ヒーリングっどプリキュア 第36話感想 ひとりじゃないってことの、意味。

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私、もう一回会ってみる。エリザベス&ナターシャは永遠だもん!

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(主観的)あらすじ

 ひなたはナターシャでした。それはさておき、小学生のころ引っ越していった幼馴染みのエリザベスと5年ぶりに会う機会がありました。だというのにエリザベスは塩対応。なんだか妙によそよそしくて、友情の証だった大切なあだ名も「もうやめない?」と言ってくるありさま。
 時の流れは残酷。そのことを痛感したナターシャは、のどかとちゆと一緒の高校に進学するため勉強をがんばろうと決意しました。

 とはいえ学力は一朝一夕で身につくものではありません。それに、ナターシャには今、他にも心に引っかかっていることがありました。
 もちろんエリザベスのことです。もう友達じゃなくなった、なんてやっぱり考えたくありません。勇気を出してもう一度エリザベスに会ってみることにしました。
 メガビョーゲンに襲われるトラブルもありましたが、今度はエリザベスの本当の気持ちを聞くことができました。向こうも5年間でナターシャが変わってしまったんじゃないかと不安で、実際会ってみると新しい友達ができた様子で、昔みたいにうまく話せなかったんだそうです。

 すれ違いを解消し、ナターシャはエリザベスと旧交を温めあうことができました。
 時の流れで友情は壊れない。だから勉強なんてもう要らない。・・・なんてことはありませんが、ともかく今日も明日もひなたは友達と一緒です。

 “理解できない他人”にまつわる物語なので、本来なら第16~18話くらいに差し込まれていたエピソードだったと思われます。そういえばひなただけこの手のエピソードが無かったんですよね。理解できない自分を乗り越えるっていうエピソードならあったんですが。
 となると、妙ちきりんなあだ名を付ける役はシンドイーネではなく、きっとバテテモーダだったことでしょう。今は亡きアイツのウザ絡みする姿も見てみたかった・・・!

 「私はさ、ひとつのことに集中するのって苦手じゃん。だから何かを特別に好きっての、わかんないんだ。でも、ニャトランの特別な“好き”を守ることはできる。それがすっごく嬉しいの! だって、一生懸命なニャトラン、カッコよかったもん!」(第18話)

 今話を挟んだうえで第18話のこのセリフに繋がるなら、もしかしたらもっと感動的になっていたかもしれませんね。

 「のどかはもうラビリンのこと嫌いになったかもって思ったらずっと言えなくて、すごく苦しかったラビ」
 「私もだよ。ケンカしたときよりも、そのあとずっと悩んでた夜のほうが辛くて、イヤだった」
(第15話)

 「今さら誓いあわなくても、私たちとっくに親友だし、仲間だし」
 「パートナーだしラビ」
 「それはそうだけど・・・。“永遠の大樹に誓う”なんて、絶対やってみたいやつだよ!」
(第16話)

 「人生の先輩からひとつアドバイスだ。永遠なんて信じるな」(第16話)

 第15話、第16話で出てきた揺さぶりとの関連性に思いを巡らすのもまた良き。

平光ひなたの文脈

 「きっと私たち友達でいられなくなっちゃうよ!!」
 「ない」
 「そうだよ。そんな未来ありえないよ。ずっと友達って約束したでしょ」

 のどかが言っているのは第16話の出来事ですね。

 「私、花寺のどかは大樹に誓います」
 「沢泉ちゆは誓います」
 「花寺のどかは誓います」
 「永遠に、友達でいることを!」
(第16話)

 かつてのどかたちは永遠の大樹のもと、3人の友情の永遠なることを誓い合いました。
 ちなみに、色々あって誓いを交わすことに迷っていたのどかの背中を押したのはひなたでした。

 たとえ儀式を済ませたところで永遠なんてありえない。ときにはケンカしたり、会わなくなったりしてしまうこともある。そんなこと百も承知で約束しあいました。

 「恐くなったの。いつか私たちも友達でいられなくなっちゃう日が来るんじゃないかって」
 「――誓おう!」
(第16話)

