ヒーリングっどプリキュア 第43話感想 誰のための自己犠牲か。

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私の心も、体も、私のものですから。

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(主観的)あらすじ

 ネオキングビョーゲンはこのときのため入念な準備を整えていました。ダルイゼンを取り込んで進化すると同時に、すこやか市の各所に潜ませていた分体を一挙に賦活、またたく間に市全域を蝕んでしまいました。
 抵抗しようにも、強力なバリアによってプリキュアの力が阻まれ、のどかたちではネオキングビョーゲンに傷ひとつ付けられません。
 絶体絶命のピンチにテアティーヌ様が駆けつけてくれました。まだキズは完全に癒えていないようでしたが、のどかたちに状況打開のための時間をつくるため、ネオキングビョーゲンを足止めしてくれます。

 与えられた時間で、アスミがひとつ作戦を思いつきました。ビョーゲンズを自分の体に取り込めば、ネオキングビョーゲンのバリアを貫通してプリキュアの力を届けられるのではないか。
 それはとても危険なことのように思えました。まるでダルイゼンによってのどかにメガパーツが埋め込まれたときのようです。
 当然、のどかたちは反対しました。ですがアスミの決意も強固でした。
 はじめは自分というものを持っていなかったアスミが、のどかたちと同じ時間を過ごすうちに自分の意志を持ったからこそ、自分自身でこうしたいと決められたのでした。

 追撃してきたシンドイーネを弱らせ、アスミの体に取り込んで、のどかたちはいよいよネオキングビョーゲンとの最終決戦に挑みます。

 “自己犠牲”なんて言葉は大嫌いです。
 誰かを助けるために自分を傷つけるなんてバカバカしい。
 人は誰もがみな等しく幸せを目指すべきです。みんな幸せが誰にとっても一番いいに決まっています。そして、誰もが誰かを犠牲にしようとしないなら、そんな子どもだましの絵空事もきっと不可能なことじゃない。
 だからこそ、まずはひとりひとりが自分を犠牲にしようとすることをやめるべきです。

 じゃあ、“自分を犠牲にしない”ってどういうこと?
 自分を五体満足に守りきれたらそれでいい?
 自分のためだけを考えていれば大丈夫?

 「どうしてのどかは私のために尽くしてくれるのですか? プリキュアだからですか? 疲れているのに色々お世話をしてくれたり、私のためにケガまでして、それでも笑顔で説明してくれたり」(第21話)

 それで、あなたは本当に幸せになれますか?

 「エミリーちゃんを、笑顔にしたーいっ!!」
 「――そっか。その子、全然楽しくなさそうなんだ」
(第17話)

 「でも、スパークルが大丈夫じゃないニャン!」
 「えへへ。ニャトラン、私に言ってくれたじゃん、プリキュアになるとき。『好きなものや大切なものを守るんだよ』って。――守りたいんだ。ニャトランの気持ち」
(第18話)

 傷ついて。悩んで。心締めつけられて。全然思いどおりにならなくて。
 誰かを幸せにしたくて自分が割を食っている、そんな瞬間。あなたは不幸ですか?

 「人のためにがんばって何になるんだ!? 自分のことだけ考えてるほうが幸せだろ!」
 「あなたにはわからないかもしれない。だけど私たちは、助けあったり、支えあったり、そうやって生きてるんだよ!」
(第33話)

 誰かのために自分から傷つきにいこうとするあなたは、ねえ、本当に自分を犠牲にしていますか?

 あなたは今、幸せになろうとしていますか?

誰かのために

 「私のなかにビョーゲンズを宿すのです。――ダルイゼンがのどかにメガパーツを埋め込んだように、私のなかにメガパーツを宿せば・・・」
 「ダメだよ! そんなのダメ。危ないよ! アスミちゃんに――、ううん。誰にもあんな苦しい思いさせたくない! ダメ! 絶対ダメ!!」

 のどかは優しい子。人の痛みというものを知っています。

 「のどかが自分を犠牲にしなきゃいけないなんて、そんな義理も責任もないラビ! のどかは充分頑張ってくれてるラビ。それはラビリンたちがよーく知っているラビ。もしのどかに何か言ってくるやつがいたら、ラビリンがぶっ飛ばしてやるラビ! ――だから、のどかは自分の気持ちも体も大事にしていいラビ。のどかが苦しまなきゃいけない理由はひとつもないラビ」(第42話)

