ヒーリングっどプリキュア 第7話感想 キラキラの雨粒が、たくさん、たくさん、降りそそぐ。

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ちゆちゃん。ひなたちゃん。――雨、やんでるよ。

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(主観的)あらすじ

 のどかが男の子に尾行されています。彼は新聞部――ノンノンノンノン。すこ中ジャーナル編集長の益子道男くん。のどかがメガビョーゲンを呼び寄せていると睨んで取材しているのです。
 予想は的外れもいいところですが、四六時中つきまとわれるのはやっぱりなんかイヤです。ちゆとひなたにまで迷惑をかける必要もないので、のどかはしばらくふたりと距離を取ってひとりで生活することにしました。

 益子くんの取材活動は続きました。大変そうにしているのどかを気づかって、ちゆとひなたがそれぞれのやりかたで彼を足止めしてくれるようになりました。
 のどか自身も彼を撒こうとがんばってみるのですが、途中で転んでしまいました。けれど、顔を上げたのどかの目に映ったものは、心配そうにこちらの様子をうかがう益子くんの顔。
 彼は意外にも優しい子だったのです。取材する相手に敬意を払うことを忘れてはジャーナリストとはいえない、というのが彼の信条なんだそうです。ただ、ついつい夢中になりすぎてうまくいかないだけで。

 雨上がりの日、雨露に濡れてキラキラと輝くクモの巣を見つけたのが彼のジャーナリズムのはじまりでした。その感動を誰かと分かちあいたくて壁新聞を書いてみたところ、先生が褒めてくれて、それがまたクモの巣を見つけたのと同じくらい嬉しくて。だから彼は新聞を書くことに夢中になったのです。
 彼があんまりにも嬉しそうに話すものだから、のどかも一度雨上がりのクモの巣を見てみたいと思うようになるのでした。

 しばらく距離を取ろうと話しあいはしたものの、結局ちゆとひなたは会いたくなったからと、のどかの家に遊びに来てくれました。
 益子くんのほうも直接ビョーゲンズと対面してみて、のどかへの疑いを取り下げたということです。今はプリキュアという謎の女の子たちを追うのに夢中。
 すっかり元どおりに戻った日常のなかで、のどかはふと、木立のなかに雨上がりのクモの巣を見つけます。それはたしかにキラキラして見えました。

 2本のストーリー軸が同時進行していたぶん、のどかの感情の流れが見えにくくなっていますが、今話は要するに、のどかが周りの人たちのなかにそれぞれの優しい気持ちを見つけるエピソードです。
 のどかは優しい子です。ただ、その優しさのありかたがちょっと厄介で、割と気軽に自分の都合を抑えて献身しすぎてしまうところがあります。病気だったころにお父さんお母さんやお医者さんから与えられた優しさをマネている弊害ですね。
 そうじゃないんだよと。のどかひとりで優しくあろうとしなくても、みんなものどかに優しくしたいと思っているし、ちょっと迷惑な子のなかにだって誰かのためになりたい気持ちはちゃんとあるんだよと。そういうお話です。

 たぶん、1回目の雨のシーンをもう少し効果的に使えていたらだいぶわかりやすい構成にできたんでしょうけどね。ひとりぼっちで寂しい雨と、雨上がりのクモの巣が楽しみになった雨、その対比。残念ながら見るからに尺がいっぱいいっぱいな感じでした。次話への伏線でちゆの新記録を描写するため、肝心の放課後を一旦晴れにしないといけなかったですし。

ピリピリのどか

 「ちゆちゃんとひなたちゃんはしばらく私と離れていたほうがいいかも。益子くんが疑っているのは私だってはっきりしたわけだし」

 理不尽な話ですが耐えなければいけません。
 のどかがメガビョーゲンを呼んでいるという事実は無いので探られて困るような話ではないです。ですが、それだけに益子くんの尾行がいつまで続くのか予想できません。
 唯一、プリキュアのことだけは知られたら困りますが、そのリスクはのどかひとりでいようと3人一緒にいようと変わりません。益子くんはプリキュアが3人組だということどころか、プリキュアという存在自体まだ知らないんですから。
 だから、のどかはひとりで耐えることを選びました。

