正解するカド 考察 ヤハクィザシュニナは神ではない。

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 異方存在ヤハクィザシュニナに分け与えられるパンを模索するため、私は私の思考を推進します。

※ この考察は第6話時点のものです。

論理トラップ

 とりあえず前提をひっくり返しましょう。もしかしたら根拠はまだちょっとだけ足りないかもしれませんが、たぶんこのあたりを勘違いしたままだといつまで経っても“正解”にたどり着けない気がするので。

 ヤハクィザシュニナは人類より優れた高位存在・・・というわけではない。

 こう書くとものっすごい当たり前のことのように思えるんですけどね。ですが当たり前のことを確認するのは大切なことです。これを常に頭の片隅に置いておかないと、「彼の目的は人類を進歩させることだ」「逆に破滅させることだ」「実は人類で遊んでいるだけなんだ」みたいな、人類本位な納得の仕方に陥ってしまいがちですからね。そこで思考を止めてしまっては彼の気持ちを想像してあげることができない。

 以下、ヤハクィザシュニナが高位存在ではないと判断しうる考察をしてみたいと思いますが、ちょっと長くなりそうです。なので先にその根拠となりそうなセリフだけ提示しておきますね。
 真藤が『ノヴォ』(異方)について噛み砕いて説明するため、『高次元世界』と言い換えたことへのヤハクィザシュニナの反論です。
 「真藤、その表現には齟齬が多い。『高次元世界』という翻訳は適切ではない。『異方』が最適だ」
 これから何を考察しようとしているのか忘れないためにも、彼がどうしてここにこだわりを示したのか、頭の片隅で考えておいてください。

 「人よ。どうか“正解”されたい」
 ヤハクィザシュニナはどうしてこんなことを言ったんでしょうね。
 無限のエネルギーだの不眠だの、人類を進歩させるためのアイテムをあらかじめ用意しているなら、人類に“正解”を問うまでもなく最初から“正解”を提示してくれればいいのに。
 人類にワムを受容させる方策にしたってそうです。わざわざ犬束総理の覚悟を問うまでもなく、もったいつけずさっさとつくり方を教えてくれればいいんです。国連を無視して一国の政府判断をゴリ押しさせるくらいだったら、異方存在が直接全人類に語りかけたって、展開は大して変わらなかったはずです。どっちにしたってワムの製法は全人類に行き渡る。どっちにしたって混乱は起きるし人も死ぬ。
 結果はどうせ変わらないんですから、人類の進歩を志向するならそちらの方が時間がかからないだけよっぽど“正解”ですよ。

 しかし、ヤハクィザシュニナはその手段を選びませんでした。
 「他のやり方はあった。そして今もある。やり方・選択肢・可能性は無数にある。私はその中のひとつを選んで行動した」
 彼は別の可能性があることを知りながら、それでもあえて人類の手に“正解”を委ねました。
 どうしてでしょう?

 そもそも“正解”ってどういうものを指す言葉でしたっけ?
 1+1 の答えが 2 になるようなこと? そうですね。確かに 1+1=2 です。私たちはそれが算数の正しい解きかただと知っています。これが“正解”。
 ところでトーマス・エジソンの伝記は読んだことがありますか? 彼は幼少の頃、「1個の粘土と1個の粘土を合わせても1個の粘土になるだけだ」と言って教師を怒らせました。彼にとって 1+1=1 だったわけです。算数の答えとしては間違っていますが、これだって彼の論理に従えば“正解”です。
 あるいはひねくれた小学生に尋ねたなら「田んぼの“田”」と答える子もいるかもしれません。これだってトンチとしては”正解”。そういえば私の通っていた小学校では何やらやたらとたくさんバリエーションがあって、どう答えても絶対に別の“正解”を出してくるイジワルな子もいましたっけ。
 “正解”という言葉は「ある問題に対する正しい解きかた」という意味を持ちますが、実はその正しさというのはひとつきりではないのです。

