デリシャスパーティプリキュア 第21話感想 お別れはフィナーレ、じゃない。

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らんらんはイヤだよ。絶対はごろも堂を守るんだもん!

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「この味を守りたい・・・! らんの和菓子大作戦」

Lead Character:がんばったひと

らん

Major Happening:大きなできごと

 らんが昔からよく通っていた老舗和菓子店のはごろも堂が閉店するとのこと。閉店してほしくないらんはキュアスタに記事を書いたり学校で宣伝したりして、なんとか食い止めようと奔走する。
 ところがあまねやゆいたちはお店の人にも事情があるのだろうと手伝いを躊躇する。実際話を聞いてみると、店主も閉店の意思を翻すつもりはないらしい。
 らんは閉店を受け入れ、代わりにキュアスタへの投稿ではごろも堂の想い出を残すことにした。

Sub Questions:小さなできごと

歴史

 まだ氷菓子が高級品だった時代、代用品として食べられていた水無月だが、この和菓子は冷凍庫が普及した現代でも広く親しまれている。つくられた歴史背景を紐解くことで一層味わい深く感じられる。
 歴史とは必ずしもかたちあるものを継承していくばかりではなく、むしろそこに込められた思いを伝承していくことにこそ価値がある。あまねはそう言ってらんを説得した。

Battle Depiction:どんなバトルだったか

 かき氷にされるところだったゆいをマリちゃんと拓海とで助けた。
 先行気味ならんをあまねがサポートするかたちで協力技を繰り出し、やっつけた。

I’m curious !:気になるポイント

水無月

 主に京都周辺で食べられている和菓子らしい。あずきの下の白い生地はういろう餅。葛餅でつくる地域もあるとのこと。透明感のあるういろう餅を荒く砕いた氷に見立てている。
 ちなみに、同じく6月の和菓子として掲示されている「紫陽花」は白あんに着色した寒天を纏わせたもの。「若鮎」は薄いどら焼きの皮で二つ折りに求肥を挟んだもの。

トマトの水やり

 トマトは水やりにコツがある野菜として知られている。土壌が乾きはじめるとすぐ葉が萎れてしまうのだが、こう見えてトマトは乾燥に強い植物。多少萎れて見えても次に水をやったときにはまたすぐ蘇る。むしろあわてて水をやりすぎると病気になったり、実が割れてしまったりする。また、日中によく水を吸って育ち、夜間にはあまり吸わないため、水をやるのであれば必ず朝にやらなければならない。

 実際のところ、街全体が食のテーマパーク化しているおいしーなタウンを相手取ってデパートに勝ち目があるんでしょうか・・・? 香川県に丸亀製麺が進出するようなものでしょ、それ。
 それとも、だからこそ和菓子一点特化で勝負しにきたとか? 和菓子なら主におみやげ需要なのでデパートの顧客ニーズともマッチしますし。

 さて、今話からエンディングが後期主題歌に変わりました。
 プリキュアには珍しい曲調ですね。こういうのはいつも映画のほうで採用しているイメージ。
 それにしてもダンスがかわいい。指を指したり輪郭をなぞったりと、自然と顔に視線が向く振りつけになっているんですね。カメラワークと相まってひたすらプリキュアの顔の良さを堪能させられるつくり。
 あと指先をぱやぱやさせるのがまたすごくかわいいです。子どもに踊ってもらう前提なので振りつけ自体はそこまで複雑じゃないんですが、あの指先ぱやぱやがあるおかげでとても華があります。
 もっとも、動きが複雑じゃないだけでBPMは速いし運動量は多いしと、実際踊るとなると大変そうですけどね。ちょっとダイエットがてら練習してみようかな。

 私は東北出身なので文化財よりも自然遺産のほうが多い環境で育ちました。
 正直、何がなんでも文化は保存されなければならない、みたいな人の気持ちを理解できていません。だって、同じく保護されるべきだといわれる自然遺産が実際はただの草と土なんですもん。たまたま立地条件がよくて多少珍しい生態系が残っているだけ。あれを守ることで人間社会に恩恵があるとは思えません。大抵近隣市町村がクソ不便なド田舎なので観光客もいうほど寄りつきませんしね。
 むしろ、あんなもの切り払ってバイパス道路を敷いたほうがよっぽど地元地域の利益になるはずです。都会人の道楽と感傷に無関係な地方の人間を巻きこまないでほしい。理不尽な不利益を押しつけないでほしい。

