そうして、しるくの人格はつながっていきます。


コメント
偽あんな、呼び捨てはもちろん「声の出し方が変だぞ」と思いました。
突然お姉さんになった?みたいな。
私の考えだと、おそらくスタッフさんたちは各話ゲストを全力でキュアエクレールに仕立てるでしょうから(じゃないとせっかくのイベントが、開催期間中に茶番になっちゃいますし)
れいの番が終わるまでは様子見ですかね。全力で振り回されてあげますとも。
で、終わってから19話始まるまでの1週間で解いてみせましょう……と言うだけなら自由だと言い張っときます。
間違えた25話でした!
日付(7/19)とこんがらがってました!!
場違いに切迫すぎるんですよね。本物のあんなならもっと感情が乗っているはずの場面というか。本人ならもっと慌てて、なおかつ相手にはいたずらに危機感を煽るような言いかたはしないというか。その点を取ってもあのシーンはるるからしさが滲んでいましたね。
たぶんひととおり見てから推理するのが正道なんだと私も思うんですが、1ヶ月も前から回答を受け付けているあたり、れい編まで見てしまうと(少なくともオッサンオバサンは)答えを確信できてしまうつくりになっているんだろうなとも思われて、なかなか悩ましいです。
キュアエクレール絡みの案件となると急激に余裕が無くなって、戦闘も過激化の一途を辿るキュアアルカナ・シャドウ姐さん。
キュアミスティックの顔面に蹴りぶち込むは、キュアアンサーを杖でぶん殴るはの大乱闘で……この、キュアアルカナ・シャドウの余裕の喪失を攻撃手段の過激化で表現するための(視聴者に過激表現を慣れさせる)下準備として、キュアアンサー&ミスティック組に斬撃だの刺突だのという殺意高めなフィニッシュブローをやらせてきた、ってことなんでしょうか?!
ただ、一方で「キュアアルカナ・シャドウは何気にポンコツ」描写はこれまでもチョイチョイ入れてきていたので(「美術館で電源切断をマシュタンに任せきりにしてプランBも無く、案の定任務失敗寸前の危機」とか「CDショップ店員に変装してターゲットに接触出来たものの、熱く語り過ぎてマシュタンにたしなめられる」とか)、今回の「明智あんなに変装して家入しるくに接触するも詰めの甘さが露呈して正体バレ」も“通常運転森亜るるか”って解釈でよさそうに見えるんですけどね(汗)。
で.この森亜るるか/キュアアルカナ・シャドウのポンコツ振りを念押しするかのような今回の描写、もしかすると「キュアエクレールは記憶を無くしておらず、記憶喪失の“演技”をしている……ことに森亜るるかは気付いておらず、エクレールの“演技”にまんまと騙されている」ことを仄めかしている―――のかもしれません。
実際、キュアエクレールが記憶を取り戻すプロセスを挟むことなくエクレールが復活を果たす展開の方がスムーズな話運びになると思えますし、可能性はそこそこ高そうに感じるんですが……まあ、それだとエクレールさん、復帰してから「エクレールを護ろうと必死に頑張ってきた」アルカナ・シャドウや「嘘を許さぬ信念の人」キュアアンサーとの関係改善で悪戦苦闘する羽目になりそうですけど。
余裕がなくなっていることの表れなんでしょうね、やっぱり。
それでいて余裕をなくしている理由があんなとみくるの力量が追いついてきたから、という描写でもないところが味わい深い。こういうところからるるかの人となりを読み取りたくなってしまいます。
るるかは基本的にウソをつかないというキャラクターなので、なにかしら彼女も勘違いしている事実はどこかにあるんだと思います。それこそキュアエクレールのウソに騙されているとか、あるいは何らかの事実誤認があったという定番の展開だとか。