ねえ。君はヒマワリ派? それともタンポポ派?
「夏の果ての島」
気になったポイント
超能力
生徒役員に校則違反者を罰する能力、不良生徒たちに校舎を好き勝手できる能力がそれぞれ与えられている。対立する流れになるのはもはや必然。90年代に流行ったヤンキーマンガか何かだろうか。
一般生徒の大多数はどうやら超能力を持っておらず、一部にだけ、空に何かが見える能力、瞬間移動する能力、どこかから荷物が届く能力など、二派に囚われない個別の能力が備わっているようだ。主人公は今のところ無能力。なろう小説だ。クラス転移ものってやつ。
生徒会役員と不良生徒たちとで与えられる能力が逆だったら平和だったのにね。生徒会役員なら危険な超能力を濫用したりしないだろうし、不良生徒がいちいち口うるさく校則違反を取り締まることもないだろうに。
そんなクソつまらない平和、どうせ誰も望まないだろうけれど。
高校3年生
小学生は子どもだと思う。
中学生も、振りかえってみればまあ子どもだったと思う。
じゃあ高校生は・・・?
高校生も子どもだといえなくもない。でも大学生はさすがに子どもだと言い張れないだろう。酒もタバコも合法になるし。一人暮らしするのが当たり前になって、ポイズンな親からもようやく距離を置ける。
代わりに、これからはもう全部自分で決められるようにならなくちゃいけない。
高校3年生というのは、そんな大人と子どもの境界から目をそらせなく時期。
ルール
いわゆる社会契約。ルールとは集団の参加者が自分自身の権利を守るために制定し、あるいは参画するもの。
あるひとりの身勝手な権利濫用によって他の誰かの権利が脅かされることのないように、お互いの権利の範囲を調整したものが“ルール”。ルールによって各々の権利を制限しなければならない理由は、それぞれの権利を最大限守ることにこそある。
ルールとは契約だ。商品の売買契約が売る者買う者双方に利益をもたらすように、ルールという社会契約は、その集団に属する全ての者に利益をもたらすものでなければならない。
従って、本来ルールというものは、ルールが存在することに価値を感じる者同士の間でしか成立しない。その価値こそが集団内相互にルールを存続させている抑止力である。
裏を返すなら、知らないところで勝手に決められたルールになど従う道理はないし、自分に不都合なばかりのルールを律儀に守ってやる必要もないということでもある。「ルールは絶対」だなんて寝言でしかない。
もちろん、自分が身勝手をはたらくからには他人の身勝手に権利を脅かされることも自己責任となるのだが。
ヒマワリ派、タンポポ派
ヒマワリはその大きな花を太陽に向けて動かしながら育つことで知られる。種子は発芽力がきわめて良好なものの、その一方で果肉を持たないため鳥などに運ばれることが少なく、重量も重いため風に飛ばされることもあまりない。しばしば密集した群生地を形成する。
他方、タンポポの特徴といえば白い綿毛だろう。風に吹かれて種子をはるか遠くの新天地へ飛ばす。なお、実際に発芽できるものはわずか10~20粒中1粒しかない。風に乗る旅姿は優雅に見えるだろうが、実は人生のクライマックスで相当分の悪い賭けをしているわけだ。
無責任でいられる権利
「お母さんへ 進路希望をそろそろ出さないといけないんだけど、お母さんはどうしたらいいと思う?」
「今日管理人さんが何回かきてたよ」
「学校で雑巾必要なんだけどどうやって作るの」
