届かないから、想うのをやめるんですか? やめられないですよね。それが「愛」です。
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えー。この小説でプリキュアの前に立ち塞がるのは、本編にも登場したあの最強の組織です。
こんな感じで本当にゴリゴリネタバレしていくので、一度自分で小説を読んでからこの感想記事を読むことを強くオススメします。
<! — 改行連打なんてする気がない –>
それにしてもまあ、よくぞここまでってくらい詰め込まれていましたね!
ヒロミチお兄さんやら、
岡田が飼っていた青い鳥やら、
愛を忘れた悲しいクラリネットさんやら、
本編に登場しなかったジコチュー幹部残り2人やら、
七つの大罪ネタやら、
レジーナと亜久里のその後やら、
人工コミューンのその後やら、
人間界とトランプ王国の外交やら、
四葉財閥ってさ・・・やら、
マナりつやら、
イラりつやら、
「離れていても、離れはしない」やら、
まーた真琴が妙なあざといキャラ設定追加してたりやら、
キュアハニーのアレみたいなキュアロゼッタの新技が生えてきたやら、
あと新プリキュアやら、
10年以上ずっとファンが見たがっていたあれやこれや、10年変わらず大好きなあれやこれや、全部ぶち込んできましたね。楽しかった!
なお、私はこういうウキウキした文章を書くのがニガテなので、以下いつものノリに戻ります。
ジコチューなプリキュア
「あなたが余計なことに首を突っこむたびに、そうやって犠牲者が出るのです。あなたの足元に、何羽のツバメが横たわっているのか考えたことはあるんですか、幸せの王子様?」
マナこそがジコチューだという指摘は『ドキドキ!プリキュア』放送当時からファン(というかアンチというか)からたびたび上がっていました。最終話ではラスボスの口からも「この私に説教するとは! 貴様こそジコチューだ!」(第49話)なんてセリフまで出ていました。
実際、その通りです。
相田マナという少女は、たまたまあらゆる逆境をはねのけて、自分の信じる善意を押し通せるだけの強さを持っていただけ。たまたまステキな友達に恵まれて、どんなに苦労をかけても呆れ半分、最後まで手伝ってもらえただけ。
たまたま彼女にとってのワガママが、「誰かの喜ぶ顔を見てるとこっちもうれしくなるじゃない」(第1話)などと、究極におせっかいで、善意の塊みたいな方向に振りきっていただけ。
彼女はいつも、自分のやりたいように生きていました。
周りの苦労なんて顧みずに。救われる人と救われない人の差なんて鑑みずに。自分の限界なんてものなんかに恐らずに。
それが許されていたのは、最終的にはみんなが応援してくれていたから。
「私を誰だと思ってるの? 大貝第一中学生徒会長・相田マナよ!!」
「これはもはや、四葉財閥の力をもってしても隠し通すことは不可能――」
「隠す必要などない。プリキュアはこの世界を守るために必死で戦っているのだ。応援しよう、みんなで。――がんばれ! プリキュア!!」(第48話)
たったひとりの世界では横入りも信号無視もできなくなる――。周りの人と関わりあうなかでしかできない行為という点で、“愛”と“ジコチュー”とは、さほど大きな違いなどない概念でした。
当然、世界に大勢いる人たちのなかには、こういうふうに考える人だっています。
「ジコチューには、通常の武器は通用しません。立ち向かうことができるのは、伝説の戦士・プリキュアだけなのです。ですが……こんな年端もいかない少女たちに、地球の平和を委ねていて本当にいいのでしょうか? 日本の接続水域に、異世界の扉が開いてしまった以上、我が国の大人たちこそが、この侵略に立ち向かうための力を持つべきではないでしょうか?」
テレビの前でプリキュアを応援するみんな。
小学校に上がる前後の本来の視聴者層はともかく、大人のプリキュアオタクなら誰しも当たり前に思うことでしょう。
「これはアニメだから許されることだ」「もし、現実に彼女たちのようなムチャをしようとする子どもたちがいたならば、大人の責任として全力で止めなければならない」「たとえそれが、全くの善意によるものだったとしても」
