
この部屋をかたづけたら、他のことももっと忘れちゃうのかな・・・。

「わんわん!きゅーちゃんと一緒!」
大きな出来事
メインキャラクター:うた
目標
お婆ちゃんとの想い出が失われる不安感を解消する。
課題
久しぶりにお爺ちゃんの家に遊びに来たところ、お爺ちゃんが亡くなったお婆ちゃんの部屋をかたづけたいと言いだした。
うたはもともとお婆ちゃん子であり、想い出の場所が失われることに強い忌避感を抱いた。うたにはお婆ちゃんとの大切な想い出があったはずだが、それも今ではおぼろげになって、はっきりと思いだせない。お婆ちゃんの部屋がなくなったら他の想い出も消えちゃうんじゃないかと不安になる。
解決
きゅーたろうとプリルンたちがお婆ちゃんの埋めたタイムカプセルを見つけてきてくれた。お爺ちゃんから「どんな悲しみも吹き飛ばせるほど素晴らしいもの」が埋まっていると聞いたんだそうだ。
タイプカプセルのなかにはうたが最初につくったリボン付きスプーンマイクが眠っていて、それを見た瞬間、うたの心に大切な想い出が鮮明に蘇った。
お爺ちゃんが言うには、お婆ちゃんは亡くなる直前までこのスプーンを大切にしていて、いつかうたが必要とするときに譲り渡せるように、タイムカプセルに入れたのだという。
想い出は蘇るものだということを知って、うたはお婆ちゃんの部屋がなくなってしまっても大丈夫になった。
バトル
きゅーたろうを素体としたスリッパ型クラヤミンダー。
苦戦
体当たりと蹴りを得意とし、何度技を当てても立ち上がるタフな敵。お婆ちゃんのタイムカプセルに気を取られたうたをすかさず攻撃してくる抜け目無さもあり、なかなか倒しきれなかった。
勝利
お婆ちゃんとの想い出を取り戻して悲しみを振りきったうたが浄化した。
ピックアップ
仔犬のきゅーたろう

ゴールデンレトリバーは生後12ヶ月で成犬と同じ体格になるため、うたの一連の過去エピソードは(きゅーたろうとの出会いも含め)全て同じ年の出来事だと思われる。
お婆ちゃんが亡くなったときもまだ仔犬だったことから、本当に短い間の出来事。きゅーたろうを飼いはじめ、うたのスプーンをもらってから、1年経たずに亡くなったことになる。
総合すると、うたが小学1~2年生のころの話だろうか。そのくらいだとはもりはまだ物心ついていなかったかもしれない。
タイムカプセル

中に入れたものはうたに秘密にしつつ、お婆ちゃんとうたとで一緒に埋めたものらしい。クッキーか何かの空き缶をそのまま埋めただけでよく6年も耐えてくれたものだ。
うたがスプーンマイクをつくったのは夏の出来事だったわけだが、その後お婆ちゃんが急に体調を崩したため、この年は夏休み以外にも何度か顔を見せに来ていたのだろう。
スミレ

スミレの花言葉は「純潔」「あなたのことで頭がいっぱい」「白昼夢」など。
元来は道ばたでひっそりと咲く奥ゆかしさから「純潔」というイメージがついたようだが、そのイメージからシェイクスピアの『ハムレット』や『十二夜』などで悲恋を嘆くシーンに登場するようになり、やがて儚く悲劇的な恋から連想される花言葉を託されるようになったのだろう。
ホームカラオケシステム

おそらく1980~90年代の製品。音源の再生機器とマイクアンプ、スピーカーがセットになっている。
この時期カラオケスタンドという新業態が誕生し、日本中でカラオケが大流行していた。ただし通信カラオケが当たり前な現代と異なり、当時のカラオケは曲ごとにレーザーディスクを入れ替える形式(大抵は店の人に曲番号を伝えて再生してもらう)だったため、やや利便性が悪く、利用料もそこそこ高かったため、気軽にヒトカラを楽しめる環境ではなかった。
そんなわけで、割と早期からこの手のホームカラオケシステムの需要も高かったようだ(私の祖父の家にもあった)。やたらデカくていかにも高価そうだが、それでも店で歌うよりいいという需要が確かにあったわけだ。咲良家が58回もカラオケ大会を催しているのも、せっかく高い買い物をしたんだから使い倒したいという思いの表れだろう。親族に不幸があったとき以外、盆と正月の年2回開催していそう。
音源はレーザーディスクとカセットテープに両対応していることが多い。レーザーディスクならテレビにつないで映像も映せる。カセットテープだと音だけ。なお、通信カラオケじゃないのでもちろん最新曲は収録されていない。というか当時基準ですら割と高年齢層向けの歌謡曲か演歌しかソフトが出ていなかった印象がある。おそらく、うた以外も全員アカペラで歌ったんじゃなかろうか。せいぜいマイクを使ったくらいで。たまらずこころがキュアチューブでカラオケ音源を検索、みたいな一幕もあったかもしれない。
雲散霧消
「お婆ちゃんの持ち物で何か欲しいものはあるか?」
「え?」
「わしももう歳だ。元気なうちにお婆ちゃんの部屋をかたづけようと思ってな」

