
本当に美しいもんは、心で見つけて、感じて、そして絵に描いて残したくなる。あの日初めて見たときからララのことを描きたくなった。

「土曜の10時、びわ湖テラスで」
大きな出来事
メインキャラクター:ララ
目標
ルカとの関係から逃避する。
課題
200年前に酷い裏切りを受けた王子そっくりな少年ルカと出会ってしまった。しかも何故だかずいぶん気に入られているらしい。
このままではなし崩し的に彼との仲が深まってしまいそうだが、ララ個人としては未だ王子へのトラウマが消えていない。どうしても好きになれないとわかっているのに、このまま付きあいつづけるのも、自然消滅を待つのも、どちらも相手に失礼だ。
結末
【失敗】
「もう会いたくない」とはっきり伝えるために、もう一度だけ会うことにした。
けれどその場でルカから「ララがララやから一緒にいたい」と告げられてしまった。それは、人間の王子に裏切られ、醜いと罵られたララのトラウマを溶かす言葉だった。
結局、ララはこれからもルカと一緒にいる時間を続けることにした。
心の変化
【ポジティブ】
かつて人間の王子に打ち込まれたトラウマはすっかり氷解し、同時に姉に刻まれた人間と愛を育むことへの疑念も霧散した。
今はただ、この人にもっと近づきたい。
キーワード
“心が大きく動く”
「この鏡は見る者の心を試す。割れてしまったのはお前の心が大きく動いたせいだ。何を見た? お前が本当に見たいもの、本当に欲しいものは何だ?」(第1話)
「それより、どうして人魚に?」
「お前の心が大きく動いたからだろう。200年前もそうだったはずだ。お前が王子と愛を結ぼうとしたときも――」
「あのときとは違うわ」
「もちろん、動揺しただけかもしれん。何にせよ大きな理由があるはずだ。そいつが本当の愛を見つける相手だという可能性もある」
“恋”
「本当の、愛?」
「それは恋心などとは違う、胸の奥底にのみ生まれうる、光り輝くものだ」(第1話)
「やつらの光は依然として失われていくだけだった。民どもも、王家の者も、ローワンも。今は私の屋敷で眠っている。まあ、ほとんど死んでいるようなものだ。ララ、お前のせいで。お前が掟を破ったから、やつらは光を失ったのだ。お前が、たった1人の人間を愛してしまったせいでな」(第2話)
「どうして私を拒絶するの? どうして私を愛してくれないの? 食べたい。あの魂を。刺し貫きたい。王子の心を。食べたい。食べたい! 食べたい!!」
「――ずっと忘れていた。あの日、私の胸のなかの光が刃へとかたちを変えた。愛から生まれるはずの私の光が、どうして? わからない。でも、あれは私の心そのもの。今度は誰かを傷つけてしまうかもしれない」
ピックアップ
びわ湖テラス

琵琶湖に面する打見山から蓬莱山にかけて立地する観光施設。琵琶湖だけでなく、京都や大阪の街並みまで一望できるという。
ララたちはまずふもとからロープウェイで打見山の山頂へ上がり、その後打見リフトとホーライリフトを乗り継いで、もう少し標高の高い蓬莱山の山頂まで行ったものと思われる。

もちろんカレーパンも実在する。近江牛入りで、1個なんと850円! ルカ、豪毅だな!
レオ

かわいい! おしゃま! でも言ってるセリフが典型的な男の娘のやつだこれー!?
バラ

白いバラの花言葉は「純潔」「清純」「純粋な愛」など。まだ何色にも染まっていない純真な人の、無垢な愛を表す。

赤いバラの花言葉は「情熱」「熱烈な恋」「あなたを愛しています」など。感情の昂りを伴う情熱的な愛のありかたを表す。
マーガレット

第3話でララの髪にまとわりついていたのと同じマーガレット。花びらを1枚ずつ千切っては「好き」「嫌い」「好き」「嫌い」と恋の行方を占う花として有名。だから花言葉は「真実の愛」。
美学
私には美術の素養はありませんが、それでもせっかくですから、ルカが描いた4枚の抽象画の読み解きを試みてみましょう。