 ラビリンも自分の思っていたとおりのことを言ってくれました。
 とても優しい言葉で、救われる言葉で、言ってもらえて心にキュンときました。

 人の痛みを知っています。
 優しくするための言葉も知っています。
 のどかにとってそれは他人事じゃない、全部、自分事でもあります。

 だから、アスミにも自分と同じ苦しみはしてほしくない。
 それはアスミと一緒にのどか自身ももう一度傷つくのと同じことだから。

 ・・・なのに、アスミは困り顔。

 「ですが、今回ばかりは私の決意は変わりません。たとえラテの思いに背くことになっても」

 思いは伝わったはずです。
 のどかの切実な思いを理解できないアスミじゃないはずです。
 アスミが誰より大切にしているラテも一緒になって説得してくれたんです。

 ・・・なのに。

 「みんな。大丈夫ですか?」

 ネオキングビョーゲンの圧倒的な力を前にのどかたちがなぎ払われた、そんなとき。
 ついにテアティーヌ様が助けに来てくれました。

 大きなダメージを負って長いあいだビョーゲンズと戦うことができずにいた、ラテのお母さん。
 ラテのピンチを遠くから察知し、地球にお願いしてアスミを呼んでくれた、優しいお母さん。

 地球に来てくれたということは、きっともう体が治ったということ。
 もう大丈夫。
 体が大丈夫になったからこそ、やっとテアティーヌ様も地球に来てくれたんだから。

 「以前ほどの機敏さはない、か。さてはテアティーヌ。不完全な回復で慌てて駆けつけたと見える。その程度で、さらなる進化を遂げた我を浄化できると思ったか!」
 「それでも、私には果たしたい使命があります」

 ・・・違ったようです。

 テアティーヌ様は自分の体が治ったから地球に来てくれたわけではないようです。
 まだ治りきっていないのに、未だ万全ではない体に無理を押して、ラテやみんなのピンチに駆けつけてくれたようです。

 どうして?

 テアティーヌ様は「果たしたい使命がある」と言いました。
 だから来たのでしょうか?
 使命を果たす。それだけのために。まるで昔のアスミのように。

 そうですね。
 お母さんというものは・・・、そういうものなのかもしれませんね。
 いつも自分のことを我慢して、いつも子どものことを第一に考えてくれる。それがお母さん。
 どんなに迷惑をかけても、どんなにワガママを言っても、絶対に子どもを嫌いにならなくて、許してくれたり、ときには厳しく諭してくれたり、ひたすらに優しく無償の愛を注いでくれる存在。
 こっちが「嫌いだ!」って癇癪を起こしたときですら、「好きだよ」って言ってくれる。
 きっと、お母さんってそういうもの。

 子どものためなら平気で自分を犠牲にできる存在。

 「どうしてのどかは私のために尽くしてくれるのですか? プリキュアだからですか? 疲れているのに色々お世話をしてくれたり、私のためにケガまでして、それでも笑顔で説明してくれたり」(第21話)

 ・・・だけど、どうして?

私のために

 「・・・あんなふうになっていたんだね」

 見上げると、テアティーヌ様が張ってくれた優しい色の結界が見えます。
 ラテやのどかたちを助けるために、ラテのお母さんはあんなにも大きな力を使ってくれました。

 私のために。

 ・・・私のために?

 メイン視聴者たる小さな子どもたちならいざ知らず、いい歳してプリキュアを観ている私やあなたならきっと今さら改めて問われるまでもない話だと思いますが・・・。
 問います。

 「お母さんって、どうして子どものために尽くすことができるんでしたっけ?」

 私は知っています。
 あなたもオッサンオバサンになる年齢ならどこかでなんとなく気付いたことがあるはずです。

 「私の母は、私を心から愛していたから」です。

 「私には大切なものが増えたのです。ラテだけでなく、みなさんのことも。この町のことも。幸い、私は人間ではありません。きっとこの役目は私にしかできません。ならば選ぶしかないでしょう。私の大好きなパートナーも、地球の苦しみを水から飲みに引き受けるという、自分にしかできない役目を果たしているのですから」

 自分がそうしたいから、そうするんです。

 たとえ誰かの代わりに自分が傷つくことになったとしても。
 たとえ誰かのために自分が苦しむ結果になったとしても。
 その誰かを愛している、自分の心を満たすために、ときに、私たちは行動するんです。

 自分を犠牲にするためではなく。
 むしろ、なりたい自分になるために。

 私のために。

 それを、あなたは“自己犠牲”と呼ぶでしょうか?

