立ち止まるな、ヒーローガール。また会おう。
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「超巨大ランボーグ大爆発!? 守れスカイランド!」
大きな出来事
メインキャラクター:ソラ
目標
超巨大ランボーグからスカイランド王国とエルちゃんを守る。
課題
超巨大ランボーグは護衛隊が撃破し浄化されないままだったランボーグ10体分近くのアンダーグエナジーを束ねたもの。プリキュア・アップドラフト・シャイニングを用いても容易に浄化できる相手ではなかった。
解決
プリキュア・アップドラフト・シャイニングが破られそうになるも、シャララ隊長の犠牲を代償にして辛くも浄化成功。
プリキュアが力を使い果たした隙を突きバッタモンダーによる王城への直接襲撃もあったが、ソラは諦めることなく気迫で追いはらった。
ピックアップ
ハート型のスカイジュエル
幼いころ助けてもらったソラがシャララ隊長へのお礼として贈った宝物。子どもって変わった形の石を見つけると本当に大切にするよね。そして大人ってこういう子どもからの貰いものをバカ正直に大切にするよね。私も教育実習先でもらった寄せ書きやら個人的なプレゼントやら未だに持ってる。
スカイジュエルは劇中では不思議なエネルギー源という印象が強いが、第3話に出てきたヨヨお婆ちゃんの本によると、エネルギーとしての利用が始まったのは最近のことで、むしろ宝石として扱われるほうが一般的らしい。そんなもん露天屋台がバケツ単位で安売りするな。中学生がリュックサックを満杯にできるような価格で流通するな。
イヤイヤ期
だいたい生後2年くらいの子どもが、何から何まであらゆることにダダをこねるようになる時期のこと。第一次反抗期。
知能の発達により、人間の子どもはこの時期に初めて“自分”と“自分以外”が違う存在であることを知覚するようになる。言い換えるなら自我の芽生え。何にでもダダをこねるのは、自分の思うとおりになることとならないことをひとつひとつ確認し、この“自分”と“自分以外”の境界を学習しようという知的好奇心に突き動かされてのことである。このため、必ずしも本当に気に入らないからダダをこねているとは限らないのが難しいところ。
ちょうど自立歩行が活発になる時期と重なる。自分の意志で能動的に外界と関わる機会が増えるからこそ、“自分”と“自分以外”の違いを鮮烈に認識するようになるのかもしれない。エルちゃんは・・・、歩けるようになるまでものすごく早かったから、そろそろなのでは?
お父さんお母さんにとってはものすごくストレスが溜まる時期だが、子どもの成長において非常に大切で繊細な時期でもある。
余談だが、この“自分”と“自分以外”の線引きをしたいという欲求が再燃し、これまで両親その他に依存するのが当たり前だったところから、今度は精神的自立を確立するため彼らとの関係性を再整理しようとするのが、いわゆる第二次反抗期。
時期的に第二次性徴と重複していて身体的変化著しく、自分自身のアイデンティティが揺らぐなかで周囲との人間関係まで不安定になってしまうため、この時期の子どもはさらに輪をかけて難しくなる。
ハタから見ているぶんには人間ドラマ的に一番輝いてみえる年齢でもある。
隊長騎ワシオーン
何その一話限りのお遊びみたいなネーミング。案の定声優のクレジットも無いし。
バッタモンダーのキレ芸
モラハラカレシ風味少しは抑えて。
カバトンが自分の弱さを認められない反発感情から何かにつけマウント取りに腐心していたように、バッタモンダーは自分が弱いことを周囲に認められたくないからこそ弱者の良き理解者を気取ろうとする。その意味ではあのキレ芸まで含めて1パッケージの戦略なのだろう。「この人は私たちと違って本当は強者なのに、善意で私たち弱者の気持ちに寄り添おうとしてくれる、尊敬すべき人だ」という印象を与えられたら彼の勝ちだ。
