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ヒーリングっどプリキュア 第33話感想 憧れの人は弱くて、だけど変わらず強かった。

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私、ちょっとだけ先生の役に立ててたのかな?

(主観的)あらすじ

 昔のどかの治療をしてくれていた蜂須賀先生が会いに来てくれました。先生はのどかの元気な様子を見て、とても嬉しそうにしてくれました。
 ただ・・・、先生は病院を辞めてしまったんだそうです。のどかの病気を治せず、自分の無力さを痛感したから。

 ひどく動揺するのどか。蜂須賀先生が励ましてくれたからあのときのどかはがんばることができました。それなのに、自分のせいで先生を苦しめてしまうなんて。そう思いました。
 けれど、違いました。蜂須賀先生はのどかに感謝していました。病気を治せなかった無力さに打ちひしがれていた先生に、それでものどかは感謝してくれました。蜂須賀先生はそれで励まされて、世界中の難病で苦しんでいる人たちのため、研究者としての道を志すことに決めたのでした。
 自分も大好きな人の役に立てていた。その実感が、のどかの心を明るくします。

 そんな蜂須賀先生がギガビョーゲンに。
 いかにも蜂須賀先生らしく、今回のギガビョーゲンはいくら攻撃しても怯まない、打たれ強い難敵でした。そのうえ進化したダルイゼンまで、よくわからない苛立ちとともにのどかへ苛烈な攻撃をぶつけてきます。
 けれどのどかは挫けませんでした。先生が自分のためにしてくれたことをお返しするために。先生にこれからもっとたくさんの人たちを助けてもらうために。支えあうために。
 のどかは仲間のプリキュアと協力しあって、無事に蜂須賀先生を救うことができたのでした。

 進化したテラビョーゲンたちの顔にはそれぞれ特徴的なタトゥーが施されています。
 シンドイーネには涙模様。まるで思い人への思いが伝わらない嘆き悲しみがかたちになったかのように。
 グアイワルは両目下に大きく黒い隈。彼だけは進化に際して葛藤が描かれなかったのですが、地道な研究を好む彼らしい、ほの暗い情熱を印象づけるタトゥーです。
 そしてダルイゼンには、歌舞伎において怒りの形相を表す“筋隈”にも似た紅。

 何に苛立っているのでしょうか。
 キングビョーゲンへの忠誠心でもなく、野心な上昇志向からでもなく、これまでただ漫然と己の役目をこなしてきただけの彼が。
 どうして今になってこんなにも怒りを露わにするようになったのでしょうか。そもそも、誰に?
 「人のためにがんばって何になるんだ!? 自分のことだけ考えてるほうが幸せだろ!」
 プリキュアは段々と手強くなり、それに呼応するかのようにシンドイーネやグアイワルも進化し、キングビョーゲンからの圧力が日増しに厳しくなっていきます。時の流れは理不尽に彼を弄び、ただあるがまま思うままに生きることをけっして許そうとしません。

 何のために生まれて、何のために生きるのか。
 答えられないなんて、そんなのは――。

 ・・・ああ、腹立たしい。

 「絶対に諦めない。絶対助ける! 先生にもっとたくさんの人たちを助けてもらうために!」

 あいつは自分の答えを持っている。

思いだけでは救えない

 「違うよ! 私、先生がいたから、先生が励ましてくれたから、がんばれたのに・・・」
 「ありがとう。でもね、励ますだけなら医者じゃなくてもできると思うんだ」

 そうとも。
 まったくもってそのとおり。

 だからこそ、のどかはプリキュアを志したんですから。

 「ねえ。あなたたちはそのお手当ての方法、知ってるんだよね。私に何かできることない? 私、何でもする!」
 「あなたには無理ラビ! 早くここから逃げるラビ!」
 「イヤだ。だからって放っとけないよ! この子、こんなに苦しんでるのに・・・」
(第1話)

 のどかは、自分のやりたいことひとつできない、無力な子どもでしかなかったから。

 「お願い、ラビリン。私は運動得意じゃないけど、お手当てだけは、プリキュアだけは、何があってもがんばるから! 苦しむ地球をラビリンと一緒に助けたい! これが今、私の一番やりたいことなの!」(第2話)

 ラビリンの力を借りて、プリキュアになったなら、自分のやりたかったことがようやくできると思ったから。

 わかっているはずです。のどかなら。
 無力であることの辛さを、悲しみを、嘆きを知っている、のどかなら。
 先生の気持ちが痛いほど伝わっているはずです。

 「違う。違うの! 私、聞いてくる!」

 それでも納得できないのは、どうして?

