でも良かった。樋口くんいつもノーパンだから。
※ このブログは基本的にネタバレに配慮しません。
※ パンツ愛好家のみなさまに対して挑戦的な記事になっておりますのであらかじめご了承ください。
先週末観たプリキュア秋映画が期待を越えて実におもしろく、いさぶる思いに心臓がるろんたるろんたしていた私は、しかし我が愛すべきクソ田舎では平日の仕事上がりタイム以降の上映予定が一切ないという憤慨すべき事実に心からるろんたるろんたしていたわけですが、そんなさなか、ぶらり立ち寄った24時間営業のなんでも屋さん(amazon.co.jpという)で偶然『夜は短し歩けよ乙女』のBDが発売していたのを発見して迷わず購入、3日間の雌伏のときを経て(おのれクロネコ)、本日蕎麦焼酎をゴクゴク飲み下しながら延々ループでぶん回している真っ最中なのですが、うん、この映画もやはり面白いのでまずは買いなさいキミたち。
「別れたあとも俺は彼女のことが忘れられなかった。ただもう一度顔を見て声をかけたいと思った。しかしどうやって探すかアテなどなく、怪しい情報機関へ頼るのも良しとしない。すべては運命的な偶然、ロマンティックな出来事であるからだ! そして俺は吉田神社へ願を掛けることにした。彼女に再び出会えるそのときまで、あの日あの時のこのパンツを履き替えはしないと!!」
私、常々思うのですよ。パンツなんてしょせんはただの布であると。
パンチラに何の価値がある。
パンチラにどんなときめきがある。
パンチラのどこにロマンがある。
そいつは冷静に考えてみればただのつまらない工業製品に過ぎず、大仰に秘匿されている割には棒や穴と違って子づくりの神秘には一片の関わりもなく、よくよくふり返ってみれば我らの愛しきセックスワールドにすらろくに登場しやしねえ。セックスするときパンツを見る機会があるという人はたまにはお風呂してから身体を重ねてみてはいかがでしょうか。
バットにパンツをきれいに広げ塩少々に胡椒少々小麦粉卵に水くぐらせてパン粉をまぶして170度の油できつね色に揚げてホットなソウルにソースをかけてフライドパンツにしてみたところで、パンツはしょせんパンツじゃん。
ここまで言ってもそれでもあなたがパンツを愛する愚か者であるならば、試しにそこらの男子中学生に同じ質問をしてごらんなさい。朝の通学路で待ち伏せしたらいくらでも会えるから。あの青く猛る性欲ボーイズですら「べ、別に、パンツなんか興味あるわけねーだろ!」って答えるハズ。
翻って崇めてみよ、このパンツ総番長の雄姿を。彼は常日頃から欠かさずパンツを履き続けており、一級のロマンチストであり、瞳には乙女もかくやという透き通った純真さを湛えており、そしてなんといってもブ男だ。あなたもこの機会に今一度パンツという概念の意義を哲学しなおしてみてはいかがでしょうか。私も酔いが醒めたら人生について考え直してみるから。
しかしだね、よくよく確かめてみるとこの男、劇中一瞬たりともパンチラしやしねえ。おのれ。期待させやがって。パンツどこやった。全国一億二千万コのフィロソフィストに謝れ。
パンツに何の価値がある。
そいつは確かにむやみやたらと厳重に秘匿されてはいるものの、彼らが真に隠したがっているものはその布きれなんぞではなく、中身だろ。棒だか竿だか穴だか知らんが何にせよ毛むくじゃらで真っ黒でむにむにしてる、赤裸々にいうなら子づくり器官の方じゃないですか。何が悲しゅうてわざわざそっちをスルーして化繊の固まりの方をクンカクンカせにゃならんのですか。
石油でも飲んでろ。
そして素直になれ。
「彼女と出会って一年余、我々が外堀を埋める機能だけに特化し正しい恋路を踏み外し、永久外堀埋め立て機関となってしまったのは何故か!?」
本当に見たいのはパンツではなく、その奥にあるものではないのか。
本当に触れたいのはパンツではなく、その奥にあるものではないのか。