 第0話がそういうお話でした。
 用地買収を持ちかけられた刑部社長は、この機会に工場を閉鎖することが“正解”だと考えました。「技術開発をしようにも開発費の捻出がままならない。頃合いなのかもしれませんなあ」
 この用地買収を持ちかけた五十嵐次官も似たようなことを考えていました。「開発投資はあくまでも賭け。その選択がいいとはとてもいえないね。開発に失敗したら責任問題だからね。だったら保証金をもらって老後を過ごす方がよっぽど“正解”だと思わないかい?」
 しかし真藤はここで全く別の“正解”を提示しました。「刑部鍍金が保有していたメッキ加工技術が内閣府の戦略的イノベーションプログラムと合致しました」
 『正解するカド』の物語において、“正解”は常に複数あります。それぞれが誰かの視点においては正しくて、別の誰かの視点では別のものがより正しい。けれどそれでいて、より多くの人を幸せにする、より良い“正解”というのもまた確かに存在する。
 真藤は言います。「俺たちは神様じゃないんだ。何が正しかったのか、何が“正解”なのか、そんなことは一生わからないだろう。けど、わからなくても探し続けるしかないのさ」

 以後も真藤は常にこのポリシーに沿って行動していきます。彼だけではありません。品輪博士も、犬飼総理も、多くの人が、より良い“正解”を模索しつづけています。

 そしてそれは、ヤハクィザシュニナも例外ではありません。
 「他のやり方はあった。そして今もある。やり方・選択肢・可能性は無数にある。私はその中のひとつを選んで行動した。ワムは人類にもたらされるべきであり、一刻も早く全体へと広まるべきだ。なぜならそれが“正解”だからだ」
 ヤハクィザシュニナは神様の“正解”を知りません。彼の選び取る“正解”は誰にとっても絶対的に正しい、といった類の物ではありません。むしろ彼は自分の選択した“正解”が不完全な物であると知っています。
 「先ほど私はある人物から言われた。『ワムによって世界が混乱している』『争いが起こっている』『ワムはもたらされるべきではなかった』」
 それが、その言葉を言った人物にとっての“正解”だということを彼は知っています。彼はそれを知ったうえでなお自分の知りうる最善の“正解”を選択しつづけ、そして人類に“正解”を問いかけるのです。
 「人よ。どうか“正解”されたい」
 より良い“正解”の可能性を。

 「常に思考しつづけること。それが正解における唯一の正解だからだ」
 “正解”を模索しつづけることにおいて、人類とヤハクィザシュニナは同じ条件に立っています。真藤が常に思考しつづけているように、ヤハクィザシュニナも常に選択肢を検討しつづけています。少なくともこの意味において、彼は人類を超越する存在ではないのです。
 ヤハクィザシュニナは自分が出せずにいる“正解”を人類に求めています。

 「それを行うかどうか決めるのはあなただ。その決断を“正解”へと近づけるために、あなたと話がしたい」
 ワムを人類全体に普及させる方策を初めから持っていながら、ヤハクィザシュニナはわざわざ犬束総理に“正解”することを求めました。
 「人類の幸福、それは人類全体が考えるべきことです。それも全員が、全員で考えるべきことです」
 人類にとっての“正解”は人類にしか出せないと知っていたからです。ヤハクィザシュニナはこの件について“正解”を持ち合わせていません。彼にできるのはせいぜい助言だけ。

 ところで、そもそもここでヤハクィザシュニナが求めていた“正解”とは何だったんでしょう? 上記の「人類の幸福~」でしょうか? いいえ。その割に彼は直後に「先ほど私はある人物から言われた~」と泣き言を言っています。ええ、こんなのただの泣き言ですよ。犬束総理はすでに意志を示したんですから、このタイミングで相反する意見を挙げてみせたところで彼が発言を撤回するわけがありません。まるっきり無意味な発言でヤハクィザシュニナは会談を継続させます。
 つまり、この会談でヤハクィザシュニナが欲しがっていた“正解”は別にあったんです。
 犬束総理がその“正解”にたどり着いたとき、ヤハクィザシュニナは今までに見せたことのないリアクションを示します。風が入らないはずの室内に、風が吹き込みます。
 「責任は使う側が負うことです。たとえ不幸な結果になったとしても、ワムの、ましてや異方のあなたのせいでは絶対にない。あなたが人類に悪いことをしたなどと思うのは、むしろ私たちには失礼な、おこがましいことだ」
 ヤハクィザシュニナは明らかにこの“正解”を待っていました。きっと彼には絶対に出すことのできない、人類だから示すことのできる、この“正解”を。

