わんだふるぷりきゅあ! 第50話感想 わんだふるなヒーロー。

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いろは! みんな大好き素敵な世界、だね!

だね!

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「ず~っとわんだふる!」

大きな出来事

メインキャラクター:こむぎ

目標

 みんなでわんだふるになる。

課題

 長いすれ違いの果てで昴とガオウはようやく言葉を交わせるようになった。
 だが、ニコダイヤの奇跡で顕界している彼らに残された時間は、語りつくしたい思いに対してあまりに短い。

 ニコ様とのお別れとともにプリキュアの力はこむぎたちのもとを離れた。
 プリキュアの力で人間の言葉を話していたこむぎ,ユキ,大福はお喋りできなくなってしまった。

解決

 昴とガオウを、こむぎはぎゅーってしてあげた。
 言葉にしなくても伝わる思いはたくさんある。一方で、あえて言葉に込めて伝えたい思いもある。

 こむぎたちがお喋りできない普通の動物でいることこそ本来あるべき日常。
 話せなくてもこむぎたちの思い、いろはたちの思いはお互いにちゃんと伝わっている。ただ、それはそれとして、お喋りできたほうがもっとわんだふるだと思う!

ピックアップ

奇跡

 ガオウが一時的に肉体を得て、しかも言葉まで話せるようになったのは、散らばった鏡石の欠片がガオウの願いごとを叶えてくれたからだと思われる。

 そんなつもりはまったくなかっただろうが、そもそも鏡石を砕いて欠片を散らばらせたのは昴の行動がもたらした結果だ。

「ガオウはずっと傍にいたんだよ。ガルガルー! ガオガオーン! ・・・って」

 身も蓋もないことをいうと、ただの声優ネタ。

 一応、以前オオカミの遠吠えは仲間への合図や意思疎通のためのものという言及があったから、いつも昴の声が聞こえるところにいたガオウが、昴の怒りや嘆きのこもった声(ガルガルやガオガオーンの鳴き声)にその都度応答していた、という意味合いで受け取ってみてもいいかもしれない。

「でもマジ! 山で迷った人をオオカミが助けてくれたそうだぞ」

 第47話の感想文にも書いたが、日本各地に“送り狼”の民話が残っている。
 基本的には「山道を歩いている人間の後をオオカミがついてくる」、「転ぶと襲いかかってくる」、「山道の出口で立ち止まって見送る」の3要素で構成される。バリエーションとして「旅の安全を守ってくれる」とか「食べものを与えるとお礼をしてくれる」といった設定が組み込まれていることも多い。
 海外の民話に出てくるオオカミに比べるとずいぶん牧歌的な話だが、これはニホンオオカミの体格が中型犬程度しかなく、そう簡単に人間に襲いかかれなかったことが理由として大きかったのだろう。

 さらに平和な物語として、↓のような民話まで伝わっていたりもする。

 数々の民話に残る人間とオオカミの関係性からは、元来日本人にとってニホンオオカミがそこまで重大な脅威ではなかったことが窺える。
 狂犬病や山林開発にまつわる悲劇さえなければ、今でも人間とオオカミは共存できていたのだろうか。

「アニマルタウンができたのは、昴やガオウのおかげってこと?」

 昴の日記が収蔵されていたのは鏡石神社。(時系列が必ずしも確定しているわけではないが)おそらくは、ガオウたちが絶滅した事件より前の時代に鏡石が降臨したものと推察される。
 アニマルタウンのルーツは鏡石の評判を聞いて人間や動物たちが集まったことなのだから、厳密にはこの解釈は正しくない。
 ただ、歴史は時代時代に変節するもの。当初は鏡石の力で人間や動物たちが共存する離礁橋となっていたアニマルタウン。しかし、鏡石を巡ってその人間や動物たちが争乱を起こし、後の時代にはさらにオオカミを絶滅させるという血塗られた悲劇が繰り返された。しかし現代に至るまでの間に、アニマルタウンはもう一度人間とたくさんの動物たちが共存する場所に回帰している。
 昴の日記がこの地域の人の心を改めるきっかけのひとつになったこと、悟たちがよく知る“今の”アニマルタウンをつくった礎であることは充分にありえる話だろう。