幸せになりたいと願う

 「お願い、ラビリン。私は運動得意じゃないけど、お手当てだけは、プリキュアだけは、何があってもがんばるから! 苦しむ地球をラビリンと一緒に助けたい! これが今、私の一番やりたいことなの!」(第2話)

 「怪物は私も恐いわ。でも、それ以上に大切なものを守りたいの。どうしても守りたいの! あなたは?」(第3話)

 「なあ、ひなた。俺と一緒にプリキュアにならないか。あの怪物。ビョーゲンズから地球を守るんだ。お前のなかの好きなものや大切なものを、お前の手で、守るんだよ!」(第4話)

 「これは何でしょう。心が、私のなかの地球のパワーが、高まり、渦巻き――。いいえ。苦しいのではありません。よくわかりませんが――。それでもあなたの手を取りたいと、どうしようもなく思ったのです。ラテ様。あなたをお守りするためのこの力、あなたの願いのために使わせていただけますか?」(第20話)

 地球のため。みんなのため。――それもいいけど忘れちゃいけないことあるんじゃないの?

 どうして特別なところなんてないただの女子中学生が地球を守る戦いに身を投じなければならないのか。
 誰に命令されたわけでもない、何の義理も責任も負っていないはずの、普通の女の子たちが。
 シリーズごとにその理由は様々ですが、『ヒーリングっどプリキュア』において、それはなりたい自分を実現するためと位置づけられていました。

 たとえそれが危険な戦いの日々であったとしても。
 たとえそれで自分から痛い思いをしにいくことになったとしても。
 それでも、プリキュアの超常的な力、かけがえのないパートナーとの出会い、ずっとやりたかったことを手伝ってくれるチャンスをどうしても手放したくなくて、のどかたちはプリキュアになりました。

 自分のために。

 夢を叶えて、理想を実現して、ずっとなりたかった自分に変身して、そうして自分の幸せをつかみ取るために。

 「ラテも、みなさんのことも、人間界そのものをも、守りたい。欲ばりたいのです」

 「そう。そうよね。私はずっとチャレンジしてきた。ハイジャンも、旅館の仕事も。――私、やりたいこと全部やる! どっちも大切で、大好きなんだもの!」(第38話)

 できることがいくら増えても、そのせいでかえって望まないことを押しつけられてしまいそうになることが何度もありました。できることを増やすのは必ずしも楽しいばかりの日々ではありませんでした。
 それでも努力しつづけました。
 ありたい自分であるために。

 「やってみれば何かが変わるかもしれないでしょう。失敗を恐れすぎてはいけません」

 「前の私ならビビって『やめよう』って言ってたと思う。『無理』って諦めたと思う。でも、やってみたら何か変わるってわかったから! チャンスだもん。行ったほうがいいと思う」(第39話)

 挑戦するたび、いかに自分が何もできないのか改めて思い知らされました。努力に対して見返りは少なく、周りと比べて自分の歩みは遅く、何度も投げ出したく思いながら歯を食いしばってきました。
 それでも努力することをやめませんでした。
 なりたい自分になるために。

 「みなさんと過ごして重ねてきた経験が今の私をつくっているのです。どんなに反対されても私は実行します。私の心も、体も、私のものですから」

 「私、そんな優しい子じゃない・・・。あのとき、私、自分のことしか考えてなかった。だって、辛くて怖かったの。強い気持ちでいなきゃ負けちゃうから。笑っていないと自分が潰れちゃうから。だからすっごくがんばった。今の私をつくってる大事な経験だったと思ってる。――でも。それでも。もし叶うなら、もうあんな苦しい経験、もうしたくないよ・・・」(第42話)

 どんなにがんばっても、何度痛みに耐えても、そのたびにまた新しい恐怖が襲いかかってきました。できることは増えましたが、同じくらい、できないことの存在をまざまざと突きつけられてきました。
 それでもやるしかないと諦めませんでした。
 あの日の憧れに自分を近づけるために。

