苦手っていうより、好きなの。手から手へボールが繋がれていくの、すごく面白くて。
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(主観的)あらすじ
スポ根アニメに感化されて南の島にやって来ました。今日は一日ここでビーチバレーの猛特訓をすることにします。
コーチはラビリン、監督はラテが務めます。アニメのマネです。特訓は熱く、激しく、そして科学的なものでした。アニメのマネです。選手のモチベーション第一、特に初心者にはスポーツの楽しさを伝えます。もちろんアニメのマネです。最近のスポーツアニメは割とみんなこんな感じです。
のどかは特にラリーが好きになりました。上手に受け止めて返すことができたらそれだけずっと続いていくのが無性に嬉しいのでした。
そんな感じでのどかたちが楽しく特訓している裏で、グアイワルも特訓を始めていました。
今さらわざわざメガビョーゲンを生み出し、時代遅れのスパルタしごきでひたすら必殺サーブの極意を伝授しました。病巣を広げる気がないおかげでラテに感知されずに済みましたが、時間経過しても別に強く成長したりはしませんでした。
メガビョーゲンの必殺サーブが完成し、いよいよ決戦のとき。
どっかのアニメで見た必殺サーブを完全にモノにしたメガビョーゲンは強敵でしたが、のどかたちも特訓の成果を生かし、ボールに必死に食らいついて、トス、アタック! 球威の激しいサーブをレシーブせずいきなりトスしていることにツッコんではいけません。面倒くさいので割愛しましたがツッコミどころはもっと別にあるはずです。
ひととおりラリーをこなして満足したのどかたちは、アスリートフレンドリーじゃないグアイワルに反発し、メガビョーゲンを浄化するのでした。
テーマから見ても、おそらく本来は夏休み頃のアスミ強化月間に使う予定だった脚本なのでしょう。義務感からではなく、自分の楽しみのため主体的にがんばることを念頭に置いた物語でした。
初期のアスミは自分というものを持っていませんでしたからね。また、のどかが目指している理想も少し履き違えると自己犠牲的になってしまいかねないものなので、『ヒーリングっどプリキュア』の物語全体から見ても“自分のために”努力するという姿勢はとても大切なものです。
自己満足といってしまえばそれまで。
ですが、誰かのための親切に、たかだか自己満足程度を対価として取り組むことができるのなら、それはきっと誰も悲しませることなく世界を良くすることに繋がるでしょう。
「私、レジーナがいなくなったことで頭がいっぱいになって、大事なことが見えなくなってたんですね。でも、“何が一番”とかじゃなくて、“私はみんなの笑顔を守りたい”。仲間たちの笑顔も、レジーナの笑顔も、全部守ってみせる!」(『ドキドキ!プリキュア』第32話)
かつて相田マナが“幸せの王子”として自滅することなく、心の赴くまま人助けをしつづけられた理由のひとつですね。彼女は人助けに際して自己満足以上のものを求めませんでした。ただただ自分がやりたいからやるだけという姿勢を貫くだけ。誰の都合も自分への言い訳にしなかったからこそ、彼女はどんな苦しいときでも自分らしくいられました。
案外、大切なことだと思いますよ。
自分の行動原理を理解すること。自分が何か行動しようと思うとき、誰に対して、どんな対価を期待しているのか、自分なりに心に留めておくことって。
“喜怒哀楽”ってよくいうけど、喜びと楽しみってテイストとして割とカブってるよね?