アジサイ

 「移り気」「辛抱強い」といった花言葉もあるが、ここでは梅雨の時期を表す季節の花として登場したものと見るべきだろう。

 長雨の後にかかる大きな虹の美しさ。
 けれど、雨の日は雨の日で楽しいことはたくさん見つかる。

 てっきり昴と同じでこむぎたちもニコダイヤの力が尽きて喋れなくなるエンドかと思っていましたが、予想してたより力技で来ましましたね。まあ、最後にまた話せるようになる展開があるなら、鏡石も復旧させとかなきゃいけないわけで、鏡石由来のこむぎたちの力が自然に失われるというのもおかしな話ではあります。
 観ている子どもたちもこの結末のほうが絶対うれしいでしょうしね。

 なお、私は今話を観たこの瞬間まで、この物語がこういうふうに着地するなんて想像もしていませんでした。
 「幸せな日々の終わり」なんて前の記事タイトルに使った言葉を今回もう一度持ち出していますが、あのときはまさかこの言葉に込めたニュアンスをひっくり返されるなんて全然想定してなかったくらいで。

みんなでつくる物語

 「昴! ガオウ来たよ。よかったね! ・・・どうしたの?」
 「ガオウは昴に会いに来てくれたんだと思うよ」

 わかっています。

 「ガオウ、すまない! 約束を守れなかった。お前を守れなかった。守るどころか――、俺のせいで・・・!」

 ガオウはこんな話を聞きに来たわけじゃないってわかっています。

 こむぎやいろはだって察していることなんです。
 そのくらい、昴がわからないわけがありません。

 でも、だからといって昴に他の何を語る権利があるというのでしょう。

 ガオウを死なせてしまったことをずっと悔やんでいました。
 そのせいで、ガオウは群れの仲間たちを守ることすらできなかったというのに。
 ガオウたちが望んでいたわけでもない復讐を勝手にやろうとして。
 ザクロに説得されていたはずなのに、それでも止められなくて。
 たくさんの罪なき動物たちに迷惑をかけたうえで、それで何か成し遂げられたのかといえば、それすらもひとつもなくて。

 合わせる顔がありませんでした。
 昴の心のうちにあった本当の願いごとは、ただ、ガオウに会いたかった。
 たったそれだけの、しかし奇跡でも起きないかぎり叶いっこなかった、特別な願い。
 人間たちに当たり散らして、無力な自分に失望して、もう二度とガオウには会えないんだと諦めて。
 そんな情けないかぎりの顛末の果て、不意に与えられた奇跡。

 「顔を上げろ、昴」

 奇跡を起こしてみせたのは、ガオウ。
 プリキュアが言うにはずっと呼びかけてくれていたんだそうです。

 奇跡を起こせたのは昴ではありませんでした。
 いったい、今まで何をしていたんでしょうか。

 ・・・謝る以外、今の昴に何ができるでしょうか。

 「無念がないとは言えぬ。だが、私には怒りも憎しみもない。――昴。お前がいたからだ。お前は我らにたくさんの幸せをくれた。身勝手な人間は大勢いるが、お前のように我らを友と呼ぶ人間もいる。我らのために力を尽くしてくれる者もいる。昴。お前がいたから、お前の優しさで、我らは救われた」

 いいえ。

 いいえ。

 わかっているはずです。
 ガオウは昴に謝ってほしくて奇跡を起こしたわけじゃないんだって。

 それがわかっていて、それでも謝らずにいられない。
 謝ってからじゃないと何の言葉も紡げない。

 残された時間がわずかしかないことは、知っているのに。

 「ガオウ! まだ――、まだお前に話したいことが――!!」

 そこに、もうひとつの奇跡。

 ぎゅーっ。

 「あのね! 犬と人が仲よしなんだから、人とオオカミもぜーったい、仲よしになれるよ!!」(第41話)

 それは、オオカミではなく人間でもなく、きっと本来両者の仲には関係なかった仔犬の願い。
 平和に幸せに育った呑気な部外者の、しかし祈りのこもった切なる願い。
 要するにただのお節介。
 だけど、冷たい現実を受け入れつつある当事者と全然違って、不愉快な運命なんてぶち壊せばいいんだと単純明快に信じ込んでいる、奇跡の担い手が思うこと。

 うだうだ言ってないで温もりを感じたらいいじゃん。仲よしなんでしょ?

