あ。お帰りなさい! どうだった? サボってたアジョアの横っ面、思いっきり引っ叩いてくれた?
浄水場の研究員 ロージー
浄水場、いいよね。
奇跡の水
人の死を何かに利用しようとする人が嫌いです。
たとえそれが、自分の死であってもです。
「マ・ノンのかたがたが必要としているのはあなたではなく、我が神なのです――」
マ・ノンの医師であるスタカッタさんの依頼を受けて、私は最近NLA内で急成長している奇跡の神教団の調査を開始しました。
曰わく、最近マ・ノン人の間では原因不明の体調不良が流行っていて、この新興宗教に入信することを条件に分け与えられる“奇跡の水”を飲むと、たちまち症状が快復するんだとか。
本来、宗教などの神秘は個人の心の安寧を得るためだったり、同じ神様を信仰する仲間同士で道徳規範を共有しあったりするために存在します。現世利益を売りにする宗教なんて、その時点でろくなものじゃありません。
地球人なら大抵の人が当たり前に身につけている知識ですが、話によるとマ・ノンの母星には宗教という文化が無いそうで、そのあたりの耐性がない人たちがコロッと騙されてしまったみたいです。
教祖のフレジィは地球人。もし一連の全てが彼女のマッチポンプだったとしたら、種族間の文化の違いを狙って突いた、きわめて悪質な犯罪ということになります。
できれば警察機能としてのコンパニオンの職務なんて面倒くさいので関わりたくなかったのですが、今回ばかりは知らないふりをしていられません。
私とスタカッタさんはお互いに連携し、まず怪しげな“奇跡の水”を入手しました。
さらに、マ・ノン人全体に広く病気が広まっていることから原因が飲用水にあると仮説を立て、最近建設された浄水場も調べることにしました。
NLAにはもともと都市内に生活用水を浄化・再利用するための設備があったのですが、マ・ノン人の入植に伴って処理能力が追いつかなくなり、最近になって都市の外に大規模な浄水場を建てたのです。
全ての人の命綱である水を管理する場所ですから、本来なら厳重に警備されるべきところ。ですが、なにぶん立地が原初の荒野なのです。原生生物からの防衛に力を入れなければならず、悪漢につけ入る隙を与えてしまっている可能性は否定できません。
果たして、実際に私たちは教団の信者が新浄水場の原料水に毒物を混入しているところを目撃してしまったのです。
「あなたにこれは渡しません! ああ、奇跡の神よ! 今こそ奇跡を起こしたまえ!」

科学知識に精通しているマ・ノン人とは思えない愚かな選択でした。
湖ひとつ汚染してしまう強力な毒です。一息に飲み干せるわけがありません。
よしんば飲み干せたところで、私たちとしては彼の死後、お腹を切開して胃の内容物を取り出せばいいだけのことでした。
・・・いったい人の命を何だと思っているのか。
彼は自らのその安っぽい命を捧げることで、この窮地を乗りきれると本当に考えていたのでしょうか?
人の命を啜った悪神が、彼の名誉や尊厳を死後まで守ってくれると本気で信じていたのでしょうか?
許せませんでした。
自分でも意味がわからないくらい、腹が立ちました。
私は、愚行を行った彼の死を徹底して無意味なものとするために、教団の罪を確実に追求できる証拠をそろえて、教祖フレジィに突きつけました。
「な・・・。追い詰められ、あの薬を飲んで――、死んでしまったですって? そ、そんな! そのために薬瓶を持たせたわけじゃ・・・!」

この瞬間、彼の犠牲はこの世界の誰にとっても無駄なものだったということが確定しました。
彼の死は、彼が守りたかった教団にとってすらも、百害あって一利無しの汚点に成り下がったのです。
レイクサイド・バカンス
「きっとアジョアがちょーっとだけ私よりかわいいから――。そんないかがわしい理由で連れていったのよ! アジョアは今ごろ任務にかこつけて、湖のほとりでイアンたちとバカンスを楽しんでるに決まってるわ!」
んなわけないでしょ。とは口に出さず、私はテキトーにうんうん頷きながら浄水場の職員からの依頼を受けました。
彼女の言葉を真に受けたわけではありませんが、「定期連絡すらしてこない」というぼやきが気にかかったのです。
あの浄水場はつい先日毒物混入事件が起きたばかりです。普通に考えて、平常業務こそ確実に履行されるよう徹底するはず。
まして、あの事件で浄水場の防衛体制が不足していることもすでに明らかになっています。たった数日で改善されるとは思えません。再び何か起きた可能性は充分に考えられました。
浄水場は――、地獄でした。
人の背丈ほどもある不気味な繭玉が水辺のそこかしこに形成され、これまで見たこともないおどろおどろしい姿の原生生物たちがあたりを闊歩していました。
本来なら接近した原生生物を排除しているべきインターセプターの姿はひとりも見当たりませんでした。
浄水場の建屋からは助けを求める女性の金切り声。
何故か原生生物の首にぶら下がっていたIDカードを使い、私たちは建屋のドアロックを解錠して中に入りました。
女性――、件のアジョアさんは私たちの姿を認めてようやく少し落ち着きを取り戻し、だけど尚も落ち着かない様子で周りをキョロキョロ見回しながら、知るかぎりの状況を説明してくれました。
「侵入警報が鳴って・・・。みんなが外に出て・・・、叫び声が聞こえて・・・。私もイアンも何かに襲われて・・・。イアン! イアンはどこ!? 他のみんなは・・・?」
彼女を建屋に閉じこめたのは同僚の男たちだそうです。
浄水場が突然謎の原生生物に襲われ、彼らは研究職も含めて全員で防衛に当たったようでした。アジョアさんだけ置いていかれたのは――、きっと、全員生きて帰れないことを悟っていたんでしょうね。彼らなりのカッコつけでもあったのかもしれません。
だって、通信設備はすでに失われていました。籠城したところでNLAから救出部隊が来る見込みなんてありませんでした。私たちが駆けつけられたのは、あの嫉妬深い女性職員がもたらした偶然のたまものです。
周囲の原生生物を全滅させて一息ついたあと、私たちは事態の全容を把握するべく監視カメラの記録にアクセスしました。
隣に立つアジョアさんは顔を真っ青にしながら、何故かしきりにシャワーを浴びたがっていました。
前回の事件を思いだし、原生生物の体液に汚染された水に無闇に触れるべきではないと考えた私は念のため彼女を制止。カメラのログを取得してから一緒にNLAに帰ろうと、努めてゆっくりした口調を意識して説得しました。
「あ、あいつ、僕たちを食べるならまだしも・・・! ぐ、うう・・・。か、監視カメラは動いているか? 記録! そうだ。記録しておいてくれ――!!」
監視カメラに記録されていたのは、この浄水場のチーフであった人の遺言。
外にいた原生生物には他の動物の体内に卵を植えつける特異な生態があって、まるで地球のコマユバチかツリガネムシのごとく寄生した宿主を水辺へ誘導し、そこで繁殖するとのことでした。
私たちが駆除した、あの原生生物たちは――。

