
そして、ダークイーネ! キミは特別席にご招待しちゃうよ。絶対来てね!

「Trio Dreams リターンズ!?」
大きな出来事
メインキャラクター:うた
目標
世界を覆うクラクラの闇を吹き飛ばし、ダークイーネすらも含めて、みんなをキラッキランランにする。
課題
カズマが言うには、今のダークイーネは人間の不安や恐怖から生まれる闇を集めて強力になっているのだという。
世界をキラッキランランにするには、まずその不安や恐怖を払拭しなければならない。
未解決
ひとまず、ゲネプロの妨害に来たチョッキリーヌを浄化することができた。
カッティンとザックリンの説得により、もはや縋れるものがダークイーネ以外になくなっていた孤独な彼女の心を救うことに成功した。
バトル
チョッキリーヌが率いる量産型ダークランダーの群れ。
苦戦
チョッキリーヌはダークイーネによって強化されているらしく、いくらでもダークランダーを呼びだせるうえ、本人の戦闘力もパワーアップしている。
勝利
『Trio Dreams』の歌詞を引用したカッティンとザックリンの説得が効き、チョッキリーヌに戦いをやめさせることができた。
ピックアップ
チョッキリーヌの善行


正気に戻れ、お前ら。そんなことで飼い慣らされるな。
・・・無理か。人間関係終わってた(と思い込んでた)からチョッキリ団に入ったんだもんな、お前ら。
「♪ 注文どうぞ」

蓮じいさん、すでに注文済みです!
ファイナルライブ

たぶん本当にファイナルになるんだろうけれど、それにしても縁起が悪すぎる。
不幸な災害にかこつけてのライブイベントとか最近じゃ炎上案件だ、とか考えてはいけない。
ファンサ

アイドルはファンに何をしてもいいとされる。(昨日、花京院ちえり2ndソロライブを観て改めて感じたこと)
特殊エンディング

プリキュアシリーズには非常に珍しい、前期エンディングテーマのリバイバル。
ぶっちゃけ、カッティンが引用した「1+1+1=無限」という歌詞がライブシーンでは出てこないからこうなった、という力技の対応じゃないかと思わなくもない。
『名探偵プリキュア!』の番宣が始まりました。現代の中学2年生が過去にタイムスリップするところから始まるストーリーらしいです。
「なんで過去?」と思いましたが、公式サイトにあるキャラクター紹介を読んで納得。物語の舞台が1999年なんだそうです。
1999年の年始といえば、NTT DoCoMoのiモードがサービス開始した直後の時期。通信方式は3GですらないcdmaOne。年始時点での日本国内での携帯電話普及率なんと約38%。少なくとも中学生に限っていうなら所有者がほとんどいなかった時代です。
つまり、携帯電話の普及によって成立しなくなってしまった古典的なアリバイトリックの数々が使えるギリギリの時代なわけですね。これ、もしかしたら意外と本格的にミステリ展開をやるつもりなのかもしれません。
主人公は名探偵明智で、相棒が小林少年。変身後の名前も相棒のミスティック(不可解な)に対して主人公のアンサー(答え)という組み合わせで、そのものズバリって感じですね。
目玉は悪役プリキュアの登場でしょうか。もはや時間の問題だろうとは思っていましたが、ついに解禁されました。
キュアアルカナ・シャドウ。森亜るるか。変身前の名前からするとモリアーティ教授がモチーフだと思われます。
なら、わざわざ変身前の名前を伏せてあるキュアエクレールはホームズか。「ひらめき」だし。
なぜダークイーネを救うのか
「スペシャルゲストも招待しちゃお! ダークイーネ! いやあ、ダークイーネにもキラッキランランになってもらえたらいいなーって」

