魔法つかいプリキュア!第26話感想 あなただからできることを、私は知っています。

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すごく嬉しくて、本当に美味しかった!

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(主観的)あらすじ

 敵はエメラルドを狙ってやってくる。はーちゃんはそのたびにみらいとリコが自分を守って傷つくのを悲しく思い、ひとつの決断をします。
 最後のお礼としてふたりのために手作りクッキーをふるまい、そしてはーちゃんはひとりで家を出ます。行くあてのない道行きで見かけるのは幸せそうな家族の姿。いつもの調子が出ないはーちゃんは昨日ふるまったクッキーの余りを口にしますが、実はそのクッキーはちっとも美味しくない失敗作でした。みらいたちは美味しいと言ってくれたのに。
 ヤモーに襲われ、捕らえられたはーちゃんを助けるためにミラクルとマジカルが駆けつけます。ミラクルたちは言います。あのクッキーは本当に美味しかったと。大好きなはーちゃんが一生懸命つくってくれたから、うれしくて美味しかったと。心の通じ合った3人はヤモーを退け、そして手をつないでいっしょに帰ります。

 前回答えを出さずに終わったことへのアンサー。これではーちゃんとの出会いの物語は一区切りついたでしょうか。依然みらいたちが手をつなぐ輪は小さく閉じたままですが、しかしドクロクシーたちのときは届かせられなかった、手をつなぐことを拒否する相手に、今度はちゃんとその手を届かせられるようになりました。ささやかだけれど大切な一歩です。
 次回はエンディングが少し変わる・・・ということは強化フォームですね。今年はつくづく情報の先出しが早い。

 ヤモーは結局救済されずに終わりましたね。残念ではありますが、今年はどうやらそういう物語のようです。ミラクルたちを思うはーちゃんの想いがたびたび暗雲を吹き飛ばしていたように、闇は人と人とがつながる力の対存在として描かれます。ヤモーの最後は哀れでしたが、結局彼も闇に心を支配されたひとりとして盲信と妄執に囚われ、敬愛するドクロクシーとすら心を通じ合わせることができず、それゆえに物語から否定されたということでしょう。
 ここからはおそらく闇そのものとの直接対決。闇の魔法すらも見くびる敵に対して、手と手をつなぐ奇跡の魔法をどうやって拡大していくのかが試されます。

しなければいけないこと

 だいたいにして、「しなければいけない」なんて使命感が本人を幸せにすることはありません。もちろんやらなければ後々辛いことになるものも多々あるのですが(宿題とかね)、「しなければいけない」気持ちそのものはどうしようもなく不幸せなもの。めんどい、うんざり、しんどい。とりわけ子ども向け作品においては基本的に否定されるものです。だって「しなければいけない」ことがあるとしても、できることなら幸せにやることやってほしいじゃないですか。

 そんなわけで、はーちゃんが見た悪夢は根こそぎ否定されなければいけません。「何もできない無力な自分」も、「ミラクルたちのピンチ」も、「自分をつけ狙う理不尽な敵」すらも。
 これを受け入れてしまっては、「何もできない無力な自分」には「ミラクルたちのピンチ」を回避するために「自分をつけ狙う理不尽な敵」をふたりから遠ざけることくらいしかできなくなってしまうでしょう。
 いいえ、それどころかはーちゃんが「何もできない無力な自分」を受け入れてしまうならばエメラルドの力は失われて本当に無力になり、「自分をつけ狙う理不尽な敵」を受け入れるならば戦う権利すら奪われ、「ミラクルたちのピンチ」を受け入れるならばその光景は目の前で繰り広げられてしまいます。
 だから全ての要素は根こそぎ否定されなければいけません。どうやって? はーちゃんはすでに受け入れてしまっています。ならば今こそ手と手をつなぐ奇跡の魔法の出番ですね。

