きっと、皆様の暖かい気持ちがニコ様に伝わっているのですよ。
↓TVerで最新話無料配信中!(おおむね放送終了後1週間限定)↓
↓dアニメは毎週水曜日に最新話追加!↓
↓YouTubeチャンネル限定コンテンツも配信中!↓
「不思議すぎるたまご」
大きな出来事
メインキャラクター:みんな
目標
ニコ様の卵を育てる。
課題
まだ帰ってこない動物たちはいるものの、ひとまずニコガーデンが元の姿を取り戻した。同時にニコ様の特徴を持った卵が出現。ニコ様への思い入れが強いメエメエは自分がお世話すると言って聞かないが、肝心の卵自身は不思議な力でこむぎたちの近くにいようとする。
解決(?)
ゴリラ親子の絆を見て、みんな子育てはいいものだとしみじみ実感した。
メエメエも改めてニコ様の卵を自分で育てようと決心するが、やはり卵はこむぎたちの部屋に来てしまうのだった。
バトル
苦戦
ゴリラのガルガルが相手。乱暴で、高い鉄塔に登っては手当たり次第にものを投げつけてくる。
勝利
ガルガルしていたのはニコガーデンでさびしそうにしていた子ゴリラの母親だった。子どもが持っていたおもちゃをユキが突きつけ、動揺を誘った。
ピックアップ
ニコ様の卵
ちょっと劇中にオモチャオモチャした見た目の新アイテムが登場したからって、脊髄反射でおもちゃサイトをチェックしにいく汚れた大人になってはいけない。
かわいい
照れてるユキももちろんかわいいが、めっちゃあざとい体勢のキラリンパンダとそれを見てほほえんでいる大福も超かわいい。
ゴリラ
動物園のゴリラのなかには稀にお客さんにウンコを投げつける個体がいる。これは人間が憎いとかそういうわけではなく、単純にギョッとして逃げ惑う人間の姿を見るのが楽しいからそうしているだけだという。”遊び”なのだ。
そもそもの話、ゴリラが投擲を敵への攻撃手段として用いることはない。野生のゴリラはめったにものを投げない。というのも、劇中描写を見ればわかるとおり、ゴリラは腕や肩の筋肉を使うことはできても、足腰を使った投擲姿勢は取れないからだ。
ガルガルの体格をもってしても射程せいぜい数メートルしか出ないのでは攻撃手段として実用的ではないだろう。投擲を殺傷武器にできるのは二足歩行するヒトだけだ。ゴリラが本気でプリキュアや動物たちを害そうと思うなら直接殴ったほうが早い。
なお、よく誤解されるがドラミングは必ずしも威嚇が目的とは限らない。もちろん自分の群れに若いオスが近づいたときにも警告代わりのドラミングはするのだが、別にそういう場合じゃなくても気が向いたときにする。老若男女問わずちょっとイラッとするたびやる。
自分の体によく鳴る太鼓がくっついていて、しかも”遊び”を解するだけの知能があるのなら、そりゃ何かにつけ叩きたくなるのが人情だろう。ドラミングは純粋な感情表現でもある。
ゴリラの子育て
ゴリラの子育ては母親が主体となって営まれる。子どもが生まれてから3年間、母親のゴリラは発情周期が止まり、子育てに専念する。特に生後1年間は父親ですら子どもに近づけようとしない。
一方で出産後3年が経つと再び発情期が訪れるようになり、やがて次の子の妊娠・出産を行う。こうなると最初の子は母親に面倒を見てもらえなくなり、群れのボスでもある父親を頼るようになる。
父親も1頭だけの親ではないためつきっきりで面倒を見てくれるわけではないが、子どもたちが傍にいることを煙たがることはなく、時折遊んであげたり子ども同士のケンカを仲裁したりしながら穏やかに暮らす。
やがて大きくなった子どもたちはオスメス両方とも群れから独り立ちしていく。ゴリラの群れは1頭のオスとその妻たちによるハーレム型であり、継承されるものではないため、子どもたちは自分の群れを自力でつくって(見つけて)いかなければならない。
ちなみに、ゴリラのオスは成体になると背中の毛が銀色になるため、今回ガルガルになっていたのは母ゴリラである。
鳥ってどうして卵を温めるの?
「卵から生まれるということは、ニコ様は鳥の仲間? それとも爬虫類? 鳥の卵の場合、孵るまで温めてあげないといけないんだけど・・・」
これ、目から鱗でした。
そういえば虫とか魚とかだと卵を温める習性がないですもんね。ヘビやカメといった爬虫類の卵なんて見た目からして鳥の卵そっくりなのに、それでもやっぱり温めませんし。というか、彼ら変温動物だから自分の体温で卵を温めること自体不可能ですし。
え? そういえば確かに。なんで鳥だけ卵を温めてるの?