 「歴史というものは単に出来事や事実が継承されていくことではない。人々の瞬間瞬間の思いがそこにはある。人は人にそれを伝えたくなるんだ。そしてそれが積み重なり、歴史となっていく」

 まあそういう考えかたなので、あまねの言い分ならかえって受け入れやすかったりします。
 そこに物質的な価値以外の何か別の価値があるのなら、それも含めた包括的な価値を見定める必要がある。そのものに宿る大いなる価値の本質がどこにあるのか、改めて検討する意義がある。今を生きる人たちにとってもなお多大な価値があるというのなら、もちろんそれは適切なかたちで保護されるべきでしょうとも。
 草と土は別ですけどね。あれ、少なくとも現代の制度ではむしろ積極的に人間を遠ざけようとしているので。

永遠なれ

 「どんなものにも歴史ってあるんだよね。このはごろも堂だって60年の歴史がある。そう。だから守らなきゃいけないんだ!」

 その言い分はらんがはごろも堂の閉店を食い止めたい理由から少しズレています。
 あくまでらんはお気に入りだったお店とお別れしたくなかっただけ。歴史云々はその望みに大義を持たせるための神輿でしかありません。

 そして、プリキュアシリーズは永遠に別れが来ないつながりというものを理想と描きません。

 「たとえ傍にいなくてもマナはいつでも私たちを想ってくれている。そして私たちもマナのことを想ってる。だから私たちは離れていても離れはしない」(『ドキドキ!プリキュア』第44話)

 「夕日が沈んだらみんなおうちに帰る時間。でも新しい朝が、明日が来れば――」
 「『また会える』。夕日がきれいなのは、そう信じているから」
(『魔法つかいプリキュア!』第48話)

 「女王になるのはまだ先なんでしょ? なら別に今決めなくても――!」
 「でも、それじゃあとまわしの魔女と一緒になっちゃう。後まわしにしちゃダメなの」
(『トロピカル~ジュ!プリキュア』第46話)

 別れの日は来ます。必ず。特に、プリキュアシリーズの視聴者はこれから長い人生を生きる子どもたちなわけですから。
 それがどんなに大切なつながりであったとしても、永遠に傍にありつづけるなんてことを望むのは現実的ではありません。

 だからプリキュアシリーズは、むしろ別れを受け入れられるようになるための哲学を描きつづけてきました。
 たとえば物理的距離を広げてなお失われない、絆の存在。
 たとえば別れのあとに必ず再会があると信じる、運命への信頼。
 たとえばお互いの大切なものを尊重しあい、今をより良く生きようとする気高さ。

 きっと、好き好んで別れを選びたがる人はそう多くないでしょう。
 それなのに別れは訪れます。私たちの身のまわりにありふれています。はごろも堂の店主さんのように、その裏にはたくさんの事情や都合があるから。
 それを考えるなら、むやみやたらに別れを拒む姿勢はむしろ、健やかとはいえないでしょう。

 「そんな。じゃあはごろも堂、閉店しちゃうよ! あまねんはそれでもいいの? 水無月おいしかったって言ってたじゃん」
 「ああ。だが、はごろも堂にははごろも堂の事情というものがある」
 「デパートに和菓子屋さんがたくさん入ってお客さん取られちゃうからでしょ? じゃあお客さんをはごろも堂にいっぱい呼べば大丈夫じゃん。・・・なんで!? 60年も続けてきたのに!」

 ここのシーン、あまねもあまねでちょっとよくないところはあるんですけどね。毎回そうですが、自分以外を納得させようという気持ちが薄い。なまじ自分が聡いだけに、他人を説得するために言葉を尽くすということをしないんですよね。

 ともあれ、ここでのらんの言いかたはちょっとズルいです。彼女自身本当に守りたいものはあくまで自分とはごろも堂とのつながりであり、60年の歴史などというものではないはず。なのに自分の主張を権威付けするために歴史というものを利用してしまっています。
 無意識に論点をズラしているから会話が噛みあわないんですよ。
 そして無意識ゆえに、彼女は自分が閉店を阻止しようとしている本当の理由を自覚できていません。

お別れを乗り越えるために

 「こんなものまでつくってくれたの。本当にありがとう」
 「はごろも堂を続けてほしくて」
 「・・・その気持ちはとても嬉しいんだけど、もう閉店は決めたことだから。私ももう歳だし、新しい店がたくさん来るんだったらそこに譲ろうかなと思ったの。何でも古いものと新しいものとは入れ替わっていくものだから」