 夢を叶えるために。
 理想を実現させるために。
 大切な思いを抱く、自分自身の心を満たすために。

 いつか自分を幸せにするために。

 「わかったラテ。本当は王女のラテが決めなきゃいけなかったラテ。ママたちもあんなにがんばってるラテ。甘えてちゃダメラテ。アスミひとりにしないラテ。ラテも一緒にがんばるラテ!」

 誰かのために自分を犠牲にするのではありません。
 たとえ表面上は誰かを守るためだったとしても、その本質はあくまで自分のため。
 それが“責任”というもの。
 世界でたったひとつ、私たちが自分にだけ、自分のためだけに課さなければいけない、自分だけの逃れられない義務。
 どうか、私が私を幸せにしてくれますように。

 自分のために悩んで、傷ついて、それでも必死に前へ進もうとする人を見て、あなたは何を思うでしょうか?

 「かわいそう」だなんて手前勝手な尺度で語ってくれるな。

 「がんばれ」って、応援してあげてほしい。

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    コメント

    1. ピンク より:

      同じ作品内で、ほぼ同じ立場の主役キャラが、パッと見真逆の行動(ビョーゲンズを取り込む⇆ビョーゲンズを取り込まない)を宣言する、と。
      今作は随分面白いことしてくれますね。

      前回ののどかの場合は本当に一方的かつ図々しい
      (そもそも、手持ちのメガパーツを適切に扱ってたら済んだ話)
      搾取なので、最早それしか手段がない作戦の一環である今回とは全然違いますけど。

      ちなみにシンドイーネの末路に関してはどうお考えでしょうか。
      Twitterを見る限り「シンドイーネを一方的に搾取してる」という意見が多く、たしかにそう見えるけど何かが違うような……どうにもスパッと決められないものです。

      • 疲ぃ より:

         あの3人のなかでシンドイーネが一番救いようがないとは思っていました。
         だって、あの人明らかに愛するよりも愛されたいタイプですし。愛したら愛した分だけ向こうからも愛を返してもらえないと自分の心をすり減らしてしまうタイプですし。キングビョーゲンはどう見ても彼女の愛に応える気がなさそうでしたしね。
         彼女が救われるには『HUGっと!プリキュア』のパップルのように一度失恋して乗り越えていくしかない・・・と思うわけですが、ところがどっこい『ヒーリングっどプリキュア』は明らかにそういうところを掘り下げる作風じゃないわけで。
         そう思っていたところにあの涙型のタトゥーですよ。即パップルの「愛されなかった・・・」発言を引用した追悼原稿を準備しました。(※ 年末のうっかりで消えちゃったけど)

         そんなわけで、メタ視点から彼女にまともな末路が用意されないだろうことは予想していました。
         プリキュアによる搾取といえば搾取なんでしょうけれど、どうせあのまま生きていても搾取される相手がネオキングビョーゲンに代わるだけだしなあ・・・と。愛されなかった絶望とともに食われるよりはまだ温情的な末路だったのかなあ・・・と。

         欲をいえば、愛のためにキングビョーゲン以外全てを犠牲にしようとすると、特定の誰かへの愛に拠らずみんなを守ろうとするのどかが対決するところを見てみたかったなあ、というのは正直あります。そんなのやる尺があったらダルイゼンとの因縁を深掘りするのに使われるでしょうけど。

    2. 東堂伊豆守 より:

