みんなの応援を力に、自分を信じて進む。それが私の信じる弓道です!
(主観的)あらすじ
全国弓道王大会。日本中の中学生から大人までが競いあう究極の決定戦です。昨年この大会で優勝したまどかは今年も連覇を果たすべく挑みます。なにより、お父さんのために・・・。
まどかのお父さんは最近仕事がうまくいっていないようです。原因は容易に想像できます。宇宙人騒ぎは映画の撮影だったと、まどかたちが一芝居打ったせいです。フワたちを守るためにやむを得ないことだったとはいえ、それでもまどかはお父さんのためになりたいと望みます。
今年の大会には有力なライバルが出場していました。那須ゆみか。まどかよりもさらに年下で、まるでかつてのまどかのように孤高を貫く女の子でした。「応援なんて集中の邪魔」と彼女は断じます。
最終戦で相対したふたりの実力は、スコア上では拮抗。けれどお父さんと似たようなことを言うゆみかの存在に動揺したまどかはわずかに集中を乱してしまいました。
勝負は休憩を挟んで優勝決定戦に持ち越し。
休憩中、まどかは応援に来てくれていたひかるたちとご飯を食べたり、みんながつくってくれたお守りを受け取ったりして過ごしました。先ほどまで感じていた不安が、みんなのおかげでほぐれていきます。
ゆみかがノットリガーにされてしまうトラブルもありましたが、正々堂々彼女と戦いたいと望むまどかの尽力でアイワーンを追い払うことができました。
優勝決定戦は実力者同士両者一歩も譲らぬ試合展開。まさに気力の勝負となりました。
最後の一矢まで集中を持続させることができたのはまどかの方。みんなが応援してくれているという実感が、最後まで自分の力を信じぬくための励みとなったのです。
午後は応援席に来てくれたまどかのお父さんも、娘とその友達の関係を見て、何か感じ入るところがあったようでした。それから自分の信念が崩れて落ち込んでいたゆみかも、まどかからエールを受け取って、次の大会に向けて新たな闘志を滾らすのでした。
お父さんの萌えキャラっぷりが好きすぎて、その流れで私と同じくお父さん大好きっ子でいてくれるまどかへの好感度急上昇な今日この頃。さて、まどかの当番回です。
まどかは優勝しました。お父さんの訓示どおり周りを気にせず、ひたすら自分と向きあうことで。
けれどその境地に至る道程はお父さんの想定と少し違っていたかもしれません。まどかはひとりで自分を研ぎ澄ますのではなく、みんなに応援してもらえているという心強さによって自分を信じぬく力を獲得したのでした。
・・・お父さん、ゆみかと全く同じ発想で、自分がいると邪魔になるだろうと考えてあえて姿を隠していたんですね。
だからその愛情わかりにくいよ。やるならやるでせめて事前にその意図を伝えてあげてよ。まどかはともかく、奥さんなんて意味わからなくてムダに困惑しちゃってたじゃん。しかも結局肝心要の大一番にはちゃっかり顔を出しているし。我慢できなかったんですか?
