すずめの戸締まりのキャラ語りがしたい! その2 宗像草太

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でも俺は君に会えたから――。君に会えたのに・・・!

このブログはあなたがこの作品を視聴済みであることを前提に、割と躊躇なくネタバレします。

いつか白馬に乗った王子様が迎えに来てくれたら

 草太は王子様キャラです。少年マンガにおけるヒロイン相当のポジション。
 少女マンガ好きのなかにはこの立ち位置を“ヒーロー”と呼ぶ人もいますが、私の言語感覚だと“ヒーロー”は男女関係なく英雄的な存在というイメージなので、ここではあくまで“王子様”とだけ呼びます。
 この映画における草太の役割は本当に“王子様”で、閉じ師の仕事にかける思いや普段はどういう生活をしているかなど、彼自身の内面はあまり深く掘り下げられません。草太という人間は常に鈴芽との関係性を軸に語られます。

 鈴芽が彼に抱いた第一印象は「イケメン」でした。それはもう、この男は観客視点から見てもケチのつけようがないくらい明らかにイケメンでした。
 それでいて変な人でもありました。観光地でもない寂れた田舎町にふらっと現れて、近くに廃墟はないか、扉を探しているんだ、とか言いだすやつがいたら10人中10人が変人だと思うことでしょう。イケメンパワーで辛うじて不審者呼ばわりは避けられたとしても。

 無意識下に溶けた遠い記憶に因って鈴芽は彼に不思議な縁を感じるわけですが、しかしそれ抜きにしても鈴芽の目には彼がたいそう魅力的に映ったことでしょう。なにせ彼は明らかに普通じゃありませんでしたから。見た目も言動も。
 鈴芽にはそういう人に興味を抱く素地がありました。

 子どものころ、鈴芽が震災を生き延びることができたのは、ただの運によるものでした。少なくとも鈴芽自身の認識はそうでした。看護師でDIYもできるスゴいお母さんが死に、ひとりじゃ何もできない鈴芽が生き残ってしまったのは、きっとそういうこと。
 鈴芽の生きるこの世界はそのくらい理不尽で、多少の才能や技術なんかで特別扱いはしてもらえません。みんな平等に生きる機会を与えられ、みんな平等に命を奪われます。

 そんな世界で、なのに、もしそれでも明らかに特別だとわかる存在がどこかにいたとしたら。
 あわよくば、彼らと知りあうことで自分もそういう特別な存在の一角になれたとしたら。
 そうなればもしかしたら、お母さんやたくさんの人の死に理由づけできるかもしれない。自分が生き延びたのはたまたまではなく、何かの必然性があってのことなんだって納得できるかもしれない。あのときあの場にあった生と死が、実は理不尽じゃなかったのだと思える日が来るかもしれない。

 もっとも、こんなのいわゆる厨二病といわれるやつでして、別に震災を経験していなくても誰もが大なり小なり自然に通過する感情なんですけどね。説明しやすいからかこの映画では鈴芽の人格形成に震災経験を絡めているだけであって。
 むしろこの映画では震災経験者にしかわからない思いというのがほとんど描かれていなかったりします。それがこの映画のいいところなんですよね。多くの人が共感できる普遍性があって。東日本大震災を精神的に特別扱いしていなくて。

 草太と関係ない話ばっかり長々書いてしまいましたが、実際問題、当初鈴芽が草太に求めていたものはこの“特別”のただ一点でした。

 迂闊な行動で迷惑をかけてしまった罪悪感は草太の人の良さによってあっさり解消され。
 震災経験者として“ミミズ”の災害を食い止めたい、みたいなトラウマベースの使命感は一瞬たりとも描かれず。
 それでも鈴芽ががむしゃらに草太の旅路にしがみついていった理由は、ひとえに“彼が特別な存在だったから”。ただそれだけでした。

 「あんたはなんか、大事なことをしとうような気がするよ」
 「ありがとう、千果。うん、そうだ。きっと大事なことをしてる。私もそう思うよ!」

冠を被っていなかった王子様ははたして王子様なのか?

 「ね。草太さんってずっとこんなふうに旅をしてるの?」
 「ずっとじゃない。東京にアパートがある。大学を卒業したら教師になるつもりなんだ」

 だからこれは青天の霹靂。

 最初、鈴芽にとって草太という”王子様”は“特別な存在”だからこそ価値がありました。
 世間に知られていない大事な仕事をしていて、不思議な鍵を持っていて、不思議な祝詞も読んでいて、人間離れした美形で、言ってることがちょくちょく浮世離れしていて、普通じゃ考えられないくらい心が広くて、使命感も強くて、今は椅子の姿で旅をしていて――。
 そんな人が、ただの大学生。
 どこにでもいる、平凡な、自分と大して変わるところのないただの人間。

 この何気ないカミングアウトを受けた瞬間から、鈴芽の草太に対する見かたが変わります。草太がどんどん当たり前の人間に見えていきます。

 新幹線に乗ったくらいでいちいち感動しなくて、富士山なんかどうでもよさげで、東京駅の乗り換えに戸惑うこともなくて、下町の安アパートに一人暮らししていて、ぱっと見チンピラみたいな友達までいて。
 色眼鏡を外して改めて観察してみると本当に普通の人。むしろ長崎からほとんど出たことがなかった自分のほうが、ハタから見たらお上りさん丸出しでよっぽど変だろうなって気さえします。

