超人女子戦士ガリベンガーV 第62話感想 七福神はアイドルユニットだった。推していこう。

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生徒役:電脳少女シロ、富士葵、神楽すず

やっぱ売れたら人は柔らかくなるんですね。

出演バーチャルYouTuber

電脳少女シロ

「たしかに左側は売れる前の顔ですよ。さあこれからどうにかしていこう、ここが踏んばりどころっていうね」
「言いたい放題だよ」

 ついに本日9月19日に初主演映画が封切りとなったバーチャル銀幕ヒロイン。相当思い入れの強い映画に仕上がったらしく、最近ことあるごとにエモーショナルなメッセージ群を発信しています。白椿の花言葉は「崇拝」「敬慕」。この香らない奥ゆかしい花は、季節が終わり散り落ちたあともなお、葉の艶やかさを保ったまま次の春を待ちつづけます。
 「いるだけで○○な子」という表現がこれほど似合わない人物もなかなかいないでしょう。いればだいたい何かしています。傍若無人に暴れてみたり、賢く機転の利くトークを繰りひろげてみたり、斜め上にカッ飛んだ名言を連発してみたり、他の共演者を気遣ったり、イジりたおしたり、あるいはゴキゲンにキュイキュイ笑っていたり。ちょくちょくワケワカンナイこともやりたがりますが、そういうときは「シロちゃんの動画は為になるなあ!」と、とりあえず納得しましょう。彼女はあなたが為になることを望んでいます。
 まるでアブない人のようですが、そして実際アブない人なのは確かなのですが、ああ見えて彼女は共演者をよく見ています。聡明です。共演者の対応力を推し測り、ギリギリ捌ききれる程度のムチャ振りを仕掛けるのです。おかげでいつのまにか人脈の輪がずんどこ広がってきました。タチが悪いったらありゃしない。

富士葵

「VTuberでそのうち神だとか言うやつ出てきそうだな」
「頭を伸ばすところからがんばります」

 唱歌の愛し子にしてダイソーの回し者。大きな別れを経験し新しい挑戦に挑む今日、ホラーゲームを実況プレイするのかと思ったら突然踊りだしたり、あずきバーで釘を打つには冷凍庫から出したてであることがポイントであることを教えてくれたり、相変わらず健やかに変な動画をつくっています。
 歌以外にもコメディ調の動画をたくさん制作しているのですが、こちらのノリがまた、歌声からの印象よりさらに「孫」。田舎在住の女子中学生が母方の家(さらなるド田舎)に遊びに来て、祖父母といっしょにウキウキでホームビデオ撮影をしている感じとでもいいますか。妙に子どもっぽくて変にシュールでいやに楽しそうで、とりあえずかわいがりたくなるのは間違いなし。あれは孫だ。
 孫っぽい素朴さ(エキセントリックさ)を持ったまま、着々とメディア出演の経験を積んできた彼女。素朴だからこそどんなイベントでも物怖じせず自分の個性を表に出せて、場慣れしているからこそ――やっぱり物怖じせず堂々としていられます。素朴さと場慣れ、正反対の素養が結果的には同じ強みを醸成し相互に補強しあっている、面白い子だと思います。

神楽すず

「へー! 名プロデューサーだ」
「じゃあもう、秋元さんってことですね」

 人呼んで狂犬チワワ。(※ いうほど呼ばれていない) 豪放かと思いきや意外と内気、粗暴かと思いきや実は臆病、短慮かと思いきや何気に準備がいい。ここ萌えポイントです。一周まわって清楚に返り咲いた感すらあるThe 姉は、ゼロ年代アニメヒロインのごとく理不尽のかぎりを尽くしてかわいさをバラまきます。
 彼女は普通の子です。歌を歌うときは多少トチっても気にせず楽しげに歌いきり、ロボットを操縦するときはまるでアニメ脚本家が書いたような芝居がかったセリフをいつものテンションでサラッと口にします。神楽すずはどこにいても、何をしていても、神楽すずです。たとえテレビ局のスタジオで数百万画素の業務用カメラを向けられていようと、ライブ会場で合計数千ワットのパーライトに照らされていようと、彼女は普通の子であることをけっして手放しません。
 どうしても失敗してしまう瞬間はあるでしょう。けれど、もしその次の瞬間にまた立ち上がっていられたら、失敗は大した失敗じゃなくなります。それこそが神楽すず。いっそ人生哲学じみている鋼のクソ度胸を引っさげて、彼女は今日も威風堂々と笑います。

授業構成おさらい(+ 補足事項)

超難問:七福神の謎を解明せよ!