 「君って無責任だね。『がんばれ』って言われなくてもほまれはがんばるよ。応援なんて誰にでもできる。その無責任な『がんばれ』が彼女の重荷になっているんだよ」(『HUGっと!プリキュア』第8話)

 今話ののどかと同じように、「応援なんて誰にでもできる」と言われてしまったプリキュアがいます。
 野乃はな。学校でのイジメに心折られたところをお母さんからの優しい応援によって救われ、それ以来、誰よりも応援することの価値を信じていた少女。その信念を根本から否定され、嘲笑われ、彼女は再びうつむくことになりました。
 あのとき彼女を救ったものは何だったか――。

 「ラビリン。ビョーゲンズのこと、蜂須賀先生に話しちゃダメかな。先生、何もできなかったって思ってるの。ビョーゲンズのせいでどうしようもなかったのに・・・」

 「お願い、ラビリン。先生は何も悪くないって、私、伝えたい」

 もしかしたら、それを知ることができたら蜂須賀先生も自信を取り戻してくれるかもしれません。
 「仕方なかったんだな」って。「自分のせいじゃない」って。
 だけど。

 「事情はわかったラビ。でも――」
 「今すぐは無理ペエ」
 「テアティーヌ様に相談しないと、ラビリンたちだけじゃ決められないラビ」

 忘れてはいけません。
 今ののどかたちはまだ無力な子どもです。プリキュアとして地球をお手当てする力を得た今も、その大前提は結局変わっていません。
 ヒーローなんて現実には夢物語に過ぎません。子どもたちがその強さに憧れ、いつか彼らのようになりたいと夢を抱くことはあっても、何の努力もせず都合よくインスタントにその力が与えられることはありません。
 あくまで子どもでしかない、のどかたちにできることはとても限られています。

 思いだけでは誰も救えない。

 だからこそ、のどかはこれまでずっとがんばってきました。
 みんなに優しくあるためには、だって、ただ気持ちが優しいだけじゃダメだったから。

 「じゃあ、君、ほまれのために何ができるの?」(『HUGっと!プリキュア』第8話)

 かつて、野乃はなの心のなかに答えは確かに存在していました。

 のどかにだって本当は最初からわかっていたはずです。
 「仕方なかった」、「先生のせいじゃない」、蜂須賀先生を救うことができるのはそんな言い訳じみた言葉じゃないってことくらい。
 もっと切実で、もっと温かくて、もっと真に迫った言葉を、あなたはもう知っているはずです。

 だって、病気だったころのあなたの心を救ったのは、「ビョーゲンズが原因だった」だなんてどうしようもない事実説明じゃなかったんですから。

 「大丈夫。はなは間違ってない。もう我慢しなくていい。はなの未来は無限大!」(『HUGっと!プリキュア』第23話)

 「ごめんね、今すぐに君を治してあげることができなくて。でもぼくたちは諦めない。だからのどかちゃんにも諦めずに戦ってほしい」(第11話)

 思いだけでは誰も救えないかもしれない。
 けれど、かつて彼女たちの心を救ってくれたのは、それでも“思い”でした。

ヒーローなんていない

 「目の前で小さな子がこんなに苦しんでいるのに何もしてあげられない。自分は医者なのに、なんて無力なんだろうって、ぼくは自分の不甲斐なさにすごく落ち込んでね。やがて君は自分で元気になって退院していって、結局ぼくは最後まで何もしてあげられなかった」