ラスボスを救おうとする展開自体はよくあるやつですが、これの何がすごいって、結局ダークイーネが世界を闇に染めようとする理由すら明らかにできなかった流れを汲んで、これを言いだしたことです。
それを言ってしまえば、カッティーやザックリーのときもそうでした。彼らの背景事情が明らかになったのは、浄化されてからしばらく後になってのことです。
カズマだけは浄化前に事情が明らかになっていますが、その内容はまったく同情の余地のない、ただのエゴイスティックな感情の暴走。視聴者から見て、「プリキュアにこの人を救ってほしい」と思えるものではありませんでした。
今作はもともとそういうところがあります。
今話もそう。わざわざ、ダークイーネの目的を調べる→何もわからず調査を終える、なんて一見無駄骨でしかないストーリーを交えました。それを踏まえたうえで、うたに「ダークイーネにもキラッキランランになってほしい」と言わせました。
なぜか?
うたのスタンスはチョッキリーヌとのバトル中の問答に表れます。
「ダークイーネ様の邪魔をするお前たちはここで終わらせてやる!」
「邪魔なんかしてないよ! ダークイーネにキラッキランランになってもらいたいだけ!」
「それが邪魔だと言ってるんだよ!」
「カッティンさんとザックリンさんがあなたのこと探してました!」
「あんな奴らのことなんか知ったこっちゃないよ。私は1人で戦うんだ」
「チョッキリーヌ。どうしてそこまで・・・」
「全てはダークイーネ様のために! 人間の闇を集め、ダークイーネ様の力に。そしてこの世界をクラクラの真っ暗闇にしてやる。ダークイーネ様の願いは、私の願いなんだよ!」

どうやら今作の登場人物たちのなかで唯一、チョッキリーヌだけが何か理由を知っているようです。
ダークイーネが世界を闇に染める目的を知ったうえで、彼女はその野望に加担しています。
「ダークイーネの“願い”」というキーワードに反応したのはメロロンのみ。
うたはそこに興味を示しません。それを知ろうと知らなかろうと、彼女のすべきことはすでに決まっているからです。
理由を知っているチョッキリーヌにはっきり「邪魔だ」と言われたうえで、それでもうたは止まりません。
相手の事情なんか知ったこっちゃない。興味はあっても、その真実がうたの行動原理を左右することはない。
うたは神様でも正義のヒーローでもありません。ごく普通の、歌うことが大好きなだけの中学2年生。彼女の行動原理は「みんなをキラッキランランにしたい」。それだけ。だから止まりません。
全ては“他人事”。世界を闇に染めようとする巨悪の考えることなんて、中学2年生が背負うべきテーマじゃない。
うたがやりたいことは、うたが決めます。
チョッキリーヌの戦う理由がダークイーネのためであることと対照的に、
うたが戦う理由は、あくまでうた自身のためにあるのです。
「怖い気持ちのキミ、不安な気持ちのキミ、心配な気持ちになっているキミを、私たちアイドルプリキュアがキラッキランランにしちゃうよ!」
たとえ赤の他人であろうと、救いたいから救う。「歌いたいから歌う。それが咲良うた」(第43話)。
ダークイーネがキラッキランランになりたがっているかどうかはわからない。関係ない。ただ、うたはキラッキランランがステキなことだと知っています。これまでみんな喜んでくれたし、なにより、そうしてあげられたときうた自身がうれしいのです。
だから、ダークイーネをキラッキランランにします。

一種の、善意の押し売り。余計なおせっかいの究極形。だけどそれが咲良うた。
「いつもの」と注文を受けて、別にそれ自体が「いつもの」というわけでもないのに、特に「歌ってほしい」と頼まれたわけでもないのに勝手に歌いだす。それが結局は喜ばれる。
そんないつもの毎日の延長線上にある、いつものうたらしいスタンス。
「私ね、夢見つけた! 大好きな、歌うこと。誰かにキラッキランランになってもらうこと。それをウインク、キュンキュン、3人で! アイドルプリキュアとしてやっていくこと! それが今の私の夢!!」(第11話「Trio Dreams」)
救われろ、ダークイーネ。
いつかどこかで、本当は寂しがり屋なくせに洞窟に引きこもっていた妖精が、どうしようもなく空気の読めない陽キャ妖精の手で強引に、暖かな陽の光の下へと引きずり出されたように。
余計なおせっかい焼きども
「チョッキリーヌ様。もう、こんなことやめるのですぞ!」
「うるさい! アイドルプリキュアの仲間になったのかい!? この裏切り者が!」
「もう闇の世界なんかおさらばしちゃいましょうよ!」
「そんなことできるわけないだろ。私があるのは、ダークイーネ様のためだけなんだよ!」
カッティーたちはこのパワハラクソ上司が何のためにチョッキリ団で戦っているのかよく知りません。彼らはチョッキリーヌと違ってそもそもダークイーネの大望を知らず、従って元上司がどれほどの強い思いでもってダークイーネに忠誠を誓っているのかも知りません。
彼らが知っているのはチョッキリ団の労働環境がブラックド底辺であるということだけ。そして、目の前にいるこのパワハラクソ上司に、わずかながらも部下を思いやる真心があるということだけ。
たったそれだけの理由で、彼らはチョッキリーヌをチョッキリ団から脱退させようと説得します。
傍から見ていて正直「やめとけよ・・・」としか思わない、だいぶアレな構図ですが、これもまた彼らのやりたいこと。
カッティーたちはチョッキリーヌが哀れだから、闇から救い出したいと思っているわけではありません。ただ、この元上司にそれなりに愛着があって、これからも(別のホワイト企業で)一緒に働きたいと思っているから、スカウトしているだけです。
全て自分たちの都合。チョッキリーヌに頼まれてこうしているわけではありません。