 愛されるよりも愛したい、とはいいますが、そういう無償の愛を貫ける人は実際にはそう多くないでしょう。
 仏教含むほとんどの宗教教義において、本来、神様は信仰の見返りにご利益を賜ることがないはずなのですが、実際には現世利益を謳う宗教家たちが巷にあふれています。俗物的だ、嘆かわしい、と切って捨てるのは簡単ですが、それだけ多くの人が信仰にそういうニーズを求めているという現実があります。神様を愛するからには自分も愛されている実感が欲しい。かたちある愛が欲しい。
 七福神はまさにそういうニーズに応えてくれる神仏です。現世利益の塊。死後は極楽浄土に~とかいういまいちピンとこないお説教ぶん投げて、とりあえず今日のメシと明日のゼニを寄越してくれます。俗物結構。彼らは仏教エンジョイ勢のライトな信仰を大いに盛り上げるため、市井に向けてにこやかな笑顔を振りまく存在です。

 村松先生は仏教美術の研究者です。駒澤大学仏教学部に所属していますが、本人は文学部出身ですし、僧侶でもありません。仏教にまつわる事柄をあくまで美術的観点から、文学的に読み解く研究をしています。ざっくばらんと親しみやすい解説をしてくれるのは、宗教家とは違う、私たちにより近い立場から仏教に触れているからですね。

トピック1:そもそも「七福神」ってどんな集団?

 「実はこの七福神というのは、アイドルでいうですね、神7のような存在なんですね。神の世界の神7を集めた存在が七福神」

 神7。

 そういえば深海神7は何だったか覚えているでしょうか?
 はい。もちろんダイオウイカ、ダイオウグソクムシ、オオグチボヤ、オオイトヒキイワシ、ユメナマコ、アカチョウチンクラゲ、そしてチューブワームの7種ですね。常識です。
 全て長沼先生の独断と趣味嗜好で選出されております。忘れていた人は第11話をもう一度見なおしましょう。

 ちなみに福神漬けの神7は何だったかご存じでしょうか?
 メーカーによって内訳は異なりますが、村松先生が持ってきた桃屋の瓶入り福神漬けの場合、大根、なす、きゅうり、なた豆、れんこん、しそ、生姜となっています。どうでもいいですね。
 なお、「福神漬け」は登録商標であり、正式には一般名の「カレーに添える漬物」と呼ぶべきだとの都市伝説がありますが、実際には「福神漬け」が商標として登録されている事実はありません。そもそも福神漬けはカレーに添えるために開発された漬物ではありません。

 さらにちなみに、元ネタであるAKB48の神7は誰なのかご存じでしょうか?
 私は知りません。というかこのワード、AKB48用語だったんですね。今調べて初めて知りました。

 それはさておき。そういえばそもそも七福神とはどういう集まりなんでしょうか?

 「ラッパー集団なのかなって。なんか全員着ている服が違いますし、だからたぶん様々な分野、つまりコレDivisionから世のなかに意見を垂れてて、たぶんそれぞれ異なるPunch-lineを巧みに操ってるんじゃないかって」
 今年の電脳少女シロの為発言のなかでも上位に来るくらい脳みそ揺さぶられるLyricですが、意訳するとつまり“得意分野が異なる神仏詰め合わせギフト”ということですね。合っています。

 「神社とかってそれぞれでご利益が違うじゃないですか。で、『いろんなとこ行くの大変だよ』って人間からの苦情があって、『じゃあなんかもうアベンジャーズみたいに得意なやつ全部集めるからこれでいいだろ』みたいな集団。まとめた」
 富士葵の回答もいいところを突いています。あとで先生も軽く言及しますが、日本各地には七福神を祀る寺社が集中しているエリアがあり、そこをスタンプラリーのごとく周遊する参拝プランが実在します。札所といいます。

 「さっき先生が神7っておっしゃられたので、たぶん、入れなかった神様もいっぱいいると思うんですよ。だから会社の役員みたいな。上層部みたいな」
 神7の元ネタはAKB48選抜総選挙の上位7名を指す言葉だそうなので、そこからの発想ですね。ちなみにこれも正解です。七福神は現在の固定メンバーの他にも諸説あり、昔は達磨や吉祥天、猿田彦、愛染明王、お多福などが数えられることもありました。

