キラキラプリキュアアラモード第19話感想 チグハグな思いを一皿に。きれいにまとめて一皿に。

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思いは私と一緒なんだ。

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(主観的)あらすじ

 天才パティシエ・キラ星シエルがいちご坂にやってきました。とってもきれいでおいしいスイーツを食べさせてくれます。
 もっとおいしいスイーツをつくらなきゃと思っていたいちかは彼女に弟子入りを申し込むことにしました。ところが弟子入りの条件は自分を表現したスイーツをつくること。シエルに憧れてばかりのいちかにはうまくつくることができません。
 試験に落第したいちかはシエルのメモを見つけます。そこにはおいしいスイーツをつくるための努力の跡と、「スイーツでみんなを笑顔にする!!」という彼女の信条が書いてありました。その思いはいちかと同じものです。弟子入りには失敗しましたが、いちかはシエルと同じ思いを胸に、おいしいスイーツをつくるための努力を続けます。

 シエルの性格は思ったよりも苛烈なものじゃなかったですが、お話の流れとしては前回予想したとおり。「私のつくるスイーツがもっとおいしかったら・・・」 前回いちかの心に巣くった病魔が、彼女のスイーツから彼女らしさを奪います。スイーツでみんなを笑顔にしたい。そういう素朴な思いを、彼女はひととき忘れてしまいました。
 この物語において大切なのはスイーツをつくる技術ではありません。スイーツにどんな思いを込めるかです。一度伝わらなかったからといって、その原点を忘れてしまっては伝わるものも伝わりません。初心を取り戻して、さあ、ここからリスタートです。
 ・・・というタイミングで次週はお休み。悲しい。

私のつくるスイーツがもっとおいしかったら

 「――噂なんかなんてことなかったのかな」

 おいしいスイーツをつくりたいという願い自体はもちろんステキなことです。いちかはスイーツを通して自分の思いを伝えようとする子で、だったらスイーツがもっとおいしければもっとたくさんの人の興味を惹くことができて、もっとたくさんの人に思いを届けることができるでしょう。理に適っています。
 ただ、今日のいちかは少々自分を見失っていましたね。そもそも彼女がもっとおいしいスイーツをつくりたいと考えたのは、ジュリオや悪い噂を聞いた人々、スイーツを食べてすらくれない人々の存在を知ったからでした。そこまではいいです。そこまでは彼女もちゃんと自覚しています。けれどその先・・・どうしてそういう人々にまでスイーツを食べてもらいたいのかまでは考えが至っていませんでした。

 その結果が猿マネのアシェットデセール。
 「このケーキは普段会えないお母さんのことを思った私のスイーツづくりの原点で、それにベリーソースはシエルさんリスペクトの気持ちを表現したもので、はい」
 解説を聞いただけですでにチグハグ。お母さんへの気持ちとシエルリスペクトにどんな繋がりがあるというのでしょう。それがいちからしさの表現だというなら、せめてそのふたつの繋がりを示す橋渡しが必要でした。「原点の思いがみんなに届かなかったからシエルの技術が欲しい」とか、例えばそんな感じの。
 けれどこのときのいちかはそもそもそこまで内省できておらず、ふたつの異なる思いの繋がりなんて表現のしようがありません。だからチグハグ。
 「うん、全然ダメ。バランスが壊滅的。特にこのソースがすべて壊してる」
 シエルの指摘はそういうことです。内省不足。

 「でも、ひとつひとつの要素は悪くないけどね」
 同時に、シエルはいちかのスイーツに強い思いが宿っていることは見抜いています。お母さんが大好きな気持ちは本物。シエルみたいに上手になりたい気持ちも本物。いちかのこういう思いの強さは、いつもキラキラルとなってスイーツを輝かせてきたものでした。
 ややこしいからか今回ビジュアルでは表現されていませんが、その点はシエルにも伝わったのでしょう。彼女、正体はペコリンと同じ妖精みたいですしね。

 「いい目してる。これ最高においしいわよ」 八百屋さんの店先で。「へえ、あなた見る目あるのね」 シエルの作品を前にして。いちかにステキなもの(たぶんキラキラル)を見極める感受性が備わっていることを、シエルはすでに知っています。
 「私を弟子にしてください!」 ためらいなくジャパニーズ・ドゲザまでするいちかの思いの強さを、シエルはすでに見ています。
 いちかにはすでにステキな資質が備わっています。試験をする前からシエルはそのことに気づいていました。
 ですが残念なことに、パティシエを志すならそれだけでは足りません。いくら強い思いがあったって、それを相手に伝えられなければ。

 「いちかもつくれるかなって思ったんだけどな」
 今日の試験のお題は「これぞ私ってスイーツ」。単純にスイーツづくりの技術を問うだけならこんな抽象的なお題なんて必要ありません。シエルはスイーツを通していちかの思いを問いかけたんです。
 いちかはそれに充分に答えることができませんでした。気持ちを伝えられませんでした。

 ・・・進学/就職の面接試験を思いだして胃がキリキリしますね。「1分間で自己PRしてください」「自分を何かに例えて説明してください」 面接官は「潤滑油」みたいな定型文を期待してこの手の質問を投げかけてるわけじゃない(らしい)んですよ。

パルフェ!