お爺ちゃんが急に悲しいことを言いだしました。
今日はせっかく友達も連れて全力で遊び倒したいと思っていたのに、不意打ちでした。
お婆ちゃんのことは今でも大好きです。お別れは悲しかったですが、忘れるはずがありません。
部屋がなくなったからって、お婆ちゃんとの想い出まで消えてなくなるわけじゃありません。
想い出は今でもちゃんと胸のなかにあるし、大好きって気持ちはいつもうたと一緒にあります。
お爺ちゃんも、きっとそのつもりで声をかけたんでしょう。
ただ、うたはまだ中学2年生でした。
大人の感覚だと、そのくらいの年齢ならもう悲しみを乗り越えられるはずだと思うでしょう。でも、想像してみてください。そのくらいの年齢って、大切な誰かと死別した経験がまだそんなに多くないんです。もしかしたらお婆ちゃんが初めてだったのかもしれません。
悲しみを受け入れることだけなら、そう。できるでしょうとも。でもね。想い出の場所が消えてなくなっちゃう体験となると、たぶんうたは今回が初めてだったんじゃないかと思います。
今まで当たり前だったものが当たり前じゃなくなる。
この年ごろの子がそれを経験するのって、まだなかなか無いんですよ。私立中学校にでも行かない限り、小学校の友達はほとんど全員中学校に持ち上がります。大抵の子は、友達とのお別れを経験するのは高校に進学するとき。それこそこころみたいに一緒に暮らしている家族を亡くすようなことでもなければ、当たり前が当たり前じゃなくなるって経験をする機会、なかなか無いんです。
お婆ちゃんの部屋はうたが生まれる前からここにありました。
毎年遊びに来るたび、中で遊ばせてもらっていました。
お婆ちゃんとの想い出も、それ以外の想い出も、きっとうたにはたくさんあったことでしょう。
それが、なくなってしまう。
脅威でした。アイデンティティを揺るがすほどに。
お婆ちゃんが死んだときも悲しかったですが、これは別種の悲しみです。悲しみというか、不安のほうが感情としてはきっと強いでしょう。
なにせ初めての経験なんです。乗り越えるしかなかった死別と違って、こちらはうたが嫌と言えばお爺ちゃんも諦めてくれるかもしれない。だからこそ、余計に意識することになるんです。
お婆ちゃんの部屋がなくなったら――、どうなるのか。
それが怖いんです。お婆ちゃんの部屋と一緒に、自分のなかの大切な何かまで一緒になくなってしまいそうで。
「あれ? たしかその後なにかあったんだけど――。忘れちゃった。この部屋をかたづけたら他のことももっと忘れちゃうのかな・・・」

記憶は時間とともに薄れゆくもの。
どんなに大切な想い出だって、細かいディテールは時間とともに散っていくもの。まるで砂でつくったお城のように。風に吹かれて少しずつ削れていく。
あるいはお昼寝で見た夢みたいに。起き上がって、意識が鮮明になるにつれ、霧が晴れるようにさらさらとどこかへ消えていく。
それで当たり前なんです。それが普通なんです。
だけど、センチメンタルな今のうたには、それが異常なこととしか思えませんでした。
何か大切なものをなくしてしまったから、記憶までなくしてしまうんだ――。
「あ。そういえばお婆ちゃんが昔、このあたりに宝物を埋めたと言っていた。それはどんな悲しみも吹き飛ばせるほどすばらしいものだと話していたが・・・」
「悲しみを吹き飛ばす?」
「それを見つけられれば!」
そう。今のうたに必要なのは、お婆ちゃんの部屋がなくなっても想い出を忘れないでいられる方法ではありません。
忘れても大丈夫なんだって、変わらず前を向いていられる勇気。そのきっかけです。
ぜったいにたしかなもの
「友達とケンカしちゃった・・・。どうしよう」