 それでも、ずっと友達でいたいと思ったから。
 たとえいつか友情が揺らぐ日が来ても、約束があればまた取り戻せると信じたから。そうあってほしいと祈ったから。
 願ったから。
 望んだから。

 あの日、のどかたちは見届けました。
 永遠の友情は確かにあるんだと。誓えば無条件に与えられるものではなかったけれど、自分たちの意志と願いとで繋ぎとめる努力は必要なようだけれど、それでも、それは確かにありうるんだと。

 「だから決めた! 私、のどかっちとちゆちーと一緒の高校行く! そのためなら勉強がんばれる! 私、今度こそ本気出す!」

 あのときの文脈からすると、なるほど、ひなたの決意は理に適っています。
 努力すれば友情は永遠のものになることは実証済みです。だったら努力さえできればいい。むしろ努力しなければいけない。
 過去と現在と未来は連続しています。みんなで誓い合ったからこそ、将来にわたって友情は永遠たりうる。繋ぎつづけようとがんばるからこそ、未来の永遠は守られる。
 だったら今努力しないとウソだ!
 今、努力できなきゃウソだ!

 そのはずなのに・・・。

 「やる気はある。でも、やりかたがわからないって感じ?」

 “永遠の友情”の文脈からするとそういう理屈が成り立つのかもしれませんが、けれどひなたのなかには別の文脈も同時に存在しています。

 「私、ちっちゃい頃から水泳も体操もピアノもダンスも、お兄やお姉のマネしてがんばっても同じにできないの。何してもぜーんぶダメ。そういうのテンション下がるじゃん。だから続かなくなっちゃって」(第13話)

 本来、ひなたは粗忽者です。昔から何をやってもうまくできなくて、成功体験に乏しくて、継続することに喜びを見出せなくて、だから、自分の努力に本当に意味があるのか信じきれずにいた子でした。
 過去と現在と未来とは連続しています。他の人ならきっとうまくできると思う。だけど、こと自分自身のことに関しては、平光ひなたの努力の価値に関しては、ちょっとどうだかわからない。これまでの平光ひなたの文脈からすると、努力なんてどうせ実を結ばないものだったんだから。

 そんな簡単に自分を信じられたら苦労しません。
 何の裏付けもないくせに。

 「ひなたちゃんのジュース、おいしかったよ。めいさんのお店のジュースとは違ったかもしれないけど、おいしかったよ。ひなたちゃんがつくってくれたって聞いて、私、嬉しかった! ――意味、なくなんてないよ」(第13話)

 そう。裏付けでもあるのなら、話は別かもしれないけれど。いつかのときみたいに。

 「エリザベス&ナターシャは永遠に親友ー!」

 過去と現在と未来は連続しています。未来は現在の行動によって形づくられ、そしてその現在のありようは過去によって裏付けられます。
 “平光ひなた”という文脈における“永遠の友情”とはむしろ――。

 「あのさ。『エリザベス』って、やめない? もう小学生じゃないし、えりこって名前あるし」

 ・・・時の流れは残酷だ。

ひなたの今を裏付けるもの

 「そもそものお話になってしまうのですが、別々の学校に通うと本当に友達じゃなくなってしまうのでしょうか?」
 「結局そこに戻るのよね」
 「でも、エリザベス――じゃなくて、えりこはさあ」

 永遠の友情を未来まで続かせるためには、現在からの意志と願いとが必要です。必然、それは根気強く続く努力というかたちで表れるでしょう。
 たとえばのどかは病院で仲よくなった人たちと手紙のやりとりを続けていました。そして実際、先日会いに来てくれた蜂須賀先生との仲も良好なままでした。

 けれど、ひなたとえりこはそうじゃありません。
 友情を繋ぐための目に見える努力は特段してきませんでしたし、実際会ってもギクシャクしてしまいました。

 結局、今話の問題はそこに集約されます。
 「勉強しないとのどかたちと友達でいられなくなる」と思ったのは、あれだけ仲よしだったえりことの友情が揺らいでしまったから。
 「友情のため努力しなきゃいけないのに何故か続かない」のも、ひなたのこれまでに努力でうまくできたという成功体験が欠けているから。