 ぎゅーっ。

 「あったかい・・・。これ、ガオウやザクロともしたいな。友達って“悲しい”や“苦しい”もあるけど、でも、“嬉しい”や“楽しい”はその何倍もあるから」(第45話)

 それは、オオカミと人間との間に垣根をつくらない、ごく普通の人たちの素朴な祈り。
 出会いと別れがあるたび喜びと悲しみを何度も繰り返して、だけど結局は「友達っていいな」という結論に至った、どこにでもいる小市民たち。
 要するに、やっぱりただのお節介。
 だけど、ちゃんとしたお別れができずにいるかわいそうな子たちを見たら助けてあげたいと思う、ありふれた奇跡の仕掛け手が起こすこと。

 これはただの、幸せのお裾分け。

 「ねえねえ、ガオウ。あれ言いなよ。ガオウの気持ち! 私も言ったけど、ガオウが言ったほうが昴うれしいよ!」

 おおかたの思いはお互いの温もりを通して伝わりました。
 気持ちを運ぶことができるのは、なにも言葉ばかりではありません。
 言葉が謝罪しか運べないというのなら、ぎゅーってして、言葉にならない愛情を伝えてしまえばいい。

 そのうえで。

 「やっぱりいいね、話せるって。僕は大福のことが好きで大切に思ってるけど、大福はどう思ってるのか――。犬飼さんとこむぎちゃんはそういうことも話せるんだよね」(第7話)

 言葉というのはそれでもなお、強いもの。

 「昴。お前と会えてよかった。大好きだ!」
 「ガオウ。俺も大好きだ! これまでも、これからも、ずっと・・・!」

 奇跡は成されました。

 ガオウが起こした奇跡だけでは時間が足りず、昴が紡ぐ言葉では本当に伝えたい思いを載せられず。
 だけどたまたまこの場に居合わせたお節介な隣人が気持ちを伝える術を教えてくれて。
 ほんのわずかだけど、もう少しだけ時間をつくってくれて。

 100年の長い時間の果て、人間とオオカミの友情の物語は、みんなが起こした たくさんの奇跡<WONDER-FULL> のなかで最後のページを綴じました。

幸せな日々の終わり

 全てのことには始まりがあって、終わりがあって。
 いつか必ず訪れるお別れは身を引き裂かれるくらい悲しいけれど、でも、それが辛いからって出会いの喜びを避けたいとまでは思いません。

 「こむぎ。今日もみんな元気だね! ワンダフルー!」
 「ワンッ」

 いろはとこむぎはいつもの日常へ還りました。

 普通、犬は人間の言葉を話さないものです。それが当たり前。
 こむぎも人間の言葉を話しません。それでも思いは通じあっていました。
 だから、何も問題はありません。
 お互い何の不都合もありません。

 ほんの一瞬の奇跡が起きているあいだ、現実には起こらないだろうと思っていた夢が叶いました。
 とても幸せな夢でした。

 もちろん、今だって幸せです。
 こむぎと一緒に毎日遊べるんですから、これ以上を欲しがるのは贅沢というもの。

 あれは夢でした。
 今よりもっと幸せだったかもしれないけれど、夢は夢。
 寝て、起きたら、夢から醒めるものです。

 もう奇跡なんて起こりません。
 そもそも奇跡を必要としている人がどこにもいません。

 「こむぎ。帰ってごはんにしよ」

 「こむぎ、前みたいについて来なくなったんだよね」
 「一緒に学校に通ってたから、待ってれば帰ってきてくれるって安心してるのかも」

 「ユキ? ――あ! どうしたの?」
 「ニャーオ」  「『まゆ。私を構いなさい』」
 「はは。そんな感じだね」

 言葉なんて通じなくても、気持ちを伝えあう方法はいくらでもあります。
 いろはとこむぎは大の仲よし。気持ちを伝えられてる実感はあるし、ちゃんとわかってあげられている自信もあります。

 大丈夫。
 何もかも大丈夫。

 あの奇跡みたいな時間のなかで、わかったことはたくさんあります。

 「へー、そうなんだ。『この座布団、初めておうちに来たときお鶴ちゃんがプレゼントしてくれたの』だって。ブランケットと座布団、一緒に使えばあったかふわふわだね!」
 「こむぎちゃん、フクちゃんの言ってることがわかるの?」
 「『お散歩いっぱい連れてってくれてありがとう』だって。『歩けないけど楽しかった』って」

 「『お鶴ちゃんだーいすき』だって」
 「私もよ、フクちゃん・・・! 大好きよ。これからも、ずっと、ずうっと・・・!」
 「『眠たいから抱っこして』って言ってるよ」(第44話)

