世界にはステキな出会いがたくさんあって、ステキな出会いは新しい自分にも出会わせてくれるって。
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(主観的)あらすじ
再会したみらいたちはその喜びを分かちあうため、いちごメロンパンで乾杯することにします。はーちゃんの魔法で中学2年生の姿に戻り、昔を懐かしんでいたところ、謎の怪物・ドクロムシーがいちごメロンパンを奪ってどこかに逃げてしまいました。
ドクロムシーを追いかけ、魔法界で懐かしい再会を果たしたり、ナシマホウ界で新たな出会いに巡りあったりするみらいたち。たくさんのステキな出会いをふり返り、そのおかげで自分たちが成長できたことを再確認します。周りを見渡せば、そこにはみらいとリコそっくりな出会いの運命を与えられた子どもたち。
ドクロムシーを追い詰め、いちごメロンパンを取り返すと、みらいたちはそれを世界中の人々のために配ってまわります。キュアップ・ラパパ! 今日もいい日になあれ! と魔法をかけて。
橋渡し回。とはいえ単なるキラキラプリキュアアラモードの宣伝というわけでもなく、前話で締めくくった物語の補足にもなっています。
みらいたちが「悲しいお別れ」に打ち勝つほどに成長できた、その力の源泉について。結局みらいたちが奇跡の魔法を行使できたのは、決して彼女たちが特別な存在だったからではありません。「奇跡」も「魔法」も「祝福」も、私たちの暮らす世界には初めから満ち満ちています。誰もが奇跡の魔法を行使できる力の源泉、「手を繋ぐ」ことのステキさを改めて謳いあげることでこの物語は真に完結します。
・・・それにしてもまあ、ものっすごい勢いで目まぐるしくカッ飛んでいった最終回でしたね。終始笑いっぱなしで、笑いすぎて涙が出ているのか感動して泣いているのか自分でもよくわかりませんでしたよ。これでこそ魔法つかいプリキュア!。
同窓会
闇の魔法つかいたちに人魚の里のみんな、魔法商店街の人々、リコの家族、みらいの家族、津成木第一中学校の元生徒たちと先生、補習メイトたち、ネコ、クシィ、おっともちろんチクルンも。魔法学校食堂にソルシエールがいたのでクマタもどこかにいるはず・・・と探してみたら、彼は魔法商店街上空に数フレームだけ映っていましたね。オールスターズ!
戦う相手はドクロムシー。ドクロクシーから分離した虫歯が意志を持った存在。・・・ああ、クシィさん巨大パフェ食べてたり闇の本にクルクルッキーの食味レビュー書いてたりしてましたもんね。ヤモーさんが尻尾切りした尻尾から再生したりしてましたもんね。納得納得。
キラキラプリキュアアラモードに繋げるための割と突拍子もない設定ですが、その割に「全てを我が力に」とか言ってたドクロクシーの行動原理をちゃんと踏襲してあるのがまたヒドい。トンデモカオスなのにちゃんと魔法つかいプリキュア!してます。
前回感想に描いたとおり、みらいたちは立派に成長して「悲しいお別れ」という名の姿なきラスボスを打ち倒しました。では彼女たちがどうしてそこまで成長できたのかといえば、それは「手を繋ぐ」ことの力によるもの。最終回に同窓会を持ってきたのはこれを確認するためでしょうね。
トラディショナルなヒーロー像と異なり、魔法つかいプリキュア!は世界のために我が身を犠牲にするタイプのヒーローではありません。彼女たちは徹頭徹尾自分たちの日常を守るために戦いました。
そのため、この物語の終わりには「君が困ったときはプリキュアが助けに来てくれるよ」といった感じの定番の締め方は使えません。プリキュアに視聴者たる私たちを助けに来てくれる動機がない以上、この物語は彼女たちが去ってしまう前に、プリキュア無しでも私たちが「悲しいお別れ」と立ち向かえる手段を提供する必要があります。それがなければプリキュアほど強くない私たちは安心して彼女たちとお別れできなくなってしまうからです。(いい大人が「私たち」と自分を含むのがキモチワルければ適宜「子どもたち」と読み換えてください)
これもまた、「悲しいお別れ」との戦いですね。
視聴者たる私たちとの「悲しいお別れ」に打ち勝つための武器として、この物語はみらいたちが経験した数多くの出会いを振り返ります。
「いいよね、やっぱり出会いって。私に目標ができたのもみんなのおかげなんだよ」「みんなのおかげでわかったの。私が思う『立派な魔法つかい』」 そしてみらいたちがこれを賛美します。私たちは「出会い」のおかげで成長できたんだと。プリキュアが強くなれたのは「出会い」のおかげなんだと。
ただ、誰かと出会ったこと。そのことをワクワクもんだと感じること。それこそが魔法つかいプリキュア!の成長の秘密。・・・そのくらいならリンクルストーンを持たない私たちにだってできますよね。
そう、魔法つかいプリキュア!は前作Go!プリンセスプリキュアや他のプリキュアシリーズ同様、「悲しいお別れ」を打ち倒すために私たち自身がヒーローになることを勧めます。多くの出会いをかき集めて描いた今話が改めて語ったものは、どこにでもいる私たちが、プリキュアと同じくらい強くなれることの証明です。