 「ひなた。勉強も大事よ。でも今はえりこさんときちんと話をするほうが大事なんじゃないかしら」

 だから、ひなたはこれから何をするにしてもまず、自分の過去を自分なりに消化しておかなければなりません。これからの自分を保障してくれる裏付けをつくらなければなりません。
 コンプレックスを解消するため、「努力に意味なくなんてない」と保障してくれるのどかの言葉が必要だったように。
 何をするにしても必要になる“自信”というものは、無から勝手に生えてきてくれるものじゃないんです。

 逆を言えば、それさえできれば全部解決。

 「あのあとエリザベスとめっちゃ盛り上がってさ。一緒にいられなくても友情は壊れないって確信した! だから勉強するの、もうやーめた! ――なんて。のどかっちとちゆちーと一緒の高校に行きたい。その気持ちは変わらないもん!」

 平光ひなたの文脈からでも永遠の友情は成り立ちうると確信できたなら、ひなたは今度こそのどかたちとの友情の永遠なることを信じることができるでしょう。必然、それを叶えるための努力もできるようになるはずです。
 過去と現在と未来は連続しています。過去は現在の裏付けとなり、現在が未来をかたちづくります。

 「私はさ、ひとつのことに集中するのって苦手じゃん。だから何かを特別に好きっての、わかんないんだ。でも、ニャトランの特別な“好き”を守ることはできる。それがすっごく嬉しいの! だって、一生懸命なニャトラン、カッコよかったもん!」(第18話)

 ひなたは粗忽者です。集中力に欠けています。それはもうどうしようもないことかもしれません。
 でも、そんなひなたにも何か自分を好きになれるものはありうる。自分に自信を持つことはできる。何かをがんばることにはちゃんと意味があって、他のみんなみたいに未来に実を結ぶことができる。そう信じられる。

 昔からの友達との友情が永遠なら、当然、今の友達との友情だって永遠にできるはず!

 だからこそ、えりことの友情さえ信じることができれば。

ひなたの外側から舞い込んできたもの

 「うちのひなたは勉強は苦手だけど、友達をつくる才能はあるんだよなあ」

 もしひなたがお父さんの言うようなことを自分でも信じることができていれば、それで解決でした。
 私とあなたとでは見えている世界が違います。それぞれに別々の視点があって、同じものを見ているようでいて実はそれぞれ別の側面を見ています。だからこそ、友達がいれば世界が広がるという話にも繋がるわけで。

 実際には今回ひなたはお父さんと同じ視点を持てませんでした。
 「エリザベス。私たちまだ親友だよね?」
 もしそう聞いたら「Yes」と返してもらえるはずだって確信さえ持てていたら、話はもっと簡単だったでしょうに。そうはならないのが難しいところ。残念ながら、ひなたとお父さんに見えているものはそれぞれ別々でした。

 仮定の話から入って、いったい何を言いたいのかってーと。

 「ナターシャ、こっち!」

 ぶっちゃけ、今話の問題を解決するにあたって直接のきっかけをつくったのって、ひなたじゃなくてえりこなんですよね。ひなたは自信を持てなさすぎて自分から切り出すことができませんでした。

 なのに、今話の問題は解決してしまいます。
 ひなたは自分じゃ大したことをしていないのに、永遠の友情を信じられるようになるわ、のどかたちと同じ高校に進学することを改めて誓うわ、今話で彼女が困っていたこと全部まとめて解決してしまいます。
 全部、えりこが「ナターシャ」と呼んでくれたおかげです。

 不健全な展開だと思うでしょうか? 主人公側が話を動かすのではなく、たまたま外から救いがやって来るだなんて。
 まあね。
 私だったら思います。これが『ヒーリングっどプリキュア』じゃなかったなら。

 ですが、これは『ヒーリングっどプリキュア』です。プリキュアらしく子どもたちが努力することを賛美しますが、同時に、プリキュアらしく友達をつくることもまた大いに奨励します。

