正解するカド 第8話までの感想 人間と交渉する神様なんていない。

 異方存在ヤハクィザシュニナを交渉相手として認識しつづけるため、私は彼を批判します。

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 次回予告をなんとか翻訳できないものかとあれこれ考えているのですが、いやあさっぱりわからない。劇中に登場する語としない語が混じっている以上は無意味な文字列ではないはずです。この暗号を解いてみせろとの製作スタッフからの挑戦状に違いありません。異方文字が1字対1字でカタカナに対応している以上はそれほど捻らず日本語に変換できると思うのですが、はてさて、その先をどう進展させればいいものやら。
 これが翻訳できれば「ヤハクィザシュニナ」とか「ワム」とかの意味までわかりそうなのにー。せめて単語じゃなく文章でください。(諦め気味)

 それはともかくとして本題。

サンサの本質

 「眠らなくて済む」というサンサの正体は、端的にいうなら人間の精神を異方ナイズする装置でした。
 三次元よりさらに高次の世界観を認識することによって、自分の中の今まで活用できていなかった領域を睡眠等に活用できるということですね。右手で荷物を持つのに疲れても、左手に持ち替えたらまだしばらく運べる、みたいな感じ。左手が疲れた頃には右手も回復してるはず。
 三次元世界観において私たちの身体はひとつきりですが、より高次では別のものの見方があるかもしれない。三次元で全身をクタクタになるまで働かせたつもりだったのが、より高次元から俯瞰すると実は今まで右手1本分しか身体を使ってなかったのかもしれない。
 そういう気付きによって、人類を疲労という稼働限界から解放するのがサンサの・・・おそらくは副次的な効果なんでしょうね。
 この理屈からすると、もしかしたら高次元的全身、つまり三次元から何倍にも拡張した身体をフル活用することによって、人類は(短期的に)かつてないほど高効率の仕事を行うこともできるかもしれません。右手を休めながら左手を使うのではなく、右手と左手両方を同時に使うイメージです。そのくらいのことならたぶんできるはず。・・・けれど、おそらくはこれすら副次的な効果に過ぎないでしょう。

 「サンサを目視、つまり目で見ることで、人類は“異方の感覚”を獲得できます。それによっていくつかの変化が現れますが、そのうちのひとつに“睡眠が不要になる”というものがあります」
 サンサの作用の本質はあくまで「異方の感覚を獲得する」というもの。ヤハクィザシュニナも“異方の感覚”が主で“睡眠が不要になる”は従だという関係性で説明していますね。
 つまりサンサの本質は、人類に異方存在ヤハクィザシュニナと対等な視座をもたらすことにあるんだと思います。
 ある意味ではここがようやく交渉のスタート地点。徭交渉官が「交渉とは、相手と理解しあうことだと思っています」と語っていますが、ヤハクィザシュニナも彼女と同じことを考えていたということですね。
 逆にいえば、人類は今までヤハクィザシュニナと対等のテーブルに座ってすらいなかったということになります。少々傲慢な考え方ですが、ヤハクィザシュニナがサンサを持ち出してきたということはそういうことです。事実として人類は今のところ彼にひとかけらのパンも提供することができず、一方的にパンを享受してきただけですから仕方ありませんね。
 そう考えると、ファーストコンタクト時点で異方の感覚を獲得できていた真藤の存在は、ヤハクィザシュニナにとってどれほどプレミアムに感じられたことでしょうか。
 人類は異方の感覚なしに異方存在ヤハクィザシュニナと交渉することができないのかもしれません。皮肉なことに、真藤と徭というふたりの交渉官のスタンスがそれを証明しています。

人類は一度ヤハクィザシュニナとケンカするべき

 ただこれ、人類はちょっと怒ってもいい話だと思いますよ。
 人類に異方の感覚が必要だ、と判断したのはヤハクィザシュニナです。私たち人類自身ではありません。さっきも書きましたが、これ、傲慢な考え方です。人類と彼との間に未だ交渉が成立していないとして、その原因を勝手に全部私たちのせいにしているようなものです。実際不甲斐ないんですけれども!
 異方の感覚なしに交渉できない? そんなの異方側に立った視点でしかありません。今の真藤と徭のスタンスなんてほぼファーストコンタクト時点のものみたいなものです。だって、そもそも人類はまだヤハクィザシュニナと交渉らしい交渉を行っていないんですから。

 そう、前々から思っていましたが、ヤハクィザシュニナってたいがい傲慢なんですよね。
 ものすごく真摯な人物ではあります。書物で、あるいは実地で、彼は誰よりも熱心に人類の文化を理解しようとしてくれています。それも純粋な知識として高効率に処理するのではなく、わざわざ人類の読書という行為自体を模倣して、限りなく人類の手法に近い情報処理をしてくれています。私たちと同じものを見て、私たちと同じものを感じてくれようとしています。その点では素晴らしく真摯。
 なのに交渉の場ではやたらと傲慢。一方的に提案して、一切の対価を求めない。人類を頼りにしてくれない。単にこの交渉が未だ彼にとって対価を求めるフェイズに達していないという判断なのでしょうが、それにしたって事前に要求のひとつでも教えてくれればいいのに。
 それがないからいちいち不信感が滲むし、挙げ句の果てには神様みたいなものだなんて大それたレッテルを貼られちゃうんですよ。