あなたは無力じゃない

 はーちゃんの手作りクッキーは失敗してしまいます。基本的に魔法つかいプリキュア!の主人公たちは子どもとして描かれているので、得意なこと以外はたいがい失敗します。だっていきなりなんでもできる子どもなんていません。
 私も子どもの頃砂糖と塩を間違えて入れてしまったことがありますが、アレは本当に食べられたものではありませんね。一般的なクッキーの材料における砂糖の配合率は重量比で全体のおよそ20%。これをそのまま食塩に置き換えたとしたら海水の6倍くらいの塩分濃度になります。これを笑顔で食べきったみらいたちの愛の深さときたら。

 余談が過ぎましたが、そんなわけでせっかく魔法も使わない自分だけの力で頑張った手作りクッキーも、はーちゃんにとっては自分の無力さの象徴にしかなりませんでした。みらいたちがつくった朝ご飯はあんなに美味しかったのに、自分はクッキーひとつ満足につくれない。「ありがとう」の気持ちを伝えたかったのに、こんなのじゃ何も伝わらない。
 けれど。それでもみらいたちは確かに美味しそうに食べてくれました。あれはどうしてでしょう。演技だったのでしょうか、それとも重度の味音痴だとか? はーちゃんにはわかりません。わかりませんが、それは否定できない事実でした。

 朝食の席で、みらいの父親はみらいのつくった不格好な卵焼きを美味しそうに食べていました。「今日の朝ご飯は皆さんへの日頃の感謝の気持ちを込めました」と言うリコに、おばあさんは「まあ。だからより美味しいのね」 と返していました。
 ダイニングに飾ってある花はオキザリス。プリキュア・エメラルド・リンカネーションのバンクに登場するニチニチソウと同じ、カタバミの仲間です。花言葉は「輝く心」「喜び」、そして「母親の優しさ」。
 母親に限らず、家族にとって子どもの好意や頑張りは何よりも嬉しいものです。塩だの砂糖だのなんかよりもずっと美味しい、ステキな調味料です。(まあ私の母親はそもそも他人のつくったものを食べられない人だったので私の料理を食べてくれたことはありませんが、一般的な感覚として) はーちゃん自身だって美味しいと喜んで食べていたではありませんか。

 それと同じこと。塩入りのしょっぱいクッキーは、少なくともみらいとリコにとっては何よりも美味しいものでした。キュアミラクルたちは自分たちの言葉で、そのことをはっきりと伝えてくれます。「はーちゃんが私たちのために一生懸命つくってくれた、はーちゃんの気持ちがいっぱい詰まったクッキーなんだよ。すごく嬉しくて、本当に美味しかった」
 はーちゃんが手作りクッキーに込めた気持ちはちゃんと伝わっていました。そして失敗に思えたクッキーは本当に美味しいものでした。
 あなたは無力じゃありません。「何もできない無力な自分」なんかじゃありません。あなたにできることはちゃんとあります。

 前話、はーちゃんが海でたくさんの魔法を使ったとき、みらいたちは怒りませんでした。それははーちゃんが良いことをしていたからです。はーちゃんの魔法は砂浜のみんなを楽しませました。ヤモーの言うとおり確かに迷惑をかけてしまった側面もありますが、リコの言うとおり魔法がバレる危険性もありますが、それでもはーちゃんが良いことをした事実は損なわれません。今回もまた商店街にシャボン玉を散らしました。みんな笑顔でした。
 はーちゃんは周囲に善意と笑顔をふりまくステキな魔法つかいです。あなたがクッキーを焼けば、ちょっと失敗したって、あなたの大好きな人にとっては幸せな味に変わります。あなたはみんなに幸せをもたらす才能に恵まれています。決して無力なんかではありません。