『青空』。
1枚目が一番の難問。なにせ青空だって言ってるのに、青がどこにもありません。
他にキャンバスに描かれているものといえば、何かピンク色のもこもこと、右下に朱色のシミみたいなもの。よく見るとピンク色の下には何か足のようなものが生えています。また、それを言ったらキャンバス中央にも何か黒い線が描き込まれています。
おそらく、これは桜並木なんじゃないでしょうか。
朱色のシミは正面から見た電車のように見えます。大津市ですから路面電車なのかもしれません。
となると、空が真っ黒なこと以外は案外写実的な絵だということになります。
夜桜も乙なものですが、この絵の表題は『青空』。この空の色だけは写実的なものではないはずです。実際、桜の色も夜闇に照らされた青みがかった色ではなく、明らかに昼間の明るい桜の花の色ですしね。
空だけがおかしいんです。まるで、誰かに空の色だけを簒奪されたかのように。
失われた空の色を見て、人は何を思うでしょうか? 青空が恋しくなるのではないでしょうか?
たぶん、この絵はあえて青い空の色を抜くことで、見る人の心のなかだけにある青空の美しさを呼び起こすことを狙ったものなのではないでしょうか。

『濡れた犬』。
ルカは「美しいもの」だと感じたものを絵の題材にしています。
濡れた犬の美しさって何でしょうか?
犬の全身はモスグリーン色。明らかに汚れた毛並みの表現です。これは少なくとも、犬の外見に清潔な美を見出して描いたものではありません。
この犬は青い両目を大きく見開いています。そしてその両目から、爛々としたピンク色の光がほとばしっています。強い生命力を感じさせる題材。
犬の口が大きく開いていますから、おそらくこの犬は今まさに走りまわっているのでしょう。
雨のなか、ずぶ濡れになって、しかし両目を爛々と輝かせながら駆けまわる犬。
とてもエネルギッシュで、どこまでも無邪気な光景が思い浮かびます。ルカはきっと、雨のなか元気に遊ぶ犬の姿に、生命の輝きを見出したのでしょう。

『ほんまの俺』。
要は自画像です。本来金髪であるはずの髪は黒く、磁器のように透明感ある白い肌は青で塗られています。うーん、へそ曲がり。
ルカは美形です。(弟だか妹だかよくわからない)レオが「お兄ちゃん、顔は僕に似てカッコええ」と言っているあたり、日頃から顔がいいことをよく褒めそやられてもいるのでしょう。モテるらしいですしね。そのあたりは自覚がある人なんだと思います。そのルカがあえて美しい髪や肌の色を塗り替えているのなら、何らかの意図を感じざるをえません。
また、右目を青く塗りつぶしています。厨二病でしょうか? ・・・いやまあ、それは無いにしても、何か不吉なもの、ネガティブなものを感じさせる冷たい色づかいです。
ところで、これらの絵は全て「美しいもの」を描いた絵であるはずです。
美しいはずなのにネガティブ表現?
よく見ると、左下に余白が空いています。スケッチがうっすら残っているので、これは意図的な表現ではなく、そもそも塗られていないだけなのでしょう。
つまり、この絵は未完成です。
ルカは誰もが褒めそやす整った顔立ちについて自分なりに考察し、そして結局、自分の顔からは美の答えを見出せずに終わってしまったのでしょう。
ある意味、この絵だけは「美しいもの」ではないということになります。

そして最後に、『ララ』。
左下に余白があるのは本人も「まだ完成してへんだけ」と言っているので、自画像と違って後々塗られるものとして。
赤い鱗に赤い髪、白い髪留め。これまでの絵とはうって変わって、実物の色に忠実に仕上げてあります。
なんか服だけは濃い緑色にされていますね。あの日ララが着ていた服は白いワンピースのはずですが。・・・さては、この画風で安易に白を使うと裸に見えちゃうから照れて濃い色で塗りつぶしたな? スケベめ。
ただ、それ以外は本当に実物そっくり。他の絵に比べて妙に抽象度が低い。
イデアという概念があります。
今どき絵なんか描かなくても、写真を撮れば目の前にあるものの美しさを、それもこのうえなく忠実に残すことができます。
けれど、実際にはカメラが普及しても、絵を描く人は今でも熱心に描きつづけているわけで。見る側の私たちも絵には写真にはない何か別の魅力を感じているわけで。
絵画とは、目の前にあるものそのものを描くのではなく、それを通して“美”というものの根源を写し取るためのものだ、という考えかたがあります。
究極の“美”、すなわちイデアとは天上に住まう神の持ちものであり、地上に住む人間には目に入れることさえ叶わない。けれど、そんな私たちとて地上に生まれ落ちる前は天上界で暮らしていたわけで、無意識に残された生まれる前の記憶を辿れば、イデアを思いだすこともできるはず。
だから、画家は絵を描くのです。目の前にある題材そのものではなく、それを通してイデアを描くために。
話は脱線していませんよ? いちおうね。
つまり、ルカはララの姿そのものが至上の美だと感じたんだ、という話です。

