スタートゥインクルプリキュア 第39話感想 天宮えれなには夢がある。

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私はこれからもたくさんの人と出会い、交流を深めていきたいです。

(主観的)あらすじ

 えれなが英語スピーチコンテストの学校代表に選ばれました! 誰もがふさわしい人選だと考えます。だって、えれなは英語が上手なだけでなく、みんなを笑顔にできる“観星中の太陽”なんですから!
 時を同じくしてジョー・テング先生という新任の特別講師が観星中にやって来ました。英語スピーチの指導も受け持ってくれるそうです。
 先生は新任の挨拶で「こんな小さな世界に縛られてちゃダメ。世界はもっと広いの」とスピーチしました。その分け隔てない考えかたにえれなは胸を打たれます。

 実はジョー先生の正体はテンジョウ。プリキュアが変身していない間の隙を突き、フワを奪う作戦でした。
 けれど、それはそれとして、テンジョウは平和そうな顔をして自分に懐いてくるえれなの笑顔が気に入りません。本当に誰もが笑顔で仲よくできるはずなんてないのに。故郷の星で見た、薄ら醜い嘲笑を浮かべた人々の顔を思いだして。
 だからテンジョウはえれなのキレイゴトまみれのスピーチ原稿に注文をつけます。「心にウソをついてはダメ。さらけ出すの。苦しい思いを。怒りを。悲しみを」 そうすれば彼女も呑気に笑っていられなくなると考えて。

 スピーチコンテスト本番。えれなはいつもと違って笑顔なく、幼いころ自分だけが周りの子と違うと感じていた、辛かった日々の思いを切々と語りはじめました。もう誰ともわかりあえない。心に壁をつくった、と。
 ですが、そこまで語ると一転していつもの笑顔に戻ります。他の子たちとはたしかに違うけれど、その違った自分の家族はとってもユニークで、その違いが大好きなんだって、あのころのえれなは気付けたからです。
 違うことは別に悪いことじゃないと気付いて以降、えれなは自分だけじゃない、周りの子ひとりひとりが持つ違いに気付いていきました。背が高い子。足が速い子。話が面白い子。本が好きな子。それぞれがステキな個性を持っていて、ひとりひとり輝いているんだと。
 えれなは、だから私は笑顔になれるんだとスピーチを締めくくります。私が笑顔になればみんなにも笑顔の輪が広がっていく。これからもたくさんの人と交流を深めていきたい。

 考えの変わらなかったえれなの様子にテンジョウは激昂します。
 その一方で、えれなはテンジョウに感謝していました。自分にはない視点からアドバイスしてくれたからこそ、私はあんなにステキなスピーチができたんだと。
 えれなの思いはテンジョウにまだ伝わりません。伝えきれなかったことが、えれなの心にしこりとして残ります。

 物語初期から一貫してえれなを苦しめてきたもの。それは、どうしてもわかりあうことのできない相手の存在でした。今話の物語が一見きれいにまとまっていたように見えて、それでもトゥインクルイマジネーションが発現しなかったのはそれが理由です。
 えれなはもう一度テンジョウと話しあわなければなりません。自分だけが“違うことのステキ”に気付いただけでは足りないんです。相手にもそのステキをわかってもらえないと。
 だって、そうしないとテンジョウの笑顔を見ることができないじゃないですか。

 人にはみんな、やりたいこととやるべきことがあります。
 えれなは自分の笑顔でみんなも笑顔にしたいと言います。
 そのためにやるべきことが、今回彼女のなかで固まりました。

上辺だけの笑顔

 「アハハハハハハハ!」
 「アハハハハハハハ!」
 「アハハハハハハハ!」

 笑い声。笑い声。笑い声。笑い声。笑い声。
 テンジョウの生まれ故郷には耳障りな醜い笑い声があふれていました。ほの暗い夜闇のなか、仮面で顔を隠しながら、彼らはいったい何を嘲っていたのでしょうか。その話題はどれほど愉快なものだったのでしょうか。
 今はまだわかりません。
 若き日のテンジョウにもまた、わかりませんでした。