 別にひとりでいたって益子くんの疑いを晴らせるわけでもプリキュアのことを隠し通せる可能性が上がるわけでもありませんが、自分ひとりが我慢すればちゆとひなたが迷惑を被ることはなくなるからです。
 合理的な判断ではあります。尾行されるのが3人でも1人でも、益子くんの追求する姿勢は変わらないんですから。
 一方で無意味な判断でもあります。尾行されるのが3人でも1人でも、益子くんの姿勢を変えることにはならないんですから。

 のどかは優しい子ですが、そのあたりの感覚がちょっとズレた子でもあります。
 「おっはよー! のどかっち」
 「おはよう」

 別にちゆとひなたはそこまでして是が非でも益子くんの尾行から逃れたいわけではありませんでした。迷惑に思っていたのは事実ですが、彼女たちにしてみればその条件はのどかだって同じこと。のどかが自分ひとりで背負おうとする気持ちのほうが理解できません。だから普通に声をかけます。声をかけたってのどかに迷惑をかけてしまうわけでもなし。
 けれど、のどかにしてみれば自分さえ我慢すれば他のふたりには迷惑をかけずに済むことだと感じます。3人で迷惑を被っても1人で受けても、どうせその度合いは変わりません。だったら自分ひとりで耐えたほうがみんなに対して親切です。だから頼まれてもいない貧乏クジを自分から引き受けます。無闇に口をきくべきではありません。
 そのあたりの感覚のズレを、彼女は前々から自覚できていません。

 ずっとひとりで耐え忍ぶのどか。水族館のときの、非常時ですら微笑むことができていた彼女はどこへやら。今話ののどかは始終ピリピリ顔です。
 友達がこんな顔をしていたら放っておけるわけがないじゃないですか。当然、ちゆとひなたはのどかに助け船を出しますし、ひとりにしないよう家まで遊びに来てもくれます。
 なのにのどかときたらそのたびにびっくりしたような顔。何がそんなに不思議なものですか。ふたりとも、ただ友達思いで優しい子なだけなのに。

 「花寺さん。ぼくはすでに真実をつかみましたよ。君が隠している不思議をね。そう、君たち3人――実はすごく仲よしですよね」
 「友達同士が仲よくする。当たり前すぎて記事にはなりませんよ」

 よりにもよってお前が言うなって感じの人が総括しちゃっていますが、まさにそういうこと。
 ふたりのしてみせたようなことこそが当たり前の優しさです。のどかみたいに気負いすぎ、見るからにがんばってやってる親切を受けても、こっちはかえって申し訳なくなっちゃいます。
 もちろんそういう大きな善意や好意を向けられるのだってとっても嬉しいものですが、そういうのって日常的に行われる親切とは少し違う。できることならみんなが幸せでいてほしいと誰もが思うものです。あなたも一緒に。もちろん私も一緒に。

 いつも笑いあって暮らしていたい。
 そんな当たり前のことを願うからこそ、みんな当たり前のような顔をして周りに優しくできるんです。

 人に優しくするのって、必ずしもがんばることじゃないはずです。

がんばる理由

 「ケガはありませんか!?」
 「う、うん。・・・大丈夫」

 優しさとは日常的に行われるもの。
 だから、それをするのは益子くんだって例外ではありません。
 彼にあまりいい印象を持っていないのどかにとって、それは意外なことのように思えるかもしれませんが、普通はそういうものです。

 「すみませんでした。ぼくの尾行のせいですね。ついジャーナリズムというリズムを激しく刻みすぎて、やりすぎました。取材する相手に敬意を払うことを忘れてはジャーナリストとは言えませんから」
 誰だって笑いあって暮らしたいものです。
 だからこそ、周りに優しくするのなんて誰にとっても当たり前のこと。みんなが優しいからこそ私たちの今の日常は成立していて、つまり、私たちはみんなが優しいんです。

 「いつもそうです。しつこく取材して、学校でも煙たがられてます」
 「益子くんはどうして新聞――」「すこ中ジャーナルです」「ごめん。どうして煙たがれてもすこ中ジャーナルをやってるの?」