「女の子は誰でもプリキュアになれる。そしてその力はこの宇宙を生みだしたビッグバンにも匹敵するんだ」 某岡田さんの名(迷?)ゼリフは実際普遍的。
偶然じゃない。出会ったのは、伝説に導かれて。
みらいとリコはどこにでもいるごく普通の子どもです。彼女たちはごく普通に周りから祝福されて生まれ、ごく普通に家族から愛されて育っただけの、どこにでもいるような子どもでした。
特別なのはただ一点。彼女たちに出会いの「運命」が授けられていたことだけ。不思議なことにこの一点だけが偶然ではない特別なものとして強調されてきました。最終的に視聴者をヒーロー化するならこんな設定はふさわしくありません。もしみらいたちが特別な存在なら、特別じゃない私たちは彼女たちのマネをしてもヒーローになれないじゃないですか。けれど、どういうわけか魔法つかいプリキュア!の物語はこの「運命」を大切に守り続けてきました。
その理由が明らかにされたのが前回、第49話。誰にもどうすることもできない大きな強制力によってお別れすることになったみらいとリコでしたが、彼女たちの必死の願いが本来ナシマホウ界には存在しないはずの魔法を(あるいは奇跡を)発現させ、「悲しいお別れ」を打倒することに成功します。
感動的ではあるものの、正直なところちょっぴりズルいとは思いませんでしたか? 私たちが見たことのない、現実にはありえない、特別な力によって再会するなんて。その理由づけとしてどうしても必要だったものが出会いという「運命」。一度出会えたんだから次もきっとまた会える、とみらいたちに希望を抱かせるに足る「運命」という特別なものでした。
みらいとリコは特別な運命で繋がっているから、どんなことがあってもまた再会できる。そういう理由ならナシマホウ界で奇跡の魔法が発現しても納得できます。彼女たちは特別だから。少なくともその一点においてだけは普通じゃないから。どんなことが起きても不思議じゃない。
ここまでを描いたうえで、さて、魔法つかいプリキュア!の物語はひとつ論理を転換します。「運命って、特別な人にしか与えられないのかな?」
「落ちたよ。はい」「ありがとう!」 名もなきモブの子どもたちが、みらいとリコの「運命の」出会いを再演します。あの出会いは運命で、特別なもので、だからこそみらいたちはこうして再会できたはずなのに。みらいでもリコでもないはずの、どこにでもいる普通の子どもたちが、全く同じ運命を辿ります。
あの「運命」は特別なものではなかったのでしょうか? いいえ、特別だからこそみらいとリコは再会できました。奇跡だの魔法だの超常的な力が働いたのですから、みらいとリコが特別な運命で結ばれていたことに疑いの余地はありません。
みらいとリコの出会いは確かに「特別な」「運命」だったけれど、その出会いの「運命」が与えられているのはみらいとリコ「だけじゃない」。この謎かけの答えを、あなたならどう導きますか?
例えば私ならこう答えます。「特別な」「運命」は誰にでも与えられている、本当は「どこにでもある」「誰もに与えられたもの」なんだ、と。・・・日本語としてオカシイ結論ですね。適当な国語辞典買ってきてやり直せって感じ。
けれど、きっとそういうことなんだと思います。この世界に生きている私たちは誰もがみんな特別な存在なんだ、そんな陳腐な夢物語を真っ正直に信じてみせたのが魔法つかいプリキュア!の物語です。
この世界は大いなる母マザー・ラパーパの庇護のもとで生まれました。今もはーちゃんが「あまねく生命が笑顔になりますようにって」お祈りしてくれています。全ての生命が、ただ生まれてきただけで無条件に祝福されているんです。
私たちの世界にはこんな超自然的な存在は確認されていませんが、例えばお父さんお母さん、そのほかの家族、地域の大人たち、友達、恋人・・・私たちはたくさんの人から祝福を受けながら暮らしています。誰からも幸せを祈られずにいる人なんてそうそういません。
だとしたら、少しくらい特別な幸福が訪れてもいいじゃないですか。誰かが私たちの幸せを祈ってくれるんですから、それに釣り合うだけの幸福くらいはあってもいい。
子どもたちに交通事故に遭ってほしくないと誰かが願ったなら、その人は明日から緑のおばさんとして交差点に立つようになるかもしれません。みんなの笑顔を守りたいと誰かが願ったなら、その人がいつか総理大臣になって国を良くしてくれるかもしれません。
それと同じことです。誰かが祝福してくれたからには、私たちはそれだけ幸福な運命を授かることができるでしょう。
「運命」は特別ですが、特別な人だけの特権ではありません。どこにでもいるごく普通の私たちにも与えられる、ありふれたものです。それは奇跡や魔法、あるいはちょっとしたワクワクとして世界中ありとあらゆる場所で出番を待っています。
だってこの世界には誰かを祝福してくれている、たくさんの生命たちが住んでいるんですから。私たちが互いに出会いを喜び、手を繋ぎあう限り、世界から祝福の力が失われることはないでしょう。