もしも彼の周りにいる人たちが本当に弱者であり、彼が本当に良き理解者であったなら、バッタモンダーは誰からも感謝されるべき存在になれる。こうなれば誰も彼を攻撃(批判)しようと思わなくなるだろう。だが、実際のバッタモンダーは自分含む弱者をひとりとして直視できておらず、すなわち良き理解者たりえない。
そもそも攻撃されるのが怖いから詐術を弄するわけだ。ソラのように虚勢ガン無視で真正面から彼に立ち向かおうする人物が現れたとき、張り子の虎のような彼の世界観は脆くも潰されてしまう。
最強の英雄が最悪の強敵になるフラグが立ちました。
身も蓋もない言いかたをするならそんな今話。そろそろキュアバタフライを覚醒させないと追加戦士のシーズンと被っちゃうので、物語の舞台は手早くソラシド市に戻ります。
カバトンもバッタモンダーも、要するに弱者だからこそ虚勢を張ろうとする敵なわけです。相対する自分が彼らより強ければ何も怖れる必要はありません。
ところが、シャララ隊長はソラも認める最強の人。実績的にも、精神的にも、もちろん肉体的にもソラよりはるか高みにいます。彼女より強い人なんて自分含めてどこにもいません。そんな彼女と戦わなければならなくなったとき、すなわち自分が相対的に弱者だとどうあっても認めなければならなくなったとき、ソラは強いことが大前提だった自分のヒーロー観とどのように折りあいをつけていくのか。守破離の離。そういうところが今後の(だいぶ先になるであろう展開の)見どころですね。
第15話単体で語るなら、今話はソラの目指してきたものが結実しつつある現状の確認です。
シャララ隊長に憧れて、ソラはあのときよりもずっと強くなりました。憧れの人の教えをよく守りよく学び、精神的にも著しく成長しつつあります。このまま何も起こらなければソラは立派なシャララ隊長の後継者になれたことでしょう。
しかし、それで満足していいのか? と今話では問いかけを投げられます。すなわち、シャララ隊長すらも上回る強敵が存在しうる可能性。
ソラの憧れのヒーロー像は具体的です。シャララ隊長という人物そのもの。それを目標にしているのなら、きっとソラは彼女の強さに追いついた時点で満足してしまう。けれど、状況は彼女と同等の強さだけで本当に充分か怪しくなってきました。
さて、次は何を目標にしましょうか。ソラの憧れのヒーロー像とは本当にシャララ隊長とイコールだったのでしょうか? それ以外ありえないのでしょうか?
物語は着々とソラに新たな負荷をかけようとお膳立てしつつあります。
立ち止まるな、ヒーローガール
「待ってください、隊長! この子、足にケガを! そのせいで気が立ってるんです。悪い動物じゃない。私が止めます。お願いです、傷つけないであげて!」
切羽詰まっているシーンなのにずいぶん悠長なセリフ回し。とはいえ、このセリフは今話において割と重要なのでこれ以上短縮するべきでもありません。
「ただ、覚えていてほしいんだ。『正しいことを最後までやりぬく。それがヒーロー』。ソラ。君の言うとおりだ。でも、だからこそ、“正しい”とは何なのかヒーローは考えつづけなければいけない」(第14話)
前話、ソラは自分の価値観に基づいてベリィベリーにひどいことを言ってしまいました。
“正しい”ということ、人がそれぞれ何を一番大切に思っているのかということ。それが人によって様々で、本当に多種多様だということを、ソラはソラシド市で学んでいたはずでした。しかし、ベリィベリーのときは最初その経験をまったく生かすことができませんでした。
これはその反省です。
ソラがピンチになっているのを見て、このときシャララ隊長は剣を抜こうとしました。村の人の話からもこの野生動物が危険だということは明らか。殺処分してしまったほうがいい。そう判断しました。