『青空』も『濡れた犬』も、あえて具象から離れて抽象度を高めることで、ようやく本物の美の一端をキャンバスに繋ぎとめることができていました。『ほんまの俺』に至っては同じ試みをしてなお、そこにあるべき美を取り逃しています。
けれど、『ララ』だけは目の前にいるララそのものという時点で、すでに美しいんです。美として完成されているんです。まるで天上におわしますイデアがそのまま地上へ舞い降りたかのように。
少なくとも、ルカの目にはそう見えるのです。
「俺は美しいもんが好きで、でもそれは目に見えるもんだけじゃない。本当に美しいもんは、心で見つけて、感じて、そして絵に描いて残したくなる。あの日初めて見たときからララのことを描きたくなった。そして、ララの美しさをもっともっと見つけたいと思うようになった。ララを美しいって思った」
だから、これは遠回しな告白。
ちょっと気取って見えるかもしれないけれど、美しいものを追い求めるルカにとって、このかたちこそが最も真摯な気持ちの伝えかた。「この世の何よりもララこそが最も美しい」という、彼なりの最大限の賛辞。美しい君が好きだ。
ララに伝わるかどうかはさておくとして。
・・・まさか、笑い転げられるとは思っていなかったようですが。

「何笑うてんねん」
「だって、全然違うんだもの」
「まだ完成してへんだけ!」
絵が完成しさえすればララの美しさが本人にも伝わるはずだと思っているピュアボーイは一旦脇に置いておくとして。
ここでララはひとつ面白いことを言っています。
「全然違う」と。
「ヘタクソ」でも「よくわからない」でもなく、「全然違う」。
ルカが何より美しいと思っているものが、ララの目にはそうではないように映っているのです。
この絵は美しいかもしれない。いい絵だと思う。
ただ、私はこんなに美しくない。

呪詛
「まさか、人魚だと? その醜くおぞましい姿で私を拐かせると思うか!」(第1話)

200年前に受けたその言葉が、今でもララの心の傷として残っています。
人魚は美しく、人間は醜い。人魚の城ではそういうふうに教えられていました。
けれど好奇心旺盛なララはそのことを自分の目で確かめずにはいられず、やがてついに巡り会えた生身の人間は、明らかに美しい容姿を持っていました。
大発見。ますます好奇心を刺激されたララは、やがて魔女の薬を飲んで地上へ上がり、もう一度王子と出会います。
別に面食いなわけではありません。ただ、人間のなかにも美しい人はいるし、地上もそこまで恐ろしい場所ではないと知っただけ。
それはララが自分の目で確かめた、ララだけの発見でした。王子と暮らす日々のなかでララの好奇心は満たされました。いつしかララのその思いは、人間に対する愛へと変わっていきます。
けれど、突然の裏切り。
王子はララのことを「醜い」と言いました。
顔は人間の姿をしていたときとほとんど変わらず、なのに下半身が人間とは違うものに戻ったというだけで、彼はバケモノを見るような蔑んだ目で、ララのことを見下しました。
人間は醜くなかった。むしろ美しかった。そういう好意によって人間のことを好きになっていったララに対し、
人魚は美しくなんてない。醜くおぞましいバケモノだ。そういう敵意によって人間はララのことを嫌ってしまう。
それがひどく悲しくて、悲しくて、ララはその後、人間に愛されることを怖れるようになりました。
「ねえ、お父様。人魚は美しく、人間は醜い。そうお父様はおっしゃったけど、そうじゃなかったみたい。・・・私って、醜かったんだ」(第1話)

