正解するカド 第12話感想 届かない「正解」に手を伸ばす「正解」。

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 異方存在ヤハクィザシュニナと交渉を果たすため、私は私の思考を推進します。

(私の認識する)あらすじ

 とりあえず今回何が起きたのか整理しましょう。

 真藤と沙羅花は決戦に先立ち、とあるマンションの1室の相対時間をナノミスハインによって遅らせ、そこで子を成しました。産まれた子ども・ユキカの育成は花森に任せます。
 真藤はヤハクィザシュニナに対抗しうる装置・アンタゴニクスを用意しました。しかしこれはしょせん異方的概念の範疇に留まるものでしかなく、ヤハクィザシュニナの理解を上回りうるものではありません。真藤はこれをヤハクィザシュニナに侮られるためのフェイクとして運用します。

 一方、ヤハクィザシュニナは人類の特異点たる所以が“個”という異方にはない概念にあると解釈し、そのうえで自身も“個”の概念を学習しました。その結果、彼は人類以上に真藤という“個”に焦がれ、執着するようになります。他の何を置いてでも真藤を異方に連れ帰りたいと望むようになります。しかし彼の知りうる“個”とは外部からのあらゆる干渉から不可侵の概念であるため、彼がいかに望もうとも真藤を異方に連れ去ることはできません。
 望みと現実の矛盾に直面し、異方(、あるいは宇宙)的観点からの「正解」を喪失したヤハクィザシュニナ。彼は代わりに自身の“個”としての欲求たる「正解」に到達し、自己矛盾を解消するために真藤という“個”を消滅させる行動を取ります。

 果たしてヤハクィザシュニナは必然として真藤とアンタゴニクスを打ち破り、自身の導き出した答えこそが唯一の「正解」だったと確信します。
 しかしここで真藤の仕込んだ別の「正解」が顔を出しました。
 真藤と沙羅花の子・ユキカです。彼女は人類という情報的特異点と異方存在という40次元存在両方の性質を兼ね備えており、すなわちただの異方存在たるヤハクィザシュニナよりもさらに高次元の存在でした。真藤はヤハクィザシュニナがたどり着くであろう「正解」を読み切り、それを超越する「正解」を提示することで、彼の不正解を指摘してみせたわけです。

 ヤハクィザシュニナは自身が「正解」を結論づけるには未完成であったことを思い知り、ユキカによって異方へと追放されました。
 人類は異方技術を喪失したものの、異方という人類の進むべき目標を垣間見、まだ見ぬ「正解」へ向かってこれからも自身の力で進歩し続けることを決断しました。
 ユキカはヤハクィザシュニナがもたらした異方の技術全てを異方へと追放した後、自身も姿を消しました。彼女がこれから進歩するにふさわしいステージは宇宙よりも異方よりもさらに高次にあるためです。
 すべての存在はまだ見ぬ未来の「正解」を目指し、それぞれに進歩を続けます。「正解」は無限の未来の果てにあって、誰にも永遠に手を届かせることができませんが、しかしそれを求めて弛まず進歩を続けることそのものもまた「正解」といえるでしょう。

 ・・・うん、わざとやりましたがコレあらすじでもなんでもないですね。
 第12話は明らかな事実だけを追いかけると3角関係のイザコザ、あるいは狐と狸の化かしあいでしかなく、観ている人がそこから積極的に何らかのテーマ性を受け止めようとしない限り、たぶんあんまり面白くないです。なので私なりの主観的理解を交えながらでないとあらすじを追う意味はないんじゃないかなーと、そう考えた次第。
 あと、この作品ぶっちゃけ受け取りかた自体が人それぞれになるでしょうから、以下で私の感想を綴ろうにも、私が何を感じたかを前もって表明しておかないと「何言ってんだコイツ」的な文章にしかならないだろうという事情もあります。

