夜は短し歩けよ乙女 感想おかわり ロマンチックエンジンをぶん回せ!

 実は私は自分のことをそこそこのロマンチストと評価しているのですが、ところがどっこい、幼い頃からこと「男のロマン」というヤツについてだけはハートが今ひとつピクンピクン来なかった人間でもあります。ヒーローとかね。ハーレムとかね。バトルとかね。
 特にクルマ。だってあいつらパワーを測る指標として「排気量」なんてものを使うんですよ。排気ガスってイヤなものじゃないですか。マフラーの音って珍走団を想起させるじゃないですか。なんでそんなキモチワルイものの数値を誇らしげに披露するのか。私にはそれがさっぱりわからない!

 ・・・などという、映画の内容にどう絡んでくるのか自分でもイマイチよくわからない前置きから始まる2回目の映画感想文です。
 前回の感想で「あらすじなんてどうでもいい」と書いておきながら、今回はしれっとストーリー周りについて語ります。否、むしろキャラクター造形周り?

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

※ このブログは基本的にネタバレに配慮しません。
※ この記事はいくらか私の地が見え隠れしていますが気にしないでください。

我が内に秘めしロマンチック

 この映画の主人公のひとり、“先輩”は実にメンドクサイ人物です。

 ナカメ作戦がどうたらこうたら、要は意中の相手に向こうから振り向いてもらおうという卑怯千万な恋愛戦術を取る男性です。「外堀を埋める」とかなんとか言い訳していますが、そんなの自分に自信がないから消極的になってるだけでしょうが。終盤に語られる独白を待つまでもなく、そのあたりの軟弱な思考は彼の言動をみれば観客にも一目で伝わります。
 この人、世界の見方がひどくつまらないんですよね。ペシミストというわけでもなさそうなのに「自分にはできない」「あれはつまらない」「あいつが自分の邪魔をする」と、何かにつけてネガティブなリアクションばかり。

 見た目どおりの現実的な人物なのかな・・・と、そう見せかけて、これがまた内面はちっともリアリストじゃないのもまたメンドクサイ。
 だってそうでしょう。外堀を埋めるだけ埋めて向こうが振り向くのを待ち続けるって、そりゃどんなシンデレラシンドロームだ。知識よりも心の潤いが欲しいから本が好きではない、なんてとんだロマンチストの発想だ。彼は性自認が男性なだけの乙女です。奥ゆかしい大和撫子です。「黒髪の乙女」なる称号は彼にこそふさわしい。

 彼の心はいつも桃色に咲き乱れていますが、そのくせ彼はそのロマンチストぶりを言動で表しません。むしろ徹底的に隠そうとします。代わりに「できない」「つまらない」「邪魔だ」とネガってばかり。そのあたりの内実と仮面のチグハグっぷりが実にメンドクサイ。
 彼は自分の外にはそうそうロマンチックなものはないだろうと思い込んでいます。だからこそナカメ作戦なんていう迂遠な行動を取りたがる。そのくせいざ相手が近寄ってきたら全力で引きこもろうとしてしまう。告白したらオッケーもらってめでたしめでたし、なんてロマンチックフルマックスなご都合主義展開は起こりえないと信じてしまっている。
 自分がロマンチストだからこそ、ロマンチックじゃないであろう世界から必死に逃げているんです。そのチグハグが彼にとっては耐えがたいものだから。

 だからといって自ら進んでチグハグに環境適応しようとしてしまうのは不器用というか愚かというか。いやはや、本当にメンドクサイ人ですね。

我が外に咲き誇るロマンチック

 もうひとりの主人公、“黒髪の乙女”は“先輩”の対極にいる人物です。

 この人の視点から見る世界はいつも奇妙できらびやかです。彼女は奇人変人とばかり巡り会います。それはきっと、彼女自身がエキセントリックだから。類は友を呼ぶ。
 そう、類は友を呼ぶんです。彼女は何でもかんでも受容します。キザなエロ親父から詭弁をもてあそぶ学生集団、ヤクザのごとき酒豪仙人に至るまで。彼女はどんな出会いであっても笑顔で受容します。そういうところがエキセントリック。
 「類」だから運命的に「友」と出会うわけではありません。「類」たる理由があるために「友」を受け入れられるんですね。

 彼女を取りまく世界が奇妙できらびやかな一方、彼女自身の内面は意外なほど空虚です。劇中、彼女は家族や出会った友人たちの言葉をしばしば引用しますが、実は自分自身の言葉で何かを語るシーンは後半まで一切ありません。様々な事件の中心にいるように見せかけて、その実いつも誰かに頼まれるがまま行動しているばかりです。彼女のエキセントリックさは本当に他人を受容することだけに特化していて、そのほかは意外なほどに無個性なんですよね。
 “先輩”のロマンチックが己が内面にだけ存在するとしたら、彼女のロマンチックは外側にだけ存在します。例えば彼女はカクテルを好みます。宝石のように多種多様な色と味わい、そういうロマンチックなものとの出会いを、彼女はいつも求めています。

 彼女はご都合主義を愛しています。彼女は世界がいかにロマンチックなものであるかを知っています。奇妙できらびやかなあの人たちならきっとどんなステキでもやってのけるでしょうとも。
 反面、自分の中からはロマンチックなものが生まれないと思い込んでしまっています。ロマンチックの代表格、恋愛についてもよくわからない。知らない。他人事。自分とは縁遠い事柄なのでラブシーンも平気、へっちゃら。彼女もやっぱり外面と内面がチグハグしています。

ロマンチックエンジンをぶん回せ!