ところが、現在進行形で危険な状態にあるソラがそれを止めるのです。まして彼女にとってシャララ隊長は命の恩人であり憧れのヒーロー。全幅の信頼を寄せているはずなのに、そのヒーローの考えにはっきりと反対の意を示すのです。
ソラはちゃんと学習していたのです。
シャララ隊長が言っていたように、ヒーローは何が正しいのか常に考えつづけなければならないのだということ。裏を返せば、“ヒーローの考えだからといって常に正しいとは限らない”ということ。シャララ隊長自身も含めて。
だから臆さず進言することができました。今このときに限っては、目の前のヒーローよりも自分のほうが正しいことを知っている。その確信がある。
ヒーローを目指す少女は、けっしてヒーローを盲信してはいませんでした。ちゃんと教わった言葉を自分なりに咀嚼して血肉に、生きた教訓として己の判断基準に組み込むことができていました。
「お手柄だったな」
「・・・カッコ悪い」
「でも、村のみんなが助かった」
だから手放しに絶賛します。
後進としてこのうえなく頼もしい、1を聞いて10を知るとでもいうべきか、優秀なヒーロー見習いでした。
そういえばあのときも自分は明日でいいだろうと考えていたのに、この子は今すぐ謝りに行くべきだと言っていました。結果、ベリィベリーの様子を見る限り、彼女の判断こそ正しかったようです。
あのときすでに、ソラはシャララ隊長を一部超えていたのかもしれません。
だから、来るべきときが来たとき、シャララ隊長はこう書き残します。
「立ち止まるな、ヒーローガール。また会おう」
この子はもう、自分がいなくなっても正しく成長していける。
自分が教えるべきことをすでに彼女は全て修めている。
現時点の実力や思慮深さだけならまだ自分のほうが上かもしれないが、それも時間の問題。この子はもう、ひとりでも自分と同等か、もしかしたらもっと優れたヒーローに成長していくはずだ。ほんの数日だけの指導だったがやり残しはない。
今、彼女が歩んでいる道に誤りはない。
ほとんど遺言のような書き置きを残し、シャララ隊長は巨大ランボーグとの激戦のなか、後悔など何もないといったような穏やかな顔でMIAになるのでした。
弱きヒーロー
「ボクが意味もなくランボーグを何度もぶつけたと思ってる? 違う。倒されたランボーグたちのエナジーはこの都に密かに留まりつづけていたのさ。隊長と護衛隊はアレを浄化できないからね。――ああ、弱い人たちの精一杯のがんばりが全部ムダになってしまった! この世界はなんて残酷で、なんて悲しいんだろう!」
ずいぶん周到な手口、というよりは性格の悪い作戦です。
これ以外の手段で巨大ランボーグをスカイランド上空に呼び出すことがどのくらい困難なのかはわかりませんが、少なくともシャララ隊長らのしてきたことを徒労ということにしてしまおうという悪意は確実にあったようです。
スカイランド最強と名高いシャララ隊長の奮戦は、ムダでした。バッタモンダーがちょっと策略を巡らせただけで赤子の手をひねるかのような脆弱さが露呈する。その程度の弱者でしかない。ヒーローなんてこんなもの。ただの雑兵。
バッタモンダー>>>(越えられない壁)>>>>>王国最強の剣士(笑)の構図が、この作戦で証明されました。
ソラ。あなたが昔からずっと、今もなお憧れていいヒーローがぽっと出の敵にバカにされています。
シャララ隊長。スカイランド最強の看板を背負うあなたが敵の一幹部ごときに侮られています。
残念ながら一歩後れをとったことは事実。バッタモンダーの状況認識に錯誤はありません。少なくとも彼の尺度から評価した強さでいえば、作戦を成功させた時点でバッタモンダーはソラよりもシャララ隊長よりも強い。だからこそ、巨大ランボーグ撃破のためにシャララ隊長の犠牲を要したわけで。
倒すべき敵より弱いヒーローに、いったい何の価値があるでしょうか?
