少女終末旅行 第1話感想 終わってしまった世界で今日を生きる。

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まあ色々事情があったんでしょ。戦争とか。

―― 他人事

 私、常々疑問に思っているんですよ。もしも文明社会が滅んだとして、そのあと人間は本当にヒャッハー殺しあうのかなって。
 本音を言えば単にその手の醜い人間像が好かないだけなんですけどね。

 もちろん現実に無政府状態の国々があって、そこで日常的に戦闘が行われていることは知っています。歴史的にも人間がそこら中で争いを繰り返してきたことは知っています。
 けれど、彼らには“明日”のために戦っているわけですよ。ある意味残酷な“希望”というものがあるわけですよ。
 戦争が終われば畑が手に入る。戦争を続ければ家が守られる。いつか子どもと一緒に笑いあえる日が来る。
 だから、今日より明日を良くするために、今日の幸せを我慢して殺しあおう。
 そういう理屈がまかり通る環境があるわけですよ。

 もしも“明日”すらも取りあげられてしまったとしたら。
 人間はそれでも本当に殺しあうものでしょうか。
 明日のために得るものがなければ、ただ今日をくたびれ損するだけなのに。

 『少女終末旅行』はそういう、終わってしまった世界を描く物語です。
 定住地を失い、食料生産の術すら失い、先人たちの忘れ物を食いつないで、特に目的もなく何となく放浪するふたりの少女の生きる世界。
 登場人物が極端に少ないこの物語の主人公は少女たちですらなく、きっと終わってしまった世界そのもの。なにせ原作だと今話ちらっと映ったふたりの過去すら描かれませんからね。色々と徹底してます。 (訂正。原作最新5巻で語られていますね。発売してたの見逃してたヨ・・・)

 ふたりの少女に明日はありません。
 どこまで行けるかわかりません。いつ死ぬかもわかりません。生きた証を残せるかもわかりません。この旅の果てに何か幸せな未来を保障してくれるような都合のいいものは、どうせ待っていません。わかっています。この子たち、そのへん結構ドライです。
 けれど明日を失った世界にだって、今日の彼女たちを暖めてくれるもののひとつくらいはあってもいい。

 終わってしまった世界はこんなにも美しいんですから。

ひゃっほう!

 ・・・とまあ、ウダウダと気取った言葉を並べるのはほどほどにしておいて(どうせあとで再開するだろうけど)、まずはこのアニメをつくってくれた方々にありがとうを。(さっそく)

 アニメ化するという話を聞いたとき、最初は5分アニメだろうと思っていました。5分アニメも好きなんですけどね。この漫画ならそういう企画も向いているでしょうし。世界の美しさを瞬間的に切り取ってくれるだけでもたぶん5分間超幸せ。
 ですがまさかの30分ですよ。しかも第1話で描いた範囲、まさかまさかの原作2話分ぽっちですよ。たった40ページですよ。最高。
 星空見て、古戦場をブラつくだけの30分。事件も熱情も死も退廃も、夢も希望すらもない30分。少女たちのぽつりぽつりとしたおしゃべりすら添え物で、美しい世界の有り様と降り積もる雪と無限軌道のギャリギャリ音だけでドラマを紡ぐ30分。最っ高!
 ユーさんマジうるせえ。ちーちゃんさんマジしみったれ。そしてそんなふたりのおしゃべりが環境音にしかならないこの世界マジ静謐。どんだけ賑やかでも寂しいなあとしか思えないってなんだよ。
 ああ、私はこういうアニメが観たかった!

 過去の記憶を筆頭に色々とオリジナル要素を付け加えてはいるんですが、いいや、こうして描かれる画面こそ原作の行間にいっぱい想像を巡らせていた読書体験そのものなんですよ。
 アニメって漫画原作そのまま流されるとやたら駆け足に感じられるんですよね。だって私が漫画を読んでいるときって、絵や文字だけを鑑賞しているわけじゃないので。むしろ紙面4割、空想4割、あとはぼんやり無意識2割。こないだ読んだあのシーンをもう一度読みたいと単行本を引っ張り出すけれど、実はそんなシーン存在しなかった系。そういう時間感覚なもので、動画としてきっかり原作通りのボリュームと情報量で強制的に流し込まれると別物に感じられちゃいます。
 そこいくとこのアニメの作風はすっごい心地いいんですよね。むやみやたらに、執拗に、事あるごとに、物言わぬ世界の姿をぼんやりと映してくれる贅沢な時間の使い方。その空隙には私たちが好きなように自分勝手に行間を埋め込んでいくわけですよ。それで超濃密な30分ドラマのできあがり。
 他の誰をも感動させられないかもしれないけれど、今私の目の前にあるこのドラマは、少なくとも私の胸にはクリティカルにえぐりこむ。ばきゅーん。びっしゃーん。いえーい。