 知ることができて一番うれしかったのは、やっぱり、大好きな友達にちゃんと自分の気持ちが伝わっていたんだって確認。
 それから、友達のほうも確かに自分のことを好きでいてくれたんだっていう喜び。

 確かめるまでもなく明らかなことではありましたが、それでも、言葉に載せてひとつひとつの気持ちを教えてもらえる日々は、どうしても、どうしても、幸せなものでした。

 それはひとときの奇跡で、夢でしかなかったものだけれど。

一緒にいる幸せ

 「楽しいなって思ったときに撮ってたらいっぱいになっちゃった」
 「楽しかったよね。ニコガーデンの子たち。オオカミたち。いろんな動物と出会って友達になれた」  「お喋りもたくさんしたよね」
 「うん。いろんな動物と会えて、話して、仲よくなって、すごくワクワクしたよ」

 いろはと、まゆと、悟で想い出話に花が咲きます。
 楽しかったなあ。楽しかったなあ。口を突いて出るのはそんなありきたりな言葉ばかり。だけど、そんなありきたりの言葉を交わしているだけの時間がすごく楽しい。

 ・・・どうしてここにこむぎがいないんだろう?

 ううん。こむぎはここにいます。
 ただ、一緒にお喋りできないだけであって。

 こむぎはここにいます。
 一緒に遊ぶことだってできます。こむぎが何をしてほしいのか、いちいち言葉なんて交わさなくても、いろはには手に取るようにわかります。
 だけど、一緒にお喋りすることだけは、できません。

 「ワンダフルすぎてさびしいね。大福と話すって夢が叶ったのはうれしかったけど。でも、もう話せないんだなって思うと」
 「私も、ユキに話しかけるたび、やっぱりユキの声が聞きたいないって」
 「私も。私もね、こむぎと一緒にプリキュアやったり、一緒にお喋りしたり。それがすごく楽しかったから。楽しすぎて――、・・・さびしいなあ」

 それは贅沢すぎる願いごと。

 いろはは奇跡なんて必要としていません。
 ガオウと死に別れてしまった昴と違って、いろはは毎日こむぎと一緒にいられます。思いを伝えあうことを妨げるような障害もありません。
 だから、ここに奇跡なんて必要ありません。

 「正直、悲しい気持ちはなくならないわ。家にいても、お散歩してても、フクちゃんのことを思いだして泣いちゃいそうになることもある。・・・でも、お亀ちゃんとお鹿ちゃんが話を聞いてくれるから」(第45話)

 これはただの、幸せな日々の終わり。
 ひとつの幸せが終わっただけで、他の幸せはまだまだたくさんある。これからもたくさん生まれてくる。
 たったひとつの幸せにいつまでも執着するなんて、そんなの、ただ自分を不幸にしてしまうだけ。今ここにある幸せが見えなくなってしまうだけ。

 昴にはガオウの声が聞こえなかった。
 心はすぐ傍にいてくれていたのに、昴はガオウを蘇生させるまで会えないと思いこんでいて、それで、昴はガオウに気づけなかった。
 ガオウの声を聞くことができなかったから、ガオウの思いを知ることはできないと思いこんでいたから、昴はたったひとりでむなしい復讐を続けてしまった。

 今感じているこのさびしさは、悲しみは、ただの、幸せな日々の終わり。

 「こむぎね、ずっといろはとお喋りしたかったの! だからうれしい!」
 「私も。私もこむぎとお喋りしたかったよ。すごいね! 夢、叶っちゃった!」(第2話)

 「いろは、オオカミと友達になりたいんでしょ?」
 「・・・なれたらいいんだけど」
 「なれるよ! だって、こむぎも最初はガルガルしてたけど、いろはのこと大好きになったよ! ガルガルだった子たちとも今はすっごく仲よしだし。いろは、世界中の動物と友達になるんでしょ?」(第30話)

 ――かつて、いろはの夢を代わりに叶えてくれようとした友達がいました。

 いろはが叶いっこないって思いこんで、あるいは挫けて、諦めそうになったときも。
 いろはよりもずっと強く、いろはの夢が叶うことを信じつづけてくれた友達がいました。

 「いろは! なれたね、オオカミと友達に!」
 「友達・・・。なれたのかな? ――よかったあ」

 果たして、いろはの夢は現実に叶いました。
 もちろんいろはもがんばりましたが、この夢を叶えられたのはいろはだけの力じゃなくて、むしろ、一番がんばってくれたのは――。

