何考えてんの? ダメ! ダメでしょ! 池袋に行くんじゃなかったの!? 何その覇気のなさ! なんでそんな安心してられるのかわかんない!!
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「ショートでハッピーイージーに」
大きな出来事
メインキャラクター:晶
目標
静留たちに自分の言葉を信じてもらう。
課題
東吾野の住人たちはキノコに支配されている。キノコに寄生されると心が安らぐ一方で徐々に人間だったころの記憶が薄れ、1~2年で死んでしまう体になるようだ。また、キノコに寄生されていない人間を見ると罠にかけてキノコ仲間にしようとする。
ネガティブ思考の晶はハナから人を疑ってかかる悪癖が幸いし、キノコ人間たちの罠を見破ることができた。しかし静留たちは晶の言葉を聞き入れない。キノコ人間たちの人の良さを信じ、彼らの好意を素直に受け取っていた。
この旅を主導する静留の頭にキノコが生えつつある。あれだけ行きたがっていた新宿への関心も薄れつつあるようだ。一刻も早く正気に戻ってもらわなければならない。
解決
晶は静留に葉香への心残りを思いださせ、キノコから解き放った。正気に戻った静留の爆発的な行動力は撫子と玲実からもキノコを抜き、さらには東吾野の住民たちをもキノコから解放しようとする。
しかし、東吾野の人々は心から望んでキノコの支配を受け入れていた。生きづらい終末世界を無理して生きる必要はないというのが彼らの持論。静留たちにキノコを生やしたのも実は善意からのことだった。
結局静留たちとキノコ人間たちはお互い不干渉のまま別れることになった。
結局、キノコ人間たちを不安視した晶の言葉は最後まで静留たちに伝わることがなかった。
今話、晶の言葉がちゃんと届いたのは別の人。マツタケイコだけだった。
地域の特徴:東吾野□
現実世界では吾野駅から2分のところにある。
Wikipediaによると2022年の1日平均乗降人員398人ということで、吾野よりもさらに寂れた集落のようだ。ちなみに駅舎から最寄りのコンビニまで926m。まずまずといったところか。
現実世界ではキノコが特産という感じではなさそうだが、森に囲まれた山間の小さな集落で霧もよく発生するようなので、キノコにとって居心地のいい土地ではありそう。
住民たちはみんな頭からキノコを生やしており、穏やかで協調性が強い気質。キノコ寄生から1~2年で人間としての生を終えてしまうが、住民たちはそれを受け入れている。7G事件からすでに2年経過しているのだから、この集落はまもなく滅びるのだろう。
設定考察
キノコ人間
一緒に歩いている知人が突然倒れても気にも留めない人がいる一方、リーダー格のマツタケイコは旅の食料を分けてくれたり、静留たちにキノコを植えつけたい理由を語ってくれるなど、明らかに人間としての人格を残している。
キノコに寄生された年月が長くなると脳髄まで菌糸に置き換わってしまうのだろうか? 反対に、キノコが生えて日が浅いうちはまだ人間らしさが残っているのかもしれない。若年者かつ最近引っ越してきたというマツタケイコが村落の代表のようにふるまっているのは、そのあたりの事情もあるだろう。
なお、現実のキノコは植物でいうところの花のようなものでしかなく、本体は土中に広がる菌糸の塊のほうである。キノコだけ抜いても体内はとっくに手遅れな気はするが、そこはそれ、7G事件によるトンチキ現象だし。
ゴーヤーを嫌う理由
ゴーヤーには強い殺菌作用がある。たとえば生のゴーヤーを搾った果汁は冷蔵庫保存で2週間経っても腐ることがない。故意に大腸菌を植えつけてみても数日内に全滅する。しかも、加熱しても100度程度までならこの作用は不活化しない。
キノコ人間にとっては文字どおり煮ても焼いても食えない野菜といったところだろう。
もっとも、生のゴーヤーをもりもり食べていた玲実が普通にキノコにやられていたあたり、そこまで即効性が高いわけじゃないようだ。キノコ人間たちの反応は少しおおげさすぎるかもしれない。毒物を目の前にして冷静じゃいられないのも当然の話ではあるが。
尻からキノコ
ミストサウナを拒否した晶も最後には結局尻からキノコが生えた。