幼いうたにとって、それはこの世の終わりにも等しい絶望的な出来事でした。
昨日まで一緒に遊ぶのが当たり前だった人が、明日からはもう二度と一緒にいてくれなくなるかもしれないんですから。
これも初めての経験です。目の前が真っ白になって、何をどうしたらいいのか見通しが立ちません。
「大丈夫。ちゃんとごめんなさいすれば心は通じるものよ」
「本当に?」
「本当に」
大人であれば、そのくらい大したことないと楽観的でいられます。
そういう経験なら何度だってしてきましたから。実体験として、大丈夫だと知っています。
そのあと――。お婆ちゃんは何て言ってたっけ?
きっと大事な想い出だったはずだと思うのですが、なぜかうたには思いだすことができません。
たぶん単純な話、覚えておく必要がなくなったんでしょうね。その後ちゃんと仲直りできたから。
自分で思っていたより全然深刻なことじゃなくて、ごめんなさいひとつで拍子抜けするくらい簡単に友達に戻れたから。
実際、その後の流れでお婆ちゃんは大したことは言っていません。とにかくしょんぼりしてないで元気を出して、という話を繰り返しただけ。
うたの悩みを解決するにはそれだけで充分でしたし、それが一番大切なことでした。
とにかく大丈夫だって信じること。前を向いていさえすれば自然と事態は好転する。
「僕がうたのショボッボボンボンを消してあげたい。だけどどうしたら? ・・・そうだ!」

きゅーたろうがいい声でお婆ちゃん譲りの謎ワードを発声します。
なんだこのキテレツな語感。NHK教育テレビがこういうの好きそう。お婆ちゃん、たぶんうたと一緒に『おかあさんといっしょ』か『みんなのうた』あたりを見ているうちに気に入っちゃったんだろうな、ショボッボボンボン。
きゅーたろうが思いついたのは、お婆ちゃんが隠したらしい「どんな悲しみも吹き飛ばせるほどすばらしいもの」を手に入れること。スーファミ時代のRPGか何か?
きわめてご都合主義的なスーパーミラクルアイテムでしたが、実際今のうたに必要なのはそういう曖昧なものでした。元気を出してあげられたらそれだけで解決するはず。
「諦めないぞ。僕もうたを笑顔にしたい。あのときのお婆ちゃんみたいに!」
きゅーたろうはあの日のお婆ちゃんのイズムを継承していました。
深刻な悩みを抱えて泣きべそかいていたうたを、プリンひとつであっという間に笑顔にしてみせたあの魔法。とにかくショボッボボンボンをなくしてあげられたら、うたなら自分でいい方向へ進んでくれる。
当時まだ生後数ヶ月だったきゅーたろうにとって鮮烈な光景だったのでしょう。あんなふうに人を笑顔にできるだなんて。あれだけで万事うまくいくだなんて。
犬に歴史あり。その歴史書の1ページ目に書かれていた大事な教訓でした。
「お婆ちゃん。プリンとってもおいしかった!」
「うたは笑顔がかわいいよ」
あのあと、お婆ちゃんがうたにしてあげたことはプリンを食べさせてあげたことだけ。
その続きは全部うたがしたことです。
何かに気付いた顔で、うたはお婆ちゃんにリボンをねだりました。そのリボンをプリンを食べたスプーンにかわいく巻きつけて、そして、歌ったのでした。
「うた、お婆ちゃんに歌います! ♪ いつもお婆ちゃんありがとう 一緒にキラキラ ばあちゃん(ばあちゃん) 一緒(一緒)――」
「お婆ちゃん。歌うとショボッボボンボンな気持ちがキラキラ――、じゃなくて、もっと、そうだ! キラッキランランになるんだね!」

なんで突然歌いだしたのかは誰にもわかりません。たぶん、プリンがおいしくてウキウキした気持ちが、何か別の機会に歌を歌ってウキウキしたときの記憶と唐突に結びついたんでしょう。子どもってそういうところがあります。なんかよくわからないタイミングで急に自己解決します。
きゅーたろうはそういう、うたの強さを信じました。
うたはお婆ちゃんの部屋がなくなることを何かしらの理由で怖がっている。でも、そんなの大した問題じゃない。
うたなら乗り越えられる。あの日のお婆ちゃんみたいに、ショボッボボンボンをキラッキランランに変えてあげることさえできれば、うたは自分でどこまでも前へ進むことができる。
お婆ちゃんがそう信じていたみたいに、きゅーたろうもまた、うたの強さを信じていたのでした。
「やはり、きゅーたろうをうたのところに行かせてよかった。きゅーたろうはずっと寄り添ってくれた。うたときゅーたろうは親友というのだろう。なあ、お婆ちゃん」
なくなってしまうことが漠然と不安で、だけど本当はいつも消えずにそこにあるもの。
ここに絶対、確かにあるんだって信じるだけで、いくらでも勇気が湧きあがってくるもの。
それを何と呼ぶのでしょうか?
「ねえたま。何が埋まってるかもわからないのに、どうして泥だらけになってまでがんばるメロ?」
「プリルンは、うたのためにできることがあるならがんばりたいプリ!」