 「キャラが違うからこそ楽しいってこともある。興味のなかった動物を見たり、いつもなら注文しない料理をおいしいと感じたり。相手がいるから自分の世界が広がる。友達はいいもんだ」(第30話)

 だって、友達は自分には無い視点を見せてくれるから。

 『ヒーリングっどプリキュア』はプリキュアシリーズのなかでも特に、“理解できない他人”と仲よくなる意義を深掘りしている物語です。打ち解けるのは難しいことかもしれません。話しあうことすら困難かもしれません。ついつい諦めたくなってしまうのも仕方のないことです。
 それでも。

 それでもです。

 あの子はあなたが持っていなかったものをくれる。
 だって、それだけキャラが大きく違うってことだから。
 それだけ全然別の視点を持っているってことだから。

 「ごめんね。本当はいっぱい言いたいことあったのに、久しぶりに会ったから緊張しちゃって。会いたいって思ってたのは私だけでナターシャはもっと仲のいい子を見つけたのかなって思ったりさ。そしたら、楽しそうに新しい友達のこと話すから、その、ヤキモチ焼いちゃって」

 えりこの態度が冷たいように見えたのは緊張していたせいでした。ヤキモチも混じっていました。だけどけっして、ひなたを嫌っていたわけではありませんでした。
 フタを開けてみればそれだけのこと。だけどフタを開けてみるまでひなたには知りえなかった視点。これを知ることができなかったから、元々自信に乏しいひなたは必要以上に萎縮して、たった一言声をかけるだけのことにすら尻込みしてしまっていました。

 この視点をひなたにもたらしてくれたのはえりこ。ひなた自身が何かがんばったわけではありません。
 それでも、ひなたは自分にとって必要だったものを得て、今回つまずいていた問題全部を解決できるようになりました。
 ただ、えりこと話しあっただけで。

 繰り返しになりますが、今話で提示された問題を解決したのはひなた自身の努力ではありません。
 えりことの再会のおかげです。
 問題を解決するのは、自分を成長させてくれるのは、必ずしも自分の努力だけとは限らない。誰かと仲よくなるのはそれと同じくらいステキなこと。そういう物語です。

 今話は“理解できない他人”にまつわる物語。
 たとえ気持ちを理解できない相手であっても、それでも仲よくする意味はやっぱりあるんだよってことを純粋に描いた物語です。

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    コメント

    1. ピンク より:

      傷心状態とはいえ、のどかたちにだいぶ失礼な心配事を言ってませんかひなたw

      なんか頓珍漢な参考書が次々に出てきましたが、特に『鉛筆転がしの極意』って何なんでしょ?
      『運を磨いて三択問題に勝つ』は読解力UP系と考えたら比較的使えそうな気はします。
      ともかく普通の単語帳とか参考書を選ばないあたりに、真っ当な努力を拒絶しかかってる感がありましたね。

      一方今まで運動経験が浅いのどかや感情に振り回され気味なアスミに適切な助言を繰り返してきたちゆ、今回は珍しく混乱してしまったようで。
      毎日同じクラスで同じ授業受けてるはずなのに……という感じですか。
      そもそも英単語テスト対策中に「分からないところはどこ?」という質問がズレてる気もしますけど。

      • 疲ぃ より:

         いやいや。あの手のやつってたまに本当にタイトルどおりオカルトしか書いてないトンチキ本があるので油断ならないですよ。本文は謎の確率理論でコラムも風水、みたいなやつ。
         そしてひなたみたいに根がマジメな子が意外と引っかかります。優等生もちゃんと努力していることを理解しているので。人並みに努力するだけじゃ追いつけないことを理解してしまっているので。

         ちゆのアドバイスがひなたと噛みあわないのは水族館以来でしたね。
         ちゆみたいな出来て当たり前タイプの子の考えることはアレです。「暗記系は反復するしかないってわかっているだろうから、質問するときは別の教科にするだろう」みたいな。なまじ理屈が通っているぶん自分がズレていることに気づかないやつ。