キノコは胞子で繁殖する生物であり、20度以下の低温多湿環境を好む。おそらくは東吾野の空気中から晶の体に入ってきたのだろう。
というか、そもそもミストサウナは室温を40度以上まで上げるものだからキノコなんか育たない。旅人の宿にミストサウナを設置していたのは東吾野の人々の迷信というか、変な思い込みの産物だろう。彼らもキノコとの共生を始めてまだ2年しか経っていないのだからそこらへんは仕方ない。
いよいよロードムービーらしいエンジンがかかってきた第3話。あるいは静留・イン・ワンダーランド。
東吾野の人々が静留たちに向けてきたものは強烈な“善意”です。彼らはこの終末世界を一生懸命生きても仕方ない、生は短くとも穏やかに死ねるほうが幸せだと心から思っています。だから静留たちにもキノコを生やしてあげたくなるんです。
一見するとまるでキノコが人の人格を支配し、新たな宿主を欲して活動しているように見えますが、どうやらそんなわけではないようです。彼らは正気です。だって、本当にキノコの本能に身を委ねているなら、静留たちと一緒に電車に乗って別の土地へ胞子を広げたがるはずですからね。
彼らは誰ひとりとしてそれを望みませんでした。異邦の少女たちがわざわざ苦難の旅をしているのを哀れに思い、そして自分たちは慣れ親しんだ東吾野の地で安らかに死んでいきたいと考えています。
とても人間らしい感情。
そして、彼らは人間だからこそ、少女たちの旅を応援したいという矛盾した思いも抱えてしまうのです。
あなたを映す鏡になりたい
「あ! ごめん! ・・・え、そんなに痛かった?」
「ごめんごめん。大丈夫? 立てる? 立って、ほら」
「へえー。中富さんそんな顔だったんだ!」
「恐がらなくていいよ。食べないよ」
うるさい子でした。強引な子でした。会話のリズムが合わない子でした。
周りの注目を集める子でした。つまり騒がしい子でした。目立ちたくない子の気持ちがわからない子でした。
よく笑う子でした。人の顔を見て笑う子でした。人をみじめな気持ちにさせる子でした。
距離感のおかしな子でした。ふざけているのかからかっているのかわからない子でした。面倒な子でした。
彼女のなかで自分は、すでに友達ということになっているようでした。
彼女の友達も、また。
「――はい。できたよ。前髪それでいい?」
「いい、いい」
「もう。ちゃんと見てよ・・・」
「葉香がいいならいいの!」
いいか悪いかなんて、葉香が決められることではありません。
だってこれは静留のこと。髪型なんてどこまでも静留の問題。
だけどそれ以前に、葉香には自信がありませんでした。
静留がこういう性格だってこと、いいかげんもうわかっています。なのに聞かずにいられません。裁量を委ねられたところで、葉香は自分のことを信頼できませんでしたから。
静留がこういう性格だって知っていてなお、できることなら静留自身に決めてほしいと思っていました。
静留みたいに、葉香を信じることができませんでしたから。
「私、吾野柔術で総合格闘家になろうかな。で、アリクイと戦いたい」
「いいんじゃない?」
「マジメに聞いて!」
「マジメだよ」
至極マジメでした。
だって、静留は自分で決めたことならどんなことでもやりきってみせると思うから。
どんな荒唐無稽な夢でも。どんな無茶無謀であっても。
だって静留は葉香を友達にした子ですから。
ずっとうつむいてて。ずっと黙ってて。ずっとひとりでいた子。そんな厄介な転校生を、ひとりぼっちじゃなくしてみせた子。
葉香はそんなお節介頼んでなかったのに。
何の気づかいもなく、何の躊躇もなく、何の配慮もなく、ただ、自分がやりたいと思ったことに強引に葉香を巻きこんだだけ。
そんな静留のおかげで、葉香にはこうして友達ができたのでした。
静留なら総合格闘家になれるし、アリクイとも戦えると思います。心からそう思います。
静留のことをそういうふうに信じているからこそ、あのときあの言葉は、あんなにもくすぐったく聞こえたのでしょう。
「葉香がいいならいいの!」
こんなにも何でも自分で決めて進めていける自慢の友達が、私に決定権を預けてくれる。
私なら正しい判断をしてくれると手放しに身を委ねてくれる。
