
ちょっと色々あって(歯医者とか廃車とかその他しょうもない私事)、書きかけのまま続きを書ける見通しのない記事ができちゃいました。もったいないので一部切り出してupしちゃいます。
『正解するカド』の異方存在は宇宙を創造した造物主だそうです。
けれど私は彼らを神様だとは思いません。もっとも、これは単なる私の主義の問題なのですが。
人はなぜ神様を信仰するのでしょう。自分よりも上位の存在だからでしょうか?
いいえ。私はその理屈では納得しません。単に相手が自分より優れているということだけを理由に信仰するなら、そこに私たちが得られるメリットはありません。
相手が自分より優れているから何だというのでしょう。私は私、あなたはあなた、神様は神様。そもそもがそれぞれ別の存在です。赤の他人を敬ったからといって私には何の得もありません。せめて神様が人間に干渉してくるとか、そういう付帯事由がなければ。
実際、信仰するために偶像を必要とする人たちはいます。それらは往々にしてただの人ではない異形の姿をしています。神話でもよく人知を越えた能力を振るっています。・・・だからなんだ。少なくとも私はそんなものを理由に神様を信仰する気にはなれません。
では、人は神様から何かを享受したり、あるいは何かを収奪されるから信仰するのでしょうか?
歴史上、“現世利益”という概念は信仰者を増やすうえで多大な効果を発揮してきました。神様に祈れば恵みの雨が降る。火山が噴火しない。他国との戦争に勝てる。あるいは現世での利益でなくとも、死後に楽園にいける、なんてのもありますね。どれも信仰に対するわかりやすいメリットです。
ですが、私はその理屈では納得しません。簡単な話です。だって私は神秘体験をしていませんから。
初詣やら七五三やらお葬式やら、いくつかの宗教行事に参加して祈りを捧げたことはありますが、だからといって私が何か得をしたとき、私には神様の存在を感じられたことはありません。何かしてくれたなら姿を見せろって話ですよ。お礼を言いたいから。もっとちょうだいとおねだりしたいから。・・・そうでなければ信仰する理由にはなりません。
そんなことをいいつつ、実のところ私は信仰を持たないわけではありません。
私は特定の宗教に帰属しているわけではありませんが、個人的に「愛」を信仰しています。
愛は私の上位存在ではありません。そもそも姿形すらないただの概念ですし。
愛は私に利益をもたらしません。だって私、独身ですし田舎を離れてますし友達いませんし。誰かに愛を向けてもらえる機会自体あんまりないです。
ですが、私と無関係な場所で愛が確かに存在していると感じられると幸せな気分になります。いつも世界のどこかに愛があってほしいと祈りたくなります。
愛は存在する、という漠然とした確信それ自体が、・・・何と言えばいいんでしょうね、私の心を強くしてくれます。そして私はそんな私のあり方を気に入っています。愛に対する信仰が私に自信をもたらしているわけです。
これを読んであなたが理解してくれる自信は正直1ミクロンもありませんが、とにかく私にとっての信仰はそういうものです。
だから、私はヤハクィザシュニナを神様として見ることができません。
明確な姿形をもって顕現し、ワムやサンサといったわかりやすい利益をもたらしてくれる存在。そんなの、私にとっては信仰対象じゃありません。
神様なんてのは存在が漠然としているからいいんです。たぶんいるんだろうなあ、いてくれたらいいなあ、と思うこと自体に意義があるんです。かたちのないものを積極的に信仰することで、私は神様ではなく私自身の心からメリットを享受するんです。
異方存在たちは私たちの生きるこの宇宙を創造し、管理してきたそうです。
だからどうした。
養蚕家はカイコガの生殺与奪の権利を持ちますが、だからといってカイコガが卵から生まれる生命の神秘まで養蚕家のものというわけではありません。カイコガの生きる環境は自在にコントロールできても、彼らの自由意志までコントロールできるわけではありません。
それと同様に、異方存在たちは卓越した情報処理能力を持ちながら、人間という矮小ながらも無限の情報を絶えず生みだしつづける存在(特異点)だけは偶然にしか創造できませんでした。
人間は異方存在たちの管理下にありません。
トワノサキワ’たちは人間をすぐ傍で慈しむことを望み、しかし本来の姿のままではそれが叶いませんでした。
ヤハクィザシュニナは圧倒的な技術力を持ちながら、人間に対しては友好関係を崩さないよう細心の注意を払っていました。
異方存在は人間の心に介入できないからです。そこはフレゴニクスをも超越した奇跡によって守られた、私たちだけの隔絶領域です。
従って、彼らは私の信仰する神様(愛)のように私の心を潤してはくれません。
いくら祈ったって神様の代わりにはなってくれません。
造物主といったって、しょせん彼らはただの異邦人です。いくら超越的な技術を持っていたって、しょせんは赤の他人です。
だから、話し合いましょう。交渉しましょう。
ヤハクィザシュニナに何ができて何ができないのかを知るために。隣人としての彼にできることをうまく引きだして、私たちの利益を最大化するために。
彼も万能の神様じゃない以上、きっと私たちの力を必要としてくれているでしょうし。
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