    2. 東堂伊豆守 より:

      「ワルッチ」だの「ダ」だの「メガッチ」だの「アリキュア」だの渾名付け(というより略称?)にこだわっていた今回のシン姐さん。
      ところがキングビョーゲン様に対してはあくまで「キングビョーゲン様」で徹していて、「キン様」だの「ゲン様」だのと略さないんですよね、シン姐さんてば。
      それだけキングビョーゲンを敬っているということなのか、あるいは畏れているということなのか。
      ……あるいは、キングビョーゲンに“スルー”されてしまうことを恐れているんでしょうか。「キングビョーゲン様にとって、自分は“スルー”出来てしまう程度の存在」という事実を、自分自身の手で白日の下に晒したくない……と。
      ふ、不憫な……。
      ところで、平光ひなた絡みでどうにも引っ掛かるのが、第4話で登場した「ひなたの特性を理解した上で、見捨てずに付き合ってくれている」貴重な友人「みなぴ」氏と「りなぽん」氏が、以後のエピソードで全く姿を見せない点なんですよね。
      平光ひなたにとってまさに“かけがえのない”友人であり、“使い捨て”に出来る存在ではないはずなので、劇中にも再登場させるべきと思うのですが……。

      • 疲ぃ より:

         短い呼び名というのは対象に身近さ、親しみを感じていることの表れです。あだ名に限らず、「陽(ひ)」「地(ち)」「吾(あ)」「汝(な)」「身(み)」などなど。これは日本語に限らず、どの言語圏でも大抵そうです。身近なものから順に短い音節を当てていくからです。
         そこから転じて、主に英語圏では短いあだ名には相手を軽んじているというニュアンスがつくこともあるようですね。逆に敬意を示すときはあだ名ではなくちゃんとした名前で呼ぶ文化があるんだとか。
         まあ、要するに“好き”の気持ちは必ずしも“親しみ”であるとは限らないってことですね。

         友達はまあ、違う素性のグループを混ぜて遊ぶとどうしてもギクシャクしちゃうものなので。『フレッシュプリキュア!』で蒼乃美希と東せつながそんな感じだったように。リアルに考えるとあれですら生温く、たとえ共通の友達が間に入ろうがなんとなくしっくり来ないものです。
         のどかたちと一緒にいるシーンには彼女たちを出しにくいんじゃないですかね。(※ 絆云々語っている口で言うことじゃない!)

    3. 匿名 より:

      のどかとちゆと離れないために勉強をするというのは「人と繋がり続けるためには努力が必要」と、永遠の大樹の話と関連を想起させますね。

      そうは言っても成功体験が乏しいひなたが急に出来るようになるはずもなくつまづいてしまいました。ジュースだったりポチットだったりは気づきがあったので少しずつ頑張れましたが、勉強はそういうのはなかったですからね。

      そもそも「エリザベス」とのことが発端だったのにそのことは放置してましたし。アスミとちゆによって問題の本質に気づけたのは人間関係の多様性があればこそ。それでも結局、逃げてしまったのは人間の人生は真っ直ぐは進めず一進一退の繰り返しというところでしょうね。

      今回は「エリザベス」から友情が壊れたというのは思い込みだよと提示してくれたので、終盤辺りでは思い込みから脱することができるかもしれません。

      • 疲ぃ より:

         ひなたは粗忽でこそあれ、善良かつ勤勉であって、けっして怠惰な子じゃありません。この子のモチベーションが続かないときは十中八九成功体験不足です。「なんとなくやりたくない」じゃなくて、「どうせうまくできないんだから」で気持ちを萎えさせがちな子です。だからこそ、ジュースの件で「意味なくない」を実感したあとは何事にもポジティブに取り組めるようになったんですよね。
         これまでの流れに逆行するかのようにまた諦め癖のあるひなたの姿が描かれるのには若干違和感が無いでもないんですが、まあ実際人間なんて一面だけ見て全人格を理解できるようなものでもありませんし、たった一件で全人格的に解決に繋がるようなこともありえませんしね

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