やっぱこの人萌えキャラだわ。
ついでだからツッコんでおくと――、自称“観星中の金星”桜子さん。
金星は“明けの明星”“宵の明星”などと呼ばれているように、太陽や月が沈みはじめる(あるいは上りはじめる)わずかな空隙の時間帯にだけ明るく輝く星です。それってライバルが不在にならないと自分は輝けないと宣言しているようなものですが・・・。それでいいのか名門・姫ノ城家のご令嬢。
言い訳
「応援なんて集中の邪魔よ」
「あなた、弱くなったね。友達なんかと仲よしごっこしてるからよ」
那須ゆみかは孤高に自分の強さを研ぎ澄まそうとする女の子です。彼女にとって周りから送られる声援はただのノイズ。自らのパフォーマンスを最大限に引き出すには静謐に己とだけ向き合える環境こそがベスト。
・・・なんて。アイワーンに心の隙を突かれたことからもわかるように、彼女の実際はただの虚勢だったわけですが。
たまたま自分が強くなれて、同時にたまたま自分に友達がいなかっただけ。そこに確かな相関性を感じ取っていたわけでもないのに、この孤独感こそが自分を強くしてくれたんだとムリヤリ自己擁護していました。
第14話のとうまくんとは逆パターンですね。
ゆみかの場合はとうまくんと違って最初から誇ることのできる“自分らしさ”を持っていました。だから自分が他人と違うこと自体はさほど不安に感じません。
ただ、彼女の“自分らしさ”は自分が他人より強いという優越感を前提にしているため、友達がいないという(世間一般の風潮に鑑みて)あからさまにカッコ悪い要素は、せっかくの自信に陰りを与えてしまいます。“自分らしさ”を保つためにも、自分が周りより劣っているという自己評価がつくのは好ましくありません。
「的に当てた数は同じ。――でも、精確さは私の方が上だった!」
だから正当化していました。孤高だからこそ自分は強いんだと、友達がいないのは自分にとって正しいことなんだと、一見劣っているように見える要素もむしろ強さの一部分なんだと。自分で自分を騙すために、ムリヤリな自己正当化論理を組んでしまいました。
本当は自分でも本気で信じていなかったくせに。まどかが友達の声援を受けているのを見たくらいでイライラしてしまうくらいに。
そんな単純な思考だから、最終戦でまどかの集中力が揺らいだ理由を「友達なんかと仲よしごっこしてるから」と短絡的に考えてしまったんですね。
実際には、ゆみかが敬愛するお父さんと同じようなことを言ってくるもんだから、まどかは自分の正当性に不安を感じただけなんですが。
もちろんその心情はゆみかにとって知りえない情報でしたが、それにしたってもう少しいろんな可能性があることを想像することができれば、ゆみか自身ももっと心穏やかなままでいられたでしょうに。
別に“友達なんて必要ない”という考えかた自体はあってもいいと思うんですけどね。それこそまどかのお父さんあたりはそれでうまくやっていけている様子です。私も休日は9割がたひとりで過ごしていますが、それでさびしさとかつまらなさとかを感じたことはないですしね。
そのあたりの感性は本当に人それぞれ。多様性のひとつのありかたとして肯定されていいと思います。私も自分自身は独り身ですが、楽しそうにしている家族連れを見るとステキだなって感じますし。自分もそうなりたいとは思っていなくても、ステキなものはそれでもステキ。
「勝つためにずっとひとりで練習してきた! だから、負けない!! 負けたくない!!」
ただ、ゆみかの場合は好きで孤高になろうとしていたわけじゃないというだけであって。
(ところでこのシーンの魂を絞りきるような悲痛な叫び、良かったですよね)
孤高の人
「しかし、これが映画の撮影とは・・・」
「そんなわけがないだろう」
ゆみかと違って本気で孤高を良しとしている人。
これはこれでステキなスタンスです。なにせちょっとやそっとじゃ信念が揺らがない。自分が正しいと信じつづけるかぎり、何があっても自分にとっての正しさを絶対に見失わない。ガンコともいう。
ガンコなのはよいことです。なにせそれは歴代ピンク色のプリキュアたちが揃って最終的に行き着いた境地でもあるんですから。
彼はこれでうまくやってきたんでしょうね。だからこそ家柄の重圧に負けず政府高官としての職務を全うできているわけですし、どうしても道を違えるしかなかったまどかにも今でも敬愛されています。
ゆみかにとって孤高は自分を騙す良くない考えかたでしたが、人と状況が変わればそれが良いことに変わることもあります。