 「こむぎはいろはと一緒にいたくて、だからプリキュアになったんだよ」

 「昴に伝えたいことがあるんだ。フレンディ。一緒に来てくれる? ――行こ!」(第49話)

 ――こむぎ。

 最初は危ないことなんてしてほしくないと思っていました。
 まして、自分の夢なんかのためにこむぎが痛い思いをするなんて、こっちも心が痛いだけだって思っていました。
 だけどこむぎは全然やめてくれなくて。
 むしろ、いろはがいくら止めようとしても、「自分がやりたいからやっているんだ」って、ますますやる気になってしまって。

 いろはがもう諦めようと思ったときもひとりでがんばって。
 仕方ないからもう一度がんばってみようって思ったらすごく喜んでくれて。
 ふたりでならまた不思議とまたがんばれて。

 結局、昴やオオカミたちのことみんな、みんな、本当にわんだふるにしてあげられて。

 もう、自分は充分に幸せだと思っていました。
 これ以上を望むのは贅沢だ。
 これ以上の奇跡なんて必要ない。
 納得していたはずでした。

 だけど、こむぎにはそんなの関係ないのです。

 こむぎは、こむぎがいろはのことを大好きだから、こむぎがそうしたいと願うから――。

 「いろは――!!」

 だから、再び奇跡を起こすのです。

 要するにただのお節介。

 こじれにこじれた人間とオオカミとの関係を解きほぐしたときとまったく同じ気持ちで。同じノリで。同じテンションで。
 平和に幸せに育っただけの呑気な部外者は、だけど、冷たい現実を受け入れつつある当事者とは全然違って、不愉快な運命なんてぶち壊せばいいんだと単純明快に信じ込んでいるのです。

 「ねえ、こっちにおいでよ! 一緒に遊ぼうよ! 何かお願い事があるなら鏡石にお願いしなよ! おーい! おーい!!」(第23話)

 こういうときは鏡石にお願いしたらいいんだよ。また一緒にお喋りしたいもんね。

 「いろは。さびしくないワン。こむぎはいろはとずっと一緒ワン。ずっと仲よしワン!」

 今ここでのほほんと笑っている小さな仔犬が、いろはのわんだふるなヒーロー。

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    コメント

    1. 亀ちゃん より:

      今日は私の現職の会社の元後輩同僚(私の弟よりも年下だけど)の儀式のために、吉備津神社で祈祷帰りに感想を書きたくもなったわんだふるぷりきゅあの最終回でした
      今回ばかりはプリキュアシリーズを本格的に視始めてこれ以上ないほど全般的に熱く語りなくなるようなこれ以上ないほど素晴らしい最終回でした
      こむぎもキュアワンダフルがプリキュアで変身していられる内にガオウと昴が完全改心出来切っているうちにギューとキュアワンダフルの無理強さもあり抱き締めさせるような感じで、キュアホワイトソックスはキュアワンダフルのことになるとこういう意味で嫌うのも無理もないでしょう
      でも私はこれを見てカーテレビで楽しんだようなものですが、やっぱり狼をどこまでも大事に思う人間とその人間のことはどうしても縁を切るようにはいかない狼の本能が絶妙に交じり合ってこれもわんだふるぷりきゅあの最終回は今までにないほど素晴らしいところがあったと言えます
      もちろん今日の午後になってからはわんだふるぷりきゅあのオープニングを動画で再生した時も
      甘えたがり 淋しがり
      それらもすべて抱き締めてあげるから
      ってな感じでわんだふるぷりきゅあのオープニング主題歌では2番で物語らせることで、フルで気になるプリキュアファンには絶対におススメ出来ますよ!!☆☆♬
      わんだふるぷりきゅあのオープニング主題歌の2番の歌詞が動画で再生していて嫌でもその意味がこれ以上ないほど素晴らしく感じたのは私の場合、今日が初めてで、わんだふるぷりきゅあの最終回もこうなるように出来ていた素晴らしいシリーズ構成から私もこんなウキウキしたりするわんだふるぷりきゅあの最終回であるアニメ本編とオープニング主題歌のコラボレーションですね!!☆☆♬
      もし今現在の女の子もTVerでこのわんだふるぷりきゅあの最終回を改めて視終えた後で、わんだふるぷりきゅあのオープニング主題歌をCDでも聴き直すのは、私の経験談的にも絶対絶対おススメ出来ます!!☆☆♬
      明日でも来週の土曜までなら当然遅くはないですよ!!☆☆♬
      セリフに関しては2つ聴き応えがあるとここでは言いたくなるパターンもありましたが、私がここで書きたくなるし、でもって自分個人としてはこれからもまた聴きたい女児向けプリキュアのセリフに関しては「何々」がその一つですね
      他にもあったはずなのではそれはTVerでジックリ改めて観られる時にまとめてまた書き直す気は私はマンマンです!!
      しかし今回はわんだふるぷりきゅあの最終回でセリフのことより全体的な内容のことを熱く語りたくなりましたね!!☆☆♬
      このサイトでも投稿の常連様はいつもいつもこの日のプリキュアのことを全般的に熱く語ろうとしています
      この亀ちゃんは今日は自分自身がピックアップするセリフのことばかり熱く語ろうとするのではなくて、全体に視点を向けた上でプリキュアの感想を熱く語りたくなって、こんな感じで久しぶりにこんな気分になった女児向けプリキュアの最終回は当然このわんだふるぷりきゅあが私には初めてです!!
      私もデリシャスパーティプリキュアには私個人としてはいつもはセリフのことばかり熱く語りたくなる
      それでもたまには他の投稿の常連様と同じように全般的に熱く語りたくなる時だってある
      私は当時デリシャスパーティプリキュアの時はそんな話が女児向けプリキュアにはあってもいい
      ってな感じで書かせてもらいましたが、私という大人のプリキュアファンにはたまにはこういう話も1年間に通じて1つや2つはあった方が、フェアな意味でプリキュアファンを続けるにも必須なことだと今日になって初めて気づいた気がします
      ちなみに私は明日昼まで(12時が定時)でも(私の現職の会社で)仕事なので、もっと詳しい解説の書き込みは明日から来週の土曜までをメドにさせてもらうつもりですよ
      もちろんそのための時間は来週の平日にもキッチリ時間はあるはずですし、私もわんだふるぷりきゅあの最終回を1番のメインである感想にするとそれについては書き残している感じもするのでなおさらです