 のどかが憧れ、これまでずっと優しさのお手本にしてきたお医者さんは、現実にはそんな弱っちい人でした。何もしてあげられない、せめてもの償いとして、あの言葉は紡がれたのでした。

 あのときからずっと、今この瞬間もなおのどかを支えてくれているあの言葉は、実はその程度の幻想。
 弱い人の、弱いがゆえの、せめてもの足掻き。

 子どもの憧れるヒーローはいろんなところにいます。
 お父さん、お母さん、学校の先生、近所のおじさん、スポーツ選手、アイドル歌手、お笑いタレント、警察官、弁護士、テレビの向こうのアニメキャラ・・・。
 そのどれもが、きっと子どもたちが思っているほど立派な人間なんかじゃないと、大人であるあなたは知っていることでしょう。
 ひょっとしたらあなた自身がどこかの子どもたちに憧れられているかもしれません。あなたは分不相応だと感じているかもしれませんが。
 そんな情けない人でも、子どもにとっては誰より立派なヒーロー。

 「ごめんね、今すぐに君を治してあげることができなくて。でもぼくたちは諦めない。だからのどかちゃんにも諦めずに戦ってほしい」(第11話)

 弱っちいあなたの言葉を、何もできない子どもが、ときに誰より強いヒーローの言葉として再定義してくれることがあります。

 「蜂須賀先生へ。怖いとき、心細いとき、辛いとき、苦しいとき。いつも先生が励ましてくれたから、一緒にいてくれたから、私はがんばることができました。先生。本当にありがとう。大好きです」

 大人は子どもが思うほど強くはないかもしれません。
 何もできない子どもと同じくらい、大人だって本当は何もできないかもしれません。
 ヒーローなんて現実にはどこにもいないかもしれません。
 それでも、ヒーローはここにいます。あなたを見上げる子どもの瞳のなかに。

 「でも、励ましてもらったのは私のほうで。先生の言葉があったから、私はがんばれただけで」
 「そんな君の姿を思い出して、ぼくも力をもらったんだよ」

 子どもはヒーローに憧れるもの。
 だって、子どもというのは自分のやりたいことひとつできないくらい、弱っちくて、もどかしいものだから。

 だったら。
 大人にもヒーローがいるかもしれない。
 本当は大人も子どもと同じくらい、弱っちいから。

 子どもと同じで弱っちいけど、子どもと同じでどうしても自分でやりたいことがあるから、子どもと同じで憧れている理想の姿を追いかけているから。
 だから、あなたは幻想なれどヒーローたりうる。

 このことだけ、今日までのどかは知りませんでした。
 憧れの人の背中は遙か遠くて、今の自分のままじゃ全然届きそうになくて、がんばって、がんばって、それでもまだ足りなくて、プリキュアになって、ジョギングも始めて、ときどき無茶もして、がんばって、がんばって、それでもやっぱり足りなくて、ビョーゲンズと戦って、進化したしたビョーゲンズとまた戦って、がんばって、がんばって、がんばって、がんばって、がんばって。

 子どもの夢って、そこまで努力しても絶対に叶わないもの?

 「私。私ね、ずっと助けてもらってばっかりで、何もできなくて、そのせいで先生がお医者さん辞めちゃうなんて酷いことしちゃったって、思って・・・」
 「ぼくに前に進む決意をさせてくれたのは、のどかちゃん、君だよ。ありがとう」

 これまでのどかは大きすぎる憧れを胸に抱いて、どう考えても叶いっこない理想の自分を追い求めていました。
 お医者さんが患者に向けるような優しさを、周りにいる人みんなに分け隔てなく注ぐなんて絶対に不可能です。その無茶をやり通そうとして、これまで彼女は何度も何度も傷ついてきました。
 けれど、これでやっと地に足ついたかもしれません。

 「確かにアンリと私は同じ世界に生きているのかもしれない。けど、私に新しい世界を見せてくれたのははなとさあやなんだ。――はな! フレフレして!」(『HUGっと!プリキュア』第8話)