 これまでの私の考察は盛大に外れましたが、まあそれはいつものことですから怒らないでください。むしろ私はヤハクィザシュニナが万能の神ではないとか、彼が“個”に介入できないとかいった点を事前に指摘できて満足です。根暗な自己満足なのは大いに認めるところですけどね。
 結局異方文字をカタカナに変換するはできても、日本語に翻訳することまではできませんでした。結構がんばったんですけどね。収穫といえば「トワノサキワ’」=「ツカイサラカ」だろうという予測を立てられたことと、最終話タイトルが「ユキカ」であることを事前に把握できたことくらい。降参するので答えをください、野崎先生。(← ツッコミどころ)

“個”

 「人類の特異性とは何なのか。それについて私はひとつの示唆を得た。君の複製だ。複製した瞬間においては完全な情報同一体であったが・・・これは真藤ではない」
 「私は考えた。これこそが特異点だと。全く同一のものに別の価値を与える力。1しかないものに1以上の情報を与える力。それが人類の生みだした未曾有の力なんだ」

 異方存在に“個”の概念はありません。
 今話でヤハクィザシュニナが語るまで確信できずにいたことですが、一応気になる伏線はありました。

 情報の繭のひとつ、宇宙は「ト」「ワ」「ノ」「サ」「キ」「ワ’」の6名が観察を担当していました。ところが彼らは宇宙に降り立つとき、「ツカイサヤカ」という1つの個体に統合します。
 ネット上の言論では彼らのうち「ワ」と「キ」だけが宇宙に降り立ち、うち「ワ」が「徭沙羅花」になったと解釈する向きもあるようですが、私は違うと考えます。第10話の映像では6つの異なる形をした立体が映し出され、そして最終的にそれらが重なり合う姿が確認できるからです。
 また、第10話のタイトルは「トワノサキワ’」ですが、本編中の登場順は「キ」「ワ」「サ」「ワ’」「ソ」「ノ」です。それがなぜかタイトルにする際にわざわざ並べ替えられているんです。発言数順や50音順、いろは順などというわけでもなく。ということは「トワノサキワ’」という文字列にはそれ自体に何らかの意味があるはず。ここでぱっと思いつくのは「ツカイサラカ」。2回出てくる文字の位置がそれぞれ一致します。
 つまり「トワノサキワ’」はそれぞれ個体を持つものの、自己認識としては全体でひとつという、例えるならアリのような存在なのではないか、と考えるわけです。この場合、彼らの会話は私たちの感覚でいうところの脳内会議みたいなものですね。
 ・・・とまあ、それだけのことなんですが。根拠とするにはあまりにも薄弱すぎて、とても堂々と主張できるものではありませんね。せめて「ツカイサラカ」を起点として他の次回予告を翻訳できてしまえば説得力も出るのだけれど。

 それはともかくとしても、事実としてヤハクィザシュニナは宇宙に降り立って初めて“個”という概念を獲得しました。
 40次元と3次元という明確な情報量格差は依然あるものの、だからといって40次元側が3次元をあらゆる点で超越するということにはなりません。そもそも次元とはあくまで空間を構成する軸の数であって、必ずしもある高次元空間が別の低次元空間の持つ全ての軸を内包していると定義されているわけでもないわけですし。
 異方に存在しなかった概念は異方存在にとってきわめて多くの価値を生みだします。多く、というよりも無限に等しいでしょうね。ちょうど異方にあって宇宙にはないワムという概念の、宇宙におけるその価値のように。あくまで3次元存在だからか単位時間あたりの出力は低いようですけれど。

 当初、ヤハクィザシュニナは人類を異方にコンバートすることを目論んでいました。特異点の特異点たる所以は当初まだ判明していなかったけれど、とりあえず3次元の特異点を40次元にまで引き上げれば、それだけ多くの情報出力を得られるのではないかと。
 それこそが貴重な特異点を運用するにあたっての「正解」だと信じて。
 そのための下準備としてワム、サンサ、ナノミスハインと段階的に異方技術を提供し、人類に異方の40次元感覚を馴染ませました。もし失敗してもやり直しがきくよう密かに人類を複製する用意まで整えました。そうしてついに最終段階に計画を踏み出しました。
 これが第10話までのお話。