相田マナとはそういうプリキュアです。
14歳の少女に不可能なことを成し遂げたどころか、本来ならそれを成そうとすることすら許されるべきではない――。そんなことを成し遂げた少女。
結局のところ、自分のやりたいことを、その通り最後までやり通してもらえただけの少女。
世界中のみんなを救いました。
愛と善意の窮極を果たしました。
しかし。
「助ける? 僕に言わせれば、君は何もしていないじゃないか!」
「日本の南では、自分たちの故郷の島が沈みかけて途方に暮れている人たちがいる。遥か西の砂漠では、飲み水さえなくて喘いでいる人たちがいる。北の果てでは、今も戦火に晒されている子供たちがいる……知らないなんて言わせないよ。ニュースでは散々報じられているし……何より僕は、この目で見てきたんだから!」
上を見上げればきりがなく、ほんの少し遠くを見渡しただけでも、まだ助けを待っている人たちは、いくらでも、いくらでもいる。
それが現実でした。
大いなる力には、大いなる責任が伴う
「――先に聞いておきたいんだけど。君たちはこれからどうしたい?」
「どうしたいって……?」
「ありすと、また一緒に学校に通えるようになりたいです」
『オフィシャルコンプリートブック』や『ドキドキ!プリキュア回顧録』で存在だけが語られていた、四葉ありすのお兄さん・四葉ヒロミチ。ありていにいえばボツキャラ。
人の役に立ちたいという気持ちが強すぎて空回り気味だったマナを見かねて、生徒会長になることを勧めた人物。「大っぴらに人助けをしたいなら肩書きが必要だよ」と。
今作では少し設定を変えて、彼が登場する過去エピソードが実際に語られました。
「四つの問題、すべての根っこにあるのは『信用』だ。君たちの両親は、イジメなんてないという学校を信用できなくなった。学校は生徒を信用できなくなった。君たちはクラスの仲間を信用できなくなった」
「もし君が、謂れのない暴力を振るわれて、自ら命を絶たなきゃいけないぐらい追い詰められているなら、全力で逃げろ。逃げることは恥でもなんでもない」
「だけど君は……君の望みは『ありすと、また一緒に学校に通えるようになりたい』だったよね? だったら、『信用』を勝ち取るために立ち向かわなきゃいけない。たとえそれが、辛く険しい道だとしてもね」
ヒロミチお兄さんは言います。「信用」を勝ち取れと。
たとえその相手がどんなに理不尽で、どんなに憎らしくて、どんなにこちらを敵視しているとしても。そこに居場所を得たいと“あなたが”欲するなら、“あなたが”彼らの信用を得なければならないのだと。
「やめなさい! 寄ってたかって女子をからかうなんて最低よ!」
「あんたたち、恥を知りなさい!」
「私、自分じゃ敵わないからって年上に頼るような卑怯者じゃないもん!」(第4話)
正しいことを言うだけではダメでした。
「お前こそ関係ないのにいつも出しゃばりやがって! お前、本当は自分が目立ちたいだけだろ!」
「お前、みんなからウザいって言われてるんだからな!」(第4話)
悪い子たちの口から出任せ。全部ウソ。ただ、マナに仕返ししたいためだけに出た虚言。
「出しゃばりなのはホントだろ!」
「おせっかい! 目立ちたがり!」(第4話)
だけど、彼らはふざけてなんかいませんでした。見るからにワルで鳴らしてそうなアニキの背に隠れて、必死な顔で、これ以上マナに傷つけられないで済むように、持てる力全てを使って彼らなりに“敵”と戦っていました。
善意のつもりでしてきたことを敵意で返されてしまった、マナにとって最初の苦い経験。
別にマナは彼らに嫌われたくて、ここまで追い詰めたわけではありませんでした。
悪いのは全面的に彼らのほうです。クラスの仲間であるはずのありすにイタズラを繰り返し、やがて今度はマナまでイジメはじめた。みんな仲よくあるべきだった空間に不和をもたらしたのは彼らです。