 「弾体質量7800gで初速が6000kmですから、エネルギーは1000MJを超えますね。これで無傷だったら本当に神ですね、神!」
 「俺の見ているものは何だ? 超自然的な現象なのか? 人類の知らない未知のテクノロジーなのか? それとも・・・本物の神なのか?」
 「宇宙人じゃなきゃ何がある」「他は・・・未来人?」「人類の未来は明るいな」「あとは、神様とか?」「神ってことは・・・ないと思うがなあ」

 神秘的な出で立ちで現れ、人類には到底実現できない現象をいくつも操るヤハクィザシュニナ。そりゃあまあこれだけ規格外なら、人類より格上の存在だと思いたくもなります。
 しかし彼が人類に対して求めたことは彼自身が持ち合わせていない“正解”を得ることです。履き違えてはいけません。彼の求めることについて、彼と人類は対等です。

 「真藤、その表現には齟齬が多い。『高次元世界』という翻訳は適切ではない。『異方』が最適だ」
 さて、改めて考えてみましょう。あるいは想像してみましょう。ヤハクィザシュニナが何を訂正したがっていたのか。
 たぶんそう難しいことではありません。『高次元世界』という理解ではヤハクィザシュニナのノヴォと人類の宇宙の間に明確な上下関係が生じてしまうんです。真藤を信頼している様子の彼が協議中口を挟んだのはここくらいでしたね。なんといってもこのニュアンスの違いは、おそらくものすごく重大な誤解を孕むでしょうから。
 ノヴォと宇宙の間の正しい関係性は“上下”ではなく、単に“異なる”だけ。だから『異方』。
 ワムを初めとした革命的な技術群に惑わされてはいけません。それらは異方が宇宙より優れているからではなく、互いに異なる世界だからそれが革命的に見えるだけなんです。インドではそこら辺に生えているような黒胡椒が、ルネサンス期ヨーロッパで純金相当の価値を持ったのと同じように。
 おそらくヤハクィザシュニナは神様気取りで人類に恩寵をもたらしているのではなく、単にそれが彼にとって食べきれないほどのパンだから分けてくれているだけなのでしょう。同じ“正解”を模索しつづける、対等な同士として。

対等な交渉相手

 ヤハクィザシュニナが上位存在であるという前提を崩せば、色々と納得できることが出てきます。

 彼は自ら望んで人類に接触を図ったにも関わらず、意外なくらい人類のことを知りません。そりゃそうです。彼は全知全能の神ではなく、人類と対等な存在なんですから。誰かを好きになることとその人を理解することは別物です。
 彼は人類がつくった紙の本を、あえて人類と同じように手でめくって読みます。「情報取得の方法・速度・環境、全てを同時に取得している」といいますが、それってつまり彼が人類を導くためだけに必要な情報を求めているのではなく、もっと素朴に、人類のことを何でもかんでも詳しく知りたがっているという気持ちの表れです。
 彼は犬束総理との会談のうち、「あなたが人類に悪いことをしたなどと思うのは、むしろ私たちには失礼な、おこがましいことだ」という言葉に強く反応しています。この言葉はつまり互いに対等であるという意志表示です。彼を対等に扱ってくれる人類は、真藤を除けば、犬束総理が初めてでした。
 彼は異界の技術を提供するにあたって、人類が出血することを厭いません。それは彼が無償の善意で人類を上から導く存在ではなく、彼自身の個人的な目的のために行動する存在であることの証左です。

 彼はきっと人類にも理解可能な存在です。そして、人類は彼を理解しなければいけません。
 だって彼は人類を導くために存在する神様なんかではなく、私たちと同じ、ひとりの個人なんですから。だったら当然、彼が人類を推進するのは人類のためではなく、彼自身の目的のためだと考えるべきですから。