 「国? なんてちっぽけなのかしら。こんな小さな世界に縛られてちゃダメ。世界はもっと広いの。そう、宇宙! 宇宙に目を向けなさい。宇宙こそ全て!」
 だから彼女は今、ノットレイダーにいます。あの声の聞こえない遠いところに。
 ひたすらに不愉快なだけだった、笑顔というものを憎みながら。

 宇宙は広くて。
 そう。広くて。
 あの憎い故郷の星がちっぽけに見えるくらい広くて。
 「先生! 全校集会のスピーチ、ステキでした。私、天宮えれなです。よろしくお願いします」
 せっかく故郷の狂笑から逃れても、また別の笑顔と出会ってしまうくらい、広くて。

 笑顔を消したい。
 その一心で、今話のテンジョウは当初の目的から大幅に逸脱した行動を取りはじめます。

 「心にウソをついてはダメ。さらけ出すの。苦しい思いを。怒りを。悲しみを。そうすれば人の心を打つスピーチができるわ」

 彼女の意図はさておき、その言葉自体はまったくもって真理です。
 誰かの言葉を借りただけの上っ面のキレイゴトでは人を感動させることはできません。まっすぐ自分の言葉で語らなければ。自分自身の思いを、自分自身の気持ちを語らなければ。

 だって、あなたに伝えたいと思ったのは私自身です。あなたを動かしたいと思ったのは私自身です。けっして他の誰でもありません。

 だから、私の思いは私の言葉で語るしかありません。
 たとえ誰かの言葉を借りることはあっても、その言葉をどう使うのかは私の意志によるもの。そして最後に語るのは、やっぱり私の思想を乗せた、私自身が考えた言葉じゃなければいけません。
 私は何よりそれを語りたいのだから。

 このブログは、それこそキレイゴトにあふれています。
 醜い感情はなるべく出さないようにしています。キレイな思いだけ選んで文章に織り込んでいます。ウンコとかセックスとか、お下劣な冗談は個人的な嗜好でちょくちょく書きますけど。
 わざとそうしています。キレイゴトを語ることこそが私のやるべきことだと、私が考えているからです。
 テンジョウには申し訳ないのですが、そういったかたちの本心というのもこの世界にはあります。きっとたくさんあります。

 「笑顔でいればどんな人ともつながることができる。そんなテーマで書いてみたんです」

 さて。いつもキレイゴトしか言わない、みんなを笑顔にしたいと言って憚らない、天宮えれなの本心は?

醜い思い

 「まったく。あなたはお子ちゃまね。世のなかのことがなんにもわかってないんだから」
 「あなたにはないわけ? 人を嫌いになったり、笑顔が信じられなくなったりしたこと」

 不思議なことを言います。“世のなか”と言っておきながら、実際に問い直すのはえれな自身の内なる思い。どっちだよ。

 ですが、今のえれなならその言葉が矛盾していないことを理解できます。
 「・・・そういえば、いつも元気なえれなが『もう限界』なんて言うの初めて聞きました」
 「え。そんなことないよ。まどかのほうこそこんな弱音吐くなんて――」
(第28話)
 自分のことって意外とわからないもの。誰かに気付いてもらって初めてわかることもいっぱい。
 私の外に外的宇宙が無限に広がっているのと同じように、私のなかにある内的宇宙も無限大。
 広い。
 宇宙って、広い。
 「自分のことって自分じゃよくわからないんだね」(第28話)
 自分の外も中も、今はまだ知らないことだらけ。

 「そんなこと・・・」
 テンジョウに言われて、心のどこかに置きっぱなしにしていた記憶をふと思い出します。
 「――小学生のころ、悩んだことがありました。なんで自分だけが他のみんなと違うんだろうって」
 誰かにイジメられていたとか、そんなわけじゃありません。無視されていたわけでも、遠巻きに見られていたわけでもありません。
 ただ、違うのが怖かった。笑顔で手を差し出してくれている周りの子たちが本心では何を考えているのがわからなくて、だから先回りして、不意に傷つけられる前に自分のほうから周りに壁をつくっていただけ。
 醜い話です。
 周りの誰も悪かったわけじゃなく、ただただひたすら、自分だけが一方的に悪かったんですから。
 いつも笑顔笑顔とキレイゴトばっかり言うえれなにも、実はそういう醜い一面がありました。