その信頼がくすぐったくて、嬉しくて、誇らしくて。
だからなおさら、静留の決めたことはどんなときでも絶対間違いないんだ、そういうふうに思うようになりました。
鏡よ鏡
「こんなことしてて意味があるのかなって。池袋とか本当に行けるのかな? たどりつけない気がしてきた」
「行ったところで何も変わらないんじゃないのかな・・・」
「会ったとしてもどうしようもないかも。ていうか向こうも会いたくないかもだし」
本当は迷わない人なんていません。
本当は不安を感じない人なんていません。
間違えない人なんていません。自分のことを手放しに信じられるほど成功体験ばかり積み重ねてきた人なんていません。誰もがみんな成功も失敗も両方数えきれないくらい経験するものです。
だから、自分の決断が正しいかどうかの確信なんて、本当はそうそう持てるものではありません。
決断力のある人というのは、失敗することへの不安を抱えてなお前へ進める勇気(蛮勇 / 無謀さ)を持っているだけです。
「なんかなあ。吾野出てきちゃってよかったのかなあ。でもひとりで吾野なんてありえないし。・・・はあ」
晶という少女は骨の髄までネガティブ思考に染まりきった人物です。
静留の無謀な旅に同行しているのは、単にひとりで道を引き返すだけの決断力を持っていないからに過ぎません。
旅立ったことが本当に正しいことだったのかわからない。だけどみんなと離れてまで吾野に帰るのは嫌だ。だったら正しいか間違っているかわからないこの旅についていくほうがマシだ。そのくらいのふわっとした理由で今ここにいます。
実際のところ東吾野のキノコ人間たちの企みを見抜けていたわけではありません。単に全てを疑う癖が身に染みついていたから、たまたま罠から逃れられただけに過ぎません。
深夜の密談を聞いてすら、キノコ人間たちが自分たちに害をなそうとしていると確信できませんでした。もしかしたら夢だったかもしれないという思いが頭の端っこにありました。
「ここ、なんか怖いよ! 早く出ていこうよ!」
「何言ってんの。晶はビビリだなあもう」
「違うの! ビビってんじゃなくて――!」
ここでマツタケイコが「我々の仲間にしてあげましょう」と言っていたとはっきり伝えられていたならもう少し説得力が生まれようもの。それなのに自分がその耳で聞いたことを信じきれず、変に曖昧な訴えに留めるから、彼女の言葉は静留たちに届きませんでした。
トイレよりミストサウナが母屋に近い不審。夕食がキノコまみれだった不審。集落の人が部屋のなかを覗いていた不審。他にもいくつもの不審点を見聞きしていたにも関わらず、そのひとつとして具体的に静留たちに相談することができませんでした。説明できるだけの確信を持っていませんでした。
だからこそ、彼女の感じていた不安は誰にも共感されません。
仕方ないことです。
だって、晶はもともとそういうキャラじゃありません。
いつもつるんでいる仲間内でそういうキャラを担当していたのは、そう――。
「ねえ! 早く行こうよ。静留ちゃんが心配してる」
自分じゃない。
そして玲実でも、撫子でもなく。
「ダメ! 池袋に行くんだから! ダメだよ! 葉香ちゃんに会わないといけないんだからあ!!」
池袋に行きたいのは自分ではありません。玲実でも、撫子でもありません。
これは静留の旅。晶ひとりだったら絶対に葉香を探しになんか行かなかった。静留がいたからこそ始まった旅。だから、きっと、どうか、お願いだから、静留が一言言ってくれさえすれば――。
「こんなことしてて意味があるのかなって。池袋とか本当に行けるのかな? たどりつけない気がしてきた」
「何言ってるの!? 昨日出てきたばっかじゃん!」
「行ったところで何も変わらないんじゃないのかな・・・」
「葉香ちゃんを見つけるんじゃなかったの!?」
「会ったとしてもどうしようもないかも。ていうか向こうも会いたくないかもだし」
「会ってみないとわかんないでしょ!!!!!」
こういうときに限って、静留は晶が聞きたい言葉を話してくれません。
晶が今一番聞きたかった言葉は、静留の口ではなく、全部何から何まで晶自身の口からばかりあふれ出ます。
鏡よ鏡。
世界で一番間違いないのはだあれ?