 「応援なんて誰にでもできる」、「無責任な応援は重荷になるだけ」。そんな一側面からは確かな事実でもある辛辣な言葉から野乃はなを救ったのは、それでも真実、かつて彼女の応援に心救われたひとりの感謝でした。
 子どもというものは無力かもしれません。憧れている理想に全然手の届かない、自分のやりたいことひとつできない、弱っちい存在かもしれません。
 それでも、憧れを追いかけるその足は、理想に手を伸ばしたその指先は、確かに前へと進めている。

 ヒーローなんて幻想。
 憧れは憧れ。
 それでも、その憧れを目指して努力しつづけることは、けっして無駄じゃない。

 あなたの憧れている人もそうであったように。

 「私、ちょっとだけ先生の役に立ててたのかな?」
 「ちょっとじゃないよ。すっごくだ!」

私の立つところ

 「――そろそろ諦めたら?」
 「絶対に諦めない。絶対助ける! 先生にもっとたくさんの人たちを助けてもらうために!」
 「ちっ。バカバカしい」

 心折れないのどかの姿に苛立つダルイゼン。
 何がそんなに腹立たしいというのでしょう。どうして今さらそんなにも勘に障るのでしょう。
 彼女は、これまでも変わらずずっとこういう子だったはずなのに。

 それはつまり、変わったのはダルイゼンのほうだということ。

 「どうした、ダルイゼン。我はお前にも進化しろと命じたはずだ。怖じ気づいたか」
 「そういうわけじゃ・・・」
 「ならばわかっているな?」

 「・・・まあいけるか。別にキングビョーゲンのためじゃない。これは、俺のためだ」

 本当はもう少し様子を見ておきたかった。
 本当は今このタイミングで進化するつもりじゃなかった。

 まだ変わるつもりじゃなかったダルイゼンのありかたを、時間の流れが強引に押し流してしまいました。

 のどかと違って。

 色々と学び、成長してはいるものの、結局のところのどかのありかたは表面的には変わりません。
 蜂須賀先生が話してくれたことも含め、のどかがこれまで学んできたことの全て、のどかが憧れを追いつづけることを肯定し、応援してくれています。
 のどかはプリキュアになったばかりの頃も、今も、自分のやりたいことをできるようになるため努力しています。そのありかたが変わりません。

 そんなところに、ダルイゼンは苛立つわけですね。

 彼はそうなれなかったから。
 いつも飄々としていて、余裕ぶって、・・・なのに、今はこう。

 「人のためにがんばって何になるんだ!? 自分のことだけ考えてるほうが幸せだろ!」
 「あなたにはわからないかもしれない。だけど私たちは、助けあったり、支えあったり、そうやって生きてるんだよ!」

 平行線。
 お互い考えかたが相容れないところだけは出会ったころから変わりません。
 ですが、そこはいいんです。それ自体は問題ではありません。ダルイゼンがのどかに苛立っているのは考えかたが合わないせいではありません。
 むしろ、合わないならそれでいい。
 それがいい。
 だってその一点だけは、変わってしまったダルイゼンの、変わっていないところなんですから。

 のどかたちはすでに見てきました。
 彼女たちの活躍を通して私たちも学んできました。

 「ねえ。ケンカしないで済む方法ってないのかな」
 「それがわかれば苦労しないラビ」
 「そうだよね・・・。でも、仲直りの方法はあるから、いっか」
(第15話)

 相手の気持ちを理解できないことが、すなわち、お互い仲よくなれないという理由にはならないことを。

 「キャラが違うからこそ楽しいってこともある。興味のなかった動物を見たり、いつもなら注文しない料理をおいしいと感じたり。相手がいるから自分の世界が広がる。友達はいいもんだ」(第30話)