 七福神を説明するうえで重要なキーワードは「現世利益」。

 そもそも宗教と呼ばれるものの多くは自然現象への畏敬を感じる思いが元になっています。要は「自然ってすっげーなー」「かっちょいいなー」です。田畑に実りをもたらしたり火山を噴火させて大被害をもたらしたりする超常的なパワーへの、ただただ素朴なリスペクトこそが信仰というものの根本です。
 仏教の場合は人間を苦しめる煩悩を振りきるための人文哲学がベースとなっているので、他の宗教とは若干性質が異なるのですが、結局のところ煩悩から解放された仏という超常存在をリスペクトするところは変わりません。
 つまるところ、かっちょいい相手をマジリスペクトすることこそが宗教の本質であり、信仰することにいちいちご利益なんて求めないのが本来の信仰のありかたなんです。

 ですが、そういう神様への無償の愛なんてものに共感してくれる人間なんてそんな多くはいません。普通は愛するよりも愛されたい。
 けれど、ある程度人が集まらないと宗教組織は維持できませんし、みんなでやりたい祭礼も実現できません。二律背反です。なので、ほとんどの宗教ではちょっと自分たちの信仰に妥協して、多くの人に理解してもらいやすい教義を別途整備しているんですね。
 それが現世利益。「信仰すると神様からお礼がもらえますよー」ということです。スパチャを投げたらバーチャルYouTuberにコメントを読んでもらえたり、Boothに課金したらグッズが買えたりするようなものです。
 七福神は様々な現世利益をもたらしてくれる7柱の神仏を集めたユニット。それだけいたらたいがいの人はどこかしらに信仰するメリットを感じるものでしょう。スパチャやグッズに魅力を感じなくともイベントチケットだけにはお金を惜しまない、私のようなファンもいるわけで。

 そういうわけで、7柱をご紹介しましょう。

 恵比寿は七福神で唯一の日本の神様です。天照大神の息子である事代主神と同一視されることもありますが、基本的には海から流れ着く恵みを神格化したものであり、仏教でも神道でもない、古来からの土着信仰に根を持つ神様です。漁労神の象徴としてだいたいいつも大きなタイを抱えています。

 大黒天はヒンドゥー教のシヴァ神が仏教に習合した姿です。シヴァ神はなろう小説も真っ青なレベルの壊れスキル持ち破壊神として有名ですが、日本に渡ってくる過程でなぜか財福をもたらす神としての一面が強調されるようになりました。なろう小説も壊れスキル放っぽいてマヨネーズで一財産築きがちですしね。豊穣神らしく米俵に腰かけ、打ち出の小槌を振っています。

 毘沙門天は武神です。大黒天とは反対にインドでは財宝を司る神様だったのですが、中国あたりで武装するようになりました。仏教における武神、つまり村松先生の前回の授業、第34話で出てきた天部の一角です。異文化・異宗教の脅威から仏教を守る存在。七福神としてはシンプルに戦いの神様とされています。

 弁財天はヒンドゥー教における川の女神・サラスヴァティです。川の神様なので農耕集落が形成されることで生まれる様々な文化、すなわち学問・商売・音楽などをまとめて司ります。インドにいたころから楽器を演奏していたので日本に来てからも琵琶を携え、主に芸術と商売の神様として信仰されています。

 福禄寿は道教における仙人のひとりです。子宝、財産、長寿を象徴しています。とりあえずこの3つが揃っていたら誰だって幸せに暮らせるだろという発想ですね。仙人なのでよく鶴に乗っています。

 寿老人も道教の仙人です。というか福禄寿と同一人物です。南極星の化身とされることもあります。大の酒好きとして知られ、不老不死の霊薬を持ち歩いているとされます。正体はウコンエキスかシジミエキスあたりでしょうか。仙人なので自然と共生しているアピールで鹿を連れています。

 布袋は中国仏教の伝説的な托鉢修行者です。托鉢というのは仏教徒の家々を訪ね歩き、食事や物資を分けてもらうという善行を受けることでお互いの徳を高める修業のことですね。布袋はどんな施しであっても嫌な顔せず受けとってくれ、しかも施しを自分ひとりで独占せず必要な人へ再分配するという活動も行っていました。たいへんに人好きのする人物で、関わった人みんなを幸せにしていたようです。

トピック2:どうやって七福神は全国に広まった?

