ヒーリングっどプリキュア 第15話感想 何もかも理解しあえるのが友達ってわけじゃない。

ねえ。ケンカしないで済む方法ってないのかな。

→ TVerアーカイブ配信(放送後1週間限定)

(主観的)あらすじ

 のどかとラビリンは仲よしです。お互い何でもわかってくれて、どんなときも助けてくれます。
 ある日、ラビリンはラベンだるまちゃんというマスコットと出会いました。ちょっと独特の造形でしたが一目で気に入りました。なのに、ニャトランたちは変だといいます。ラビリンはなんとなく恥ずかしくなって、自分も好きじゃないと嘘をついてしまいました。
 けれど、のどかだけはラビリンと一緒にラベンだるまちゃんを好きになってくれました。一緒にお店のイベントに行って、ラベンだるまちゃんのぬいぐるみをもらって、とっても楽しい一日を過ごしました。

 ところがその帰り道、のどかたちはニャトランとばったり出会ってしまいました。
 のどかはラビリンがニャトランに嘘をついている事情を知りません。だから何も隠さずぬいぐるみをもらってきたことを話してしまうのですが、ラビリンはもちろん居たたまれません。癇癪を起こして飛び去り、そして友達なのに気持ちをわかってくれなかったのどかから少し距離を取ることにしました。
 まったく意味のわからないラビリンの行動にさすがののどかもムッとします。のどかにとって、初めて経験する友達とのケンカでした。

 メガビョーゲン出現。のどかとラビリンはいつものように変身しようとしたのですが、心が通じあっていないからか変身に失敗。一度戦いの場を離れて話しあうことにしました。
 何を言うべきかわからない気まずい空気のなか、のどかはラテに手を引かれて、やっと自分の思いを吐き出します。友達の気持ちをわかってあげられなくて申し訳なく思った。ケンカしているあいだずっと辛かった。仲直りしたい。友達をやめたくない。
 ラビリンも自分が悪いと思っていて、こちらもやっぱり仲直りしたいと思っていました。

 元の仲よしに戻ったのどかとラビリンは変身してメガビョーゲンを浄化。
 戦いのあと、ふたりはまたラベンだるまちゃんのお店に一緒に行って、もうひとつぬいぐるみをもらってきました。
 ケンカしないで済む方法は・・・、思いつきません。けれど、仲直りする方法はわかったからいいかなと思い直します。

 あのハーブショップ、自前で圧搾機を持っているのか・・・。すごい。
 ということは、庭の他にもっと広いハーブ畑を所有していて、ネット通販とかで精油を売って経営を成り立たせている感じでしょうか。陳列の少ない物販スペースにオープンカフェ併設って時点で実店舗は半ば道楽と見た。
 国産かつ自家製の精油って時点で稀少ですし、さらにすこやか市ブランドなら付加価値も大きいかもしれませんね。ラベンダー10mL瓶3~4000円くらいで買えます? 絶対中学生が通えるお店じゃない。(※ ここまでほぼ妄想)

 さておき。
 今話は現状のどかが直面している最も困難な課題に取り組んだエピソードでした。
 のどかは優しい子ですが、価値観を共有できない相手とのコミュニケーションの経験がありません。のどかが病院で出会ってきた人たちはみんなのどか以上に優しくて、一生懸命な人ばかり。のどかはそんな彼らに憧れを抱いて、退院後ずっと人助けやプリキュア活動を頑張ってきました。

 けれど、ビョーゲンズ、特にダルイゼン相手にはのどかの優しさがまったく通用しません。「自分さえよければいい」と断言するダルイゼンに対し、のどかは優しさを向けるどころか逆に怒りの感情を抱いてしまっていました。
 勧善懲悪を体現するヒーローならそれでいいんでしょうが、のどかがプリキュアをしている目的に悪を倒すことは含まれません。あくまで病気で苦しんでいる地球を助けてあげたい、お医者さんたちに優しくされたぶん自分も周りに優しくして返したいというのが、彼女がプリキュアを志した理由です。
 だったら、たとえ敵だからといって、ダルイゼンに怒りをぶつけてしまうことはのどか本来の思いに適う行いなんでしょうか?