醜い自分に、愛される資格などないのだと。
「綺麗な景色が好きってこと?」
「まあ、そうやけど。美しいものが好き」
「美しい?」
「美しいっていっても、いろいろあるけど。今度また話すわ。もうすぐ着くで。楽しみにしてて」
ルカは芸術家肌で変わり者の割に、意外と奥手で――、ララにとっては幸いなことに、なかなかはっきりと「ララのことを美しいと思っている」と口に出せずにいる少年でした。
おかげでララはどうして自分がこんなにも気に入ってもらえているのか、彼の好意の核心に気付かないまま過ごすことになります。
自分の美しさを信じていないララが、ララのことを心から美しいと思う人から逃げず、その本当の心に触れる機会は、この出会い以外にありえませんでした。
そう。今話はララが自分の尊厳を回復させる物語。
200年前の恋をやり直すことが主たる目的ではありません。
そもそも恋自体が“本当の愛”ではありません。誰か特定の個人を好きになるということは、凶暴な熱情と隣りあわせ。あの人を自分のものにしたい。私だけを愛してほしい。あの人の全てが欲しい。心も、魂すらも全部。――それも愛のひとつのかたちであることを否定はしませんが、そのような愛では人魚の一族全員を優しく照らす光にはなりえないでしょう。
茉里や大津家の家族を大切に思うあまり、ララの愛は以前もコータを殺しかけたことがありましたよね。
「どうしてそんな顔をしているの? そんなに私を絵に描きたかった? 私が人魚だから? 私に近づくことは、人間同士が近づくことと違う。・・・ごめんなさい。もう会いたくないの」

ルカが優しいこと、紳士なこと、それでいて情熱的なことなどをひととおり理解したうえで、最後にララが問います。彼のその思いは、結局のところ自分のどこに向けられていたのか。
「初めは人魚やから興味持ってん。でも、今はちゃう。・・・ララは、俺が人間やから嫌なん? 会いたくないって言ってるのにごめん。俺は――、ララがララやから、一緒にいたい」

ルカの答えは「ララがララだから」。月並みな言葉。だけど、これこそが呪いを解く言葉。
王子はララの見た目が人魚に変わったというだけで手のひらを返して、醜いと蔑みました。
だから、たとえララが人魚の姿であってもルカは変わらず好きでいてくれる。そのことに救われる――、わけじゃない。
ララは初め、好奇心から人間に近づくようになりました。なかでも王子に興味を持ったのは、海で教わった話と違って美しい見た目をした人間だったから。
だから、ルカが人魚の姿のララに興味を持つのもわかる。自分と異なるもののことが気になって、やがて好きになっていく気持ちに共感する――、というわけでもない。
ルカは美しいものを愛する人でした。ララのことを絵に描き留めたくてたまらないようでした。彼の目に、今の自分がどのように見えるか。
人魚の姿だろうと、人間の姿だろうと、関係ない。彼はどちらのララも、「ララがララだから」と好きでいてくれる。彼はどちらの姿も美しいと心から思ってくれる。
ルカは――、ララという存在を丸ごと美しいと思ってくれる人だったのです。

ずっと自分は醜いのだと信じて生きてきました。だって、あの王子が言ったことなんだから。あの美しい王子が。興味の尽きない人間の王子が。今でも愛しているあの人が。・・・ララを「醜い」と蔑んだんです。信じるほかありません。
そう思うしかないじゃないですか。自分が悪いんだって。醜いから嫌われたんだって。だって、そうじゃなかったら、あの人は酷い人だったんだってことになってしまう。今度はララ自身の魂が、あの人との想い出を裏切ってしまう。
ルカは美しいものが好きな人です。そのルカが、ララのことを好きだと言ってくれています。
だったら、ララも、自分は美しいんだって認めていいんでしょうか? あの絵に描かれていた姿こそが本当の自分だと思っていいんでしょうか?
好きになった人に突然嫌われてしまっても、自分のせいだと思うしかないんだって、もう怖がらなくてもいいんでしょうか? もう外の世界へ飛び出して行くことを恐れなくてもいいんでしょうか?
誰かに愛されることに、もう怯えなくてもいいんでしょうか?
「私は、その言葉をずっと待っていたのかもしれない――」

ルカの審美眼なら――、信じられる、気がします。
その日の夜は、滋賀の風景がいっそう美しく見えました。
花火大会なんだから当たり前といえば当たり前。
ララは空に次々打ち上がる大輪の花を夢中になって眺めます。


ララも、美しいものは大好きでした。


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