 ところが第11話、実際に人類を複製する段階に至って、彼は“個”を理解しました。真藤を傷つけたことへの自身の動揺、複製した真藤への違和感あたりがきっかけだったんでしょうね。
 そして困ったことに、“個”という概念を加味して自身の計画を振りかえってみると、それは明らかに破綻していました。ヤハクィザシュニナは個体の情報を正確に複製できますが、“個”までは絶対に複製できません。彼自身が“個”は絶対に不可侵の概念なのだと、それぞれひとつしか存在しえないものだと認識しているからです。
 ヤハクィザシュニナの計画は異方からの干渉によって人類を異方に適応させられることを前提としていました。ところが“個”とは不可侵の概念です。いくら彼がワムやサンサを提供しようと、人類自身がその気にならなければいつまでたっても異方に適応しません。
 また、人類の複製によって無限に試行を重ねることを計画の重要な要素として含んでいました。ところが“個”はそれぞれひとつしか存在しえない、複製不可能な概念です。
 彼が「正解」と信じていた人類の運用計画は「不正解」でした。

 それを悟ってヤハクィザシュニナは計画を変更したわけですね。無数の人類を犠牲に試行を重ねれば、真藤ひとりくらいは異方にコンバートできるんじゃないか、と。・・・完全に初心を見失っています。自分自身に芽生えたばかりの“個”の意識に振り回されちゃっているというか。ぶっちゃけ病んでます。
 一応、限定的には「正解」でもあるでしょうけどね。彼の“個”としての願望を叶える手段としてなら。特異点の運用方法としては依然不正解で、人類側の都合としても思いっきり不正解ですけれど。

 そして不正解ついでに、残念ながらヤハクィザシュニナさんにはもうひとつ不正解のお知らせです。
 『正解するカド』の物語全体における「正解」は“個”の賛美ではありません。無限の情報を生み出す特異点の存在は、情報を渇望する異方存在にとっては確かにありがたいものでしょう。しかしそれは異方の都合です。そんなもの人類にとってはどうでもいいですし、ましてもっと別の視点から物語を俯瞰するならそんなの枝葉のちっちゃい話に過ぎません。
 そんなわけで、最終話でラスボスとして君臨できたのをいいことにドヤ顔で自身の知見をひけらかしたヤハクィザシュニナさんは、ぽっと出の超越者にぶん殴られて黙らされます。

「正解」、そして“進歩”

 「真藤、私は人間に似合うものを知っている。――“進歩”だ」
 「正解」はとっくの昔に語られていました。

 ユキカについてはあんまり深く考えなくてもいいでしょう。彼女のしたことは要するに「レベルを上げて物理で殴ればいい」(ゲームネタ)ってだけのことです。彼女自身に重大なテーマが与えられているわけではありません。
 一応語るなら、彼女は『ヴァルキリー・プロファイル』のAエンディングにおける主人公・レナスみたいな存在です。(これもゲームネタ) 人類には特異点として無限に情報を生産する力がある。異方存在は40次元という莫大な情報処理能力を持っている。なら、このふたつをかけあわせれば無限の情報を莫大な情報処理能力で次々平らげ続ける、「情報」という観点からするとおおよそ無敵の超越者が生まれるわけです。
 ヤハクィザシュニナの発想自体は正しかったということですね。もし人類が異方に適応できていたら彼女と同等の力を手にしていたかもしれません。
 まあ、ですが、しょせんはそれだけの話です。

 「私は人類と異方存在の特異点。あなたより高次元の存在。でもね、私は“終わり”ではないの。ヤハクィザシュニナ、進歩ってわかる? 自分を“途中”と思うことよ」
 ヤハクィザシュニナは神様なんかじゃありません。彼は確かに人類を超越した力を持っていますが、彼にもできないことはたくさんあります。知らないこともたくさんあります。その証拠に、彼は人類なら当たり前に持っている“個”の概念すら持ち合わせていませんでした。
 彼は宇宙に来て、真藤と出会って、変わりました。その事実がそもそも彼が神様じゃないということを証明しています。
 まして彼はユキカに敗北しました。ユキカが彼よりもさらに高次元の存在だからという理由で。
 不完全な存在。不変じゃない存在。最上位ですらない存在。そんなの、全然神様なんかじゃありません。