「お母さんへ 電気の督促状?が来てるけどどうする」
「お湯の調子悪いんだけど、ガス会社に連絡していい」
「お母さんへ 今週また先生が進路相談してくれるって、16日なら大丈夫だよね?」
「明日、進路相談だからね」
「今どこ? 僕もう学校に着いてるよ」
「君が謝ることはないよ。お母さんも何か事情があるんだよ。理不尽に感じるかも知れないけれど、最近は大人も大変なんだ」
「でもまあ。本当のところ進路も大事だけど、一番心配しているのは長良の心なんだな」
「君はひとりじゃない。先生がいる。僕には何でも相談してくれて構わないから」
主人公の長良はかわいそうな少年です。
高校3年生。一生を左右する人生の大事な岐路に、肝心の母親がどういうわけか非協力的。
幸いにして担任教師は善人でした。でも、だからといって、たかが教員ごときが生徒一個人のプライベートな問題にどこまで踏み込めるというのでしょうか。実際この先生の言っていることを意訳すると、「メンタルケアなら手伝ってやれるが進路相談は親が来ないとどうにもならん」ってところです。要らねえ。
高校3年生です。18歳なんです。
少なくとも肉体はもう完全に大人。民法上も立派な成人。精神的にはちょっとどうだかわからない。経済的にはまだまだ親の庇護下。だけど1年後には大学生。そうなればいよいよ世間からほぼほぼ大人みたいな扱いをされるはず。
一人暮らしをするかもしれない。奨学金として人生初の借金を背負うかもしれない。バイトで生活費を賄って、家事やら何やら全部自分でやることになるかもしれない。酒やタバコ、車の運転、セックスなんかも体験するかもしれない。自己責任で。家族や先生、周りの大人たちから「あれしろ」「これしろ」と指示されるのはこれが最後かもしれない。助言してもらえるのも。
それが高校3年生。18歳の夏。人生の大事な岐路にして、大人と子どもとを分けるきっと最後の境界。
そんな貴重な時間なのに、母親が非協力的。なんと理不尽な。なんてかわいそうな長良。
「進路希望をそろそろ出さないといけないんだけど、お母さんはどうしたらいいと思う?」だなんて、自分の人生を丸投げするような薄ぼんやりした相談が許されるのも、今が最後だというのに。
大人に甘える子供であることを辛うじて許容される、今がきっとその最後の瞬間だというのに。
「ありがとうございます。先生が僕の担任でよかったです」
長良は、だから、ひどく冷めた口調で社交辞令的に、担任教師への感謝の言葉を唱えました。
大人か子どもかでいうなら、長良はまだ子どもです。
自分の進路ひとつ自分ひとりの責任で決められない、まだまだ大人たちの庇護下にある子どもです。
たとえ母親がその責任を果たしていなくても。たとえ担任教師が何の役にも立たなかったとしても。
長良にはまだ自分の人生に対する責任を自分で負わなくてもいい権利がありました。
今はまだ、辛うじて。
「ねえ。それ楽しい? そうやって一日中そこで寝っ転がってるの。楽しい?」
「うん。まあ。楽しいよ」
「へえ。そうなんだ」
楽しいかな?
楽しいかもしれない。
知らない。
今日日、ハタから見て他人様が楽しく過ごしているかどうかなんて勝手に決めつけるべきじゃない。
長良はどう?
自分が楽しく暮らしているかどうか、本気で結論する気はある?
誰にも相談せず自分のことを自分で勝手に決めて、自分のことに自分で責任を持つ気はある?