まあ、一方でそんなんだからまどかにも奥さんにも私たち視聴者にもムダに困惑を与えちゃいがちなんですが。
「本当は初めからいらしてたんでしょう。まどかをひとりで戦わせるために」
眼鏡を光らせていないでちゃんと口に出してください。奥さんの説明だけだとまだ足りなくて、ベストパフォーマンスを引き出させようとしたという本来の意図じゃなく、わざわざ大切な大会の場で試練を与えようとした、みたいな変なニュアンスにも聞こえちゃいますよ? いいの? ・・・構わないんだろうなあ、こういう人の場合。正直ちょっとわかる。
お父さん大好きっ子なまどかはいつでもお父さんの教えを大切に胸に抱いて行動します。
今回はこれ。
「弓道は自分と向きあい、自分を鍛える武道。最後に頼れるのもまた自分だけだ」
いつものことながらなんとストイックな。
今話の冒頭、学校の生け垣に咲いていた花をサツキといいます。花言葉は「慎み」。
良い教えではあるんですが、ただ、今回はひとつ困ったことがありました。
それこそサツキの咲く冒頭の学校で、まどかが語ります。
「私も勝ちたいです。父のためにも。――以前の父は『上に立つものが率先して動くんだ』と、夜遅くでも宇宙人の調査に出かけ、熱心だったのですが、今はその調査が思うようにできないようで・・・」
「仕方がないのはわかっています。だから、なおさら弓道大会で結果を出したいんです」
お父さんは正しいんだと我が身をもって証明するために。
お父さんから受け継いだ弓道。お父さんの訓示がたくさん染みついた弓の技で、お父さんに自分のありかたはやっぱり正しかったんだというところを見てほしい。
だから、困ったことに今回の教えは最初から守れそうにありません。
今回まどかが向きあいたい相手は自分だけじゃないから。
お父さんのために弓を引きたいのだから。
だからこそなおのこと不安に思います。
「応援なんて集中の邪魔よ」
お父さんの教えを正しく実践できているのは、自分ではなくむしろ目の前のライバルなのかもしれないから。
“らしさ”
とうまくんにとっての“普通(今は家族愛)”、ゆみかにとっての“強さ”に相当するものがまどかにもあります。
今さら確認するまでもなく、それは“お父さんの教え”。
お父さんから教わったことを守っていればいろいろなことがうまくいきました。みんながすごいと言ってくれる数々の実績はお父さんが習わせてくれたものでした。みんなが好きだって言ってくれる自分らしさはお父さんがそうしろと指導してくれたものでした。
だから、まどかはお父さんのことが今でも好きです。
大切な教えをひとつ破ってしまった今でも、まどかはお父さんに教わったことをムヤミに軽んじることができません。
お父さんにはいつでも正しくあってほしいと願います。
だって、お父さんの正しさは自分自身の正しさでもあるんですから。
「弓道は自分と向きあい、自分を鍛える武道。最後に頼れるのもまた自分だけだ」
なのに、今の自分はお父さんの教えに忠実にはなりきれない。
もし本当に自分が昔よりも弱くなったというのなら、それはきっとお父さんの教えを破ってしまったせいだ・・・。
いいえ。
「まどかさん」
まどかには最近、お父さんの教え以外にも大切に思うようになったものがありました。
「みんなでつくったんだ。まどかさんが優勝できますようにって」
「私たちも一緒にいるよ」
「まどかさんなら大丈夫」
友達。
不思議なことに、彼女たちのことはお父さんの教えを破ってでも守りたいと思えたのでした。
不思議なことに、彼女たちと一緒にいるとお父さんの教えを破ってしまった今でも幸せに、自分らしく過ごすことができているのでした。
まどかには“自分らしさ”を証すことができる、揺らぐことなく絶対に正しいと信じられるものがあります。
それはお父さんの教え。
それからもうひとつ、友達。
「アタイに感謝しろっつーの! あんたの邪魔者をノットリガーにしてやったんだっつーの!」
まどかにとってこれ以上の侮辱はありませんとも。
「違います。邪魔者なんかじゃありません。彼女は素晴らしい選手です」
だって、彼女の弓はお父さんが教えてくれたことそっくりなんだから。
「私は、弓道で、彼女と決勝戦を戦いたいんです!」
だって、今日この大会は、信じられるものがもうひとつ増えた今の自分を試すことができる、絶好の機会なんだから。
「頼れるのは自分だけ――」
決勝戦の舞台、“自分らしさ”が少しずつ異なるふたりが、それぞれの“自分”を賭けて勝負します。