手を伸ばそう

 公園に咲いている黄色い花はマーガレットコスモス。花言葉は「真実の愛」「心に秘めた愛」。
花は闇の力に負けて枯れてしまいましたが、プリキュアは負けません。みらいたちに迷惑がかかるのを恐れ、自ら手をつなぐのを拒んでしまったはーちゃんに、キュアミラクルとキュアマジカルは真実の愛を取り戻さなければいけないからです。心に秘めた愛をはっきりと伝えなければいけないからです。
 はーちゃんが恐れていたとおり、やはりミラクルたちは苦戦します。けれどそれはヤモーと戦っているせいではありません。彼女たちが戦っている相手ははーちゃんです。ヤモーは「空を、大地を闇に染めてみせます」だのとご大層な独り言を聞かせてくれますが、日常の権化、魔法つかいプリキュア!はそんなものガン無視です。これは家出娘に家に帰ってくるよう説得する、どこにでもある親子の戦いです。あれほど壮絶だった復讐者ヤモーの最後だというのに、今回彼は1ミリも関係ありません。今回ミラクルたちが最も動揺したのははーちゃんの置き手紙の意味を知ったときでした。

 「でも、そんな大事なことをひとりで決めるなんて」「どうして私たちに話してくれなかったの?」 正直なところそれは彼女たちが話してもらえないくらい未熟だからじゃないかな、と思わなくもないのですが、そういう物語が後々行われるかは未知数なところ。たぶんやるとは思うのですが。校長先生とクシィの因縁をはじめ、劇中の壮大そうなエピソードのほとんどが彼女たちと関係ない場所で繰り広げられるのは彼女たちがまだ子どもだからです。「そんなことはどうでもいい。はーちゃんを返して!」 というスタンスじゃ向こうだって彼女たちを巻きこもうとは思いません。
 とはいえ、そんなわけで彼女たちは今回ついに、自ら彼女たちの手を振り払ってしまったはーちゃんへと、その手を差しのばしました。「どうして私たちに話してくれなかったの?」 その問いかけの顛末は先ほど書いたとおり。彼女たちは一度離れてしまった手をまたつなぐことに成功し、はーちゃんは家に帰ることになりました。

 「ミラクルたちのピンチ」なんて、はーちゃんが思っているほど理不尽なものではありません。プリキュアは日常の守り手です。彼女たちが恐れるものは圧倒的な暴力なんかではなく、日常が壊れること。ヤモーが巨大な尻尾を叩きつけてきたって歯牙にもかけず、はーちゃんの置き手紙にショックを受けて、それからクッキーを食べたことを思い出して笑顔で愛を語りはじめる子たちです。だからはーちゃんだって恐れることはもう何もありません。
 トルマリンは癒やしのパワーストーンであり、人と人とを結びつける石でもあります。何か辛いこと、悲しいことがあってもトルマリンのパワーはあなたの心身を解きほぐし、人を思いやる気持ちを育むことで、大切な誰かとの関係をも修復してくれるでしょう。
 ミラクルとマジカルの思いやりの気持ちははーちゃんの心を解きほぐし、彼女の無力感と恐れを取り払いました。あとは「自分をつけ狙う理不尽な敵」さえ否定してしまえば何も恐れるものはありません。というわけでさようなら、ヤモー。プリキュア・エメラルド・リンカネーション。

 これまでみらいとリコの物語は彼女たちを支えてくれる大人たちの庇護を前提に展開してきました。はーちゃんの物語もそれに倣います。みらいたちの深い愛情の元で、はーちゃんは一歩ずつ成長を果たしてきました。元々得意だった魔法だけではない、自分のなかに眠るステキを発見する旅路。「目蓋閉じれば夢の森。遊んでおいで、夜明けまで。茨の影に迷っても、繋ぐこの手が道しるべ」 子守歌のような優しい時間のなかで、彼女たちはゆっくり成長していきます。
 それと同時に、みらいとリコにとって22話から続く一続きの流れは子育ての物語でもありました。思うようには動いてくれないはーちゃんと手をつなぐ経験は、ふたりで手をつないでいたときとはずいぶん勝手の違うものとなりました。彼女たちは少しずつ大人になろうとしています。勝手に手を振り払ってどっか行っちゃう困った子が相手では、ただ近くにいるとき手をつなぐだけでは対応しきれません。
 少しずつ、少しずつ、物語は彼女たちに自ら誰かの元へ手を伸ばすことを求めはじめています。

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