      最終決戦突入に際して、ラビリン達見習いアニマルや風鈴アスミら「子供だけどプロフェッショナル」組を、花寺のどか達「素人の女子中学生」組とテアティーヌ達「大人のプロフェッショナル」組のどちらに近いポジションとするのか。……これがなかなか見えてこなかった部分なんですが、どうやら「子供だけどあくまでもプロ」というポジションで落ち着いたらしい。
      「ノコノコやって来たシンドイーネを捕獲し“安楽死”させて、対ネオキングビョーゲン用血清の原料にする」という、合理的ながら冷酷非情な作戦を立案・実行したのはアスミで、作戦の承認を行ったのは王女・ラテ。ーーーーーーつまり、のどか達素人女子中学生は「ヒーリングガーデンスタッフに言いくるめられ従わされただけ」で、作戦の責任は全てヒーリングガーデン側にある、と言い訳が立つ形に収めてあるんですね。
      そも、前回ラビリンがのどかに「ダルイゼンを助けなければならない責任はないラビ」などとアドバイスしたのも、「ダルイゼンを見殺しにする責任はプロである自分が負う」という宣言であったとも言えるわけで。
      また、バテテモーダを文字通り“問答無用”で瞬殺したのはアスミ。ネブソックは「彼の出自をプリキュア達が知り得ない」状況で浄化された。ケダリーの浄化については、ダルイゼンと出自が同じゆえに“言い訳”も流用可能……と、やはりヒーリングガーデンスタッフのみが責任を負い、中学生組は免責される条件が(一応は)整っているんですよね。
      だから、のどか達は「目的のために手段を選ばない」「毒をもって毒を制す」「我が身可愛さを最優先にする」ことにいちいち躊躇いや疑問、自責の念を感じる必要はなく、プロフェッショナルの皆さんに指示された通りに「お手当てのお手伝い」をやって、後のことはプロフェッショナルに委せておけばいい。
      …………本当に?
      そういえば、かつてお手当ての優先順位を決めるか否かで、ラビリンとグレースが揉めたことがありましたが、あの時はラビリンの主張通りに(つまりラビリンが非情な判断の責任を背負う形で)“トリアージ”を断行したとしても、結局は意味をなさなかったんですよね。事態打開の決め手になったのは「花寺のどかが入院生活で培ってきた生き延びることへの執念」だったわけで。
      もし今回も「シンドイーネ血清投与作戦」が空振りに終わるとしたらーーーーーー結局、地球生命の命運は“病み上がりド素人中学生”花寺のどかの“執念”に託されることになる、のでは……?

      • 疲ぃ より:

         腰までズブズブに浸かってる状況で鉄火場でだけ保護者ヅラして蚊帳の外にされても困るだけですしね。
         割とありがちなシチュエーションではあるんですけど。自分の生死を他人に握られちゃうわけなので、アニメとして見せられるとひたすら据わりが悪いやつ。
         現実なら実際問題子どもに責任能力を求めちゃいけないやつなんで、大人視点からだと普通に正論なんですけど。それはわかるけど・・・!ってやつ。

         第10話の「嫌。だって、ここを離れている間に取り返しがつかなくなっちゃったらどうするの? このステキな作品たちは?」からの「ラビリン。また私が間違えそうになったら、そのときはまたちゃんと言ってね」の件ですね。ラビリンはまさしくトリアージを訴えていたんですけど、のどかにとっては目の前のものを諦めるかどうかが論点だったやつ。
         あれ、直後の第11話で戦略云々の反省会を打ち切って「どんなに難しくてもお手当をつづける。それしかないんだよ」と来たので、あの時点で完全に論点がのどかのものに確定したあげく、結局のどかの考えかたがそのまま結論になっていたんですよね。
         一度関わったからには最後まで他人事にせず自分事として向きあい、なおかつ絶対に諦めないのが花寺のどかであり、『ヒーリングっどプリキュア』なんだと思います。

         アスミの作戦はおそらくすんなりとはうまくいかないでしょう。そもそも力量差がある相手にキュアアースひとりの攻撃が通るようになったからといって何だというのか。
         そこから先はのどかたちもがんばらなくちゃいけない領域です。ラテがアスミの責任を共有してくれたように、次はのどかも“自分事として”この戦いに向きあう番ですね。今度こそ。

        • 東堂伊豆守 より:

          もしかすると、のどかって「地球のお手当て」を「医師が患者に施す治療」ではなく「患者自身の闘病」と捉えているんですかね?
          つまり「地球」を“自分の身体の一部(自分の臓器)”の様に認識している、と(もちろん自覚的ではなく無意識にでしょうが)(より厳密に言えば「東堂いづみが花寺のどかにそういうスタンスを採らせている」?)……。
          そうであれば、のどかにとって「地球のお手当て」とは“自己保存”に他ならず、およそ“自己犠牲”となる余地がないことになってくる訳で。
          そして、ダルイゼンの拒絶も“トリアージ”の拒絶も、のどかの立場が“医師”だとすれば「職責の放棄」となりえるものの、“患者”の立場だとなると「自分が生き延びるための当たり前の主張をしただけ」ということになってくる……んですよね。
          あと、それからキュアグレースがダルイゼンの要求を拒絶したときの台詞なんですがーーーーーーどことなく「長年の不摂生で病気になった患者に「禁煙・禁酒・食事制限・運動をしなさい。それが出来ないならアンタ死ぬしかないよ」と通告する医師」っぽさも感じる。そう解釈すれば「花寺のどかは“医師”の職責をちゃんと全うしている」と考えることも出来てくるような……?
          ……とりとめのない話を並べ立ててしまいましたが、とにかく本作は「病原体」「医療」「闘病」といったモチーフを東堂いづみがどの程度・どのような形でストーリーに織り込むつもりなのか、視聴者の側で正確につかめていないと見当違いの解釈をしかねない“アブナイ”作品であることは確か、だと思うんです、けど。