ということで、Google先生の力を借りて調べてみました。
最初にHitしたのがこちらのページ。
みんな大好き『子ども科学電話相談』。
この番組のページが検索順位1位という時点でよっぽどですね。私、アニメの感想文を書くとき毎回2,30個は調べ物をしている(※ といってもネット検索か手元にある本でわかる範囲だけ)んですが、これが先頭に出てくるのは初めて見ました。大人にとってもよっぽど虚を突かれる疑問なんでしょう。
ちなみに2番目にHitしたのも同じNHKの雑学バラエティ『チコちゃんに叱られる!』の内容を要約した記事でした。マジでよっぽどです。
『子ども科学電話相談』によると、まず、抱卵という習性のルーツ自体は卵を外敵から守るために行われていたものなんだそうです。
前述のとおり爬虫類は変温動物なので、卵を抱いたところで温めることはできないはずなんですが、それでもワニなど一部の種で抱卵するものがいるんだそうです。鳥類は爬虫類から進化したものなので、その進化の過程で、一部の爬虫類が持つ外敵から卵を守るための習性が引き継がれてきたのだと。
ただ、そうはいっても現実として鳥の卵は温めなければ絶対に孵化することがありません。鳥に卵を抱く習性がある理由は、やはり「外敵から卵を守るため」だけではないと考えられます。
これについても進化生物学の観点から説明が成されています。
曰わく、卵のなかで起きている細胞分裂にはそれぞれの動物ごとに最適な温度があるものだと。実際、爬虫類や昆虫のなかには、地熱や太陽熱を利用して積極的に卵を温めようとする種がいるんだそうです。
卵は外敵の脅威に対して無力。できることなら卵の期間は短ければ短いほうがいい。だから、積極的に温めて孵化を促進させるわけですね。
たとえば卵を温める習性のないワニの場合は孵化まで2~3ヶ月かかるわけですが、抱卵当たり前のダチョウだともっと大きな卵でも40日程度で孵すことができるんだそうです。
おそらく最初は卵を守るためだけの抱卵行動だったものが、ついでに卵を温めてやったほうが生存戦略上有利だから、最終的に鳥類の卵は温められること前提の進化に最適化していったのだろう、というのがこの番組ページでの結論です。
ちなみに別のwebサイトを参照すると、卵を温めなければならないのは鳥類が恒温動物だからこそだと説明されていました。卵のなかで育っている過程のヒナはまだ自力で体温調整することができないため、親鳥が代わりに適正温度を保ってあげないと、途中で死んでしまうのだと。
まあ、どちらにせよ爬虫類から鳥類へ進化するにあたって、親鳥が卵を抱くこと前提で最適化していったということには変わりないですね。
なお、『チコちゃんに叱られる!』では「そもそも親鳥にヒナへの愛情なんてなく、親鳥には卵は温めなければ孵らないという知識もない。卵を温めているように見えるのは実は反対で、卵の冷たさを利用して親鳥が涼んでいるだけだ」というなかなか尖った説が紹介されたようです。放送当時は鳥類愛好家を中心にちょっとした物議を醸していたようですね。
まあ、そんな怒るようなことじゃないと私は思いますけどね。言っていることはこれも要するに、鳥類は親鳥が自然と抱卵したくなるような進化を辿ってきたってだけですし。
『わんだふるぷりきゅあ!』でもペットと言葉を交わせるようになるのがとてつもなく喜ばしい奇跡だと描かれているように、本来人間は他の動物たちの気持ちを直接聞き取ることができないんです。彼らの仕草や行動から感情を読み取ろうと想像力をはたらかせているだけ。真実なんて確認のしようがない。そこに血の通った思いが実在することを勝手に信じるか、血も涙もない冷徹な法則だけを見出すかは、想像する人次第でしょう。どっちだっていいわそんなもん。私なら哲学的ゾンビだって人間として扱うぞ。
ちょっと脱線しました。
「・・・光った!」
「ニコ様の卵、うれしそうワン!」
「うん。私にもそう見える!」
「きっと、皆様の暖かい気持ちがニコ様に伝わっているのですよ」
ともかく、こむぎたちはこれからニコ様の卵をみんなで温めていくことを選択しました。
果たしてニコ様が鳥なのかどうか、彼女たちにはわかりません。それでも温めたいと思いました。
そうすることが孵化に必要だからと確信したわけでなく、そもそも彼女たち自身がそうしたいと思ったのです。
だからです。特にいろはたち人間組が、わざわざ自分の思いを言語化したうえで卵に接することにしたのは。
「ニコ様。私、犬飼いろはっていいます。みんなでニコ様のことお世話するから安心してね」
「私、猫屋敷まゆです。えっと、その、よろしくお願いします」
「兎山悟です。ニコ様にニコガーデンやニコアニマルのことを聞きたいです」
私たちはただニコ様の卵を孵したいわけじゃない。
義務感からでも、必要に迫られてのことでもない。ただ、私たちがそうしたいと思ったから、そうするんだ。
ガルガルの卵はひとりで孵る。