 敵は敵、味方は味方と割り切るのも場合によっては正しいことかもしれません。
 けれど、今回ラビリンが友達なのにも関わらず理解不能な言動でのどかを苛立たせたように、人というのは多面的で重層的で、本当はいろんな表情を持っています。一個の人間を敵だ味方だと二元論的に断じるのは、現実的にはナンセンスです。
 今のところ、ダルイゼンやビョーゲンズはどこまでも共生可能性が見えない存在です。どちらかが倒れるまで敵対しつづけなければならない生存競争のようにすら見えます。今のところは。
 けれど、明日はどうなるかわかりません。仲よしのラビリンともときにはケンカしてしまうように。あのダルイゼンもまた、もしかしたらのどかが優しくしてあげられる可能性が、いつかどこかで見つかるかもしれない。

 その可能性を、優しさを諦めずに済む心のしなやかさを、のどかはこれから学んでいかなければなりません。
 きっと、この子は優しくできる相手にだけ優しくするんじゃ自分で自分を納得させられないから。

わかってくれる友達

 「――だから、プリキュアになれて嬉しかった! ラビリンが私を選んでくれて嬉しかったの! 絶対応えたいって思った。ひとりじゃできなくても、ラビリンと一緒ならできるって思って」(第2話)

 のどかにとって、ラビリンは自分の願いを叶えてくれ、しかも思いを共有してくれる理想的なパートナーでした。
 そしてそれはラビリンにとっても同じこと。プリキュアの使命を完遂できる優れた人物ではなく、あえて体の弱いのどかをパートナーに選んだのは、彼女の真摯な思いに心の肉球がキュンときたからでした。

 だから、ふたりは当然のように仲よしです。なにせ似た者同士なんです。誰かに優しくすることに喜びを感じ、そのためならいくらでも一生懸命になることができます。
 のどかが良いと感じるものはラビリンにとっても良くて、ラビリンが嬉しいと思うことはのどかにとっても嬉しいこと。
 だから仲よし。だから友達。
 そう思っていました。

 「でも、かわいいラビ!」
 「本気か?」
 「かわいくないペエ」
 「・・・じ、冗談に決まってるラビ。こんなのかわいいと思うわけないラビ」

 残念ながら、ニャトランとペギタンにはラビリンが良いと感じたラベンだるまちゃんがイマイチに思えたようです。
 それがなんだか恥ずかしくて、ちょっと悲しくて、とっさに嘘をついてしまいました。
 よくある話ですね。良いと思ったものをみんなで同じように良いと思えなかったら、それは友達じゃない気がする。だけど友達じゃなくなるのはイヤだから、少しくらい嘘をついてでも周りに合わせたいと思う。
 それって本当に友達なの?と、思うところもあるでしょうが、そのあたりはまたあとで。

 「ちょっとかわいいね。好きなの?」

 ニャトランたちはわかってくれませんでしたが、のどかだけはラビリンの気持ちをわかってくれました。ラビリンと同じように、ラビリンの好きなものを良いと思ってくれました。
 さすがのどか。お互いにお互いを求めあったパートナーです。
 のどかこそは最高の友達。何でもわかってくれるし、どんな気持ちも共有してくれる。だから好き。

 「お店のイベントに参加してスタンプを集めると、ラベンだるまちゃんのぬいぐるみがもらえるラビ。でも、ラビリンはイベントに参加できないから――」
 「私と一緒なら参加できるよね。友達なら当然だよ」
 「楽しみラビ!」
 「そうだね!」

 「やったラビ。のどか。ありがとうラビ」
 「ううん。お礼を言うのはこっちのほうだよ。私もすっかり愛着が湧いちゃったし。それに、初めてだったんだ。友達とひとつのことで盛り上がれたのって」

 似た者同士。
 思いは同じ。
 のどかももちろんラビリンと気持ちを共有します。
 だって、友達だから。

じゃあ、わかってくれないのは?

 「ラビリン。何持ってんだ?」
 「ラベンだるまちゃんだよ。いいでしょー。今日一緒にイベントに行ってもらってきたんだ」

 思いを共有できない相手は友達じゃない、でしょうか?
 気持ちをわかってくれない人は友達じゃない、でしょうか?