 みんなが本当は優しいのなら、ときに優しくないことをしてしまうのには、何か必ず理由があるはずです。
 ビョーゲンズのようにまだ日常の輪に加わっていない人たちならともかく。
 「雨上がりのクモの巣って見たことがありますか?」
 益子くんにとってそれは、“   ”でした。

 「すごくキレイなんですよ! 雨の雫が光で巣をキラキラと輝かせて、それが風に揺れて・・・。あんまりキレイで小学校の壁新聞に書いたんです。ぼくが初めて書いた記事でした。先生が褒めてくれて、嬉しくて、それからずっと――!」
 それは“感動”でした。美しいと感じた気持ちをみんなと共有したいという初期衝動。
 それは“情熱”でした。初めての成功体験を以降もずっと続けていきたいという自己実現。
 いいえ。それは何よりもまず、“優しさ”でした。幸せな気分をみんなにも分けてあげたいという親切心。そして実際誰かが喜んでくれたから、それをこれからも続けていきたいと思った、あふれんばかりの思いやり。
 ちょっと(だいぶ)迷惑な益子くんの取材欲は、フタを返してみれば、誰かに新聞を喜んでほしいと願う優しい気持ちから始まっていたのでした。

 だから、その気持ちにのどかは共感します。
 「夢中になることがあるってステキだと思う。初めて記事を書いたときの気持ちって、きっとその雨上がりのクモの巣のように、キラキラしてたんだね」
 だってのどかも同じなんですから。
 「私ね、長い間病気で休んでいたの。ずっと、ずっと、思うように動けなくて。何もできなくて。辛くて。悲しくて。寂しくて。・・・でもね、お父さん、お母さん、お医者さんたち、たくさんの人が励ましてくれて。助けてくれて。そうやって元気になれたの。だから私、思ってた。今まで助けてもらったぶん、たくさんの人にお返ししたいって。いろんな人を助けたいって」(第2話)
 のどかの優しさは、優しい人たちへの憧れから出発しています。
 みんな病気ののどかに特別に優しくしてくれたから、今、のどかはみんなに特別に優しくあろうとしています。経験が特殊だったせいで普通よりちょっとズレているかもしれませんが、のどかにとってはただただ純粋に、あのとき自分が嬉しかったことを周りのみんなにも喜んでほしいと思っているだけ。

 のどかが今かえってちゆやひなたに気を使わせてしまっているのは、益子くんが取材の加減を間違えて煙たがれているのと似た理由。
 のどかにとっての病院で受けたたくさんの優しさは、益子くんにとっての雨上がりのクモの巣。
 思い返すたびキラキラと輝いていて、そのことを思うといつもどおりにしているだけじゃ全然足りないくらい気持ちがこみ上げてきて、じっとしてなんかいられなくて、もっともっとみんなに喜んでほしくて、特別なことも自分にとっては全然苦にならなくなって、たくさん、たくさんがんばって、がんばって、がんばって――。

 それは本来、自分が嬉しくて、みんなにも同じくらい喜んでほしくて、だから始めたことでした。

優しい雨に包まれて

 「のどか。どうしたラビ?」
 「雨上がりのクモの巣、見てみたいなあ」

 せっかくできたばかりの友達と距離を取ってひとりぼっち。益子くんの取材も明日また続くでしょう。
 雨。
 家のなかに閉じこめられてしまうアンニュイなお天気。

 けれど、そこでのどかは笑顔を取り戻しました。
 気付いたからです。
 ちゆもひなたも何も言わなくてもいつも助けてくれる。
 益子くんも話してみれば本当はいい人だった。
 みんないつも優しいんだって。
 この雨みたいに、みんなの優しさがいつも自分を包みこんでくれていたんだって。

 結局のどかはこれからどうするべきか、それはまたこれから考えていくお話です。
 益子くんも頭ではわかっていながら何度も失敗を繰り返してきました。のどかもきっとたくさん迷いながら、あふれる特別な優しさを、少しずつ日常のなかに溶けこませていくのでしょう。
 だけど、それはこれからのお話。
 今しばらくは優しい雨に包まれて、雨上がりに見られるであろう景色に思いを馳せましょう。