だけど、そうして生まれてきた子たちはみんな不安そうだ。心細そうだ。心がガルガルしている。
ニコ様に同じ思いはしてほしくない。
元来、卵というものはわざわざ温めなくても自力で孵化するものでした。
それが、鳥類へと進化する過程でいつのまにか温めなければ孵化しないものへと変わっていきました。
余計な手間が増えて不便です。
だけど、そのほうがいいと、きっと鳥たちは思ったのでしょう。
そうしたほうが我が子をよく守れる。そうしたほうが我が子と早く会える。だから。
願いと、祈りと、そう遠くないはずの未来への期待をめいいっぱい込めて、彼女たちはあえて温めるのです。
「メェー! 皆様のおかげで離ればなれになっていた親子が再び巡りあうことができました。親子に通いあう暖かな愛情! なんと素晴らしい! ――私、決めました。やはりニコ様の卵のお世話は私がいたします。ええ、もう決めましたから! 二度と離しませんから!!」
理屈でも道理でもない愛情を込めて、むしろ愛情を活かすべく理屈や道理のほうをねじ曲げてまで、あえて自らの体温で卵を温めることを選びます。
・・・ニコ様の卵がメエメエのところに留まってくれない理由、もしかしてベビーベッドにひとりぼっちで置かれてメエメエに温めてもらえないからでは?
コメント
今日はニコガーデンのニコアニマルが9体勢揃いして、母親ゴリラのガルガルを元通りにする話でした
いろはが「(前略)良かったね」と言い放ったのは、キュアアイドルギャンブラーが登場する二次元作品的に感慨深いですね!!☆☆♬
>で、プリキュアとは完全に無関係なことで言いたい雑談は、今日も高校野球で
千葉県では木更津高校と四街道
神奈川県では慶応義塾の対戦相手の足柄、相模田名、舞岡、藤沢清流、柏陽、橘高校、鶴見大付
茨城県では明秀日立
西東京大会では都立冨士森と都立東大和南
宮崎県では宮崎日大と福島高校
沖縄県では沖縄大会の準々決勝があって、エナジックスポーツ
全員審判団にも一礼してカッコ良かったです!!☆☆♬
ちなみに南北海道大会の準決勝では、小樽の北照が札幌日大を下して、立命館慶祥が札幌光星との札幌地区勢同士の対決を制覇して、南北海道大会の決勝に進出するのが望ましいです
もし札幌光星が立命館慶祥を下した場合、今年の南北海道大会の決勝では、北照VS札幌日大の勝者が札幌光星の夏の甲子園初出場を阻んで欲しいですね
それでも札幌光星が今年は夏の甲子園初出場を遂げた以上は、北海高校がコールド(勝ち)された波乱の南北海道代表として、甲子園に出るので、甲子園における勝利を遂げては、甲子園における勝利を願いたいです
おかしな文章を見つけたので、訂正します
甲子園における勝利を目指しては、甲子園における勝利を願いたいということです
ちなみに札幌日大と立命館慶祥の南北海道大会の決勝となり、初出場決戦である南北海道大会の決勝なので、今年の南北海道大会の王者には、どっちが優勝しても、甲子園における勝利を目指しては、甲子園における勝利を願いたいです
高校野球、観たことないんですよね。昔は教員志望だったのもあって、大規模な予算を組んで運営される話題性の高いショーゲームのために未成年を無報酬で酷使する・・・、というのがどうにも受け入れられないというか。
スター選手にとっては夢がかかった登竜門だというのもわかるし、予算が潤沢なだけあって安全衛生管理もハイレベルに実施されているっていうのは聞いているんですが、それでもどうしても興業としての印象の悪さは拭いきれなくて。
「私なら哲学的ゾンビだって人間として扱うぞ」には笑いました。まあ、端から見たら意識があるのかどうか心があるのかどうかなんてわからないですからね。現実にいる人間や動物、植物、その他の生物だって本当のところ意識や心があるかなんてわからない。自分がそうだから他者もそうだろうという推測に過ぎないんですよね。そういう不確かなものを信じるのが人間だし、そんな不確かなもののために戦うのプリキュアなんですよね。
そもそも正体が哲学的ゾンビだと知っていたら“哲学的ゾンビ”にならないっていう。
でも実際、現実に心があるかどうかすら大した問題じゃないと思うんですよね。だって私たち、ぬいぐるみにもアニメキャラにも人間同等に接することができますし。つくりものだって知っているのに。
その延長線上で、私はたぶん、たとえ自分の家族の正体が哲学的ゾンビだったとしても、それを知るまでと変わらず接するだろうなあと思うんです。
「騙されてなんかない! 私がそう思ってないから、そうなの!」(『HUGっと!プリキュア』第17話)みたいな。
前回、オオカミガルガル(仮)の遠吠えを聴くことが出来たのは犬飼こむぎだけだった。
そして今回、ニコ様の卵は犬飼家の厄介になることを望んだ。
―――なんで本作の決着を左右し得るキーパーソンは、揃いも揃って犬飼組を選ぶんですかね?ガルガル確保の任務を犬飼組よりはるかに手際よくこなす猫屋敷組では何故駄目なのか?