 この世で最も、そして絶対に正しい存在。多くの宗教においてそれは「神様」と呼ばれるものです。
 「正解」。問いに対する正しい答え。もし仮にあらゆる問題に対して常に正しくあり続けられる答えがあるとしたら、それはきっと神様のような概念でしょう。
 しかし神様はこの世に存在しません。少なくともごく一部の神秘家以外は姿を見ていません。
 ヤハクィザシュニナは神様ではありませんでした。より高次元のユキカですらそうじゃありませんでした。やはり神様はこの世にいないんです。絶対の「正解」なんてこの世にはないんです。

 ヤハクィザシュニナの求める「正解」は、彼とは別の価値観を持つ真藤や沙羅花に拒絶されました。なぜならその「正解」はヤハクィザシュニナ個人のもので、真藤や沙羅花はそれぞれもっと別のものを「正解」としていたからです。
 私たちは結局、それぞれ自分の個人的な「正解」しか手に取ることができないんです。それが私たちの目の前にある現実。
 だから交渉が必要なんです。私にはあなたの「正解」がわからないから。あなたには私の「正解」がわからないから。語りあって、わかりあって、双方の「正解」に届く方法を一緒に模索して、そこまでしてようやく個人的なものよりちょっとだけ優れた「正解」を手にできるかもしれない。私たちの知りうる「正解」なんて、そんな狭い範囲のものでしかありません。

 ですが、現実を受け入れて、自分だけの「正解」だけで満足してそれ以上は諦めて・・・それって、本当にあなたにとっての「正解」ですか?
 いいえ。私はそうは思いません。
 できることならもっと普遍的な「正解」を得たい。こんな言葉足らずでわかりにくいくせに長ったらしいブログなんかじゃなくて、もっとスパッと誰にでもわかってもらえる文章を書いてみたい。
 この世に普遍的で客観的な事実なんてありはしないとわかっているけれど、それはわかっているけれど、それでも今よりももっとずっと成長したい。
 そういう願いを、私はひとつの「正解」と信じます。
 そしてこれがそこそこ多くの人に共通する、割と普遍的な「正解」のひとつだと信じます。

 あなたはどうですか?

 かつてトワノサキワ’が光の粒となって宇宙に降り立ったように、ヤハクィザシュニナもまた光の粒となって異方へ帰って行きました。
 残念ながら人類は彼と満足に交渉する機会を得られませんでした。文明を大きく加速できたであろう異方の技術も結局得られませんでした。
 ですが、いいえ、だからこそ、人類は決断します。
 「――ですが、全てが失われたわけではありません。我々には最も大きなものがひとつだけ残されました。それは異方が存在するという事実です。私たちは知りました。異方という高次元世界の存在を。我々の前に広がる進歩のフロンティアを。・・・ならば今度は、人類が自らの足で、ヤハクィザシュニナに会いに行こうではありませんか」
 人類は自らの進歩を推進します。ヤハクィザシュニナが人類の進歩を推進しようとしてくれたから。進歩し続ければいつか再び彼と再会でき、進歩し続ければ今度こそ彼と交渉する機会が得られ、進歩し続ければきっと彼とともに優れた「正解」を導き出すこともできるだろうから。
 そして人類はさらなる高みへ。無限の高みに鎮座する、神様のごとき究極の「正解」を目指して。
 交渉しましょう。

 いつか未来の人類が異方存在ヤハクィザシュニナと交渉を果たせるように、これからも私は私の思考を推進していきます。

 あなたはどうですか?

 人よ。私よ。あなたよ。どうか「正解」されたい。

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