 やー、たっのしいなあ、このアニメ。
 いつものノリの感想文はちょっと書きにくそうだけど。さっきから脳ミソ全然使わないでキーボード叩いてるわ。

世界は美しい

 ちーちゃんの夢として断片的に描き出される少女たちの過去。
 無骨な街並み。物々しい武装兵たち。狂奔する人々に、それから少女たちにケッテンクラートを預ける眼鏡の男性の姿。手を振るふたりを見送るその手には一振りの拳銃。銃声。
 たぶんこのあと自決したんだろうなあ。子どもたちに付いていかなかったってことは彼自身が狙われるような重要人物だったのかもしれませんね。学者のようでしたし。

 しっかしユーは寝ててもうるさいなあ!

 そんな背景事情もあって、彼女たちも一応武装しています。といってもユーがライフル銃を1挺持っているだけですが。
 「ちーちゃんは武器持たないの?」
 「要らないよ、そんなの」

 過去に大きな戦争があったらしく銃器や弾丸にだけは事欠かないこの世界ですが、あいにく今どきはそれを向けるべき人間が一番不足しているわけで。そうそう使う機会はありません。
 私たちの時代ならライフル銃1挺の値段でご飯一週間分は余裕で買えたのにね。爆撃機に至っては一生食べていけるかも。けれど彼女たちにとっての価値ときたら、 ご飯>爆薬>>>>>武器。モノの価値は見る人次第でいくらでも変わるものです。

 「昔の人も食糧不足だったんだよね? なんで武器ばっかりつくったの?」
 「まあ色々事情があったんでしょ。戦争とか」

 武器が必要だった事情なんて少女たちにとっては他人事。
 「たとえば、3人いるのに食料がふたり分しかないみたいなときに、武器を取って戦うしかなくなるんだよ。きっと。今も昔も変わらず」
 この時代でもたまには武器を必要とする人々がいるようですが、それもあの街を抜けてきたふたりにとってはやっぱり他人事。どうでもいいおしゃべりの具にしかなりません。

 少女たちにとっては武器よりもご飯の方がはるかに大切。武器が必要だった事情なんて他人事。
 ・・・けれどその一方で、戦争とは大切なモノを奪いあうときに発生するものです。限りあるモノに依存して生きていく限り、人間はどうやったって争いと無関係にはいられません。
 「あと1本。5本入りか。奇数だね」
 「――動かないで。これは私がもらう」

 ご飯という有限のモノを必要とする限り、本当は少女たちにとっても他人事じゃないんです。
 「なるほど。私も武器を持っておくべきだったか」
 「そう。つまりこれが戦争」

 だからこそ昔の人はご飯よりも先に武器をたくさんつくりました。

 ま、すべての戦争に武器が必要なわけじゃないんですけどね。
 「あ、本当に食いやがった!」
 ユーのしたことは彼女たちの置かれた状況からすると割と本気で冗談じゃ済まされないことのように思えますが、それでもこの諍いに武器なんて必要ありません。
 だって殺す気がありませんから。
 人間は、連れ合いは、友達は――やっぱり貴重ですから。たとえご飯と引き換えでも割には合いません。少なくとも彼女たちにとっては。
 笑い事では済まされませんが、パンチしてパンチして頭突きして、とりあえず発散するしかありません。言い方を変えればじゃれあいともいう。機会があれば改めて復讐してやろう。

 「動いて余計腹減った」
 まったく、戦争なんてやってもいたずらに損するばかり。

 この世界に“明日”はありません。
 どれほど大切なモノであっても、他の何かと引き替えにしなければならないほど重大な価値を持つことはありません。
 お腹いっぱい食べてもどうせ明日には消えて無くなっています。
 誰かの命を奪ったところでどうせ近いうちにみんな等しく死に絶えます。
 まるで触れたら溶ける雪みたいに。終わってしまった世界では何もかもが儚い。
 どうせ幸せな明日なんて来ないんだから、せめて今日を幸せに生きる工夫をしましょう。

 温かいスープはせっかくだからきれいな星空の下で飲もう。
 甘いレーションはせっかくだから眺めのいい場所で食べよう。
 せっかく目の前に美しい世界が広がっているんですから。

 終わってしまった世界には今日より明日を良くする方法なんてありません。
 けれど、今日を少しだけ幸せに生きることくらいなら、できたっていい。
 そのくらいの優しさは残されていてもいい。

 この世界はこんなにも美しいんですから。

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