それはうたとお婆ちゃんの間に今もあるもの。
うたときゅーたろうの間にあるもの。
プリルンとうたの間にあるもの。メロロンとプリルンの間にあるもの。ななとうたの間にあるもの。こころとうたの間にあるもの。仲よしのみんなの間にあるもの。
今回うたに勇気をくれた、絶対に確かなものとは、絆でした。
白昼夢より
「あれ? 寝ちゃってた? みんなどこ行ったんだろう・・・」

お婆ちゃんの部屋にできた、ちょうどひとりぶんの陽だまりのなかで、うたは目を醒まします。
すぐにクラヤミンダーが現れたことに気がつきました。
うじうじしていたさっきまでがウソみたいにまっすぐ空を見上げました。
不安なんて最初からなかったみたいにためらいなく戦いの場へ急ぎました。
今話のクラヤミンダーはなかなかに頑丈。厄介な攻撃はありませんでしたが、何度ぶっ飛ばしたってしつこく立ち上がります。2回もグータッチすることになりました。
とはいえ、なぜか近くに置いてあったタイムカプセルに気を取られてしまったのが唯一ピンチらしいピンチ。
でも、その隙も仲間たちがフォローしてくれます。
安心して、うたはタイムカプセルを開きました。
中に入っていたのは小さなデザートスプーンにリボンを結びつけた、うたにとって一番最初のマイマイク。
それを引き金にして、忘れてしまったはずの記憶が思い起こされます。
お婆ちゃんに歌を歌ってあげた想い出。
友達とケンカして泣いてたはずなのに、その後に続く想い出はどうしてだかお婆ちゃんの慰めとかじゃなくて、うた自身の大発見。

笑っていました。
自分が。それからお婆ちゃんときゅーたろうが。
プリンを食べたら元気が出て、それから歌を歌ったらますます元気が出て、自然と笑いだしていました。
「お婆ちゃんがショボッボボンボンになったら、うたがいつでもキラッキランランにするから!」
さっきまで元気づけられていたはずの自分が、なぜか元気づける側にまわっていました。誇らしげに。
うたがお婆ちゃんに預けたスプーンマイクは、その後お婆ちゃんの闘病生活を支え、そして再びうたの手のなかに戻ります。
いったいどっちが元気づけようとしているんだかわかったもんじゃありません。

きっとうたとお婆ちゃんはずっとそういう関係で、うたとみんなもずっとそういう関係なのでしょう。これからも。
「私、ショボッボボンボンをキラッキランランにする! うた、歌います!」
霧が晴れた心のなかに、勇気だけが輝いていました。
それで何かが解決したわけじゃないけれど、不安はどこかに消えていました。
「あのさ。お婆ちゃんの部屋をかたづけるとき、いつでも呼んでね。私、手伝いたいから」
記憶は時間とともに薄れゆくもの。
まるで風で飛び散った砂粒みたいに意識のあちこちに分散して、ときどき思いだしたくてもうまく思いだせないこともあるけど、忘れたわけじゃない。何かの拍子に思いだすこともある。
今回スプーンマイクを見て思いだせたみたいに、物質が残っていることで思いだすきっかけになる場合もある。それは確か。でも、だからといってどうしても部屋を残しておかなきゃいけないわけじゃない。
だって、忘れたわけじゃないから。
絆は途切れたわけじゃないから。
冷静になってみれば、お婆ちゃんのことが大好きだって気持ちは、部屋があろうがなかろうが、あの日のことを覚えていようが思いだせなかろうが、どちらにせよ変わらなかったのでした。



コメント
考えてみれば、こころは自分が地方出身者と結婚でもしない限り、ああいう『絵に描いたような帰省』をする機会が得にくいんですよね。それすら子供はともかく、配偶者連れではやらない家庭もありますし。
夏休みのいい経験になったなら何よりです。
はもりちゃんはお葬式当時、お母さんに抱っこされてる赤ちゃんだったようで。母方の親戚事情によっては、お祝い事やら何やらを兼ねてたのかもしれません。
演出側が上手いことおばあちゃんの話題にほぼ参加させないよう誘導してましたが、まあ仮に聞いたところでつまんないでしょう。
私なんか、早く亡くなった祖父のお盆に対し『毎年必ず、祖母宅にお葬式じゃないけどお坊さんが来る謎イベント日がある』としか長年認識してなかった気がしますw
うたが前を向いたところで、メロロンがぶり返すように暗い気持ちになってしまいましたが……いよいよ始まるであろう5人技に向けてどう動きますやら。
遊び疲れてずっと寝てたはもりかわいかったですねえ。(横になってた子をなんでわざわざ抱えたんだ?とかちょっと思いましたが)
私は帰省しても延々(自分でハードごと持ち込んだ)ゲームをやっていたので関係なかったんですが、外で遊ぶ子ってああいうところに行って遊び相手はどうしているんでしょう? 今年はななやこころが一緒だったんですから、そりゃあはもりもよっぽど楽しかったんでしょうね。