 外の世界にロマンチックがないと信じる“先輩”。外の世界はロマンチックなことに満ちていると信じる“黒髪の乙女”。さて、どちらの世界観が当然なのかといえば・・・結論からいうとそれは後者。
 世の中にはパンツ総番長とかいう言動も頭の中身も桃色な大バカヤロウがいて、告白のためのミュージカルとかいうでっかいロマンチックの塊をしでかしています。
 ロマンチックエンジンフルスロットル。パンツをはき続けた年月と同じだけ溜めに溜めた桃色のロマンチックガソリンをバンバン燃やし、ロマンチック排気ガスをぶちまけろ!
 桃色の空気に当てられたのか、ここぞとばかりに奇人変人どもが大ハッスル。普段は内面のロマンチックをひた隠しにしている“先輩”も自身のロマンチックエンジンをぶん回し、ナカメ作戦どこ行った?と聞きたくなる勢いで舞台に飛び込みます。舞監の女性や学園祭事務局長もロマンチックエンジン始動。それぞれ胸の奥にひた隠しにしていた思いの丈を好き勝手にぶちまけます。パンツ総番長ももちろん黙っちゃいません。この混沌がロマンチックでなければ何だ。

 世界はロマンチックなもので満ちています。どいつもこいつもロマンチックエンジンをぶん回し、どいつもこいつも盛大にロマンチック排気ガスをぶちまけているのだから。ロマンチック排気ガスには毒性があります。ガスに当てられた人は思わず自分もロマンチックエンジンを動かしたくなるんです。そうして巻き起こるロマンチックの連鎖。
 外の世界にロマンチックがないと思い込んでいた“先輩”の周りにはエンジンを回す最初のひとりがいませんでした。“黒髪の乙女”の周りには常に誰かしらがいました。それだけの違いです。

 さて、内面世界にロマンチックを持つ“先輩”と、内面世界にロマンチックを持たない“黒髪の乙女”。どちらの世界観が当然なのかといえば・・・今度は前者。
 ロマンチックに熱狂した外の世界は一転、李白風邪という病に静まりかえります。この風邪はひとりの老人の孤独から生まれたもので、どうやら孤独な気持ちを拗らせた人ほど重篤化しやすいようです。
 ただひとり“黒髪の乙女”だけが健康でいられます。彼女は孤独を知りません。なぜなら彼女は恋する気持ちを知らないからです。
 恋、すなわち特定の誰かと特別な縁を繋ぎたいと思う気持ち。それはこのうえなくロマンチックで、しかし一方で強烈な孤独感と未来への不安を感じさせるものです。ヘタれにヘタれてナカメ作戦に勤しんでいた“先輩”がそうであるように。
 今、誰しもが李白風邪に伏しています。すなわち誰もが孤独に苛まれています。すなわち誰もが恋する気持ちを知っています。すなわち誰もが心の中にロマンチックを秘めています。ほんの少し前まで世界中の誰もがロマンチックエンジンを働かせていました。・・・世界中でただひとり、“黒髪の乙女”だけが例外なのでしょうか?

 そんなまさか! 彼女にだってもちろん心の中にロマンチックが眠っています。単に自覚がなかっただけで。
 先のミュージカルの舞台上で、彼女は濃密なロマンチック排気ガスを吸っています。彼女はいつだってロマンチックな世界の中心にいます。そうして彼女ははじめて自分のロマンチックを燻らせました。抱きしめられたトキメキ。胸をウズウズさせるもどかしさ。
 ロマンチックエンジンが静かに回りはじめます。相変わらず初めは周りの誰かに背中を押されての行動でありましたが、“黒髪の乙女”は“先輩”のお見舞いに行くことを決断します。ひとつ今までと違うところがあるとすれば、それは“先輩”にいくら拒絶されても聞かず構わず前進しつづけたこと。
 一度火がついた乙女のロマンチックエンジンは止まりません。夜は短し歩けよ乙女。

 こうして彼女は自分の中にロマンチックエンジンを発見し、従ってここに至ってついに自身も李白風邪に冒されることになったのでした。

ロマンチックvsロマンチック

 というわけで、“先輩”の世界観と“黒髪の乙女”の世界観はどちらも一理あり、どちらも一理足りませんでした。ふたつ合わさってやっとちょうどいい感じ。
 世界はロマンチックに満ちています。誰しもの心に例外なくロマンチックエンジンが実装されていて、誰かがひとたび自分のロマンチックエンジンを始動させれば、周りの誰もが呼応してそれぞれのロマンチックエンジンを回しはじめるからです。
 ロマンチックはたまたまどこかにあるというものではなく、人と人との繋がりの中に遍在しています。

 回せ回せ、エンジン回せ。お前のロマンチックを見せてみろ。そしたらこっちも私のロマンチックを見せつけてやる。隠すな、なくすな、お前のロマンチックがなければ私の世界が寂しい。私の世界を暖めるためにお前のロマンチック排気ガスをまき散らしてくれ。
 私とお前はいつだってロマンチックで繋がっている。

 勝手に「ロマンチック排気ガス」なんて珍妙な単語を捏造しましたが、まあ、世の中そんな感じならちょっぴりステキだと思いませんか。

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