 いいえ。私はそんなことはないと思います。だって、ラビリンはニャトランたちにウソをついてまで友達でありつづけようとしたじゃないですか。
 友達だからって必ずしも好きなものを一致させられなかったり、喜びを共有できなかったりするのはよくあることです。それでも友達は友達です。ちょっとくらい相性が合わなくても友達をつづけている人はそこらじゅうにいくらでもいます。
 だって、“好き”とか“嬉しい”とかを共有する以前に、お互いへの好意があるじゃないですか。まず第一に相手を好きだと思う気持ちがあって、そのうえに“好き”とか“嬉しい”とかを共有したいという欲求があるんです。だからこそ、ちょっとくらい合わなくたって、ちょっとくらいウソでごまかしたって、私たちはいろんな人と友達でいつづけられます。

 何でもわかってくれるし、どんな気持ちも共有してくれる。だから好き。

 ・・・本当に?
 よく聞く言葉ですが、それ、順序を錯覚してはいませんか?

 「ラビリンは、ラビリンは――、こんなの好きじゃないラビ!」
 「何するの、ラビリン!」
 わかってくれるはずの人がわかってくれなくて、
 「ラビリンはそんなの別に欲しくなんかなかったラビ!」
 「どうしてそんなウソ――」
 「ウソじゃないラビ!」
 「ウソだよ! 私楽しかったのに! なんでそんな酷いこというの!?」
 共有していたはずの“好き”をウソってことにされて、
 「ひどいのはのどかのほうラビ! ラビリンはイヤだったのに!」
 「何が!」
 「言いたくないラビ!」
 嬉しかった思いを嬉しくないって、ひとつだった思いも本当は違うって言われてしまって、
 それでも、まだ友達といえますか?

 のどかの眉尻が珍しく吊り上がります。
 いつもならビョーゲンズを相手にするときくらいしか見せない表情で、ラビリンのことをキッと見つめます。

 のどかのなかで、ラビリンはビョーゲンズと同じ扱いになってしまったんでしょうか?
 そういえば少し似ている気がします。のどかには到底理解できないことを言いだすところとか。のどかの大切なものを壊そうとするところとか。のどかに理解してもらうことを求めてこないところとか。

 のどかのなかで、ラビリンはもう友達じゃなくなったんでしょうか?

 まさか。
 もちろんそんなはずはありません。

 「何だろ。体調悪いわけじゃないのに、こんな気持ち初めて。・・・初めて? そっか。私、初めてお友だちとケンカしたんだ」

 友達なのに友達らしくできないから、こんなに苦しいんじゃないですか。

わかってくれなくても

 友達になったきっかけは、お互い同じ思いを共有できたからだったかもしれません。
 同じ思いを共有できていたことが、お互い友達であると確信できる大きな根拠だったかもしれません。

 ですが、ふたりはもう友達になっているんです。
 きっかけなんてなくたって、根拠なんてなくたって、友達は友達。
 だって、好きなんだから。

 「ごめんね」
 謝ります。たとえ悪いのが自分のほうじゃなかったとしても。
 だって、友達でいつづけたいから。
 「ラビリンが悪いラビ」
 謝ります。もしかしたらもう相手に嫌われてしまったかもしれなくても。
 だって、友達でいつづけたいから。

 わかってくれなかったのは悲しいけれど、教えてもらえなかったのは辛かったけれど、
 そんなもの、本当は友達をやめる理由になんかなりえません。

 「のどかはもうラビリンのこと嫌いになったかもって思ったらずっと言えなくて、すごく苦しかったラビ」
 「私もだよ。ケンカしたときよりも、そのあとずっと悩んでた夜のほうが辛くて、イヤだった」

 だって、そもそも好きなんだから。友達でいたいと思っているんだから。

 難しいことなんて全然ありません。
 今回、のどかは仲直りがしたくて、そしてラビリンも同じく仲直りがしたくて、実際にしただけです。
 いつものように、それぞれやりたいことをやっただけ。

 わかってくれるから友達なんじゃないんです。
 きっかけはどうあれ、根拠がどうあれ、結局のところお互い友達でいたいと思ったから友達なんです。

 不安な気持ちを和らげる作用で有名なハーブ・ラベンダーの花言葉は、「心安らかに」、それから「あなたを待っています」、「期待」など。
 後者2つは、片想い中の少女が告白する勇気を持てずに我慢しつづけた末、ラベンダーの花になってしまったという伝説が元になっています。思いを胸にしまって密かに祈りつづける姿は美しいですが、それで本当に願いが叶うのは稀なこと・・・、なのでしょうか。