「赤道直下で編み出した必殺技・・・。激アツ! 赤道直下サーッブ!!」
「・・・くっ。このオレ様に当てるとは。――うん? 悪くない! 悪くないぞ! あれだ! あれこそ豪快で――、あー、何だっけ? まあいい! あれこそオレ様にふさわしい!! ガーッハッハッハ!」
グアイワルさんも楽しそうで何よりです。
いつもひとりで楽しそうにしているこの人ですが、今話は全カット常に瞳をキラッキラさせている特別仕様のおかげで、輪をかけて楽しそうに見えます。5歳児か。沢泉ちゆか。
それにしてもなんで水着回のプリキュアより気合い入った作画してるのこの人。
いちおうストーリー的には特訓に対する考えかたでプリキュアと対立する立場ではありますが、瞳があまりにも無垢なせいで、こちらもいうほど間違っているように思えないのが難儀なところ。「選手の未来を潰す」とまで言われちゃっていましたが、結局メガビョーゲンもまんざらじゃなさそうでしたしね。ノリノリでサーブ打ってましたし、いっぱい褒められてましたし。そもそも特訓シーン楽しそうでしたしね。
のどかたちには悪いですが、ざっくり「そういう価値観もあるよね」くらいで受け取っちゃってもいいんじゃないでしょうか。昔のスポ根アニメ的価値観をあんまり悪し様に言うのもアレですし。
夏休みの時期に放送していたならまだしも、今の『ヒーリングっどプリキュア』は自分と異なる価値観とも手を取り合っていく流れに入っています。狙って演出したのか偶然の産物なのかは知りませんが、これは案外良いバランス取りだと思います。
「なんか意外。スポ根のコーチってもっと恐いと思ってた。『根性出せー!』とか、『やる気が足りなーい!』とか、怒鳴ってそう」
さて、今話の一番かわいいカット。
「そんなコーチはもう時代遅れラビ!」
「・・・と、『ビーバレ』でも言ってましたね」
「初心者にはスポーツの楽しさを伝えるラビ!」
「・・・と、『ビーバレ』でも言ってましたね」
「楽しければ自然とやりたくなるラビ!」
「・・・と、『ビーバレ』でも――」
「ビーチバレー楽しいよ! すっごく! 生きてるって感じ!」
「ふふ。それは『ビーバレ』では言ってませんでした」
なにも昔のスポ根アニメを批判するためにこういうことを言っているのではなく、『ヒーリングっどプリキュア』では本人が楽しむことが何よりまず大切なのでこういうセリフになるわけですね。
「私ね、長い間病気で休んでいたの。ずっと、ずっと、思うように動けなくて。何もできなくて。辛くて。悲しくて。寂しくて。・・・でもね、お父さん、お母さん、お医者さんたち、たくさんの人が励ましてくれて。助けてくれて。そうやって元気になれたの。だから私、思ってた。今まで助けてもらったぶん、たくさんの人にお返ししたいって。いろんな人を助けたいって」(第2話)
のどかがみんなに優しくふるまうよう志したのは、入院していたころの体験が元になっています。
ただし、それはけっして周りに迷惑をかけた負い目ではなく、優しい人たちへの純粋な憧れ。最初のころは本人のなかでも負い目なのか憧れなのかあんまり整理できていなかった印象でしたけどね。
「お願い、ラビリン。私は運動得意じゃないけど、お手当てだけは、プリキュアだけは、何があってもがんばるから! 苦しむ地球をラビリンと一緒に助けたい! これが今、私の一番やりたいことなの!」(第2話)
ですが、当初から彼女は「やりたいこと」だと言っていました。義務感に囚われて仕方なくやるのではなく、あくまで自分がやりたいと思ったからやるのだと。ときどき自分でもそのあたり履き違えて、不必要に傷ついたり落ち込んだりもしてきましたが、実は最初から自分のなかに答えを持っている、芯の通った子でした。
「グレース。どうして焦るのです。自分でも焦っているって気付いているのでしょう?」
「・・・だって。だって、私がダルイゼンをつくりだしちゃったから。そのせいで地球が。だから、私がなんとかしなきゃ、もっとがんばらなきゃ――」
「グレースはテラビョーゲンをつくりたいと思ったのですか?」
「そんなこと思わないよ!」
「そうです。あなたはそんなこと望みませんよね」(第29話)
のどかたちはどんなときも“自分がやりたいから”行動する子たちです。やりたいと思わないことはやらない。やってはいけない。だって、他人の個人的な都合なんてもの、こちらで勝手に責任を取ってあげることなんてできませんから。