    3. ハリース・みぃ より:

      まさか3人の総括をアスミがするとは思いませんでした。ですが、まっさらな状態で生まれずっと3人のことを見てきたアスミだからこそ適任だと言えますね。

      ダルイゼンとアスミは対比されているという指摘もあるのですがなるほどと頷けます。どれだけ言葉をかけられようとビョーゲンズの枠に収まり続け唯一気にしたのは宿主ののどかだけのダルイゼンとのどかだけでなく様々な人の言葉を聞き使命以外のことも経験し意識を拡張し続けたアスミ。両者は真逆の方向に進みました。少なくとも現状ではビョーゲンズとして生きビョーゲンズとして消えたダルイゼンに対して登場2回目にして既に使命以外のことを始め、ラテ以外も守るためにラテの言葉すら拒絶してみせました。「経験して変わる」それはちゆとひなたも同じでしたがそれを最も顕著に表せるのがアスミだったのですね。

      長いので分割

    4. ハリース・みぃ より:

      続き

      プリキュアシリーズは自己犠牲を否定し続けてきました。

      ならなぜ?自己犠牲を否定しながら痛くて苦しくて辛い戦いを彼女たちは続けるのでしょうか?

      彼女たちには叶えたい願いが望みがある。それを叶えることが自分の幸せに繋がると信じるからです。そのための痛みを引き受けることは「やりたくないことではない」から。まあ、それも行き過ぎると自己犠牲になりかねないんですが。

      プリキュアはいつもシビアですが、ヒープリはそれに輪を懸けてシビアです。できることはあまりなく状況は悪くなるばかり。そんな中、アスミの考えはどちらに振れてもおかしくないものです。だから、一度否定させる必要があったんですね。「それはあなたを不幸にする」と。アスミは「それは違う」と否定するわけです。これは自分の意志で考え望み、自らの幸せのためにやるのだと。

      • 疲ぃ より:

         のどかがダルイゼンを拒絶した件に絡めて、一部で「救済路線からの転換だ」「原点回帰だ」みたいな論調になっているのが不思議なんですよね。
         『スマイルプリキュア!』以前、たしかにさほど大きな理由づけなくプリキュアが敵幹部を救済していた時期もありましたが、その時期含めてもプリキュアが自己犠牲を肯定していたことなんて一度も無いはずなんですよ。彼女たちが敵ですら救済してきたのは、プリキュアとしての義務によるものではなく、(「なんとなく」ではあっても)自分たちがそうしたいと思ったからでした。そんなの“自分を犠牲にしている”っていいません。
         それとも彼らは、プリキュアが敵幹部を見捨てていたらもっと幸せになれていた、とでもいうつもりなんでしょうか?

         アスミの当番回で総括したのは面白い構成でしたね。
         例年なら主人公のラストエピソードでやっていたことなんですが、なるほど今作に関してはアスミに語らせたほうが適切。
         ぶっちゃけた話、アスミが今さら自己犠牲ルートに進むわけないのはわかりきったことで、次回予告で不穏なカットが出てきたときは不安感より疑問符が先に浮かんだ視聴者のほうが多かったんじゃないかと思います。
         本編でももちろん自己犠牲っぽいのは見せかけだけで実際には真逆の思いだったわけですが、なまじ構図だけは自己犠牲っぽく見せているぶん、ここでのアスミの気持ちって誤解されやすいと思うんですよね。そこを他の3人の物語とリンクして考えさせてくれたことで、納得しやすいシーンになっていました。
         ダルイゼンとアスミが対比になっているというか、アスミ側にはのどかやちゆやひなたの経験してきたことが反映されているので、第42話と『ヒーリングっどプリキュア』全体を較べる構造になっているようにもとれますね。

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