うたと同じように。
「あなたの気持ち、少しわかる。でも、あなたはひとりじゃない。あなたを大切に思っている仲間はここにいるの」
空気の読めない陽キャ妖精に心を救われた、元引きこもり妖精が、その行いに賛同します。
いや、ほんと勝手よな。迷惑よな。でも、たぶんこうでもしないと救われない人はあちこちにいます。
自分から助けを求めない人。差し出された手をつかもうとしない人。ひとりで落ち込み、ひとりで追い詰められていく人。
もしかしたら「そんなやつらひとりで勝手に死なせとけ」というのが世間一般、多数派の感覚かも知れませんが、ところがどっこい今作はこういう物語なのです。
勝手にひとりで塞ぎこむ人もいるかもしれないけど、一方で、勝手に彼らを友達の輪に引き込もうとするお節介焼きもいるのがこの世界。
チョキリーヌは救われます。
カッティーが、ザックリーが、あるいはジョギが、それぞれの事情なんてろくに知らないプリキュアたちに救われたように。
メロロンがプリルンに救われたように。
チョッキリーヌの心境をろくに知らないカッティンとザックリンが、自分たちの勝手な都合で、結果的にチョッキリーヌの心を救います。
ひとりぼっちの闇に対抗する、キミと私の光の世界。闇を斬り裂く銀の短剣。キラッキランラン。
「1+1+1=無限」なんだそうです。それが、彼らが闇に棲む者を光の下に引きずり出したいと思う、ひとつの根拠。
チョッキリーヌに語りかけた、カッティンもザックリンもメロロンも、それぞれ誰かに救われた経験がある子たちです。だから彼らが「1+1+1=無限」を信じるのはわかる。
ちなみに、彼らが引用したこの歌詞を歌うアイドルプリキュアのうち、ななとこころも、うたに心を救われたクチです。だから彼女たちが「1+1+1=無限」を信じるのもわかる。
じゃあ、うたは?
そこらへんについて語られたのが第11話「Trio Dreams」だったわけですよね。先ほど引用したセリフのとおり、うたの心はななやこころの存在に支えられています。

ただ――。
もし、ななやこころだけがうたの心を支える存在だというのであれば、別にそれ以外の人たちを救う必要なんてないわけですよ。
歌いたいから歌う。その延長線上で、救いたいから救う。それはこの点に対するひとつのアンサーたりえます。しかし、その心の動きを支える論理が「1+1+1=無限」であるというなら、話は少し変わってきます。
プリルンがメロロンを救ったのは、ただ彼女がメロロンと一緒に遊びたかったから。
ザックリンやカッティンがチョッキリーヌを救ったのも、彼らがまたチョッキリーヌと働きたかったから。
この関係性なら「1+1+1=無限」が行動原理の論拠たりえます。

でも、プリキュアがカッティーたちを救った理由は?
そして今、うたがダークイーネを救おうとしている理由は?
彼らは赤の他人です。うたたちは将来的に支えあう関係性になれると計算して彼らを救ったわけではありません。「1+1+1=無限」を目論んでいたわけではありません。あくまで、自分が救いたかったから救っただけ。
でも、そんな一方的な献身。うたたちのような普通の中学2年生に、あるいは視聴者である小さな子どもたちに、推奨することが許されるでしょうか?