 「あっ、そうだ! ちょっとつくらせて!」
 講評のあと、シエルはウサギとベリー・・・いちかと同じモチーフでアシェットデセールをつくってみせます。
 甘い綿飴でつくられたウサギに甘酸っぱいベリーソース。両極端なテイストはそれだけではチグハグですが、甘さを抑えたフロマージュブラン(カッテージやマスカルポーネのようなフレッシュな風味のチーズのこと)が両者の間を取り持って一体化させています。
 シエルはいちかの思いを汲んだうえで、自分ならこうして表現するだろうと例示してみせてくれたわけですね。
 思いはチグハグなまま相手にぶつけても伝わらない。自分の中でひとつにまとめて、それからふるまうことで初めて相手に伝わる。つくる側の強い思いが食べる側の幸せな気持ちに転化される。
 毎週気持ちの赴くままにとりとめなく感想文を書いている私にとっても耳の痛い話です。

 これまでのいちかはそんなことまで気にする必要がありませんでした。実力不足に悩むことなく、素朴に自分の「大好き」だけを考えていられたからです。例えるなら、一皿に複数の要素を織り交ぜたアシェットデセールではなく、ケーキ単体で出していたようなものですね。
 彼女の物語は自分の「大好き」から始まりました。食べてくれる人のいないうさぎショートケーキからスタートし、初期の彼女は基本的に食べる人のことなんて考えず自分の好きなとおりにスイーツをつくってきました。それがキラキラパティスリーを開くことになって、お客さんの期待を考えたスイーツづくりも意識するようになって、最近ではジュリオやビブリーの噂に惑わされた人々など、ただスイーツに自分の「大好き」を込めただけでは食べてすらもらえない相手もいることを知りました。
 いちかのスイーツ観が拡張をはじめています。「大好き」をかたちにしたいというだけじゃなく、みんなにそれを伝えたいという欲が芽生えはじめました。こうなると今までと違うアプローチが必要になるので、今回はちょっとチグハグになっちゃいましたけどね。
 「スイーツでみんなを笑顔にする!!」 憧れのシエルも思いの根幹は自分と同じだと知ったことで、そのチグハグもいずれいちかのなかでひとつにまとまっていくことでしょう。

君と私の夢まぜまぜ

 そっか。もっと早くにこの変遷を理解するべきでしたね。実質的に最初のお客さんだった辰巳さんのエピソードがこれまでと明らかに違うテーマで語られていたことには気づいていたのに。
 以下は今週の感想から逸脱した思索になります。しかも未整理です。

 序盤の印象から、ついついキラキラプリキュアアラモードのテーマがドキドキ!プリキュア~魔法つかいプリキュア!の個人主義路線の延長線上にあるものだと思い込んでいました。それらしくない要素もたくさん散りばめられていたはずなのにね。なんとなく「それはそれ」と切り分けて考えていました。
 良くない態度ですね。私は主観を尊びますが、それは自分の都合のいいように色眼鏡で見るという意味ではありません。反省。

 「地球のため、みんなのため。それもいいけど忘れちゃいけないことあるんじゃないの?」
 プリキュアシリーズは、従来の世界平和を第一義とする自己犠牲的なヒーロー像から脱却する語り口でスタートしました。
 ふたりはプリキュアMaxHeartでは世界の守護者たるクイーンのためではなく九条ひかり個人のために戦いましたし、Yes!プリキュア5に至っては義務感からプリキュアになろうとした水無月かれんをいきなり否定することまでやってみせましたっけ。その後非日常に飲まれてしまった敵を日常に還す赦しの物語を経て、自分の幸福を追求する個人主義、そしてキラキラプリキュアアラモードへと繋がります。
 世界を守ることなんかより自分たちの日常を守ることの方がステキだよ、と。プリキュアはいつもそう語ってきました。

 ですがキラキラプリキュアアラモードはその伝統に疑義を呈そうとしているようにみえます。日常はもちろん大切。だけど世界の方もやっぱり大切なんじゃないかと。
 これまでのプリキュアは自分の日常を守り続けさえすれば世界平和がおまけとしてくっついてきました。ですが今年はいちかが自分の好きなようにスイーツをつくっても、ジュリオは食べようとしてくれません。悪い妖精たちまでは従来のやり方でうまくいっていたのですが、ジュリオ以降明らかに方法論を変えています。
 いちかがいくら幸せになっても世界はちっとも良くなってくれません。まるで「両方求めるというならふたつの方法を考えろ」と言っているかのように。
 「スイーツを通じて自分の『大好き』と向き合うこと」「スイーツを通じて自分の『大好き』をみんなに伝えること」 このふたつは本来それぞれ全く別の問題です。それぞれ全く別の問題だからこそ、今回いちかは躓きました。これまでのプリキュアの論理では片方を努力すればもう片方も自動的に追従してきたのに、今回はそうではなかったからです。
 フレッシュプリキュア!において、ダンスとプリキュアという今回のように互いに独立した2択を迫られたことがありました。ですがあのときは2倍の努力によって強引に両立させていました。いちかの直面している問題にあのときのメソッドは通用しないでしょう。あのときは選択そのものではなく努力と楽しみを賛美することの方に主軸に置かれていましたが、今回はもっと根幹的な、ふたつを両立させることそのものを課題としているようにみえるからです。