 「Smile connects people with each other
 There is something I’m always thinking about.It’s about how I communicate with others.I always try to respond with a smile when I talk to someone.If you talk with a smile,your partner will naturally have a smile and you will be happy with each other.
 For example,when I’m not smiling.I feel that someone’s expression and conversation doesn’t go on pleasantly.Therefore,I recommend you to have a smile with talking.」

 『笑顔がみんなをつなぐ』
 「いつも思うんです。人と接するときどうしたらいいのかなって。私は誰とでも笑顔でお話しするよう心がけています。笑顔でお話しすると、相手も自然と笑顔になって、お互い嬉しい気分になれるからです。
 たとえば、私が笑わなかったとき。そのときはなんだか、相手の表情とか会話とか、楽しくなさそうだなって感じるんです。だから、私は笑顔で話すのがいいなって思うんです」

 キレイゴト。
 ただひたすら、結論ありきで正しい言葉を書き並べただけのキレイゴト。えれなが最初に用意したスピーチ原稿はそういうものでした。
 本当はキレイじゃない人がいったいどの口でこんなキレイゴトを語るというのか。
 いったい誰がこんないいかげんなキレイゴトを真面目に聞いてくれるというのか。

 「私は日本で生まれ、日本の学校に通い、みなさんと同じ日本人として暮らしています。――けれど、小学生のころ、自分だけが他のみんなと違うということを気にして、笑顔を失ったことがありました。どうして自分だけが違うんだろう? どうしてみんなと一緒じゃないんだろう? もう誰ともわかりあえない気がして、心に壁をつくってしまったのです」
 心に壁をつくって、そもそも話してみる前から他人と接するのを諦めてしまっていたあなたが、よくもまあとんだキレイゴトを。

I Have a Dream

 「――white girls as sisters and brothers.I have a dream today.・・・」
 テンジョウが授業で読んでいたのは、アメリカ史上有数の名演説として名高い、キング牧師の『I Have a Dream』です。実際の英語の教科書にもちょくちょく載せられていますね。

 キング牧師は両親とも黒人ながら比較的裕福な家に生まれました。というのも、キング牧師の父親も牧師だったからです。当時は黒人への差別が根強く、黒人というだけでろくな職業に就けない時代でした。けれど、牧師という仕事は、成績さえ優秀なら黒人にも道が開かれていたんです。
 もちろん裕福な家だからといって、彼が一切の差別を受けなかったわけではありません。いくつかの差別体験が彼の思想に影響を与えたといわれています。それでも、一般的な黒人の子どもと比べたらだいぶマシな生い立ちでした。

 長年苛烈な差別を受けてきた黒人たちの権利を主張する活動の旗手となり、誰よりも熱心に黒人の受けた悲しみと怒りを訴えつづけたキング牧師は、意外にもそういう出生の人物でした。

 「――でも、そんなとき、家族を見ていて気付きました」
 誰にでも笑顔で接するどころか、誰かに何かをされたわけでもないくせにひとり心を閉ざしていたえれなが、改めて笑顔で語ります。
 「ウチの家族は父と母がハグしあったり、歌って踊ったり、こんなに楽しくユニークな家族はどこにもいません。だけど、いいえ、だからこそ、世界にひとつだけの私の宝物です!」
 キレイゴトを。彼女の知るかぎり最も美しい情景を。
 「翌日、学校へ行って気付きました。人と違うのは私だけじゃないって。背が高い子。足が速い子。話が面白い子。本が好きな子。みんな違う。ひとりひとり違う。それぞれステキな個性があって、その人を輝かせているんです」
 キレイゴトを。幸せを知り、心に余裕ができたからこそ気付けた、暖かな世界のありようを。
 「それから私はどんな人とも笑顔で接することができるようになりました。そして、私が笑顔でいると、みんなにも笑顔の輪が広がっていったのです。笑顔には人と人をつなげるすごい力があります。私はこれからもたくさんの人と出会い、交流を深めていきたいです」
 そしてキレイゴトを! 自分の醜さを見つめても何も変わることのなかった、いつもの彼女らしいキレイな思いを。