ですが現実として、マナがどんなに言葉を尽くして説得を試みたところで、彼らが更生することはないでしょう。敵ですから。部外者であるヒロミチお兄さんがお説教したところで、それはやはり同じこと。
彼らが悪いからといって、彼らのほうを直接変えてしまうことはできないのです。
だから、ヒロミチお兄さんは信用を勝ち取れというのです。
周りを味方につけるために。彼らに理解してもらうために。敵意と誤解を解くために。
マナはいつも本当に100%善意で行動している。色眼鏡なしで見てもらえばわかってもらえる。そうして見てもらうことこそが途方もなく難しい話なのだけれど、でも、そう見てもらえなければこの問題は絶対に解決できない。
悪いのは彼ら。
だけど、変えられるのは自分だけ。
変えたいと思っているのも自分だけ。
だから、彼らを正すためであっても、それは自分のほうを変えることでしか実現できないのです。
勝ち取れ。自分のために。
「無茶を言わないでください! いくらプリキュアだからって、世界中の人たちを救えるわけがないじゃないですか!」
「僕だって、幸せの王子の話は読んだことがあるよ、菱川さん……」
「……!」
「確かに、世界中の期待を背負うのは、荷が重いだろう。でもね、彼らは見てしまったんだ。君たちが起こした奇跡を。どんなに苦しくても、いつかきっと、プリキュアが助けてくれるに違いないって。君たちが来るのを待ち続けているんだ。それなのに、君は……大いなる力を得た君は、何をしているんだ?」
あのときやり遂げたマナに、再び、ヒロミチお兄さんが無理難題を突きつけます。
たとえどんなに困難でも、理不尽でも、マナなら絶対にやり遂げたいって望むはずだから。
“責任”とは、やるべきことを自分の裁量で行う権利を勝ち取るための、“力”です。
Second New World Order
ニュー・ワールド・オーダー。新世界秩序。
もともとは第一次世界大戦において、国家総力戦という、未だかつてない悲惨な戦争を目の当たりにした人々が語るようになった言葉です。
弾薬・燃料・兵器・そして財貨・人命に至るまで、ありとあらゆるものを吐き出し尽くして国家同士が激突するという破滅的な浪費損失。その悲劇が再び訪れることがないように、もはや国家という枠組み自体を捨て去るべきときではないか、と。
現実的にはそんなの不可能です。みんな、大切にしているものがそれぞれ違いますから。みんな、守りたい人がそれぞれ違いますから。
だから、SF小説なんかではシミュレーション的に、何らかの未来技術で前世界の人類の思想を統制することで、ニュー・ワールド・オーダーを実現しようと試みます。
この小説の黒幕の場合は、世界随一の経済力と科学力、ジコチューと同盟を組んで得た暴力と欺瞞によって、プリキュアも世界もまとめて組み伏せようと画策しました。
「人間なんて、こんなものです。どいつもこいつも正常性バイアスが働いて、自分の頭の上にだけは爆弾が落ちてこないと思っている。無限軌道の音がそこまで迫っているにもかかわらず、互いに罵り合い、いがみ合いを続ける有り様だ。――皆さん、舞台は整いました! 今や人間たちのプシュケーはグラグラと沸き立った状態だ。あなたたちがパチンと指を鳴らすだけで、たちまち怪物に姿を変えるでしょう! さあ、人間界を地獄の底に突き落としてください!」
一方、プリキュアであり、ある種のジコチューともとれる我らが相田マナ。彼女の場合はこういうふうに考えます。
「この学校の生徒たちは童話の人々と同じです。幸せの王子から与えられる愛に頼ってばかりで・・・! そうやってあなたが甘やかすからいけないのです! このままでは皆さん面倒なことを人任せにする心の持ち主になって、ジコチューにされてしまいますわ! そのうえマナまでボロボロになってしまったら、いったいどうするのですか!? そうしないためには、ひとりひとりが強くならなければいけないのです!!」
「うーん・・・。たしかに亜久里ちゃんの言うとおりみんな強くなれたらそれが一番かもしれない。でもね、私だって何でもできるわけじゃない。みんなそれぞれできることと、できないことがあると思うの。そんなとき、誰かを手伝ったり、助けてもらったときに、胸がドキドキするというか、キュンキュンするというか。そういう気持ちもすごく大事な気がするの。・・・それに、学校のみんなだって人に頼ってばかりじゃないと思うよ。きっと」(第32話)