      • 疲ぃ より:

         2番というか、Cメロですかね?
         幸せな想い出は誰かと共有するからふくらんでいく。
         不幸せな気持ちは誰かが抱きしめてくれると救われていく。

         NHKの『おかあさんといっしょ』にすごい昔『ふたりはなかよし』という曲があって、そのなかでも「たのしいことはふたりぶん、かなしいことははんぶん」と歌われていました。(自分でも何曲あるのかわからない)私の魂に刻まれた名曲のひとつです。
         昴とガオウの関係はまさにこんな感じ。こむぎが喋らなくなったあとのいろはも同じ様子でしたね。最終話を見終えたあと、ふと思いだして久しぶりに聴きました。
         いいですよね、こういう関係――というか、こういう考えかた。

    2. 東堂伊豆守 より:

      ガルガルやガオガオーンの正体はガオウだった、そうな。
      ガオウは悔恨と未練と憎悪をこじらせにこじらせて怨霊に魔界転生したスバルの復讐戦に、心ならずも従わされていただけだったのだろうか?必死に犬飼こむぎに救援を求めて、彼女にだけ感知出来る遠吠えメッセージを送るのが精一杯だったのだろうか?
      もしかすると……悔恨・未練・憎悪に取り憑かれ成仏も出来ずにアニマルタウン近郊を彷徨うスバル達の魂を救うために、他ならぬガオウが2024年アニマルタウン戦争を仕組んだのかもしれません。
      アニマルタウンに於いて人間と動物の幸せな共存が実現されたタイミングを見計らい、スバル達を魔界転生させる。そして人間達が滅ばない程度にスバル達を暴れさせて“憂さ晴らし”させ、さらに人間と動物の共存する様も見せて、スバル達が納得して成仏出来るようにお膳立てした。
      また、スバル達の復讐戦を通じて、人間達に「二度と人間と動物が憎しみ合い殺し合う不幸な歴史を繰り返すな」と警告を与えることも狙っていた、のかも。
      そもそも、ガオウが人間達を全く恨んでいなかったとは言い過ぎで、ガオウ自身「人間を滅ぼしたいとまでは思わんけど、死なない程度に痛めつけて懲らしめるくらいはやっておきたい」というあたりが本音だったかもしれないし。
      で、スバルの復讐戦が人間絶滅にまで至らないようコントロールするために、種族という点でも生活体験という点でも人間と狼の中間的存在である犬飼こむぎに火消し役・仲介役を依頼するという“マッチポンプ”を仕込んでおいた―――なんかガオウさん、さすが狼一族の首領だけあってと言うべきか、えらく深謀遠慮の働く策士なのでは?!それこそ鏡石がプリキュアを出現させたのも、ガオウさんの依頼によるものだったのかも……。
      何だろうこの、本当は何も分かってなかったクセに、さも全て分かっていたかのようなフリをして神様っぽい威厳を保とうとするダイヤモンドユニコーンとの“格”の違いは。鏡石=ニコダイヤを扱う技量も格段にガオウの方が上手のようだし、最後の最後までニコ様のポンコツぶりが描かれ続けたシリーズだったような気が……。
      そうなると、昔「人間と動物が会話出来るようになれば、きっと皆仲良くなれるはず」というニコ様の安直な短慮によって設置された鏡石が原因で勃発した人間動物アニマルタウン戦争について、結局劇中で言及されずじまいだったのは、これ以上ニコ様のポンコツぶりを視聴者に晒すのは忍びないという東堂いづみの配慮だったのかもしれません?!
      (そういや、ニコ様が狼達に、復讐戦を止めさせる強行手段を取らなかったばかりか(無関係なはずの)ニコアニマル達をガルガルにされ人間達への刺客として利用されたことについても一切お咎めなしだったのは、「復讐戦を邪魔したら、お前の鏡石をめぐる過去の不祥事を皆にばらすぞ」と牽制されていたから……と考えると辻褄があってしまうような気が)