それに対するひとつの答えが、今話のカイトの存在。
そして、余計なおせっかい焼きども
「カイトさん、なんでここに?」
「はなみちスタジアムに来ればうたちゃんに会えると思って」
うた=キュアアイドルだということを確信していなければ絶対に出てこない論拠をしれっと掲げて、彼が言います。
「アイドルプリキュアなら、暗い気持ちになっている人たちをキラッキランランにしてくれる。俺はそう信じてるよ、うたちゃん。――でも、無理はしないでね。うたちゃんには笑っててほしいから」

以前キュアアイドルから受け取った言葉をそのまま引用し、今のうたを支えようとしてくれる言葉。
なお、今話のストーリーを通して観てわかるとおり、現在うたの精神はきわめて安定しています。別にカイトからの激励なんて必要としていません。それなのに今話、それなりの尺を割いて、わざわざこんなシーンが挿入されてあります。
何のために?
このカイトの立場にちょうど対応するやりとりが、今話のバトル中にありました。
「ダークイーネ様の邪魔をするお前たちはここで終わらせてやる!」
「邪魔なんかしてないよ! ダークイーネにキラッキランランになってもらいたいだけ!」
「それが邪魔だと言ってるんだよ!」
さっきも出てきましたね。
うたの、余計なお節介の究極形。
カイトの言葉に込められた想いはこれと同じです。
うたは助けを求めない。
実際、(今のところ)助けを必要としていない。カイトが支えなくたって戦える。頼れる仲間だっている。
うたにカイトの助けは必要ない。
でも、そんなのカイトには関係ありません。
カイトはただ、自分がうたの心を支えたくて、こんなことを言っています。
カイトの個人的な善意です。ひとりのアイドルとしてうたを強く尊敬しているから。あるいは、近所のお兄さん的な存在として温かい親愛の情を抱いているから。
実際うたが助けを必要としているかどうかは関係ありません。全ては“他人事”。だけど、自分が支えたいから、支えるんです。
カイトがやりたいことは、カイトが決めます。
どうか、目の前にいるこの天性のアイドルが、いつまでもいつまでもキラッキランランであり続けますように――。

うたは、別に救うべき理由なんて何もないダークイーネを救いたいと願いました。
救ったところでうたに何のメリットもない、しょせんは赤の他人なのに。
その思いは、そもそも助けなんて必要としていないうたのことを助けたいと願う、カイトの善意といったい何が違うでしょうか?
ひとりぼっちの闇に対抗する、キミと私の光の世界。
この世界は、そもそも最初からこういうかたちをしています。
うただけが特別なわけじゃない。うただけが特別におせっかい焼きなわけじゃない。
この世界はもともとみんなが誰かを支えたいと思って支えあっていて、必ずしも見返りを求めない善意を誰もが抱いている。
うたのすることを余計なおせっかいだというのなら、世界中全ての人が大なり小なり余計なおせっかい焼きの特性を持って生きています。
ひとりぼっちの心の闇を抱えた人たちを救えるくらい、この世界には至るところに光が溢れています。
この物語は『キミとアイドルプリキュア』。
現実的に、普段うたの心を支えてくれているのは、ななやこころ、身近な友達です。
それでも、うたたちは閉じた関係性だけで満足せず、その関係性の外側の世界まで守ろうとします。
うたたちはどこにでもいるただの中学2年生ですが、それでも救世主としての役目を全うしようとします。

「街の人もダークイーネも、全員をキラッキランランにしちゃおう!」
それは、単にうたたちがそうしたいと思っているから。
そして、うたたちが、そして私たちが生きている世界が、そもそもそういう“余計なおせっかい焼き”たちに救われている構造をしているから。
アイドルががんばる姿を見たら誰もが声援を送らずにはいられないように。
ファンの声援を受けたらアイドルもファンサを返さずにはいられないように。
そもそも、この世界は最初からそういうふうにできています。
だから。救われろ、ダークイーネ。



コメント
>たんプリ
30年近く前ともなれば、ガジェットだけでなく地味に価値観的な部分も結構違いそうですね。
例えばまさに1999年放送開始したおジャ魔女どれみシリーズだと、近年のプリキュアではサラッと流される情報の『片親』が、それだけで1話作れるような特殊扱い(その認識を大人は良くも悪くも諦めてる)で描かれてますし。
まあその辺は、改めてシリーズ構成・村山さんのお手並み拝見ということで。
>キミプリ
木があああぁ!!?
しかし外部的な要因で何かを恨むことはあれど、最初から好き好んでクラクラになりたい人なんかいないと思います。ダークイーネもそうなら、現在どれだけ辛い状況なんでしょう。
たんプリは「自分で見て、感じて、考えて、’本当’の答えを見つけながら巨悪に立ち向かう」物語だそうです。今回のキミプリとは真逆ですね。いつも通り前作とは真逆のことをしそうですね。