モフルンも魔法の馬車に乗って舞踏会に行きたいモフー!
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ちょっぴり書き足りなかったことがあるので今さらながら追記。また文量多めなので記事を分けました。もうちょっとだけ書きたいことがあるのですが、出かける時間に間に合わなくなっちゃったのであとでまたこの記事に追記します。 ←いざ書いてみたら大して話が膨らまなかったのでまた別の機会に。
好きな夢を見るためのおまじない
好きな人の写真を枕の下に置くと夢で会える、好きな本を枕の下に置くとその夢が見られる・・・なんていいますが、あなたは試したことがありますか?
なにがいいたいかって、ひょっとしてモフデレラのベースはモフルンが見た夢なんじゃないかなーと。モフルンがおまじないのために絵本を枕にしたとは思いませんが、結果としてそうなったのであればステキだなあと。そういえばみらいたちの中で唯一モフルンだけが現実との連続性を保っていませんでしたしね。
おまじないは叶うからステキなのではありません。「叶うかもしれない」という夢があるからステキなのです。昔、私が枕の下に「はれときどきぶた」の児童書を置いたときは残念ながら夢を見られませんでした(鉛筆の天ぷら食べてみたかったなあ)。けれどそれでおまじないの価値が損なわれるわけではありません。だって、寝る前に本を忍ばせたときのあのワクワクする気持ちは今も思い出に残っています。あと寝汗の湿気でシワになった本のカバーも。
自分の身には訪れなかったけれど、ひょっとしたら同じおまじないをしたどこかの誰かが楽しい夢を見ているかもしれない。そういう日常のメルヘン、ファンタジーって大切だと思うんですよね。だっておまじないのバリエーションはこの世にいくらでも存在するのですから。このおまじないがダメでも別のおまじないなら自分にも叶うかもしれない、叶わなかったからっておまじないが嘘っぱちだとは限らない。おまじないとは「お呪い」と書いて、すなわち呪術。ただの日常の中にもしかしたら存在するかもしれない、魔法の手がかり。
その夢想は私たちの目に映る世界をきらびやかに飾ってくれます。未来の可能性を豊かにしてくれます。いつか私が、あるいはあなたが、幸せになれますように。
エブリデイマジックという物語類型はそういう夢想によって支持されてきました。もしもサリーちゃんと友達になれたなら。もしもドラえもんが机の引き出しからやってきたなら。あるいは迂闊で意地っ張りで努力家の魔法つかいが空の上から「ねえ、落ちたわよ」 と声をかけてくれたなら。
最近は異世界転生ものが流行していますが、一見物語手続き上は意味のないように思える主人公のトラック事故が冒頭に挿話されることがお約束となっているようです。自分たちとは無関係な空想世界よりも、自分たちの現実と地続きな夢想の方にこそ私たちはより強い興味を惹かれるもの。ありえないけれどありえるかもしれない、現実を彩るかすかな可能性という夢想。
それと同じで、エブリデイマジックの魅力は私たちの夢想と地続きなところにあります。キュアップ・ラパパ、私たちの日常に魔法よ宿れ。だって、「それって、ワクワクもんだあ!」
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