のどかが責任を持てるのはのどか自身が自分で決めたことだけ。だからこそ、逆説的にいうなら、自分のためにやろうと決めたことには自分で責任を持って精一杯楽しむべきです。
それは特訓だって同じ。
「コーチ。お願いがあります。私、もっとラリーを続けたいです。特訓してください!」
「ラリーを続けるのが苦手なのですか?」
「ううん。苦手っていうより、好きなの。手から手へボールが繋がれていくの、すごく面白くて。ボールを落とさないかぎりずっと続いていくんだもん。だから、ちゃんと受け止めて、ちゃんと返せるようになりたいの」
やりたいと思ったから。それが楽しいと感じたから。のどかたちはそのためにがんばります。
「手から手へボールが繋がれていくのが面白い」。病院の先生たちの優しさに憧れて自分もマネするようになった、のどからしい感性。今後、彼女はこの思いをダルイゼンたちビョーゲンズへも繋げていくことになるでしょう。なにせその営みを広げていくこと自体がのどかにとって面白いことなんですから。とはいえ、その話は今はまださておき。
今話において大切なことは、あくまでそれをのどかが望んで、そして楽しんで、がんばっているということです。
「そんな鬼コーチ、時代遅れラビ! 選手の未来を潰しちゃうラビ!」
「そんな歪んだ指導をアスリートとして認めるわけにはいきません!」
「恐怖が支配する特訓なんて無意味だということを、ここで証明してみせるわ!」
今話はみんな脳みそがとろけちゃっているので全体的にトンチキなセリフ回しになっていますが、のどかたちがグアイワルのしごきに反感を持ったのはまさにこういう意味によるものです。
自分が楽しんでやらないと意味がない。
なぜならのどかたちはそれぞれ、自分の理想を叶えるためにプリキュアしているのだから。
理想を追い求めることは絶対に幸せで、誰にとっても望ましいことなのだから。
だから、誰かに強要されて何かを行うのではなく、自分の意志で主体的に行動してほしい。
きっと楽しいはずだから。
「・・・まあいけるか。別にキングビョーゲンのためじゃない。これは、俺のためだ」(第33話)
ね。どこかの誰かさん。
「ハァ。ハァ。――完成だ。ついに必殺技が完成したぞ! さあ、お前の力を見せてやれ!」
「どうだこの威力! この必殺技を生み出すために地獄の強化特訓をしたからな! ビッシビシ鍛えてやったぞ!」
「・・・もっとレシーブの特訓をすればよかった」
そこらの幼児より澄んだ瞳をしている同僚は思いっきり自分の人生を楽しんでいますよ。
メガビョーゲンその他への迷惑を一切考えないところだけちょっと、だいぶ、アレですが。
コメント
今回、指導者としてのグアイワルが糾弾されてましたが、本当にそれが向けられるべきはキングビョーゲンなんでしょうね。
シンドイーネがメガパーツを自らに埋め込むまではビョーゲンズはそれぞれ好き勝手にやりたいことをやりたいようにやっていました。しかし、ギガビョーゲンが生まれてからは全員に同じ手法を強要するようになりました。
シンドイーネはキングビョーゲンの期待に応えることが喜びですし、グアイワルはギガビョーゲンを生み出せるにも関わらずメガビョーゲンを生み出して好きにやってるので問題なさそうですが、こちらで指摘されてるようにダルイゼンだけはしたいことが出来ず苛立ってます。
もしかしたらキングビョーゲンこそがビョーゲンズの未来を潰す存在なのかもしれません。
初めのほう放任していた分だけ余計に勘に障りますよね、キングビョーゲンのマネジメント。
グアイワルは今のところ自分の意に反する指示を受けていないので平気そう(むしろ楽しそう)ですが、シンドイーネはどうなんでしょうね。一大決心で体を張ったのにそれでもろくに目を向けてもらえないっていうのは、結構キそうなものですが。あの人、なんだかんだで愛されたいタイプでしょうに。
ダルイゼンは言わずもがな。とはいえ彼自身、キングビョーゲンからの干渉が無かったら無かったで実は自分のやりたいことを持っていなかった人なんですけどね。そういう人でも強制されるのは意外にストレス・・・というか、そのあたり自分では保留にしていたことを勝手に決められたようなものだから余計にイライラするんですよね、ああいうのって。
まあ、彼についてはこの期に自分の本当にやりたかったことを考えてもらえたらと思います。その結果改めてのどかたちと敵対することになっても、さらには浄化されてしまっても、少なくとも今よりは自分の生きかたに満足できるんじゃないかなーと。
