
「時よ止まれ、そなたは美しい」
かつて、人間の生が有限であることに絶望した老博士ファウストは、悪魔メフィストテレスにそそのかされてひとつの契約を結びました。それは青年の姿から人生をもう一度やり直し、悪魔の力を自在に振るって最高の人生を楽しむ代わり、己の人生に満足した瞬間には魂を悪魔に譲り渡すというもの。
ファウストの2度目の人生は多くの享楽と燃えるような恋、あるいは裏切りや策謀に彩られつつ、最終的に皇帝から領地を賜る地方領主の座に納まります。愛する領民たちのため、盲目となった我が身を嘆くこともなく、ただひたすら公共工事を推進するファウスト。民が理想の国を完成させつつある音を聞きながら、彼は深い充足感とともに前掲の言葉を述べるのです。
この世のありとあらゆる快楽をむさぼりつくした男が最後に見出した至上の幸福は、我欲のためではなく多くの人の喜びのために奉仕する、その瞬間にこそあったのです。
彼の人生はそういう物語であり、この言葉はそういう意味の言葉でした。
クロノグラスモーメント
I just…
では、考えてみましょう。
「I just ~」とは英語圏で様々に使われる言いまわしのひとつです。「ほんの~だけ」「ちょうど~のとき」「ただ~こそが」など、後に続く言葉次第でたくさんの意味を持つのですが、それらに共通するコアイメージは「幅を狭めて、焦点を一点に絞る」というニュアンスです。
「I just」の後に具体的にどんな言葉が続くかは歌詞を読みながら自由に想像していくとして、さてひとまず。
あなたにとって“一番大切なもの”とは何でしょうか?
透明な時 縫いあわせて
誰もいないこの世界で 螺旋を描いた
すれ違うノイズに溺れて
君の声忘れないよう 繰り返し口ずさむ
表題にある「クロノグラス」は一般的な名詞ではありません。「星鏡」などと同じく造語と考えていいでしょう。
「chrono-」とはギリシャ神話に語られる時の神クロノスに由来する接頭辞で、語に“時間に関する何かである”という意味を与えます。「grass」はガラスのこと。2つ合わせると、たとえば時を巻き戻す砂時計のような、時間に干渉する力を持った魔法のアイテムのことかもしれないと想像することができます。
ちょうどそんな感じの設定で創作された同名の美しいアクセサリが実在するみたいなので、参考までにこれを眺めながら曲を鑑賞すると、より楽しめるかもしれませんね。
この詞の主人公はひとり、黙々と、ガラスビーズのように透き通った時のカケラを縫いあわせてクロノグラスをつくっています。
ひとりでいるのは大切な人の声を忘れないため。「ノイズに溺れて」という言いまわしに若干ネガティブな感情が読み取れるので、もしかしたら人生に少し疲れているところなのかもしれません。
自分の大切なものを忘れないように、忘れないように、繰り返し心に響かせながら、記憶を縫い込めるようにして作業しつづけます。
涙で錆びついた 静寂が動きだす
縫いつづけていたクロノグラスがついに稼働を始めます。
どうやら彼女の半生は幸せな想い出ばかりではなかったようですね。
そりゃあそうです。人生なんてそんなもの。
傷ついて、苦しくて、悲しくて。ときには歩みを止めたくなる日もあるでしょう。
でも、そんな今の自分を変えたいと思ったからこそ、彼女はクロノグラスを縫いあげました。
過去の記憶を縫いあわせ、止まった今を再び動かし、もしかしたら未来すら紡いでいくかもしれない。そんなとっておきの時の魔法。
ひとりぼっちの静寂が、止まっていた時間が、再び動きはじめます。
クロノグラスモーメント 君がいたから走れた日々
わがままだけど 今 この瞬間を
クロノグラスモーメント 止めてしまいたいくらいの感動
少し感傷 そんな感情
クロノグラスによって再生されたのは過去の想い出。
それこそ、彼女が時のカケラひとつひとつに込めた記憶そのものでした。
「この大事な瞬間をずっと留めておきたい。時間が過ぎてほしくない。そんな気持ち」、そのもの。
いいんでしょうか?
こんなことをしていて本当にいいんでしょうか?
こんな幸せなばかりの過去に耽っていていいんでしょうか?