私はただちにエルマさんに連絡を取り、アジョアさんを搬送するための輸送機を要請してもらいました。
私たち自身も検査を受けてB.B.内に卵が無いことを確認し、それから、きっと痛快な報告を期待していたであろう女性職員に事件の全てを伝えるべく、重くなるばかりの足に耐えながら彼女の元へ向かったのでした。
文化交流
アレックスさんという人の依頼を受けました。
いつもアーミーピザに集まるマ・ノンの人たちをにらみながら何事かブツブツ呟いている、インターセプターの人です。
持って回った言いまわしが多くて何が言いたいのかわかりづらかったのですが、だいたいの話、NLAになかなか馴染めないでいる異星人たちを集めて講座を開きたいということだったように思います。てっきりマ・ノン人のことを嫌っているものと思っていましたが、彼なりに相互理解が進むよう考えてくれていたみたいです。
私に与えられた仕事はマ・ノン人に声をかけてまわって参加希望者を募ること。
もともとマ・ノンと地球の文化の違いに悩んでいそうな人には何人か心当たりがあったので、楽な任務でした。
アレックスさんは私が呼んできたマ・ノンの人たちと自分で声をかけたらしい数人のノポン族を引き連れて、NLAの外へ出かけていきました。

・・・外?
彼は何と言っていたでしょうか。
「いかなる理由があっても街の通則には従ってもらわなければならない。わかるか? それが法というものだ」
「私はマ・ノンを集め、集会を開き、彼らに通則を教授したいと考えているのだ」
彼は“通則”という言葉を使っていました。
通則。これが法令なら冒頭で謳われる前提認識のことになりますし、契約の場なら個別契約に対する基本契約の話になるでしょう。文脈によって何を指すか変わる、少しふわふわした言葉です。
今回はそのどちらでもなく、NLAの社会についての“通則”なので、これは世間一般に通用しているルールのことだと理解するべきでしょう。
これは必ずしも法律の話ではありません。
地球人が従う社会のルールは、全部が全部明文化された法律によって規定されているわけではありません。むしろ明文化されているものなんて本当にごく一部。
自然法、文化的背景とか歴史とかに根ざした暗黙の了解だって、人間社会のありかたを強力に縛りつける重要なルールです。
マ・ノンやノポンの人たちがたびたび街を騒がせてしまうのも、この明文化されていない自然法は時間をかけてお互い空気を読んでいくしかないものだから。
アレックスさんは“通則”が“法”であると言いきりました。
今のNLAには地球人以外に、マ・ノンやノポンの人たちだって大勢いるのに。
あくまで地球文化を前提としたものでしかない“通則”こそがNLA住人の守るべき“法”だと主張するのなら、それはつまり、異文化に対して何も譲歩する気がないということ――。
ライセンスを取得したばかりのドールを駆って慌てて追いかけると、アレックスさんが集めた人たちに銃を向けているのが遠くに見えました。
1人。2人。崖を背に追いやられた人たちが次々に倒れていきます。
私は周囲の原生生物を刺激してしまうことを承知でスピーカーを最大に上げ、獣みたいにでたらめに叫んでその場へ走っていきました。
「このままではいずれ全てが異星人に取って代わられる。さすれば地球人の末路は奴隷だ。だが、先んずれば人を制す。異星人どもを即刻排除すれば、地球人が虐げられることはなくなるのだ」

アレックスさんが言うのは人を守る立場からの論理です。
武器を持つ私たちは、相手も武装して正面から攻撃してきてくれたほうがある意味では守りやすい。けれど、一度内側に浸透してきてしまった敵を排除しようとするなら、誰もを納得させられる大義名分が要る。証明がいる。後手に回らざるをえない。
それがわかっているからこそ、彼はこうして法の支配の及ばない外に出て、先制攻撃の残虐を行ったのです。彼なりにNLAを守ろうと考えて。
言わんとすることの理屈はわかります。
・・・わかるけども。
全てを終わらせたあと、私は生き残った人たちに向かって深く頭を下げました。
というか、顔を見ることができませんでした。
今回のことは全部、自分で深く考えずただ任務だからと忠実であろうとした、私が起こしてしまったことでした。
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