 日常という小さなものは大切。だけど世界という大きなものも大切。だけどそのふたつは互いに独立していて、片方を大切にするだけじゃもう片方はどうにもならない。かといって単純に両方に手を伸ばそうとしたら2倍の努力が必要になって、今度は自己犠牲を求められてしまう。それは大人が子どもに語る思想としてふさわしくない。かといって片方を諦めるというのも夢がない。
 いちかが今やろうとしていることは、だから、ふたつのテーマの間に関連性を見出して、片方を求めればもう片方も追従してくれる状況を意図的につくりだすこと・・・なのかな? レッツ・ラ・まぜまぜ!なノリで。
 ある意味過去のプリキュアたちが目を背けて理想論でごまかしてきた部分を現実に落とし込もうとしているというか・・・。

 すみません。前置きしたとはいえ、いくらなんでも他人に読ませていい文章じゃなくなってきましたね。ワケワカンナイ。今このあたりを語ろうとするには思考の整理が不十分でした。
 今の段階でいえることといえば、ここからキラキラプリキュアアラモードはプリキュアとして全く新しい切り口の物語を展開しそうだ、ということくらいです。

 一時は「おいしいスイーツをつくらなきゃ思いは伝わらない」という強迫観念に取り憑かれかけたいちかですが、シエルとの出会いによってそれは解消されました。しかし今のままではスイーツを食べてくれない人々がいるという事実までは変わりません。
 これから彼女がどうやってこの命題に取り組んでいくのか、どういう答えを出してくれるのか、彼女を信じて期待しましょう。

今週のアニマルスイーツ

 ・・・はないので、シエルのつくった1皿目のアシェットデセールについて解説しましょう。とはいえ田舎者なのでアシェットデセール自体は結婚式くらいでしか食べたことがないのですが。

 そもそもどうして1ピースのケーキで完結させずに1皿単位でスイーツをつくるのかといえば、その方が色々と食事体験を演出しやすいからです。「味も食感もどんどん変わって楽しいです!」とひまりも感想を言っていましたね。
 1ピースのケーキでこういう演出をしようとしたら部位ごとに細かく素材を変えるというとんでもない手間がかかりますし、そもそもそこまで手間をかけてもスプーンの入れ方によっては複数の味が意図せず混じっちゃってイマイチ。温度差のある素材に至ってはそもそも共存することが不可能ですしね。その点、お皿全体でひとつのスイーツを構成するアシェットデセールなら、このガレットとこのフルーツ、このソルベとこのソースといった感じで、つくる人と食べる人双方から一口ごとにいろんな組み合わせを自由に提案することができます。
 また、目の前でスイーツをつくること自体をライブパフォーマンスとして食事体験の一部に含められることも魅力のひとつですね。例えばクレープシュゼットはフランベする炎を眺める楽しさがあるからこそ一時期流行りました。それがなければただのオレンジ風味の温かいクレープでしかありません。魅力半減もいいとこです。
 私としてはお皿にクリームやソースを盛り付けることを前提としている大半のアニマルスイーツもアシェットデセールの一種だと思うのですが、いちかたちからするとそのあたりどうなんでしょう?

 ガレットはソバ粉でつくったクレープのこと。塩気のある食材と合わせて食事にすることが多いんですが、スイーツにも使うんですね。
 ソルベをつくるのに液体窒素を使っていましたが、あれはどちらかというとパフォーマンスとしての意図が強いですね。ただし素材を短時間で凍らせることができるということで、フレッシュな風味を損なわないという味の面でのメリットもあります。
 花びらは華やかさの演出としての意図が強いですが食べられます。日本では東北の一部でキクのおひたしを食べるくらいで一般的ではないかもしれませんが、世界的には花を食べる食文化というものは割とポピュラーだったりします。バラのジャムとか香り高くておいしいですよ。
 バジルと山椒は食事に使うものという印象が強いですが、前者はシソ科、後者はミカン科の植物です。そう考えるとスイーツに使うのもそこまで意外じゃない気がしてきませんか?
 というか魔法つかいプリキュア!に黒コショウ入りのチョコレートケーキが登場していたとおり、世の中案外甘い味としょっぱい味の垣根は低いものです。そもそも和食からして煮物に甘いみりんを入れるという独特の食文化ですし。

 「おいしくて楽しくて、シエルさんのつくるスイーツ、キラキラの遊園地みたい!」
 いろんな味を組み合わせることを毛嫌いして「食べ物で遊ぶな」と怒りだす人もたまにいますが、そもそも食事というのは楽しいものです。楽しく食べる工夫をして何がいけないというのでしょう。
 もちろん腐らせたり健康を害するようなものだったりは論外ですけどね。そうじゃないなら新しい風味や食感を発見することってとってもワクワクして、日々の生活にハリをもたらしてくれるステキなものだと思いますよ。

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