わずらわしいノイズに背を向けて、ひたすら都合がいいばかりのこの瞬間に溺れていてもいいんでしょうか?
時よ止まれ。――それでも、この瞬間が一番幸せなんだから。・・・少し胸の傷はうずくけれど。
いつか見た時代の景色は
いつまでも色あせないよ どこにいても
二度とはない かけがえないもの
集めて花束にした 色づいて愛になれと
クロノグラスは稼働しつづけます。
まるで尽きることのない映画のフィルムみたいに、古くとも色あせない魔法の時間を映しつづけます。
クロノグラスとはそういうものでした。
今が過去とは違う時間軸でも、過去の出来事に触れることができる。
すでに終わってしまった過去を、何度でも蘇らせることができる。
それは今の出来事ではありません。
あくまで過去。どこまでも過去。
だけど、“今”もまだ好きで好きでどうしようもない、自分にとって一番大切なもの。
想い出 積みあげて 奇跡が運命に
2025年9月5日,6日,7日。
埼玉県所沢市東所沢和田。
敷地面積 40,210.06m2。地上5階,地下2階建て。
イベントホール最大収容数スタンディング1800名,シーティング650名。
ところざわサクラタウン。
演劇,学力テスト,音楽ライブ合わせて合計5公演。
公演の合間にはタレントたちと一緒にゲームで遊べる企画が合計10回開催。
ミュージアムではタレントの私服・私物やアート作品など300点以上を展示。
キッチンカーや屋台では各種コラボフードを展開。
施設内の飲食店では各種コラボドリンクも展開。
その他グッズ販売、撮影スポットなど。
初報は2025年5月17日。
アップランド社にしては異例なほど長い準備期間と、定期的な情報発信、それらに見合うだけ詰め込まれたコンテンツ量。
タレントたちも裏方スタッフたちも寝食を忘れてずっと準備してきました。
はんぱない文化祭2025。
たった3日間の、宝石のようにきらびやかな時間。
タイトルの元ネタは2019年4月1日に公開された第1回学力テストにおける神楽すず迫真の誤答。及び同年5月19日開催のアイドル部ファーストライブイベント『はんぱないパッション』。
以来、実に6年もの間延々擦られつづけてきました。まだ味がします。
想い出を大切にしていて何が悪い?
クロノグラスモーメント 走りつづけてきた答え
分かちあえるのは そう この瞬間だ
クロノグラスモーメント 終わらせたくないくらいの感動
少し感傷 そんな感情
たった3日間の催しです。たった3日間のために、大勢の人たちが気の遠くなるような作業量の準備を進めてきました。
この3日間が過ぎれば全部なくなるのに。
でも、この3日間はきっとたくさんの人の記憶に残る。一生の想い出になる。
「ぶいぱいとどっとライブとアップランド、そして皆様と一緒に、これからも道が続いていくよということでね。未来、これから先もよろしくお願いしますという気持ちを込めて、改めてここで歌わせていただきました」
「なんか本当に盛り上がるかなって心配だったりとかもしたけど、もうすごい沢山の感想をいただいて。わー!すごい!って思って。すごいやりたいことがたくさん叶った3日間で、とても幸せでした」
「『めめめ知ってる? こんなのもこんなのもやるんだって!』ってみんながめっちゃ楽しそうにしてるの。この子たちこんなやりたいこといっぱいできるようになったんだ。めっちゃはしゃいでるやん、嬉しいなあって」
「変わらないメンバーがいて、変わらないスタッフさんがいて。昔から。最初から。で、変わらないみんなさんもいるなかで、新しく今日初めて来てくれた人もいて。新しく入ってくれた後輩もたくさんいて。なんか・・・、この場所にいられることが本当に嬉しくて、本当にありがたいなって」
「『これこうしたほうがいいんじゃないですか』とか『これしたいです』っていうの、本当にいろいろ実現してくれたんですよ、今回のイベント。本当に、本当にそれがすごく嬉しかった」
時よ止まれ。――今この瞬間こそが、これまで積み重ねてきた全ての過去の結晶。集大成。今が一番幸せなんだから。・・・きっと、いつ振り返ってみても永遠に輝きつづける。
いつか君に触れ 心根華やぐように
止まらず ずっと走っていた
それが それがそう 今