マナは信じました。
みんな、同じなんだって。
本当は最初から同じなんだって。
みんなはマナが特別だって言います。マナ自身、自分がなかなかマネできないようなことをやっている自負があります。そのために小学生のころから、あるいはプリキュアになってまで、ずっとずっとがんばってきたんですから。
それでも、みんな同じなんだと思っています。
みんなそれぞれやりたいことがある。みんなそれぞれ優しい気持ちを持っている。
誰かを手伝うたび胸がドキドキして、誰かに助けられるたび胸がキュンキュンする、愛を、心の芯に持っている。
だから、そんな悲観しなくても大丈夫。
そんな強引な方法に頼らなくてもうまくいく。
私には、私たちには、あなたたちには、彼ら、彼女ら、みんなには、みんながいるから。
「あなたに届け、マイスイートハート!」
相田マナという少女は、たまたま強くなることができて、たまたま友達に恵まれて、たまたま周囲からの信用を勝ち得ていただけ。たまたま人助けを生き甲斐とする優しい子だっただけ。
その持てる全てを使って、ただ、自分のやりたいことをやっているだけ。
朝一番の挨拶運動。街角のお掃除。ゴミ拾い。側溝の泥掻き。熱中症のお婆さんの応急手当、救急車の手配。
プリキュア活動。クローバータワー999F駆け上がり。レジーナ救済。トランプ国王救出。トランプ王国復活。人助け。人助け。人助け。
好きでそうしているなかで、彼女がやたらに配ってまわる愛は、愛は、愛は、たくさんの人の心に熱く灯りました。
眠っていた愛を励起し、尻込みしていた愛を勇気づけ、照れくさがっていた愛を歓迎して。
「想いの力が人を強くする。誰かを守りたいという想いの力を持つ女の子は、誰でもプリキュアになれる。そしてその力は、この宇宙を生み出したビッグバンにも匹敵するんだ!」(第49話)
マナは自分のやりたいことだけをやります。彼女の両手は思いのほか小さくて、彼女が助けてあげられる人の数にはどうしても限りがあります。
でも。誰かを助けたいと思う人はマナだけじゃない。カッコいいマナに憧れる人もいる。いつかマナみたいに優しい人になりたいと、夢が芽生える子たちもたくさんいます。
上を見上げればきりがなく、ほんの少し遠くを見渡しただけでも、まだ助けを待っている人たちは、いくらでも、いくらでも。
そこに、新たなプリキュアが。世界中合わせて5000人ものプリキュアたちが、彼女たちの手の届く限りで、人助けをしてまわっています。人工ロイヤルクリスタルの無数の輝きのもと、これからも増えつづけるでしょう。
助けを求める人の周りにはきっと、マナじゃなくても、彼らに手を届かせられる誰かがいるはずだから。
ドキドキだけが、世界を変える。
相田マナは、これまでも、これからも、自分のやりたいことをやりつづけます。
「君を信じる。ために戦う。無敵な! 優しさ! あつめて・・・プリキュア!」(OP『Happy Go Lucky! ドキドキ!プリキュア』)
コメント
まだ途中までしか読めてない(これ打ってる時点で、ジョナサンの使い魔が出てきた辺り)ですけど、そこかしこにハピネスチャージの叩き台的な面影も見えるような。
新武器はたしかにキュアハニーwww
マナたちが小学生時代にいじめっ子と対峙した件、思った以上に大変な話だった!
映画の回想とほぼ同時期なのは意外でした。もっと小さい頃(1〜3年生時点)の話なのかと……まあ、色鉛筆の件しかはっきり描いてませんでしたしね。
本筋にはあまり関係ないですが、お父様がテレビ本編途中の裏側で「ありすが魔法少女になった」と息子に連絡した旨でツボりました。
そりゃあっちの世界にも魔法少女アニメくらい存在するよなーそうだよなーと、今更ながら謎の大発見をした気分です。
マナは総理大臣やサンタさんより前に、アンパンマンを志望してた時期がありそう。