エール。それと、自分で確かめたこと
「――あとアドバイス。何も信じちゃダメ。信じるなら自分で確かめたこと。あ、俺のことは別よ?」(第2話)
高麗川で出くわしたケッタイな仙人はそういえばそんなことを言っていました。
今話、中心になって活躍したのは間違いなく晶です。
全ての情報を見聞きしたのも晶。
キノコ人間たちの企みを察知したのも晶。
なのにどうして、自分の力を信じず静留に頼ってしまうのか。
結局、今回場を納めたのは正気を取り戻した静留です。晶ではありません。
晶ひとりでは友達のキノコを引き抜くことすら叶いませんでした。
晶の言葉はことごとく静留の心に届かず、静留の正気を取り戻したのは静留自身の葉香への執着心でした。
晶にできたことはせいぜい静留の応援だけ。
なお、その静留も静留で、ろくに確かめもせず東吾野の人々が意識までキノコに乗っ取られているものだと勘違いし、大暴れしたことを派手に怒られてしまうのですが。
「やめて! やめてください!」
「キノコに寄生されて、操られて、それでいいのか!?」
「やめ・・・なつってんだろうがよ!! ――あんだよ。しゃしゃってんじゃねえよ。せっかく親切でしてやってんのに」
東吾野の人々は別にキノコに操られているわけではありませんでした。
正真正銘、人間としての親切心。よかれと思って静留たちにキノコを植えつけようとしていただけなのでした。
「うちらは好きでキノコやってんの。こんなクソみたいなノーフューチャー世界で何十年も生きるより、キノコ生やしてハッピーヒッピー&ヒッキーで1~2年で死ぬ方がダンゼンいいっつの」
東吾野で穏やかな死を迎えることを選んだキノコ人間たちから見て、池袋を目指す静留たちは危なっかしい青少年でしかありませんでした。大人として保護し、説得し、より良く生きるための知恵を授けてあげるべき対象でした。
私たちの世界でいうところの家出少年に対する扱いみたいなものでしょうか。キノコ人間たちの道徳観念が我々視聴者にとって一切共感できない狂気なせいでとてもそういうふうには思えませんが、彼らがやろうとしていたことは本当にただの保護です。だからこそここまで“親身に”なってくれるわけで。
これが静留たちのことを思いやっての保護だったからこそ、彼らにはキノコの培養と矛盾したもうひとつの選択を選ぶ余地があったわけですね。
「池袋とか行ってどうするんだよ? ムダムダ」
「私は――、会いたい友達がいて」
「会ってどうする? つかどうせ会えねえって」
「でも、やっぱ行く! 行って確かめないと納得できない!」
「バッカじゃねえの。お前らはせいぜいみじめに足掻いて血反吐吐いて死に損なってろ。もう知らねえ」
「死ね」じゃなくて「死に損なえ」なんですもんね。たまらないよなぁ。
キノコ人間になってから最長でも2年。いい大人が人生観を丸ごとひっくり返すにはちょっと短すぎる時間です。
本当は自分たちもおかしいことを言っているんだって自覚、あるんでしょうね。
静留たちがやろうとしていることは間違いなく無謀です。だけど、東吾野の人たちが選んだ道もまた必ずしも正しいわけじゃない。それがわかっているなら、子どもたちの可能性を信じて好きなようにやらせてみるのもひとつの大人のありかたでしょう。というか、大人の過ちに子どもをつきあわせる道理こそありません。
やれるだけやってみろ。
うまくいくかどうかは・・・、誰も保障してあげられないけれど。
街へ巣立っていく子どもたちのために田舎の大人たちがしてあげられることなんて、せいぜいこのくらいのものです。
さて。
彼らの伝わりにくいにもほどがある善意。その全容を正しく理解できたのは――、晶でした。
彼女だけが、ここにきて東吾野の人たちが食糧支援してくれたことの違和感に気付きます。
キノコ人間たちが本気で自分たちをキノコ仲間にしようとしていたことを、骨身に染みて理解していたから。
ネガティブ気質で全てを疑ってかかり、いかにもな博愛精神が上っ面だけのものだと見破ることができていたから。
彼らの本当の人となりを自分の目で確かめることができたから。
キノコ仲間にすることこそが彼らの善意のかたちで、親切にしてくれた一連の態度は全部そのための罠。
だったら、キノコを生やすことと全然関係がない食糧の提供には、また別の真心がある。
「・・・あの。食料、ありがとう」
散々疑っておいて今さら気恥ずかしいのだけれど、せめて小さな感謝を。
皮肉屋のキャラに似合わなくても、玲実や撫子のほうがこういうの得意であっても、こればかりは自分自身の言葉で伝えないと。
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