「いろんな夜を抱えてるの持っていきますんで。ずっとね、みんながいなくなるまで。ずっと楽しんで、存在していってください。いいですか? よろしく頼むよ。そして、帰ったらいい夢を見てください」
「めっちゃ楽しかったし、賢いところも見せられたし、かわいいところもカッコいいところも全部見せれたんじゃないかなって思ってます。――せーの! ギャルー?」
「最高ー!!」
「3日間ありがとうございました。文化祭っていうことで、いろんなことをさせてもらえて、本当に楽しかったです。Xとかでも皆さんが楽しんでくださってる姿とかをいっぱい見られて、もう・・・、幸せでした。ありがとうございました」
「シロちゃんに『あー、もう最高でした! 最高! 大好き!』ってやってたら、『せっちゃん大好き』って言われて。わー! わー! わー!! 頭がおかしくなって、全ての記憶が飛んで、その後、私は何もわからなくなりました。本日はありがとうございました」
「・・・ねえ、見ないで。あっち向けよ。あっち向けよ。やだやだやだ。やだ。ぱねは湿っぽいの嫌いだから」
「いいよ」
「うるせえ。前向け、前向け」
けっしてひとりぼっちではなかった想い出の数々。
みんなと一緒にがんばって、みんなと一緒に喜びを分かちあった最高の瞬間、瞬間。
過去は振り返ってひとり静かに鑑賞するためにだけあるものじゃなくて、みんなと一生懸命、最高の“今”をつくるために積み重ねてきたものでした。
“過去”の積み重ねの先に“今”があります。だったら、そこにさらに“今”を積み重ねたら――。
クロノグラスモーメント 君がいたから走れた日々
わがままだけど 今 この瞬間を
クロノグラスモーメント 止めてしまいたいくらいの感動
少し感傷 そんな感情
クロノグラスは稼働しつづけます。奇跡を運命へと変えるために。
「シロはずっと今日まで、報われろ、報われろ、報われろって・・・! 過去の自分も、あの子たちも、それを見守ってたあなたたちも。今日、本当にたくさんの方々が力を貸してくださって。新人さんのパワーのおかげでこんなにみんなが楽しい会を催すことができて。本当に本当に嬉しいです」
人生は幸せな想い出ばかりにはなりません。
傷ついて、苦しくて、悲しくて。ときには歩みを止めたくなる日もあります。
ときにはわずらわしいノイズから逃れ、ひとり過去に耽溺したくなるときもあります。
だけど、透き通った時のカケラを辿るたび、瞳に映るのです。
これまで歩んできた道のり。ずっとがんばってきた日々。みんなで一緒に最高の“今”を祈りつづけた、切々連綿と連なる思いの数々。
自分にとって“一番大切なもの”、その先にある“今”。
いいんでしょうか?
こんなことをしていて本当にいいんでしょうか?
こんな幸せなばかりの過去に耽っていていいんでしょうか?
そうとも。想い出を大切にしていて何が悪い。
時よ止まれ。――想い出はいつまでも美しい。・・・これから訪れるであろう辛い日にも、楽しい日にも、いつ振り返ったって永遠に輝きつづけてくれるんだ。
「私たちに必要だったのは、新しい風や変化でした。ずっとずっと大好きなこの場所を守るにはどうしたらいいのかわからなかったんですが、たくさんのあなたたちや、たくさんの自分以外の人たちが、応援したり力を貸してくださって。今日、過去一で楽しい時間を過ごせました――、よね?」
I just…
あなたにとって“一番大切なもの”とは何だったでしょうか?
・・・実のところ、ファウストが二度目の人生の終わりに聞いた幸せな音はニセモノでした。
彼が盲目なのをいいことに、悪魔メフィストテレスは民衆のための国を築く公共工事の音ではなく、邪悪な悪魔たちが彼の墓穴を掘る音を聞かせていたのです。最後の最後で騙されました。
かくして、ありもしない至上の瞬間に満足してしまった哀れなファウスト。けれどその魂は悪魔に奪われてしまう前に、天上に住まう者たちの祈りと慈悲とによって救われます。
多くの人々と喜びを分かちあいたいと願うようになった彼の魂は、何者にも侵されるべきではない、気高いものでしたから。
時を止めたそのあとも、物語は続いていきます。



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