 当初の原稿から主張していることは何も変わっていません。結局のところ徹頭徹尾キレイゴトです。それでも不思議と胸を打つ、ステキなスピーチに仕上がりました。
 それが彼女の全人生を通して練りあげられた、彼女だけが語ることのできる、彼女らしい言葉だからです。

 キング牧師の『I Have a Dream』はアドリブで語られた演説だといわれています。彼は他の演説をしている途中で「あなたの夢を聞かせて」という聴衆からのリクエストを受け、その場で原稿も持たずに歴史に残る名演説を語りはじめました。
 私には夢がある、と。
 何の具体的道筋もない、大した背景事情も語られない、ただただひたすら、いつかこうなったらいいねと優しい理想を語るだけの夢物語を。
 たったそれだけの、それもその場でぱっと考えただけのキレイゴトが、時代を越えて、国を越えて、たくさんの人を感動させました。

 「まったく。あなたって子は本当に何もわかってないんだから。『笑顔が人と人をつなげる』ですって? ふざけないで! そんなのまやかしよ!」
 テンジョウが怒るのも当然です。
 だって、えれなはテンジョウほど辛い目にあってきたわけじゃありません。勝手に自分で心を閉ざして勝手に立ち直っただけの普通の子が、自分の心底憎らしく思う気持ちと真っ向から対立するキレイゴトを語っていたら腹も立ちます。
 能天気と言われてもしかたありません。もしテンジョウと同じ体験をしたのなら、その後のえれなが同じことを言いつづけられる保障なんてどこにもありません。えれなにテンジョウの気持ちはわかりません。わからないくせに。
 テンジョウにしてみればえれなのスピーチなんて上っ面のキレイゴト。そこらの小娘の言葉ごときがたくさんの人の胸を打つだなんてまったく理解できません。
 「キュアソレイユ! お前の笑顔を見てるとイライラするのよ!」

 ・・・それでも、事実としてたくさんの人の心を打ったのはえれなの言葉です。テンジョウではありません。
 だって、えれなはみんなに笑顔になってほしくて、あのスピーチをしたんですから。
 えれなは自分の気持ちを訴えたくて、聞いてくれた人にも何かをしてほしくて、そのために本心からあのキレイゴトを語ったんですから。
 辛い辛いと憤るばかりで、何を訴えるでもなく他人の言うことを否定するばかりのノットレイダーたちとはそこが違います。

 勘違いされがちですが、口がうまいとか、特別な体験をしたとか、別にそういうのじゃないんですよ。
 心から他人を動かしたいと願いを込めて語る言葉だからこそ、聞く人を感動させられるんです。
 自分も何かしなきゃ、と心を突き動かされるんです。

 「テンジョウ。私、あなたには感謝してる。だってあのスピーチができたのは、あなたのアドバイスのおかげだから!」
 今、えれなにはテンジョウに自分の思いを伝えたいと思う理由があります。
 みんなに笑顔になってほしいから。これがまずえれなの個人的な願い。
 それに、新しく誰かに出会うと自分の心の宇宙がどんどん広がっていくから。こちらはひかるたちと共通する、スタートゥインクルプリキュアとしての願い。
 いずれもえれなひとりだけでは達成することのできない願いです。
 たくさんのみんなに協力してもらう必要があります。だから、えれなは自分のなかだけに大切な思いをしまい込むのではなく、これからもっともっと、周りの人たちをも動かしていかなければなりません。

 「笑顔に価値はあるよ。笑顔には、人と人をつなげるすごい力が、あるんだ!」
 残念ながらえれなの思いはまだテンジョウにまで届きません。他人を動かすのはそう簡単なことではありません。
 テンジョウにはテンジョウの深い憤りがあり、えれなが彼女と同じ体験をしていない以上、どうしてもわかりあえない部分はあるからです。
 それでも、えれなは彼女とわかりあわなければなりません。自分の願いを叶えるために。彼女の笑顔を見るために。
 どうしてもわかりあえない人がいるからって立ち止まっているわけにはいきません。
 キレイゴトだろうと何だろうと、本心から叶えたいと思える、えれなだけの“やるべきこと”があるのですから。

 人の思いによって、誰も想像できなかった奇跡を呼び起こしうる力。
 他人を知り、自分のことも知ってもらうために考えることを諦めない、前向きな想像力。
 トゥインクルイマジネーションが今こそ必要です。