なんだかんだでまどかは今回もお父さんの教えに従って行動できています。頼れるのは自分だけ。その“自分”というのが、お父さんの想定しているものとはちょっと違うかもしれないけれど――。
ゆみかにとっての自分は強い人、そしてその強さを支える孤高さ。まどかから見ればそれはお父さんの教えに限りなく近くもあります。
対するまどかにとっての自分は、お父さんと友達の両方を心から大切に思う人。お父さんに教わったこと全部を忠実に守ることができず、それでいて友達のため教えを破った今でも元々の教えを捨てきれない中途半端な人間ですが、それでもまどかは今の自分が大好きです。毎日に幸せを感じています。
勝ったのは、今のまどか“らしさ”でした。
これはある種の親離れの物語です。
あらゆる人はみんなそれぞれ少しずつ違います。みんな等しく誰とも異なる個性を持っています。
それはたとえ親子であっても同じこと。いくらお父さんのことが大好きであったとしても、自分がお父さんそのものになることは絶対にできません。どこかでお父さんとまた違う自分らしさを身につけていくものなんです。
だからといってそれまで大切にしてきたお父さん大好きな気持ちが消えてしまうものでもなく。
みんな、少しずつだけ違った人間に成長していきます。
私とあなたは違う人間です。
まどかとまどかのお父さんも違う人間です。
私はあなたとどこかものの考えかたが異なるでしょうが、もしあなたと出会ったらきっと何か影響を受けるでしょう。あなたも私のこのブログを読んで何か思うことがあるかもしれません。
同じように、まどかはお父さんそのものじゃないからこそ、その教えによってこれまでたくさん良い影響を授かってきました。
それと同じで――。
「みなさんの応援のおかげね」
「ああ」
いつか、成長したまどかの方からお父さんに新しい影響を与える日も来るかもしれません。
『スタートゥインクルプリキュア』の物語の内か外か、いつかどこかではきっと子離れの物語も紡がれる日が来るかもしれません。
世界は多様性にあふれています。
みんなが違うことって、きっととてもステキなことです。
コメント
答えはひとつじゃない
自分だけの答えを出して
(『パペピプ☆ロマンチック』)
そろそろこの辺で、自分の外側だけじゃなく内側にもある多様性を描こうとしてるのかもしれませんね。
去年さんざんやったところだという話は置いといて。
普通がどうこうとあれだけ悩んでたとうまくんが、本心ではそんなの関係ないとばかりに家族の笑顔を想ってくれてたように。
さてその多様性を通り越して、最早二重人格にすら見えるブルーキャットが次回再登場と。
あの子もこの先どうなりますやら。
語義として「宇」は“天地に広がる無限の空間”、「宙」は“過去・現在・未来に及ぶ無限の時間”ですもんね。空にある天体空間だけが宇宙じゃありません。
広い意味では人の心のなかも宇宙の一部ですし、狭い意味でも人の心の内的宇宙は物質世界の宇宙と並ぶもうひとつの宇宙です。
で、それはそれとして、実はここ数話(序盤と違って)イマジネーションを軸にしては語りにくいなあと感じているんです。たぶん製作スタッフの意識しているテーマ自体が若干シフトしているじゃなかろうか。
そういえば去年も一昨年もこの時期は似たような感覚があったんですよ。たとえシエルやえみる&ルールーが登場していない話数であっても。
今年の追加戦士編ももう始まっているんだろうなあとしみじみ感じているところです。
本作において最も”孤高”を貫いている人物って主人公・星奈ひかるなんだと思います。「宇宙やオカルト(未知なるもの)へのロマン」を突き詰めることを人生の最優先事項にしていて、このロマンを理解・共有できる相手以外と無理に仲良くしようとはしない。ロマンを追い求めた”結果として”孤独になったとしてもさほど意に介さない。ーーーーーーそういう性格の人間だからこそ”孤高”でも平気でいられるんですよね。
更に、ひかるってクラスで居場所を失って”孤立”してしまわないために器用に社交辞令的付き合いをこなせるクレバーな人間でもあり(この点でヘマこいて窮地に陥ったのが前作主人公・野乃はな)、”孤高”を貫くために必要な「”孤立”しない」資質も備えているんですね。
この”孤立”しない資質の持ち主その2が姫ノ城桜子さんで、アクが強い・押しが強い・鼻っ柱が強い・とにかくメゲないおかげで「出る杭は打たれる。出過ぎる杭は引っこ抜かれる。けど余りにも堂々と屹立してしまうとモニュメントかオブジェのような存在として”認知”されてしまう」状態にまで持ち込んじゃった剛の者だったりする。