 ガッカリしなかったといえばウソになります。
 そこにガッカリしないような価値観なら草太の何気ないカミングアウトにあそこまで驚いたりしません。
 だけど、それで草太に対する興味が薄れたかといえば、不思議と全然そんなことなくて。

 ・・・そんな普通の人なのに、自己犠牲を強いてしまいました。

 長崎を出てからはほとんど顧みることのなかった罪悪感、要石を抜いたことで草太に負わせてしまった数々の迷惑が、今さらになって鈴芽の心を苛みます。
 彼は白馬に乗った王子様だから超然としていたのではなく、ただただ、ひたすら優しくしてくれていただけなのに。本当は人並みに傷つくし、死んじゃうことだってあるはずなのに。

 「それでいいのだ! あなたが刺さなければ昨夜百万人が死んでいた。あなたはそれを防いだのだ。そのことを一生の誇りとして胸に刻み、口を閉じ、元いた世界へ帰れ! 只人に関われることではないのだよ。全て忘れなさい」

 羊郎お爺さんの言うことが、鈴芽には少しも納得できませんでした。

 だって、あの人は全然“特別”なんかじゃない。
 本当の草太は普通の人で、もちろん自分も普通の人で、もし彼が只人じゃないというのなら、それは彼の本意ではなく鈴芽がもたらした不幸。只人である鈴芽がもたらしてしまった理不尽。
 羊郎お爺さんが言うみたいに草太が”特別”だとはもはや思えないし、思いたくもない。あの人は“特別”なんだと、自分とは違う世界に生きているんだと、絶対に思いたくない。言い訳がましくあの人を“特別”扱いしたくない。

 いつからか、鈴芽は草太が“特別な存在”じゃなくても大切に思うようになっていたのでした。

鈴芽の王子様

 長崎を出たころの鈴芽にとって“特別”とは憧れで、東京での出来事を経て“特別”は逆に呪わしい概念に変わっていました。
 だって、“特別”は生も死も理由づけしてしまうからです。

 特別な理由があって生き残ることになった。
 特別な理由のせいで犠牲になってしまった。

 改めて確かめてみると、そんな“特別”、嬉しくもなんともありませんでした。
 鈴芽の世界における生と死の概念は徹頭徹尾理不尽で、むしろ理不尽でいてくれたからこそまだマシなんだとすら思えました。

 ”特別”であることへの夢想に縋ることができなくなった鈴芽は、ではこれから何を頼りに生きていけばいいのでしょう?
 実際、草太を失ってからの鈴芽は生きる気力を失い、草太の代わりに要石になることだけを願って死出の旅路を歩んでいたくらいです。彼女には自分が“特別な存在”になること以外で何か別の、生きるべき理由が必要でした。

 そして鈴芽にその”理由”をくれたのもまた、草太でした。

 「君に会えたのに・・・! 消えたくない。生きていたい。死ぬのが怖い。生きたい。生きたい。生きたい! もっと――!」

 常世にたどり着き、草太に代わって自分が要石になるつもりでいた鈴芽は、そこで草太が胸に秘めていた生への渇望を知ります。
 しかもそれは、彼が鈴芽と出会ったから抱くようになった思い。
 鈴芽と一緒だからこそ生きる意味があるのだという叫び。
 鈴芽と同じ世界にいられる、ただそれだけのことが生きる理由たりうるのだという、凡庸な彼らしいささやかな願いごとでした。

 彼がどうしてそんなにも鈴芽に惹かれるようになったのかは語られません。
 そこはさして重要ではありません。
 この物語において重要なのは、草太に愛されることが鈴芽の生きる理由たりえた、ただその一点だけです。

 かつて、鈴芽は震災を経て理不尽に生き残ってしまいました。
 一緒に生きてほしかったお母さんの命は理不尽に奪われてしまいました。
 そこに特別な理由はありませんでした。何らかの必然性もありませんでした。生と死を分けたのはただのランダムな運だけでした。

 けれど。
 本当は、震災を生き延びたそのあとも、鈴芽が死ぬ可能性はまた巡ってきていたはずでした。
 お母さんが死んだことを受け入れられず、厳寒の東北の冬をひとりさまよった日。
 思いがけず常世に迷い込んでしまっていたあの日。

 あのとき鈴芽を生かしたのは、鈴芽を心配して迎えに来てくれた環おばさんの愛情でした。
 常世において生きることの喜びを訴えた、未来の鈴芽からの祝福でした。
 鈴芽は生まれてこのかた、ずっと愛によって生かされていたのでした。

 これからは草太が鈴芽のことを愛してくれます。

 童話めいた白馬の王子様だろうと、白馬や王冠を持たない普通の男の人だろうと、草太という人に対する鈴芽の思いはそう大きく変わりません。
 彼はいつだって、鈴芽にとっての”王子様”でした。

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