      • 疲ぃ より:

         あそこ“ガオウがガルガルやガオガオーンになって昴の代わりに暴れていた”と解釈しようとすると、だいぶわけのわからない話になるので、メタネタという理解に留めて深く突っこまないことにしました。
         ガオウは人間を恨んでいるか恨んでいないかでいったら、もちろん恨んでいるんでしょう。それが些事に感じられるくらい昴との友情が大きかっただけであって。

         昴は目覚めたら現代だったみたいな言いかたをしてましたが、ニコ様とお互いに面識があった以上、本当は過去にも一度蘇ったことがあるはずなんですよね。たぶん、そのときはニコ様が活躍して鎮めたんですよ、きっと。

    3. 与方藤士朗 より:

      週末にTverで改めて見直して、やはり、このわんだふるはアリス=谷村新司の世界観と極めて酷似していると感じずにはいられませんでした。
      それを子供向けに表現したら、なるほど、こうもなるかな、と。

      この最終回でようやく気付きました。
      わんだふるぷりきゅあのテーマは、ずばり、アリスがまだ売れていないころからの曲で実際コンサートのラストでも歌われていたこの曲の歌詞通りです。

      明日への賛歌 作詞作曲 谷村新司

      これはアリスの2枚目のシングルのA面です。B面の「あなたのために」という曲も、たしかにこのわんだふるのイメージにピッタリな曲です。こちらのほうが、重くないかな。

      まあ、今どきの子らの前でアリスもないかとは思いますが、その世界観とあまりに酷似する内容ではありました。それにしても、ラスボスが「昴」では、ねぇ(苦笑)。
      そうですね、私なら、動物側の視点に立ってこの わんだふるぷりきゅあ のための曲をアリスの中から選ぶかと、ちょっと、考えてみました。

      OP WILD WIND ~野生の疾風 作詞作曲 谷村新司
      ED 明日への賛歌 作詞作曲 谷村新司

      こんなところでしょうか。
      時に触れて、特別なワンダフルってことで、デビュー曲の(軟弱と呼ばれたもととなった)
      走っておいで恋人よ
      や、それこそ、チャンピオンをEDに入れるといいかと。

      もうひとつ、鶴さんのところのフクちゃんが亡くなるあの会に関しては、アリスの(決して森田公一作曲の有名なあちらではない)「青春時代」あたりを入れたいかなと。
      ~ センター試験の現代文の評論の問題文で引用されたこともあります。

      悟といろはを主軸に据えるなら、こうでしょう。
      OP 君の瞳は10000ボルト 作詞 谷村新司 作曲 堀内孝雄
      ED 走っておいで恋人よ 作詞作曲 谷村新司
      ~ この選曲は、キャプテンフューチャーのOPとEDのイメージを参考にしました。内容的には少しずれますが。

      実際にこの組み合わせをニチアサに披露したらとんでもないことになるでしょうが、裏設定的にDVDで該当回を見る前と後にその曲を聞いてみたら、案外、当たっているような気もしますね。