 七福神がどうして7柱なのかといえば、それは仁王経にある「七難即滅七福招来」という言葉に因んだのだとされています。
 仁王経は大乗仏教の経典で、護国法について記されたものです。すなわち市井の民を救うために為政者は何をするべきか、という書物ですね。だから七難の内訳が太陽の異変と星の異変(=風水の乱れ)、火災水害風害干害(=国土の乱れ)、盗難(=治安の乱れ)というようになっているわけです。
 また、これらを正すと七福が訪れるわけですが、こちらの内訳も寿命と裕福(=国民の生活レベル向上)、人望と威光(=国民からの支持率アップ)、愛敬と清廉と大量(=国民が良い子になる)といった具合で、完全に為政者都合のものとなっています。
 ぶっちゃけ数合わせ以上の深い意味は無いですね。

 七福神信仰は徳川家康がお墨付きを出したことで一気に江戸城下に広まり、さらに地方へも波及していきました。特に徳川家からの発注で当時の人気絵師・狩野探幽に宝船の絵を描かせたことが効いたという話です。
 まあ、要するに国内秩序を安定させるために宗教の力を利用したということですね。生活に余裕のない一般市民に来世だの涅槃だの説いても「ンなもんより今日のメシだコノヤロウ」としかならないので、七福神のようにわかりやすく現世利益が得られる神仏への信仰のほうが、彼らへの道徳指導の教材として何かと使いやすかったわけです。

トピック3:福禄寿・寿老人・布袋に共通していることは?

 「あの、シロ、こちらの参考写真を拝見して気付きました。たぶん3人ともホバリングできるんですよ」
 惜しい。この絵図で布袋が手綱を握っているのはトナカイじゃなくて子どもたちです。せめて赤い服と白い髭があればあるいは。

 「頭が長かったりすごい福耳だったりするから、そういうところにパワーを溜めこんで、使ったら痩せるんじゃないですかみんな」
 ラクダかな?

 この感想文ではすでにトピック1のほうに書いちゃっていますが、この3柱はいずれも神様ではありません。(仙人を人間と見なすかは意見の分かれるところですが)人間です。
 宗教の世界では彼らのように、人間が神様と同格の信仰対象になることがちょくちょくあります。別に不思議な話でもないでしょう。信仰の本質は“かっちょいい相手をマジリスペクトすること”なんですから。相手が自然現象だろうが人間だろうが、推したいと思ったら推せばいい。
 生きている人間を崇拝すると幻滅したときのダメージが大きいので、できれば亡くなってから推すことをオススメしますけどね! 生身の人間を信仰するのはくれぐれも自己責任でお願いします。

 ちなみに仏教における主神相当の信仰対象は仏陀。こちらも元人間です。仙人信仰の流れを汲む道教といい、中国人の宗教観って結構独特よね。(インド? 彼ら仏教には早々に飽きたでしょ?)

トピックex:変貌を遂げた七福神

 大黒天の変貌ぶりについて。

 インドでは破壊神だったはずが、仏教に習合して天部(=仏教の守護神)の一角に。さらに日本に入ってきて福の神へと。どうしてそうなったのかといえば、ちょっと複雑な経緯のような、そうでもないような。
 元々シヴァ神は割と何でもありな神様で、破壊だけでなくその後の創造と維持も司っていました。なので、何かを守ったり、新しく生み出したりする姿は意外とそこまで不自然でもないんですね。

 また、日本に入ってきてからは大国主神(※ 天照大神以前から日本の国土を守護していた古い土着神)とも同一視されるようになったので、なおさら豊穣神としての側面が強くなっていくんですよね。
 どうして同一視されたのかって? 名前がほんのり似ているからですよ。大黒神。大国主神。ほら、似てるでしょ? 似てるよな。

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    コメント

    1. 匿名 より:

      鎌倉の頃あたりに大和言葉の音読み変換が流行したらしいですからその辺りで混ざったんでしょうかねダイコク様

      • 疲ぃ より:

         あ、そういうムーブメントもあるんですね。なんとなく古典世界ってこの手の読み変換大好きな一派が時代をまたいで存在しているイメージがありました。今でいう業界語みたいな文化圏。

        • 匿名 より:

          確かに時代をまたいで存在するそういう人達がいたのでしょうね
          「かえしごと」→「返し事」→「返事」
          のような漢字を当て字して音読み変換みたいな言葉遊びが流行ったそうなので割と今の若者言葉と似たような経緯でしょうか
          ネットミーム

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