 多くの場合、お別れは不可避で、しかも理不尽です。
 今回らんが思い描いていたような、自分の努力だけでどうにかできるようなことばかりではありません。

 「じゃあ、はごろも堂の味はどうなっちゃうんですか?」
 「そうね。それだけが少しさびしい気もするけど。でも、お客さんの記憶に少しでも残ってもらえたらいいかなあ」

 らん自身、はごろも堂の閉店を拒む理由は、もう二度とこの味が食べられないから――、というのとは少し違っていました。
 それが問題の核心であったならぱんだ軒で味を継承するという方法もあったはずでした。私自身、冒頭で新メニューの話をしていたからてっきりそういう方向で解決するものとばかり思っていましたよ。せめてかき氷だけでも、とかって。フェイントだったようです。

 「みんな常連さんで、最後にって食べに来てくれてるの。それで充分。さ。よかったらあなたも想い出に食べてって」

 お店のなかにはたくさんのお客さんと、たくさんのほかほかハート、レシピッピ。
 これを見せられてしまったららんは店主さんの思いに納得するしかありません。

 だって、らんは「おいしい」の独り占めを許さないプリキュアだからです。

 はごろも堂が閉店してしまえば、もう二度とあのお店に入れなくなる。あのおいしさを味わえなくなる。でも、らんが本当に執着していたのはそこじゃありませんでした。

 「すごいな。かき氷を食べてここまで感動し、そしてそれを表現できるとは」
 「ボクもこの情熱にいつも感動してるメン」

 らんは「おいしい」を独り占めしません。おいしいごはんを食べた感動は余すことなく言語化して、そしてそれをキュアスタで広く共有します。
 らんが“独り占め”と感じるポイントはここにあるんです。ただ自分ひとりがごはんを食べるという意味ではなく、食べた感動を誰にも伝えない。そのことをこそ彼女は“独り占め”と捉えています。

 はごろも堂が閉店してしまうのがイヤでした。閉店は、そのお店とのお別れだから。
 でも、たくさんの常連さんが最後においしいお菓子を味わっているのを見たら、なんだか受け入れられるような気がしました。
 お店がなくなって、お菓子が食べられなくなるのはどっちにしろ変わらないのに。

 「パパはここのお菓子を食べて育ったんだよ」

 「よくここの最中半分こしたよね」

 『ドキドキ!プリキュア』のように心がつながっていればいいというものではありません。
 『魔法つかいプリキュア!』のようにいつかの再会を信じられるような話でもありません。
 『トロピカル~ジュ!プリキュア』のように店主さんの“今”が閉店より大事だと思ったわけでもありません。

 あの光景にらんが感じとったものはまた別にあります。

 らんにはらんの、お別れより大切なことがありました。

価値あるもの

 「歴史というものは単に出来事や事実が継承されていくことではない。人々の瞬間瞬間の思いがそこにはある。人は人にそれを伝えたくなるんだ。そしてそれが積み重なり、歴史となっていく」

 常連さんたちが集まり、おいしいお菓子を味わい、そして想い出を語りあう。
 そこには“独り占め”がありませんでした。誰もがおいしいお菓子を食べた感動を分かちあい、広く広く思いを共有したいと願っていました。
 まるで、いつもらんがキュアスタでやっていることのように。

 らんにはそれで充分でした。

 「はごろも堂の想い出はヤムヤムが守る!」
 「ヤムヤム! はごろも堂を思う気持ちは私も同じだ」

 らんにはそれで充分でした。

 お店がなくなってしまっても、誰かがあのおいしさを語り継いでくれるのなら。
 もう食べられなくなってしまっても、自分が感じたあの感動を誰かが共有してくれるのなら。

 らんはつまり、はごろも堂のお菓子を食べたときの感動がお店と一緒に消えてしまうかもしれないと、恐がっていたんですね。

 「らんの食べものへの思い、そしてはごろも堂への思いは、この店を街の歴史として人々の胸に刻むことだろう」

 たとえ物質的に消滅してしまったものでも想い出だけは残るということは歴史が証明しています。
 今話はらんが大切にしている思いの価値を、別角度からさらに増補する物語でした。

 まあ、ヤボなことをいうとネットって案外記録の保存性よくないんですけどね。
 SNSなんてサービス終了したら全部跡形も残らないし。ウチのブログだって私がサーバー代を支払えなくなったら消えちゃうし。

 消えてなくなる前に、どこかの誰かの心に刻まれることができたらいいなとは、私も思いますね。

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    コメント

    1. ピンク より:

      >香川県に丸亀製麺が進出するようなもの
      言われてみればたしかにwww

      らんらんの願い通りにはごろも堂が残ったとして。
      後継者がいないらしきお年寄りの小さなお店ですし、それこそ経営不振や病気による閉店といった余計悲しい結末を迎える可能性はそこそこあるでしょう。
      その辺考えると、やっぱり少し寂しいのは否定できなくても店主さんが元気なうちに笑顔で見送るという答えは良かったと思います。何より本人が納得してるんですし。

      少し遡って、13話でゆいたちの行動原理を見定めた上で戦いに参加した拓海の聡明さがより理解できました。

      そういや個人ブログっていつかは消えてしまうんですね……更新が止まるとかではなく。
      考えてみたら私の自作イラストや小説も、倉庫代わりのpixivがサービス終了したらえらいことになるのは薄々分かってますが、まあ生きてるうちにそうなったらその時考えます。

      • 疲ぃ より:

         らんみたいに個人的な思い入れがあって無くなることを拒んでる人って、ネガティブな理由である限りどんなにわかりやすく説明しても絶対納得しないんですよね。そもそも見ているものが現状じゃなくて一番よかったころの想い出の姿なので。
         店主さんはそういうメンドクサイファン感情をよく理解してくれたと思います。

         業界大手ならそうそうサービス終了しないだろう・・・、と思っていたら不意にinfoseekみたいなことが起こるのがネットの怖いところ。10年後はわかりません。
         病気なり事故なりで管理できなくなる前に10年分くらい料金先払いしておく手もあるにはあるんですが、その10年の間にレンタルサーバー自体がサービス終了したらどうしようもないっていう。

    2. 亀ちゃん より:

      今日はいとこのお姉さんの次女のおめでたい記念日のプリキュアであると同時に、らんらんが自分の大のお気に入りであるはごろも堂の阻止しようと自分なりに孤軍奮闘する話でした!!
      ちなみにらんらんがデリシャスパーティプリキュアのあまねに「もういい。(中略)何とかするもん」というセリフには本編を視てシックリ着たセリフでした!!☆☆♬
      私はキュアホワイトソックスが大阪市天王寺市内の天王寺○○という名前の大阪府立進学校を現役の時に、東大の教育学部を受けるも失敗して、滑り止めとした受かった早稲田という話になりました
      それでもキュアホワイトソックスは教員免許取得過程を4年間で卒業することに成功しました!!
      で、キュアホワイトソックスが早稲田を卒業直後に、国立名古屋大付中に赴任して、歴史を中心とした社会の先生として現在に至る最中、キュアブルームのお父様のお兄様である自分の父親から電話が掛かって来ると、キュアホワイトソックスは自分の大学時代は大金が要ったという話しか見えず
      「もういい。私は自分の大学時代だけは大金が要ったって話が見えただけで、お父さんの話を聞いていると悲しみのドン底に落ちるの!!」と言って電話を強制終了させることもありました!!
      だからプリキュア的に「もういい。(以下省略)」というセリフに関しては、初めて感慨深さがこのデリシャスパーティにて…しかもいとこのお姉さんの次女のおめでたい記念日のプリキュアで始動したと思えます!!
      一方、このサイトを観てチェックしていると、デリシャスパーティプリキュアのあまねはらんらんの言葉に賛同すると「ああ。だがはごろも堂にははごろも堂の事情がある」と、初めて子供向けのニチアサ的に出出しが感慨深いセリフがあったと感じ取れます!!
      トロピカル~ジュプリキュアの時に滝沢 あすかが「ああ。忘れない」と言ってくれた方が、子供向けのニチアサ的に感慨深さがあったのに…!と私がこのサイトで感想を口にしたことで、女児向けプリキュアでは初めて交えてくれたことだと思うと感謝の意も伝えたいですね→プリキュアの原作担当関係者に
      私はプリキュア本編を視ていて、「ああ」という言葉の出出しは聞き取れませんでしたが、それでも「ああ」から始まって言葉を続けてくれたと判ると、やっぱり子供向けのニチアサ的に感慨深いセリフであることには間違いありません!!
      デリシャスパーティプリキュアのあまねも「ああ」の直後に言葉を続ける際、はごろも堂にははごろも堂の事情があると言い切ったように、中国が新型コロナウイルスを発症してしまった原因にも中国特有の台所事情があって当然なのです!!(悲→厳)
      もちろん第二次世界大戦=太平洋戦争につながるきっかけ作りになった当時の日本にも、当時の日本の台所事情がありました!!
      だからはごろも堂にははごろも堂の事情があるのもうなずける話ですね!!
      で、私がいとこのお姉さんの次女に対して、いとこのお姉さんのスマホに送った感想は私のお母様も2回面白いと口にしたことですね!!
      私はいとこのお姉さんの次女を1番のメインターゲットに感想を観てもらいたい時は
      プリキュアのおにいちゃんのおかあさんもおもしろいといったよ
      と正直に告白します!!
      いとこのお姉さんの長女に対して感想を送る時もそうでした!!
      で、プリキュアはいくら大人にも人気や注目度があっても、1番のメインターゲットは最初っから幼稚園児までの女の子ですし、だんだん大人になっていくにつれて、プリキュアへの興味・関心も年齢を重ねるごとに薄れていきます
      いとこのお姉さんの長女もそんな感じでしたし、いとこのお姉さんの次女も、今度はプリキュアへの興味・関心も年齢を重ねるごとに薄れていくでしょう
      それでもプリキュアはいくらいとこのお姉さんの娘がプリキュアを卒業して、興味・関心が年齢を重ねるごとに薄れていっても、プリキュア自身がいとこのお姉さんの娘を見捨てることは絶対にない!!と私は断言出来ます!!☆☆♬
      もちろんいとこのお姉さんの息子にも、幼い頃好きだったレンジャー系も、いとこのお姉さんの息子のことを見捨てることは絶対にない!!といとこのお姉さんのスマホに発信することで断言し切りました!!
      で、プリキュア本編も来年の2月からも続投確定なので、これからも私は大人のいちプリキュアファンとして、フェアな意味でプリキュアを楽しみ続けたいです