「昨日まで何者でもなかった人間が突然大きな力を得る。そりゃあ、どこまでやれるか試してみたくなる。そうだろ?」
「いや。このまま元に戻ったら、絶対俺らの責任になるよ」
「責任?」
「先生にさ、『お前ら生徒会の監督不行き届きだ』って。もしそれが内申に響いたら、俺――」
長良が迷い込んだのはそういう歪な世界でした。
超能力がある世界。しかもその超能力を得たのが、よりにもよって後先考えないバカな不良生徒ばかりで、その収拾に生徒会役員が頭を悩ませている。で、その生徒会もいつの間にか謎の超能力を手に入れていて、あっという間に不良生徒を鎮圧していた。
超能力の使い手がたまたま不良生徒ばかりなのが幸いしていました。彼らは後先考えず享楽的に超能力を濫用するので、生徒会役員が校則を盾に彼らを批難するのは容易でした。結果、彼らはせっかくの超能力を腐らせて大人しくするしかなくなりました。
もし超能力がもう少し分別ある生徒の手に渡っていたらここまで簡単にはいかなかったでしょう。あからさまな不平等が目の前にあるのに、誰も表立って彼らの力を削ぐことができなくなるわけですから。
結果的にはそこらの普通の学校と大して変わらないパワーバランス。
超能力を持たない凡人の一般生徒は蚊帳の外なところまで普通と変わりません。校則さえ守っていれば穏当に暮らせる、いつもの平々凡々とした学校生活。
その世界は、歪んでいるけれど、結果的に歪んでいませんでした。
まるで、大人そのものみたいな顔していて、内実は結局どこまでも子どもでしかない、高校生という甘ったれたイキモノみたいに。
それこそ居もしない大人になおのこと甘えようとする彼らの精神性が、結果的にギリギリのところで秩序を保っていたのです。
ひどい歪み。だけど結果的に歪んでいません。
「せめてスーパーな超能力が使えるようになってたらなあ」
「そうかな? 僕は別に」
「ええ? 強がってんの?」
「そうじゃないけど」
たぶん、結構な割合の一般生徒が長良と似たようなことを考えていたんじゃないでしょうか。
超能力なんてあったところでどうせ悪目立ちするだけ。すぐに生徒会役員から制裁を食らって、結果的に無能力者と同じ暮らしに戻される。どうせ結果が同じなら最初から波風立てず慎ましやかにしていたい。
「考えてもしかたないよ。“そういう決まり”なんだから」
「・・・そう思えるやつはいいよな。お前、超能力ある?」
「あるわけないだろ」
「だよな」
きわめて都合がいいことに、この歪んだ世界では長良のような一般生徒に超能力は与えられませんでした。
全方位、誰にとっても実に都合のいいことに。
暴れたい子は好きに暴れていいけど、取り返しがつかなくなる前に止めてもらえる。
あんまり困らされたくない子は、いざというときちゃんと言うことを聞いてもらえる。
もちろん何もしたくない子はそのまま何もしなくたっていい。
誰もが最低限しか権利を侵害されず、誰もが一切の責任を問われない。
それが、みんなで決めた、みんなにとって都合がいい、この狭い世界のなかだけのルール。
だって、本当はみんなわかっているんです。
『君たちはもう元の世界には戻れない』
この世界が歪んでいようが真っ当であろうが、たとえ元の世界に帰れたところで、はたまた帰れなかったとしても、いずれにしろ――。
高校生たちはどうせ、間もなく大人にならなきゃいけない。
自分たちは犠牲者なんだ。カワイソウなんだ。守られるべきなんだ。――そんな言い訳もやがては通じなくなる。
憐れみの目を向けられることはあっても、責任まで肩代わりしてくれる人はいなくなる。
自分の人生を自分の責任で生きていかなきゃいけなくなる。
高校3年生。
18歳。
今はまだ18歳。
もう少ししたら19歳。
今はまだ、辛うじて子どもであるという権利にしがみついていられるけれど。
19歳。20歳。21歳。22歳。23歳。24歳。25歳。26歳――。
「神様みたいなこと言うんだ、君。そもそもこの世界ってそんな甘かったっけ? ――それじゃ、サヨナラ」
「ねえ。君はヒマワリ派? それともタンポポ派? 今いる場所より眩しく見える場所があったら行ってみたくなるか、それとも置かれた場所でじっと眺めつづけるか」
「ねえ、君。本当は――。本当は、どこかに行きたいと思っている? 長良くん待ってよ。まだ話の途中。ねえ! 逃げんの!?」
18歳。高校3年生。長良と同い年の女子生徒。名は希。希と書いてのぞみ。
もう18歳。
彼女の考えかたは他の生徒たちと一線を画していました。
終末の予感に学校じゅうが恐慌に陥るなか、彼女は何にも怯えることなく、何にも臆することなく、自由でした。
自らの由るところそのままにふるまっていました。
彼女が大人っぽいかといえば、絶対にそんなことはありません。
むしろ子どもです。精神的5歳児です。天真爛漫で、天衣無縫で、空気を読むとか、加減をするとか、シチメンドクサイことは一切考えていなさそうに見えます。
だけど。
そんなお子様の彼女だけが、自分の足で新たな一歩を踏み出すことを恐れませんでした。
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