本当に挿したいのはパンツなどではなく、その奥にあるものではないのか。
あなたは一度理性的に考えてみるべきです。
パンツ愛とはすなわち逃げではないのか。
「元々『付き合う』などという繊細微動なことができるのぉ?」
「ただただ乳のひとつやふたつ触ってみたいという卑猥なことだけで頭がいっぱいなのではないのか?」
「確かに卑猥なことで頭がいっぱいだが、それだけではないはずだ!」
「色々あるはずだ! もっと美しいものが!」
「彼女と初めての逢瀬が実現したとして、その夜彼女がすり寄ってきたら貴君は如何に対処するのか?」
「彼女がさあ乳を揉めと言ってきたら貴君はそれを拒めるか?」
「それ見たことか! 筋金入りのスケベ野郎」
そいつは回りくどい性欲です。真なるエロスを渇望しながら、しかし当たって砕けることを怖れるあまり、欲望の一歩手前であの子の机の角っこに腰を下ろして自分を慰めて、己が不甲斐なき迂遠さをジェントルめいた通好みの奥ゆかしさと嘯いて誤魔化しているだけです。
もっと素直になればいいものを。
お前を抱きたいと。
抱かれたいと。
愛したいと。愛されたいと。愛しあいたいと愛されあいたいとあいしあいあいあいされあいあいあいアイズオンミー!
そうとも、私たちはもっと素直になるべきです。
私たちが愛するものはただの布きれでしょうか?
否。
そいつはただの布きれではなく化繊の固まりでもなく真なるエロスの代用品でもなく、偏に我々は、恋するあの人が必死に秘匿しようとしているあの恥部を求めていた! 照れて恥ずかしがってむくれて嫌がって、容易に見せようとはしてくれない、あの人の奥の奥の奥にこそ触れてみたかった! パンツとはその暗喩である!
「夜は短し歩けよ乙女」
「夜は短し恋せよ乙女」
「北風小僧の貫太郎」
「この汚らわしい自分を彼女に晒すというのか!」
「攻撃は最大の防御。防御システムのスイッチを押せ!」
「開けろ! 城を開けろーィ!!」
「ワッショイ! ワッショイ! ワッショイ! ワッショイ! ワーッ!!」
然るに、私たちが真に求めていたものはただの布きれではなく、そしてパンツですらないはずです。
見たいと、触れたいと、挿したいと願っていたのはそんな下ネタ満開なあれやこれやではなくて、もっと純粋な思い。素直になれよ。あの人の奥の・奥の・奥をこそ! 私たちは求めていた!
「ここは本能に身を任そうぜー!!」
奥の奥の奥まで赤裸々に赤裸々にもう一丁赤裸々にヒン剥いたその先に、私たちが求めていたのは、パンツでもチンコでもマンコでもなくて、きっとあの人の本当の気持ちだったのではないでしょうか。
だって、人が一番恥ずかしがって一生懸命に隠したがるものといえば、何よりも真っ先に自分の本心でしょう?
私を好いてくれるだろうか。
私と並んで歩いてくれるだろうか。
私と喫茶店で向き合って珈琲を飲んでくれるだろうか。
ああ、元はといえばほんの些細なことが知りたかっただけなのに、気がついたら私たちは迂遠に迂遠を重ねて「ナカメ作戦」してしまう。
心を熱く滾らすロマンチックエンジンの回転数を抑えに抑えて、トロトロとしょーもないエロスにうつつを抜かしてしまう。
パンツもいいけどウナジもエロいよね! 何時間でも見つめていられるよね!
でも一番エロいのは、耳まで真っ赤に染まりきった、恋する乙女のうつむき顔だと思います。そこは譲らない。
「飛んで来てくれたのですね!」
「やっと飛べた!」
「先輩、景色を見なくても良いのですか?」
「私にはいい景色だ! そして羽根の形がこうしか飛べないようになっているのだ!」
ロマンチックエンジンをぶん回せ!
我が内なるエロスとパトスに素直になれ!
恋ほどエロいものはない!!
お酒がなくなったのでボチボチ寝ます。
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