 相手と考えかたが合わないことは、むしろ、自分の考えかたを広げるきっかけにすらなりうることを。

 だからそこは問題じゃありません。
 ふたりを隔てている障害がそれだけなら、今ののどかならもう充分に乗り越えられるはずです。

 のどかがこれからダルイゼンと戦っていくうえで考えるべきことはもっと別にあります。
 それが、彼の怒り。意味不明な苛立ち。対象不明な憤り。
 相手を理解すること、そして相手から理解されることを、そもそも拒絶してしまっている心のありかた。

 ・・・たぶん、のどか自身にも思い当たることはあるんじゃないでしょうか。

 幻想のヒーロー像とはまた違う、蜂須賀先生の本当の姿を知った、それでも大好きなままでいられた――、今ののどかなら気付くことができると思います。
 かつて自分が誰に憧れて、これからどういうことをしたいと願っていて、そのために今の自分が何をがんばっているのか、彼女はもう明確に理解できているから。

 過去と現在と未来は連続しています。
 だからのどかはまっすぐ自分らしく立てていて、だからダルイゼンは今無性にイライラしているんですよ。

コメント

  1. ピンク より:

    怒ったダルイゼンがキュアグレースを殴り続けるくだり、どうしようもない恐怖心と憐れみが降りかかってまともに画面を観ることもできませんでした。
    前者は、八つ当たりすることの愚かさと危険性を知ってるから。あと単に痛々しいのは苦手だから。
    後者は、気楽に生きたいだけなのに結局どこかで変わらなきゃいけない苦しみ(私の場合は就活でした。二度とやりたくない)を知ってるから。

    このままテラビョーゲン自身が何事もないままだと視聴者的に面白くないですし、やっぱり何か副作用がいずれ現れそうだなと思います。
    そのときキングビョーゲンがどう反応するかも気になるところです。

    しかし今更ですけど、なんでヒーリングガーデンは基本的に他言無用なんでしょう?
    助け合うことで素晴らしい結果を出せることはフウとテアティーヌ様がきっと証明してるのですから、いっそ人間界中のお医者さんと大々的に手を組めば良いのに。

    • 疲ぃ より:

       ダルイゼン、キャラ変わりすぎてびっくりですよ。
       てっきり価値観が絶対に合わない相手っていう対立軸で行くのかと思ったら、もうひとひねりしてきましたね。これをやるために何度ものどかを怒らせていたのかー、と。
       外付けのエネルギーでパワーアップした反動といえば、定番どころで“コントロールできなくなって自滅”とかそのあたりでしょうか? それなら彼らのため“お手当”する余地も出てきますし。

       プリキュアの正体が秘密なのはメタな理由があると思ってます(※ 視聴者の変身願望を満足させるため)ので、私はそのあたりあまり真剣に考えることがありませんが、たしかにどうしてでしょうね?
       ヒーリングガーデンの活動は地球にとっての免疫機能のようなものだから、人間にそのメカニズムを開示したくないとか? (※ もし科学が人体のシステムを完全にコントロールできるようになってしまうと、それはもうアンドロイドと変わらない存在になってしまうよね、みたいな話)

  2. 東堂伊豆守 より:

    えーと、あの詞、正確には「なんのために生まれて、なにをして生きるのか」なんですよね。「なんのために生きるのか」ではなくて。
    たぶん、やなせたかし先生としては……生まれてきた理由を(一応)問うことは問うけど、その“理由”が生まれたあとの行動を呪縛するものではないーーーーーーというニュアンスを込めておきたかったのではないか、と思います。
    さて……それでは「なんのために生まれて、なにをして生きるのか」ハッキリと迷いなく答えられる者は、本当に幸せなのか?
    「地球のお手当て」という目的のためだけに生み出され、この目的によって行動をがんじがらめに規制されているラビリン達ヒーリングアニマルは、本当に幸せと言えるのか?親友の恩人を救うために、ささやかな自由裁量を効かせることさえ許されない……と、あらかじめ定められた人生が、本当に幸せか?
    一方で……それではダルイゼン達ビョーゲンズに“自由”な生き方が許されているのか、というと、どうも違うらしい。
    あくまで推測ですが、ビョーゲンズって「なんらかの欲望・エゴを肥大化させられて、この欲望・エゴによって、キングビョーゲンの目的に沿う行動を結果的に採るよう誘導された、キングビョーゲンの手駒」なんじゃないか、と思えるんですよね。つまり彼らは自由なんじゃなく、自由だと思い込まされているだけ、なのでは、と。
    つまりーーーーーーヒーリングアニマルとビョーゲンズはどちらも、「なんのために生まれて、なにをして生きるのか」を自ら「考える」自由を、許されていない。
    無論、自分が生きる理由や自分の採るべき行動を、自分で考えることが出来るからといって、自分の望むように生きられるとは限らない。でも、だからといってーーーーーー「考える」ことを許されないなんて……そんなのは、嫌だ!
    ……てな感じにみていくと、花寺のどか/キュアグレース達「考える」自由を許された「人間」が、考える自由を剥奪されたヒーリングアニマルVSビョーゲンズの、際限無き消耗戦の間に立って出来ること・成すべきことが何であるかーーーーーーが見えてくるような、こないような(こないんかい)。