「相手がどんなに強くても正しいことを最後までやりぬく。それがヒーロー」
その言葉は、“正しい”を誰にも妨害されることのない絶対的な強さに裏打ちされています。
幼いころ、ソラはシャララ隊長に命を救われたことがあります。
それはシャララ隊長が正しいことをやりぬく高潔な意志を持っていたから、だけではありません。襲いかかる危険な植物たちを圧倒できる力があったからこそ、正しいことは最後までやり通すことができたのです。
シャララ隊長に憧れたソラはまず体を鍛えはじめました。ならば理解しているはずです。敵に打ち勝てる強さがなければ、そのときヒーローの信じる“正しさ”は――。
さあ、ソラ。今一度考えるべきときです。
弱いヒーローはヒーローたりえないのでしょうか?
バッタモンダーに負けたシャララ隊長はヒーローといえない存在でしょうか?
まして、彼女よりももっと弱いソラ自身は?
「ソラ。――ヒーローの出番だ」
少なくとも、シャララ隊長はそんなソラをヒーローとして認めてくれています。
もう一度会いたい憧れの人
「ッざけんなよォ! 弱いくせに、弱いくせに――! 強い俺に逆らうなんてありえねえ!! クソォ! ああッ!」
今回の戦いにおいて最も強かったのはバッタモンダーです。なんとか巨大ランボーグを退けることができたとはいえ、ソラは満身創痍、シャララ隊長は行方不明。肝心要のエルちゃんを守る余力はもう残っていません。ソラもシャララ隊長も完全に手玉にとられてしまいました。それは間違いありません。
だというのに、ずいぶんと不愉快そうな顔。
相手より強ければ自分が正しいと信じることを最後までやりぬくことができます。
弱ければそういうことができなくなります。
誰の目にも明らかな世の理。弱者が強者に刃向かうなんてムダなことでしかありません。
「――ボクとしたことがつい取り乱してしまった。ごめんね。怖かっただろう。はい、これでケンカは終わりだ。じゃあプリンセスをこっちに」
「けっして渡すものか!」
「この身に代えてもプリンセスは守ります!」
だというのに、またしても弱者が強者に立ち向かう。
勝てる見込みもないくせに。正しいことをやりぬく力なんてないくせに。
いったい彼らは何をしているのでしょうか?
「動くな!! そこからエルちゃんに1mmでも近づいたら、絶対に許さない・・・!」
三度、弱者が強者に立ちはだかります。
満身創痍。もはや立ち上がる気力すら残っていないくせに、気力だけでバッタモンダーを睨みつけています。
その鬼気迫る――、強さ。
これがシャララ隊長の認めたヒーローでした。
「あの日。――あの日、私はヒーローになるって決めたんです」
彼女はかつて泣きじゃくることしかできない幼子でした。
ヒーローに憧れましたが、ヒーローを名乗れるだけの強さはなく。なのに思いだけは立派でヒーローになることを志しました。
バッタモンダーの価値観に拠るなら弱者に価値はありません。ひたすらに悲しい存在で、世界に虐げられるためだけに存在しています。
ですが彼女はヒーローに憧れ、ヒーローを目指し、いつか憧れの人に再会できることを夢見て、そして今、ここにいます。
ソラ・ハレワタールは弱者でしょうか?
現実として今の彼女はバッタモンダーより弱いです。シャララ隊長よりも弱いです。
彼女が理想とするヒーローとは、正しいことを最後までやりぬく存在。ところが彼女にはそれを妨害しようという敵に打ち勝つ力はありません。
しかし。だからといって。
ソラ・ハレワタールは正しいことをやりぬくことができない人物だったでしょうか?