      >で、今日はプリキュア本編が終わってから自分がここで言いたいプリキュアとは無関係な雑談についてある程度は思い出し
      Tカードのクジ引きでは1年に1回以上の割合で、ハズレのクジが大有りでも毎日毎日引き続ければいくら運がない人・悪い人でも、必ず期間中1回は的中するTマネーのクジをTカードの公式サイトで毎年毎年やり続けるようになって欲しいですね!!
      Tマネーにも消費期限があり、1ポイントでもあると、貯めることも出来ず、利用する機会もないと完全消滅してしまうので、なおさらです!!(厳→輝になって欲しい!!)

      • 疲ぃ より:

         私も教育学部の教員養成科でしたが、中学校や高校の教員免許は他の学部でも取れるというか、とりあえずで取っとく学生がたくさんいるので、在学中はちょくちょく教員養成科の存在意義に首をひねってましたね。ただでさえ当時の教職員の採用倍率10倍とか20倍とかでしたし。
         一応、小学校教諭は他学部だと少し難しいとか、教育学部なら3科目とか4科目とか留年なしで免許を取れるとかのメリットはありました。あとじっくり教育学を学べるところとか。
         まあ、どっちにしろ卒業時点で教師をやる気持ちなんて完全になくしてたんですけど。

    3. イル より:

      プリキュアシリーズで止める訳でも、継ぐ訳でも無くただ受け入れるのって珍しい展開だなと思いました。

      自然って確かに普通の生活してる人には恩恵はあまりないかもしれないし、害獣、害虫なんて言われたり。でも、第一次産業従事者からするとめちゃくちゃ大事ですよ。自然林が無くなって全部杉林に植え替えたから、食べ物無くなった山の動物が降りてきたり、海の栄養が不足して海産物がとれなくなる事態が起きてますから。
      美味しい食べ物も食べられなくなっちゃいます。

      • 疲ぃ より:

         今の時代、当事者が自分で決めたことに(※ たとえ親切心であっても)お節介を焼くことはあまり歓迎されない、というかヘタしたらただのワガママと受け取られがちですからね。Twitterなんかでお店の人側からの情報発信が増えた影響だと思います。お店の人もひとりの人間として人生を送っているってことに実感が湧きやすくなったのかなと。
         それと気づかい、空気読みの文化。

         自然保護にも人間にとって大きな実益がある場合があることはもちろん理解しています。あくまで開発とのバランスですね。
         たとえば青森県だと江戸時代まで物流拠点として栄えていた港が日本海側にいくつかあったんですけど、今は全部衰退しちゃってます。荷揚げした物資をどこに運ぼうにも白神山地とぶつかっちゃって、まともな鉄道や自動車道を敷けなかったんですよ。今、あの広い海岸沿い1市2町合わせても人口5万人を割っています。県外にまで知られるような名産品もありません。自然豊かな土地で漁業や農業をやろうにも、不便な土地ではまず担い手が確保できないんです。

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