一方で……香久矢冬貴氏は”孤高”というより”権力者の孤独”をその身に背負った人という感じがします。権謀術数渦巻く世界に身を置き、時には「大の虫を生かすために小の虫を潰す」ことも求められる職務を遂行するために「私情を殺す」ことを自らに強いている印象があるんですよね。もしかすると若い頃「愛ゆえに苦しまねばならぬ。こんなに苦しいのなら……愛などいらぬ!」みたいな経験をしたのかもしれない。
冬貴氏はアブラハム監督の映画撮影が宇宙人隠蔽のための擬装工作であることを見抜いているわけですが、となると現場に居合わせた娘のまどかとその友達が擬装工作に関与して「宇宙人に味方する」者であることにも感づいている可能性があり……。あるいは冬貴氏が弓道大会会場に姿を見せないようにしていたのは「親子の情を断ち切り、娘と”敵”として対峙する時に備える」ためだったのかもしれず、でも結局会場にやって来た彼が目にしたのが「娘の勝利を祝う娘の親友(にして宇宙人支援者)達の姿」であったのは、……非常に残酷なことだったのかもしれません。
「まどかは香久矢家の務めを全うするために親友であるこの娘達を”売る”ことが出来るのだろうか。あるいは……この娘達を守り抜くために父である私に”弓引く”のだろうか……」。
「考えたこともなかろう。宇宙の最果て、暗く凍える場所に追いやられ、闇に潜んで生きてきた我々を!」に対して「どんな理由があっても、大好きな宇宙を、星座を、星を、地球を奪うなんて、私、イヤだ!」という唯我独尊な論理で対抗できる今のひかるは、その意味でたしかに孤高なんですよね。私もそこは似たような認識です。
ただ、個人的には大いに賛同できる考えかたなんですが、“多様性”をテーマのひとつに掲げる物語の主人公として(そしてプリキュアとして)、ある種傲慢なこの論理のまま最終話まで進んでいくのはどう考えてもムリがあるので、どこかでもうひとひねり来ると予想しています。
まどかのお父さんについては、私の認識は“家の都合より娘個人の幸せを優先する人”って感じなので(むしろ娘が幸せに生きられるために家の都合と折衝できる処世術を教えている)、そのあたりの衝突はあまり心配していないです。あの親子、状況的には対立関係にありますがお互いの愛情はむしろべったりですからね。
「そんなわけないだろう」と、断じていても娘の幸せを願う父親なら最終的な対立は避けられそうですが、冬貴とは別の人物が対立者として横槍を入れてきそうな気もします。
ケンカ別れしてしまうのってお互いへの信頼が切れてしまった瞬間だと思っているので、まず自分の“好き”ありきの関係性ってすごく強いと思うんですよね。
特にまどかは自分がお父さんに愛されているという確かな実感がなくても愛情を維持できているので本当に強い。純粋な愛情だけでのつながりって意味では『ドキドキ!プリキュア』のレジーナ親子みたいなダメパターン(共依存)もあるんですが、あのお父さんはソッチ方向で堕落するガラでもないでしょうし。
ひかるが孤高というのは賛同出来るところですが、プロデューサーのインタビューを読むに、孤高でいられるのは外に遼太郎という理解者がいるからこそなんだと思います。
保護者が見守っていてくれるだけで何の不安もなく自分を貫くことができる、というのはとても子どもらしい心理です。やがて思春期になると保護者を“保護者”ではないひとりの個人として見るようになるので、揺らぎやすい信頼感でもあるんですけどね。
ひかるの孤高さが遼じいへの信頼に依存しているというのなら、それはそれで悪くないことだと私は考えます。もし彼女の孤高さが崩れる日が来るとしたら、それは自分がいかに遼じいその他の人に頼っていたか、いかに自分が無意識のうち周りの人たちと絆を紡いでいたかを自覚するきっかけにもなるでしょうから。『Go!プリンセスプリキュア』の春野はるかが再起するときに辿ったエピソードですね。
取り急ぎここでご報告。
現在wordpressのアンチスパムプラグインが異常な挙動をしており、これにより投稿していただいたコメントに私が手動で承認対応する必要が生じていました。投稿してから反映されるまでにやたら長いラグがあったのは、要するに私がちんたらしていたせいです。ごめんなさい。
さしあたっての対応として一時的にプラグイン自体を停止させたので、今は即時反映されるようになったはずです。