それはまた、別の問題。
強い弱いでいうならカバトンだって強かったです。単純な力比べではソラのほうが負けていました。
なのにソラは彼を打ち破ってエルちゃんを守りきり、さらにもっと強大なアンダーク帝国の支配者がカバトンを粛清しようとしたところに介入しては彼の命まで救ってみせました。
今回もそう。虎の子の巨大ランボーグを失ったとはいえバッタモンダーは五体満足、対してソラは立つことすらおぼつかない状態。それでも彼女はエルちゃんを守り抜いてみせました。気迫だけで。
「弱いとか、強いとか――。大事なのは正しいことをしたいって気持ち。そうですよね。あなたは間違っています!」(第14話)
あのときベリィベリーを傷つけてしまった言葉。彼女にぶつけるには不適切な言葉だったかもしれませんが、これ自体はソラの信念。ソラにとっての“正しい”こと。
敵より強くなければ、いくら正しいと信じることであってもやりぬくことはできません。邪魔されてしまいます。
だからこそヒーローは正しくて、しかも強い。
ヒーローになるためにはまず強くなる必要がありました。
残念ながら今もまだソラはバッタモンダーやシャララ隊長よりも強くありません。しかし、それにも関わらず、ソラは正しいことをやりぬくことができています。
シャララ隊長が認めたヒーローはそういう子です。
強さが身につくのはこれからだとしても、ヒーローにとって一番大切なことはもう身についている。たとえ誰が相手であってもけっして正しいことを見誤らず、最後までやりぬくことができる。
「あげる。――幸運のお守りなの」
「君とこうしてまた出会えたのは、このジュエルの導きかもしれないな」
「これは?」 「『絶対また会える』。そういう魔法がかかったペンダントです」
もう一度会いたかった憧れの人に会うことができました。
手渡したときはそういう誓いのつもりなんかじゃ全然なくて、ただ、密かに胸の内に秘めていただけの小さな思い。まさかペンダントにしてまで大切に持っていてくれるとは夢にも思っていませんでした。
この形が変わっているだけの何の変哲もないスカイジュエルのかけらにこれほどの意味が与えられるとは、ソラ自身まったく想像もしていませんでした。
ソラの憧れの先にあったもの。
その憧れの人が抱いた思い。再会できたことが嬉しくて、喜ばしくて、眩しくて。
「また会おう」の書き置きとともに、再会の記念碑は再びソラに預けられます。
何の力もない、どんな敵にも打ち勝つことができないか弱い少女は、しかし、夢をひとつ叶えてみせたのです。この記念碑にかけられているのはきっとそういう魔法。あるいは、「正しいことをやりぬく力」をそこに見出した誰かの、それにあやかろうという思い。もうひとつの密やかな憧れ。
そういう意味を持つ品物が、今度はシャララ隊長からソラの手に渡ります。
今度会えたときにはソラはヒーローになっていなければなりませんね。
シャララ隊長に憧れてもらえた、その大きな期待に応えられるだけの。つまりはソラが憧れたヒーローよりももっと強い、ヒーローが憧れるようなヒーローに。
その強さが、誰かを打ち負かすような意味での強さかどうかはさておくとして。
コメント
『絶望を超えて わたしたちは強くなる』
『無敵だと 強くなれない!
やさしいだけじゃ 越えられない』
ぶつかること、傷つくことを本作の主題歌は正面から肯定してるわけですが……まさかここまでやるとは。
次回、帰ってきて早々いきなりエルちゃんのケアに全振りできちゃうソラたちのメンタル面が少々不安に感じました。
そういやツバサのご両親のくだりって、作劇上何らかの意味とかあったんですかね。
まさか顔を合わせないわけにもいかないという、お父さんも劇中言ってた大人目線の事情はあるにせよ。
まあ可愛かったのでオールOKですが。尾羽がキュアウィングの服のボタンの形状に対応してたのが個人的ツボでした。
『ヒロガリズム』のTVサイズには出てこないその歌詞いいですよねー。サブスク配信前、カラオケで最初にその歌詞を見たとき思わず言葉に詰まりましたもん。(単純にメロディがわからなかったのもある)