    • 疲ぃ より:

       マジすか!? ・・・マジだ!!
       私、それこそ3歳くらいからずっとこの歌詞で覚えていたんですけど!!!!!

       この一節のあと「答えられないなんてそんなのはイヤだ」と続くので、やなせたかし氏はいわゆる運命みたいなものを自分の意思でコントロールしたい人だったんじゃないかと思っています。誰かの都合に縛られたくはないけれど、ただ漫然と生きるのも望まない、と。
       2番では「何が君の幸せ? 何をして喜ぶ?」と問いかけても来ますしね。私は何にも縛られない生きかたって結構しんどいと思うんです。いちいちことあるごとに決断しないといけないので、意外と煩わしくすらある。
       まあ、現実にはそんな毎回毎回頭をひねるような人もいないんでしょうけど。普通は「自分はどうありたいか?」を考えて、決めて、それに基づくロールプレイで“実質的に選択肢の無い状態で”物事を判断するものだと思います。

       他人に縛られるか、自分で縛るかの違いですね。(「自分で自分を縛る」っていうと自分の首を絞める、みたいなニュアンスに受け取られそうですが)
       今話ののどかとダルイゼンの対立軸はここだと思っています。
       それこそダルイゼン、キングビョーゲンの都合を強要されたとき「これは自分の意思だ」と自分に嘘をついてごまかしてますしね。

      • 東堂伊豆守 より:

        「3歳くらいから」ということは、疲ぃ様はこの歌がリリースされた(1988年)後にお生まれになったのでしょうかな。思ってたよりお若い……いや失礼(汗)。
        この詞の作者・やなせたかし氏はガチガチの戦中派で、第二次大戦の戦時下を“文字通り”懸命に生き抜いてこられた方なので、平和と繁栄の中で生まれ育ってきた人間の発想でこの詞を解釈すると、チト本質が見えてこないところはあるかな、と思います(もちろん、かくいう私もガチガチの戦後派ですが)。
        この「アンパンマンのマーチ」に関しては、戦死されたやなせ氏自身の弟さんをモチーフにして作られたという噂があって、やなせ氏自身はその噂を否定しておられるんですが、……おそらく、この詞の発想の原点には弟さんのことが確かにあって、ただ「アンパンマン=やなせたかしの弟」と狭く解釈されると、この詞や「それいけ!アンパンマン」という作品に込めた普遍的なメッセージがないがしろにされかねないので“火消し”に回ったということなんだと思うんですよ。ーーーーーーつまり、「“戦時下”に生きることを余儀なくされた個人の思い」という視点が欠けちゃうと、この詞の本当の意味は分からないんだろうな、と。
        そういえば、「ヒーリングっどプリキュア」第1話で、ラビリンがメガビョーゲンに「神風特攻隊」か「人間魚雷回天」かと思わせる突撃をかましていましたけど、してみると本作のモチーフは「昭和20年の学徒兵meets平成生まれJC」だったんかなぁ……とかなんとか。

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