ここで気になるのが―――前回ニホンオオカミ絶滅の話がなされるシーンで、表情と台詞の両方が描写されたのがこむぎだけで、犬飼いろはと兎山悟は台詞のみ、そして猫屋敷組は表情も台詞も一切描写無しだったことなんですよね。せいぜいユキが「夢でも見たんじゃない」とつれない返事をしただけで、まゆに至ってはその場にいないかのような扱いになっている始末で……。
そしてその後のガルガル確保シーンでは、ニホンオオカミ絶滅話のショックを引きずってしまい戦闘不能になるワンダフルと、そんなワンダフルを気遣うあまり戦線離脱してしまうフレンディを尻目に、ニャミーとリリアンが実に手際よくガルガル確保任務を遂行していく―――まるで猫屋敷組の2人はニホンオオカミ絶滅などどうでもよい事と思っているか、あるいはそれなりに思うところはあるとしても、さっさと頭の切り替えが出来る程度のことであるかのように……。
さて、ここで重要なのは、猫屋敷組の手際のよい仕事ぶりは所詮その場しのぎの対症療法に過ぎず、もしこのままガルガルの出現がいつまでも続くか更にはガルガルの破壊力が強化されていけば、いずれ対処不能に陥っていく危険性を否定出来ない点なんですよね。その様な事態を回避するためには一連のガルガル騒動の核心部分にメスを入れていく必要がある。
で、そのためには当然、ガルガル騒動のキーパーソンに迫っていく必要があるわけで―――つまり事態打開の鍵により近い位置に居るのは犬飼組の方であることが見えてくる。
この、猫屋敷組が2人してニホンオオカミ絶滅問題に冷淡な理由、については色々と解釈の余地がありそうなんですが―――ともかく猫屋敷組の“冷淡さ”、おそらくは“大人びた割り切り”がニャンダフルプリキュアの手際の良さを支えていると同時に、事態の根本的解決に必要な問題への関心を妨げている様子で……どうもここまでのニャンダフル組とわんだふる組の、極端に前者優位な展開には「最後の最後に問題を根本的に解決するのは、大人の“分別”に支えられた手際ではなく、子供の無邪気で繊細でアンバランスな感性が生み出す妥協なき“問いかけ”である」という、東堂いづみのメッセージが込められているように思えてくるんですが、はたして。
ユキは言わずもがなとして、まゆの動物愛護の精神も「自分が動物好きだから」という素朴な思いに立脚していますからね。自分で愛でることができない遠くの動物はどうでもいい、というわけでは決してないものの、そういう理由で想像力が及びにくくなっているんじゃないかなと思います。
対していろはは「世界中の動物と友達になりたい」という壮大な夢を持っているぶん射程(視野)が広がっている印象があります。距離とか仲のよさとかあんまり関係ないんですよね、あの子の対人関係。さすがにこむぎだけはちょっと特別な存在になっていますが。
で。
その構図だけ見たらこの物語の主人公はいろはにこそ相応しいって思えてきますが、実際に主人公として配置されているのはこむぎだというのが面白いんですよね。
いろはに感化されるようにして始まったこむぎの動物愛護活動。だけどこむぎ、今はちゃんと自分事として取り組んでいるんですよね。「こむぎもそうだった」(第7話)って。その共感性が、ヘタしたらコピー元以上にまで射程を伸ばしつつあるのが、なんだかすごく面白いなあって。