毎週感想文を書いている身として、一昨年くらいから毎話のテーマに直接関係ないシーンが挿入されることが明らかに増えた感触があります。単発ギャグともまた違う、長尺でじっくり描いている割に、テーマに関わる部分と比べて明らかに物語としての密度が低いシーン。
たぶん、わざとやっているんだと思います。最近のプリキュアシリーズが取り扱っているテーマ性ってマジメにやれば無限にお堅くなる類いのやつなので、ちょっとしたギャグで空気を変える程度じゃもう換気が追いつかないんだろうなと。もはや換気じゃなくて希釈が必要になってるんだろうなと。
とりあえず3人が唐突に小鳥の姿になってピヨピヨやっているのすっげえかわいいなって。
しかもその場面に立ち会っているのが赤ちゃんと絶対適切にはツッコミ入れないガールとか完璧かよって。お花畑咲き乱れるわって。好き。
今日はスカイランド編の第2章で、最後は国王と王妃を蘇らせようとソラシド市に舞い戻ることを誓ったラストシーンである話でした
ソラ・ハレワタールが「絶対に許さない」とバッタモンダーに言い放ち切ったのはシックリ着ました!!☆☆♬
女児向けプリキュア的に最短で12年ぶりかもしれない感慨深さでしたね
それからスカイ・プリズムが「諦めない」とランボーグらに言い放ち切ったのもシックリ着ました!!☆☆♬
女児向けプリキュア的に「許さない」と「諦めない」の両方をプリキュアが言い放ち切るのは、デリシャスパーティプリキュアの第30数話にて、キュアヤムヤムに続くように、2年連続となる感慨深さでしたね!!☆☆♬
でもってバッタモンダーの豹変ぶりに私は笑い出すことがありました!!☆☆♬
女児向けプリキュア本編ではHUGっと!プリキュアの1月最初の放送日にて、プレジデント・クライが野乃 はなに対して
「キミはボクのことを恐怖の魔王だと思い込んでいる!!」
と言い放ち切って以来4年ぶりかもしれない感慨深さでした!!☆☆♬
で、次回はプリンセス・エルが桃太郎になって、エルたろうとして鬼のランボーグに対峙する話ですね
レンジャー系では2006年から2007年にかけての(轟轟戦隊)ボウケンジャーにあった話をモチーフにした感じもする話です
こう思うと、7時30分から始まって9時までに終わるニチアサ的に17年ぶりとなる感慨深さですね!!☆☆♬
>で、プリキュアとは完全に無関係なことで言いたい雑談は、ローソンフーズで
ケチャップを掛けたフランク風のパンは、そのケチャップがいくらでも味わいたくなる不思議なスパイスが効いている感じで、クセになりますね!!☆☆♬
冷やし中華の麺も完食の意欲をソソるような不思議なスパイスが効いているような感じで、また食べたくなる喉越しでした!!☆☆♬
余談ですが、ローソンでは新規オープン・リニューアルオープンの際、冷麺(そば・うどんも含む)も安売りするのがお客様からすると、本当にうれしいですね!!☆☆♬
初代『ふたりはプリキュア』の作風ならともかく、敵を許すこともよくある最近のプリキュアシリーズで「絶対に許さない!」は適切な決めゼリフなのかいつも疑問に感じているんですが、実際のところ今でも毎年出てきますし、ちゃんと作風に合う使いかたがされているんですよね。言葉ってしみじみ不思議。
バッタモンダーのあのキレ芸、生々しいですよね。すっごく。
キレ芸が生々しいと思われるのはダルイゼンは感情が欠落している、ナルシストルーは基本上品を保っていたからその反動だと思います(笑)バッタモンダーのこの話で策略で苦しめるにしても、ランボーグを護衛隊に倒させて逆に強化させたにしてもスカイランドへの被害を及ぼそうとする演出はもっと軽いものにできなかったのかと思います。護衛隊に倒されたランボーグは超巨大な戦闘機型になり、空襲をしかけるようにするとか。怪物で超巨大爆弾作って「スカイランド全体をアンダーグの闇で飲み込もう」とするならそれこそキュアマジェスティが登場した後で、スキアヘッドにやらせた方が良かったのではと思いますがどうおもわれますか?理由は、エルちゃんがキュアマジェスティに覚醒してからは目的が「プリキュアをプリンセスもろとも殺害する事」に変更されたからです。そしてもう一つ、その方がスキアヘッドとキョ―ボーグの強さがより一層わかっただろうし。
シャララが、死んだ。
では、「ヒーロー」は死んだのか?「ヒーロー」は敗れたのか?