 彼は日本人のユノクル(パンを分ける精神)が安定しているといいますが、無限のエネルギーを持つ彼と有限のエネルギーしか持たない人類では、その意味合いはたぶん微妙に異なります。
 彼にとって余剰(パン)は本当に無価値な余剰でしかないでしょうが、人類にとっての余剰は貯蓄も考えられる程度には価値の残った余剰です。だから中には余剰を手放さない人がいて、その結果富の集中も起きちゃうんですけどね。
 日本人がそれでも余剰を手放すのは、それが自身の属するコミュニティへの投資になるからです。「情けは人のためならず」というからです。誰かにパンを分ければ、いつかより多くのパンが自分に返ってくると信じているからです。
 なにが言いたいのかわかるでしょうか? パンを配りたいなら同時にそっちもパンを要求しろと言いたいんですよ、私は。他人面して高いところからパンを投げ込んでないで、さっさと互助組織の一員に加わってください。こっちが落ち着かないから。ちなみにこれを俗に“ムラ意識”といいます。

 「双方に利益が生まれることが自身にとっても最大の利益なんだ」
 真藤の交渉哲学は要求してこない相手に無力です。全能の神様相手に交渉なんてできっこありません。
 だから私は意地でもヤハクィザシュニナを神様だなんて認めてやりません。それを認めたら、その時点で彼にパンを分けてあげる機会が永遠に失われてしまうじゃないですか。そんなのイヤです。
 ヤハクィザシュニナは神様ではありません。ただの交渉相手です。だから彼に“正解”を問うだなんて甘ったれたことをしていないで、私たちは私たちの手で私たちにとっての“正解”を導きましょう。どうせ人類にとっての“正解”と彼にとっての“正解”からして異なります。相手は人類のための都合のいい神様じゃないんですから。
 だからこそ、私たちと彼両方の利益を最大化するため、私たちは“正解”を胸に抱いたうえで交渉に臨みましょう。

感想文中に入れそびれたいくつか

 サンサがもたらされたことによって、ワムを製作できる人は爆発的に増えることでしょう。もとよりワム製作のネックは人類が“異方の感覚”を持たないことだったんですから。やりやがったな、ヤハクィザシュニナめ。
 事実上ワムを生産できないことによって、世界は辛うじて混乱を先延ばしにしてきました。稼げた時間は思ったよりも短かったですね。国連はこの貴重な時間を使って何かひとつでも手を打てたでしょうか。
 さて、ワムという経済爆弾がいよいよ炸裂します。

 徭交渉官は宇宙の自然な(自発的な)進化を信奉しているようですね。とても素朴な考えで、ステキだと思います。
 ですが個人的にはノーサンキューですね。私の出身地は東北の片田舎で、財政破綻に片足突っ込んでいるような自治体です。こうなると経済成長なんて一切見込めません。農業や介護職で辛うじて食いつないでいる住人に重税を課して(この手の田舎ってサービスの割に税率バカみたいに高いんですよ)、なおも赤字がふくれあがるばかり。自然進化? 自然淘汰の間違いでしょう。
 もしも外部から力を貸してもらえるのなら、私なら喜んで享受しますね。お金にならない自然の観光資源(観光客は基本的に市街地に宿を取るものです)なんて切り開いて、さっさとぶっとい道路を敷きたい。そうして県外資本や物流をどんどん取り込んでいった方が絶対にマシなふるさとになります。お役所以外に初任給時給換算で800円を超える職場が存在しない現状よりは絶対住みやすい。
 ・・・あくまで外部の力をアテにできるなら、という前提ですけどね。以上、無意味に田舎コンプが迸りました。
 ただひとつ思うことは、急激な発展それ自体が悪というわけではないということです。別記事で犬束総理の決断を批判もしましたが、あれにしたって問題はワム自体ではなく、それを扱う人間がどう行動するかです。急激な環境変化に人間が対応できさえすればワムは爆弾たりえないはずなんです。
 昨年放送されていたアクティヴレイドというアニメの背景にあったのが、まさにこの急激な技術革新でした。甚大な自然災害に対処すべく開発された土木技術(パワードスーツ)が、法規制が整備される間もなく個人に行き渡ったがゆえに、凶悪犯罪が常態化してしまったという社会事情が物語の背景にあります。結局のところ急激な進化が問題になるのは技術面と精神面の成長がアンバランスになったときなんです。
 幸いなことに、正解するカドの世界の人々はサンサによって充分に精神活動を行える時間を得ることができました。これが急激な進化を吸収する緩衝材となりうるか、それともこちらも人間が扱いきれない毒となってしまうのか。正解はいかに。

 エネルギー問題等から解放された人類が怠惰になるのではないかという言論について。
 これについては不安視する必要がないと思うんですけどね。古代ギリシア、奴隷制によって日々の労働から解放された市民が何をしていたかというと、彼らはもっぱら文化活動に勤しんでいました。特に哲学分野が有名ですね。ソクラテスとかプラトンとか。同じく奴隷制の古代ローマでは高度な建築技術が磨かれました。もちろん享楽的な生活をしていた人々も少なからずいましたけどね。
 他にも十字軍戦争が一段落したヨーロッパではルネサンス運動が勃興したり大航海時代を経て世界中の富が集められたり。日本でも平安時代とか江戸時代中期あたりの人々の生活が一番安定していた時代に現代にも読み継がれる様々な古典文学が多く著されていますね。
 人間、満たされていてもそれはそれで何かしらやりたいことが見つけられるものですよ。ハングリー精神が発展させてきた分野なんて人間の歴史のほんの一部でしかありません。私も仕事なんて辞めて毎日アニメの感想文ばかり書いて過ごしたい。(それは文化活動か?)

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