趣味でしがない絵師やってる身ですが、たしかに受験デッサンの勉強してたときは「楽しくない」とすら感じてましたね。
かといって、好きなことですら心から燃え上がることも実はあまりなく……
ちゆが羨ましいです。
スパルタ? スポ根? は、まあ結局は信頼関係あってこそでしょうか。
プリキュアにしてみれば『エレメントさんを一方的に苦しめてる』という点からグアイワルとの信頼関係を想像するのは少し難しいですから、非難するのは無理もないかと。
ちゆは一貫して自分のやりたいことしかやってない子ですもんね。あれはうらやましい。
あんなにも一途にひとつのことに打ち込める・・・、どころか、あの子あれで好奇心の幅も広いんですよね。ハイジャンプに旅館のお仕事にプリキュアに、いろんなことに興味を持って、その全部に同じだけ情熱を注げる子。第3話なんてのどかへの尋問にすら全力投球でした。
好きこそものの上手なれ、という言葉がよく似合う子ですが、まずあそこまで“好き”の気持ちを高めることがまず難しいっていう。
スパルタが虐待なのかスポ根なのかは答えの出ない問題ですね。当事者にしか判断できないこと・・・と見せかけて、実は当人にも変なバイアスがかかっていることがありますし。一方でちゆのように指導者不在でも自分で自分に過負荷をかける子すらいますし。(あげくそれで良い結果を出しますし)
正直言うと、他人からの受け売りをさも自分で考えたことのようにドヤ顔で語る奴って、あんまり信用出来ないんですよね……ラビリン。
まあ、「アニメに感化されてスポ根ごっこに興じる」くらいのことなら、可愛いもんだと笑って見ていられるんですが……。
「(自分の娘も含む)年端もいかない子供達を戦闘員として戦場に送り出す」
「その子供達の“心の肉球がキュンときた人間”をプリキュアに仕立てて戦闘に駆り出す(=自分の親友をビョーゲンズ調伏に使う“生け贄”として差し出す)よう、子供達に命じる」
「ヒーリングガーデン関連の事柄を一切秘密とするよう命じた上、秘密にしなければならない理由は全く説明しない」
……という、グアイワルも真っ青のブラック上司・テアティーヌの言うことを鵜呑みにして、自分自身や仲間のみならず親友までも危険にさらすーーーーーーとなると、いよいよ看過出来なくなってくるわけで。
さらに、このブラック上司・テアティーヌにしても、その上に君臨するブラック上司・地球さんへの忠誠心と、自分の子供達への愛情の板挟みで苦悩している……という、どうにもこうにもなパワハラ連鎖の構図。
兎に角、本人にやる気があるーーーーーーことが、その“やる気”につけこんで利用し搾取することを正当化するわけではない、と思うんですけど、ねぇ……(実際、ラビリンは花寺のどかの“やる気”に何度も待ったをかけていたわけで)。
地球さんはアスミ誕生の経緯を見るかぎり正真正銘の放任主義者なだけなので・・・。まあ、うん。
ラビリンはなんだかんだで自分なりによく考えている子ですよ。
第2話や第10話でのどかのやりたいことにストップをかけているのは、パートナーたる自分の力不足を自覚していて彼女の意に添えないと考えたからですし。のどかの熱意を確認したあとはストップを撤回するどころかむしろ積極的に支援したがる子ですし。
たしかに本人のやる気だけ見て正しさを計るわけにはいかないんですけどね。おっしゃるとおりマインドコントロールされているケースも大いにありますし、なんなら他人にコントロールされることがイコール絶対悪か?というとそれもまた断言できない問題ですし。そこは本当に難しいです。
まあ、ひとつ言えるのはどんなときでも自分でちゃんと考えてほしいってくらいでしょうか。そこさえしっかりしていれば、他人の言葉を借りているだけであっても自分の言ったこととして責任を持つことができますし。他人からの受け売りでものを語る人を信用できないっていうのは、結局責任逃れのために他人の言葉を借りているのが透けて見えるからですしね。
緊急事態などに少女に戦士という危険を課すのはプリキュアシリーズ全体の問題ですが、それは制作側もわかってるので妖精側が罪悪感や申し訳なさを感じたり自ら戦ったりして中和してますのであまり突っ込むところではないかと。
そもそも敵は「世の中の理不尽」なので戦うのは大人より子供の方が適切かと。