 人類はヤハクィザシュニナを対等な存在として捉え、彼の提示する人類推進案をひとつひとつ吟味していかなければいけません。人類の利益とヤハクィザシュニナの利益は必ずしも一致しないことが予想されるからです。
 その意味で“不眠”は通らないでしょうね。睡眠は文化として深く人類社会に根ざしています。これを捨てたら人類は人類でなくなってしまいます。
 これは交渉です。人類とヤハクィザシュニナの利益がせめぎ合う交渉のステージです。だからこそ真藤が彼の傍にいます。
 「自分の利益を勝ち取るのが“交渉”の目的だ。だが相手を打ち負かしてその場の利益を得ても、長い目で見れば必ずしっぺ返しが来る。双方に利益が生まれることが、自身にとっても最大の利益なんだ」
 真藤が彼の味方をする行為は、あるいは犬束総理が彼に言った言葉は、相手の利益を尊重しようという意思の表明です。
 ヤハクィザシュニナはそういう精神性を“ユノクル”と呼び、それを重要視するからこそ、交渉相手に彼らを選びました。つまりヤハクィザシュニナは交渉の理想型について、真藤と思想を同じくしています。
 ということは、ヤハクィザシュニナが最終的に望んでいる“正解”とはつまり、人類と異方存在双方の利益を最大化できる究極の答えということになるでしょう。

 人類はヤハクィザシュニナの提案をまるごと受け入れてはいけません。それは異方側の利益になれども人類側の利益を損ないます。それでは互いが得られる利益は最大化しません。
 そして人類はヤハクィザシュニナに提示できる何らかの利益を模索しなければいけません。さもなければ人類側が利益を得るばかりで異方側の利益がありません。それでは互いが得られる利益は最大化しません。
 一番いいのは、おそらくは互いに余剰のパンを交換しあうことですね。自分の懐は痛まず、相手は大いに潤う。古来、人類を繁栄させてきたのはそういうwin-winな商取引でした。今回もいつものようにしてやればいいだけです。

 探しましょう。我々が充分に持っていて、なおかつヤハクィザシュニナが喜んでくれそうなパンを。
 そいつこそがこの物語における“正解”の鍵です。

 さすがにそれが何なのかは現段階では予想しようがありません。劇中の人物たちはまだどこかヤハクィザシュニナを理解できない上位存在と思い込んでしまっている節があり、彼の内面を掘り下げるに至っていませんから。

 ただ、ひとつだけそれっぽいものを示唆していそうな描写はありました。
 「その“異方存在”って、親とかいるの? 子どもできるのかしらねえ。――だって、ひとりだったら寂しいだろうなあって。子どもと飲むのは楽しいことだからね」

 ヤハクィザシュニナは以前、不思議なことを口にしたことがあります。・・・いえまあ彼の言う事ってだいたい意味わかんないんですが。
 「『似合う』。非常に曖昧な概念だ。平均値でも最頻値でも中央値でもない。多大な情報を含んでいる。漠然とした定義状態を、固定も拡散もさせず伝承しつづけるのか。より高速伝達可能な言語形態への発展の過程と判断する」
 意味のわからない妄言だと切って捨てず、ちょっくら頑張って理解してみましょう。彼の言う「高速伝達可能な言語」、私たちはそれを知っています。
 「現在は言語情報に絞って精度を高めているが、視覚や身体感覚を同時に送ろうとすれば不確定性が増す」「というと?」「20時間前に真藤が体感したようになる」
 ファーストコンタクト時のアレ。つまり、ヤハクィザシュニナは人類が好んで使う『似合う』のような曖昧な概念の延長線上に、異方のコミュニケーション術があると考えているわけです。
 それを踏まえて彼は言います。
 「良い言葉だ、真藤。私は人間に似合うものを知っている。――“進歩”だ」
 彼はそれを喜ばしいものとして捉え、そしてその文脈から、人類に進歩を期待します。
 この人、実はすっごい寂しがり屋なんじゃないですかね。異界流のコミュニケーション術で思う存分語り合える友達がほしくて、たったそれだけのために、盛大に人類にちょっかいかけているだけのような気がしてなりません。
 ですがそういうことなら、私たちは彼にしてあげられることがあります。人類は無数の国家に分かれ、衝突したり宥和したりを繰り返してきました。異文化交流は人類の得意分野のひとつです。

 このくらいのパンならいくらでも分けてあげられますよ、人類ならきっと。

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