 雨が上がったらまたちゆやひなたに会えます。今度はどんなお喋りをして一緒に笑いあいましょうか。
 雨が上がったら益子くんが言っていたクモの巣も見られます。いったいどのくらいキラキラしているんでしょうか。
 楽しみです。

 雨が降っていても、ひとりぼっちになったとしても、のどかはみんなに囲まれています。

 「のどか」
 「いやー。なんかのどかっちに会いたくなっちゃって。えへへ」
 「そうなの。さっきそこで一緒になって」

 ふたりは雨の精か何かなんでしょうか。のどかが雨雲を見つめながら優しい気分に浸っていた間、ちょうどこのふたりはその雨のなかこちらに向かってきてくれていたようです。

 「ちゆちゃん。ひなたちゃん。――雨、やんでるよ」

 優しい雨が上がったあとは、また、みんなと一緒の毎日が続いていきます。

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    コメント

    1. ピンク より:

      危ない怪物を新聞部なりになんとかしたい一心なのかな? と思いましたが、少し違ったみたいですね。
      メガビョーゲンへのリアクションからして、単に好奇心だけが先行してる感じ。

      ジャーナリズムとやらが今後どうなるかは分かりませんけど、少なくとも自分の非を認める勇気があるならいくらでもどうにでもなると思ってます。

      • ピンク より:

        追伸
        記事のカテゴリが未分類になってます。

      • 疲ぃ より:

         記事にしたいって気持ちまであるので好奇心だけではなく名誉欲含みですね。この手の名誉欲は結局のところ他人に評価されたい=誰かの役に立ちたいってことなので、履き違えなければすこぶる健全なものです。
         ジャーナリズムには一般に公平性や中立性が求められるので(※ 彼のジャーナリズムがそうなのかは知りませんが)、「この記事で何かを変えたい!」とかよりは純粋な好奇心のほうが意外と適性は高いと思いますよ。

    2. 東堂伊豆守 より:

      ダジャレ耐性の低い沢泉ちゆさんが「グアイワル(具合悪)」だの「シンドイーネ(しんどいね)」だの「テアティーヌ(手当て犬)」だのに全く反応しないのはナゼなんだろう……。
      まあ、そこにツッこむのはさすがに野暮としても、気になるのが「地球を自分達の住みやすい環境に作り替える」ことが目的のビョーゲンズが、自分達の行動を「地球を蝕む」「病気にする」と表現している点なんですよ。むしろ「俺達ビョーゲンズが”蝕まれた”地球をお手当てしてやってるんだ」くらい言い出してもおかしくないように思えるんですが。
      ビョーゲンズの発言をプリキュア視点=視聴者視点の言葉遣いにすることで(特に若年視聴者への)分かりやすさを狙った……のか、あるいは、ビョーゲンズ(殊に首領キングビョーゲン)の真の目的・背景が別にあることを示す伏線なのか……?
      ところで、今回登場の学園モノ定番・出歯亀新聞部キャラなんですけど、SNSの普及で誰もがマスコミ級の影響力を持つ情報発信源と成り得る時代において、こういうキャラの存在感・説得力を確保する難しさが露呈した、なんとも上滑り感の拭えないシナリオとなってしまったのがツラいところですなあ。むしろ東堂いづみセンセイ自身が”昭和学園モノの令和版パロディ”と自虐的に割り切って作ったエピソードという雰囲気がバリバリ漂っていて……。

      • 疲ぃ より:

         人の名前を笑うんじゃありませんッ!
         ・・・でも、こういうのって本編じゃスルーされますが、オールスターズみたいなお祭り企画になると急にイジられるようになりますよね。

         ビョーゲンズが「地球を蝕む」って表現するのはそう変なことじゃないと思いますよ。自分と相手が(生存競争的な意味で)相容れないことを認識している場合、自分の都合で相手が住めない環境につくりかえるのはやっぱり「蝕む」行為であり、侵略でしょう。

         情報発信の話でいくと、少し前までは誰もが情報発信できるからとマスコミ不要論が出てきていて、その何年か後に結局面倒くさくなって特定のインフルエンサーだけチェックしたがる時代があって、そのまた次にそもそも個人発信だと無責任なガセネタ多すぎってことでまた肩書き主義と職業マスコミが復権して・・・みたいな流れまではなんとなく捉えています。

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