      ともあれ、ガオウと昴がいい形で元のさやというよりも弁証法的に新たな次元に昇華される形になって終わったことは、私にはうれしい限りです。
      次はアイドルが主人公ということですが、私も、キュアアイドルかもしれません。
      ただし、怠け者のアイドルのほうでして(汗汗)。
      ~ パリオリンピック投げやり(やり投げなんて面倒なことはしません~わっはっは)無差別級金メダリストですが、いまだにIOCからメダルが送られてきません(そらそうか)。

                   プリキュア御意見番・名代藤本定義

      • 疲ぃ より:

         OK. 今すぐMAD動画をつくるんだ。
         ・・・いえまあ、今どきそんな著作権的にアレなもの手間暇かけてつくってもすぐ消されちゃうだけでしょうが。

         怠け者のアイドルってピンと来なかったんですが、「idel」という単語があるんですね。へー。初めて知りました。

         主人公(今回はガオウもこっちサイド)と悪役の対立軸が思想に出る以上、プリキュアシリーズの結末は必然的に弁証法的になりますね。

    4. Overseas Reader より:

      忙しさにかまけて、最終回を観た後もコメントするのを忘れていた。遅ればせながら感想を少し。
      『わんだふるぷりきゅあ!』には最後まで感動させられた。キャラクターたちに適切なペーソスを吹き込んだ声優たち、特に悲劇的な昴に賛辞を送りたい。
      悲しみに暮れる。 友人を救うことはできなかった。 高宇の仇を討つこともできなかった。
      鏡石は彼の懇願に応えなかった。100年前も今も。

      私は昴が弱い側に少しあったことが好きでした。
      怪物と化した彼は、こむぎを傷つけ、いろはを悲しませる姿に絶望の淵に立たされる。
      結局のところ、彼は優秀な黒幕でもなければ、止められない悪の力でもない。
      彼は孤独な男で、オオカミしか友だちがおらず、オオカミを守ろうとして死んだ。

      彼の失敗は、『ギルガメシュ叙事詩』の一節を思い起こさせる。
      「Enkidu said to him, to Gilgamesh: / “My friend, my heart burns · · / · · shakes with sobs. / Fear has stepped into my heart, / grief has tied knots in my neck.”」
      「Shamash was worried. He bent down / and said to Gilgamesh: / “Gilgamesh, where are you going? / You will not find the life you seek.”」
      「Gilgamesh said to him, to Uta-napishti: / “How could my cheeks be full, my head held high, / my heart not wrecked, my body not broken? / How could my mind be full of anything but grief?”」

      ニコもどちらかというと弱かったが、それも良かった。
      彼女は神にも似た最強の生物かもしれない。…しかし、彼女は止められないようなすごい力でもなかった。
      そして、ニコが人間との接触を絶とうと焦っているのを見て…。結局、彼女は彼らを信頼することができず、永久に連絡を取り合うことができませんでした。
      彼女の考えでは、ニコ・ガーデンを永遠に閉鎖し、魔法を取り去ることが最善だった。

      第50話で奇跡の喪失を扱ったのも良かった。
      “All good things come to an end”
      でも悲しい。 いろはの悲しみに寄り添っているのがいい。

      それに、もっと小規模でローカルな話だったのもよかった。アニマルタウンは、生活の場のように感じました。
      人間界を破壊するという昴の壮大な主張も、すべてはアニマルタウンで始まり、アニマルタウンで終わる。

      もちろん、もっとうまく処理できたのではないかと思うこともある。
      例えば、キラリンアニマルスは、明らかに有用なもの以外は、ひどく活用されていない。
      また、いろはやこむぎの同級生など、脇役の存在感が薄かったように思う。 もっと彼らのやりとりが見たかった。
      そして東映は、シーズンの大半の間、アニメを飢えさせることを避けることができたはずだ。
      というように…

      でも結局、個人的には一番好きな『プリキュア』シーズンかもしれない。

    5. イガイガ より:

      こんにちは。私も最終回まで見ました。敵キャラが全滅にしてもこれまでのシリーズとは違って優しい演出でしたね。全員『トロピカル~ジュプリキュア』のあとまわしの魔女と同じ最期でした。 わんぷりも続編作られそうな終わり方だと思ったのでもし作られたら、まずはニコガーデンでお疲れ様会をやっている所やキミプリとの共演でうたが犬のきゅーたろうのいろはの実家に連れて来る所が見たいです。

      今やってるキミプリも楽しみです

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