 今回のことは、きっとのどかにとってとても大切な経験になるでしょう。
 のどかはこれまで友達だった子が理解不能な存在に豹変しうることを知りませんでした。
 そして同時に、理解不能な存在になってしまった子ともう一度友達になれるんだってことも。

 ラビリンたち妖精は便利な変身アイテムではなく、プリキュアとして庇護するべき弱者でもなく、のどかたちと思いをともにし、それぞれの願いを叶えるために一緒にがんばるパートナーです。
 意志持つパートナーであればこそ、いつも自分の思いどおりに動いてくれるとは限らず、ときには何を考えているのかわからなくなるときすらあるもの。だって、のどかとラビリンはあくまで違う人間なんだから。いくら仲よしの友達だって、いつもどんなことでも思いをひとつにできるわけじゃない。

 そのことに気付くことさえできたなら、きっとその対称の位置にあるもうひとつの事実にも思い至る日がいつか来るはずです。
 まったく理解が及びそうにない純然たる敵であったとしても、いつかは打ち解けあうことができるかもしれない。

 「発生時間の遅いメガビョーゲンのほうが浄化しやすいラビ! 川のほうなら早く見つけられるはずラビ
!」
 「・・・嫌。だって、ここを離れている間に取り返しがつかなくなっちゃったらどうするの? このステキな作品たちは? つくった人の――長良さんの思いは? 私は絶対守りたい! ここを離れたくない!」(第10話)
 のどかがプリキュアとしてやりたいと思っていることはあくまで地球のお手当てです。けっして敵を倒したくて戦っているわけではありません。
 「自分さえよければいいの!?」
 「いいけど?」(第6話)
 「それにしても――、戦うのって超楽しいっスわ」
 「戦うのが、楽しい?」(第12話)
 ただ、相手がのどかに理解できない言い分で攻めてくるから、やむをえず撃退しているだけ。

 戦いたくないのなら、戦わずに済む道を探したらいいんじゃないですかね。
 これからも友達でいつづけたいから仲直りしたのと同じように。

 考えかたが理解不能な相手です。友達になるのは難しいことかもしれません。
 ですが、そもそも一番大切なことは、あなたがどうしたいかです。まずはそこが全ての出発点になります。

 「ねえ。ケンカしないで済む方法ってないのかな」
 「それがわかれば苦労しないラビ」
 「そうだよね・・・。でも、仲直りの方法はあるから、いっか」

 なにぶん世のなかのことはたいがい相手がいるものですから、何もかも思いどおりにするというのは実際のところ難しいです。たとえ相手が友達であったとしても、その全てを読みきれることはありません。
 それでも、友達でありつづけたいと願っていたら、今回はちゃんと叶いました。

 自分が一番満足できる結果に届くまで、がんばってみてもいいと思いますよ。

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『ヒーリングっどプリキュア 第15話感想 何もかも理解しあえるのが友達ってわけじゃない。』へのコメント

  1. 名前:ピンク 投稿日:2020/07/12(日) 21:58:14 ID:253ec02ba 返信

    考え方というか、持ち物とか試聴する番組をお揃いにしたがるのはわりと女性あるある(男性にもいるでしょうけど)のようで。
    大人だとたまに家族等の趣味嗜好を仕切りたがる方もいるとか。
    で、私はというと、好きなアニメとかを誰かと語り合いたい気持ちはありますが……それとはまた違うんですよね?

    そして今回ニャトランの圧倒的トラブル製造者ぶりが妙に笑えましたw
    単に思ったことそのまんま言ってるだけなので、タチ悪いけど子供だから許されるんだろうなあと思った次第です(大人気ない視聴者)

    • 名前:疲ぃ 投稿日:2020/07/19(日) 08:57:09 ID:df5ea1385 返信

       共有できない部分もあることを認めるのが大事ってだけなので、一緒に楽しめるならそれは普通にいいことだと思います。別に多少価値観が合わなくたって同じ趣味を楽しめるものですし。むしろ多少の違いにこだわって相手を理解することを拒絶してしまうのが悲しい。

       ニャトランはそれこそ私にとって“合わない”タイプの子なんですよねw ハタから見ている分には嫌いじゃないし、価値観自体は割と好きなんですが、私とはものの見かた考えかたがいちいち違う。私はあそこまで不思慮になれませんし、あそこまで素直になれません。たぶん一緒にいたらイラッとします。
       そういう、自分じゃ絶対やらないようなことをしでかすのが好きなんですよね、たぶん。