いえ、ヒーローの志を受け継ぎ、戦いを継続する者が絶えてしまわない限り、「ヒーロー」は死なず、敗れることもない。
この“継承”のメカニズムこそが「ヒーロー」の強さであり、スカイランド陣営の強さであるのだと思います。
対照的に、アンダーグ帝国って人材を躊躇なく捨て駒扱いして(ほぼ間違いなくバッタモンダーもカバトンと同じ“処分”をされそう)、“継承”には興味がない(あるいは忌避している?)人達らしい。
また(現時点で断定は出来ないんですが)アンダーグ帝国はプリンセス・エルのこともあくまで“スーパーパワー発生装置”として欲していて、「スカイランド王位継承者を確保して“南朝スカイランド”を樹立する」とか目論んでいるわけでもないらしい。
この点でも、「プリンセス・エルの健やかなる成長を国民こぞって祝福する=スカイランド人の血脈と精神の“継承”を慶賀する」スカイランドとは対照的で――――本作に於ける戦いは「“継承”を力とする者VS“継承”を侮る者」という構図になっている……のかもしれません。
さて、戦いを若き後継者に託し、大空に散ったシャララは、何故ソラ・ハレワタールに宛てた“遺書”の中で「また会おう」などと書いたのか?
それは、ソラに“継承”される戦いが「正しい」ことを守り抜くためではなく「復讐」「仇討」のためになされてしまう――――失われた過去に執着し、未来を切り拓くことをおろそかにしてしまう――――ことを恐れたからではないでしょうか。ソラに、まだ自分が生きていると思わせる(そう思える“一縷の望み”を与えておく)ことで、まだ若いソラが衝動に突き動かされて“復讐鬼”に成り果て、「正しい」ことを放棄してしまわないよう配慮した――――のでは。
……正直言うと、「殉職したと思われていたシャララ隊長が実は生きていた」とか「アンダーグラウンド帝国によって改造(洗脳)されたシャララ隊長がソラの前に立ちはだかる」とかいう展開、手っ取り早く物語を盛り上げるのには都合がいいんでしょうけど、なんか安直な感じが拭えなくてツマランのですよね、私の好みとしては。
ソラの性格からして復讐するとかしないとかって展開には私もならないと思いますが(そもそもそれは去年菓彩あまねがやった)、ソラの場合陥りかねないのは、託された思いに固執してしまうことでしょうか。
死人は口をきかない。想い出はいつまでも美しい。そうなると、“託された”信念を絶対視するあまり視野を狭くしてしまいがちです。たとえ目の前で弊害が起きていたとしてもなかなか考えかたを曲げることができなくなる。自分の目で見ず、自分の耳で聞かず、自分の頭で考えなくなる。だって亡くなった憧れの人を批判したくないから。責任感が強い子ならなおさらです。
いわば「死せる孔明生ける仲達を走らす」の悪い側面ですね。
ソラ、シャララ隊長の思いを絶対どこか履き違えて継承してしまうと思うんですよね。
だってほら、ソラはシャララ隊長がどれほど自分を高く評価してくれていたかを知らないから。
洗脳展開が陳腐なのはホントそのとおりなんですが、こういう場面で主人公の成長を描くには便利な舞台装置なんですよね。死人が口をきくし、想い出も汚れるから。構図自体が憧れの人への批判そのもの。
バッタモンダーの豹変を見て私は爆笑sちゃいました(笑)普段はクールぶっているのに実際は喜怒哀楽が激しい人なんだなあと思いました(笑)バッタモンダーも結局はカバトンと同じで捨て駒扱いで後の34話で再登場した時は、人間・紋田に擬態して処刑を恐れて隠居生活していました。そして41話でスキアヘッドに正体を見破られて処刑されそうになりましたがましろに助けられました。