みらいとリコはどこにでもいるごく普通の子どもたちでしたが、彼女たちはごく普通に祝福され、ごく普通に愛されました。だからこそ彼女たちは特別な運命の出会いを授かり、プリキュアにもなれました。
私たちの多くもみらいたちと同じです。どこにでもいるごく普通の人間です。ごく普通に祝福され、ごく普通に愛されてきました。だから、私たちはみらいたちのようなヒーローになれます。みらいたちが助けてくれなくても自分の手で「悲しいお別れ」を打ち倒すことができます。
未来は光り輝いている
「ワクワクの出会いがあったから、もっといろんなところに行って、いろんな人に出会いたいって思ったの」 そう考えて、みらいは世界をまわる仕事を志しました。
「私、生徒たちに教えてあげたいの。世界にはステキな出会いがたくさんあって、ステキな出会いは新しい自分にも出会わせてくれるって」 そのためにリコは教師になりました。
彼女たちはすでに子どもではなく、従って一方的に祝福を受けるだけの存在でもありません。祝福を受けた分だけ祝福を振りまいたら、それだけ世界がいっそうステキになることを知っています。実践できます。彼女たちは太陽の魔法の使い手です。祝福しあう生命たちの繋がり、すなわち「手を繋ぐ」ことのその先に希望の輝きがあることを知っています。子どもからみた大人って、結構そういうものかもしれません。なかなかハードルの高い話ですが子どもたちの夢は壊したくないものですね。
みらいたちは大人になって、今度は率先して世界を祝福する側に立ちました。女神になったはーちゃんとやっていることは同じです。
彼女たちは少しずつ世界を幸福なものへと変えていくことでしょう。今日も明日も明後日も、そうして彼女たちが頑張りつづける限り、未来もどんどん明るいものへと変わっていくことでしょう。
「彼女たちの未来は光り輝いておる」 そりゃそうです。彼女たちが輝かせているんですから。彼女たちは未来を照らす太陽そのものなんですから。
いい歳してプリキュアを見ているオッサンオバサン、私たちも負けてられませんよ。
願わくば先ほどのふたりの子どもたちが幸福な毎日を過ごせますように。みらいたちがそうだったように。あるいはそれ以上に、もっとずっと。
「キュアップ・ラパパ! 今日も明日も、笑顔いっぱいのいい日になーれ!」
今週の魔法文字
エンドカード:「CUREPRAPAPA! MATAITSUKA DOKOKADE!」
「キュアップ・ラパパ! またいつかどこかで!」
「『いつかどこかで』とだけ記されてる、あなたがくれた最後の手紙。一緒にいることより違う道を選んで同じ空を見上げてる。きっと今」 プリキュアとは一切関係ない、とあるゲームのエンディングソングですが、ふとこの歌詞を思い出しました。
魔法つかいプリキュア!の放送は終わってしまいましたが、彼女たちがくれた祝福はこれからも私たちの胸に宿り続けます。今度は私たちが世界を祝福する番。いつかどこかでみらいたちと再会したとき胸を張って誇れるよう、今日を楽しみながら明るい未来を築きあげましょう。
コメント
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はじめまして、初めてコメントをさせて頂きます。
モフルンの劇場版の感想を巡っている時にこのブログにたどり着き、そしてまほプリの見方が180度変わりました。
(こんな考察があるのか!と目から鱗の連続!)
物語を優しく、かつ隅々まで考察した文章は毎週私の心を温かくすると共に、どうしてもアニメを見る際、粗を探してしまっていた自分にとって『こんな素敵な見方をしたい、こんな風に読んで幸せになる文章を書きたい』とアニメ作品の見方さえ変えてくれました。感謝しきれません。
今年は私事で辛く苦しいことが多く激動の一年間でしたが、
まほプリの『貴方がいるから楽しい=人は信じられるんだよ」』というメッセージに随分励まされて来たんだなと、
最終回を見て改めて思いました。
まほプリは様々なブログ等で厳しい意見が多く、賛否両論のシリーズとも言われていますが、最後に一つ言わせて下さい。
私は今年、いや大変だったこの年だからこそ「魔法つかいプリキュア!」を見れて最高にワクワクもんで、幸せでした。
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>いちごメロンパン様
反応が遅れて申し訳ありません。
実のところ、ある程度意識して気持ちの優しい解釈になるよう心がけています。どうせなら私が好きな作品をみんなにも好きになっていただきたいですからね。けれど、そう心がけていると不思議、初見では腑に落ちなかったシーンにも豊かな意味が見いだせるようになるんです。毎週2回目3回目の視聴でボロボロ泣いていました。
だから、ある程度意識して書いた感想でありながら、偽らざる本音そのものでもあります。
魔法つかいプリキュア!という優しい物語に出会えたことも、こうしてあなたに幸せな気持ちを伝えられたことも、全て私の幸せです。
きっとこの気持ちこそがみらいたちの示してくれた「手を繋ぐ」奇跡の魔法。お互いに祝福しあえる幸福なんでしょうね。
ステキなコメントありがとうございました。