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    コメント

    1. ピンク より:

      小学校の運動場でえれなに手を突き出す男の子、通学路を独りで歩くえれなを見てる高学年くらいの男の子。
      男の子の顔は後ろ向きだったり遠すぎたりでよくわかりません。
      「ああ、意地悪されたんだな」と最初思いました。
      しかし自問自答(大人の言葉とかじゃなく)で大切なことに気づいたえれなはクラスメイトと笑って過ごしてました。

      ……意地悪じゃなくて遊びに誘いたいだけだったんですね、アレ。

      さて次回は久々の冬貴さん。
      彼の心の宇宙が広がるとき、ララの運命もまた変わるのでしょうか。

      • 疲ぃ より:

         イジワルをするとき一番楽しい瞬間って、相手が泣いたり逃げたり、自分のした嫌がらせの成果が何らかのかたちになったときだと思うんです。
         文化祭は展示物が完成する本番前日が一番楽しいのと同じように。ゲームは大ボスを倒した瞬間が一番楽しいのと同じように。どんなものであれ、自分の努力が報われた瞬間が一番楽しいものだと思うんです。
         ところが、えれなに声をかけた男の子ふたりは、彼女が逃げだしたとき手を下ろしているんですよね。まるで困惑しているかのように。もしイジワルしていたならあのときこそテンション上がるものでしょうに、少なくともえれなが逃げたならそれこそがイジワルな子の本意なので、困惑するはずがないでしょうに。

         そんなわけで、あのシーンは遊びに誘おうとしたって解釈で合っていると思います。
         相手が優しくしてくれてもこちらが気付けなければすれ違い、こちらが手を差し出しても相手が取ってくれなければやはりすれ違い。コミュニケーションというのはつくづく双方向性のものです。

    2. 東堂伊豆守 より:

      天宮えれなの弟・とうまが、かつての姉と同じように出自・容姿・習慣などの違いからくる孤独感に苦しんでいたとき、普段は世話好きのえれなが妙に冷淡だったことがずっと引っ掛かっていたんですが……今話を見るに「弟にも自分と同じように自力で苦悩を克服してもらいたいと”勝手に”期待した」ことに加え「弟の苦悩と向き合うことで自分自身の過去の苦悩とも再び向き合う羽目になるのを”無意識に”避けた」為だったんじゃないかと思えました。
      当初のスピーチ原稿で過去の苦悩に一切触れなかったり、また以前には母親に「笑顔も大切だけど、もっと大切なのは(傷つけ合うリスクをも怖れず相手の懐に飛び込んで)理解すること」と諭されたり(つまり「笑顔で表面を取り繕うこと」に走るきらいがある)と、えれなの行動にはかなり防衛機制が働いている傾向が見受けられるんですが、この防衛機制がよりによって彼女の弟を窮地に追いやる格好になったのかな、と。
      そう考えると、えれなの「致命的な事態を招きかけた」気質にメスを入れてきたジョー・テング先生ことテンジョウは、確かにえれなの”恩人”だと言えるんですね(そういえばとうまクンをノットレイに仕立てたのもテンジョウだったりする)。
      果たして、えれなは「”表面を取り繕う笑顔”への憎悪」に囚われた恩人・テンジョウを救いだし、恩に報いると同時にえれな自身の「笑顔で表面を取り繕う」悪癖と真の決着をつけることが出来るのかーーーーーー目が離せない”対決”となりそうですね。

      • 疲ぃ より:

         おおー。その視点は大事かもしれないです。
         えれなは基本的にはコミュニケーション上手ですが、笑顔が通用しない相手だと急にガタガタになる弱点があります。でも、そもそもどうして彼女の渉外力がこんな両極端にブレてしまっているのか、そういえば私はあまり深く考えてこなかったかもしれません。単純に押しが弱すぎるからかなーと。
         でも、えれなって優しいし、気を使える子なのは確かなんですけど、別に押しが弱い性格ってわけじゃないんですよね。むしろ結構グイグイいくタイプ。少なくとも普段は。

         この子が他人に自分の考えかたを押しつけられずにいたのは、むしろ彼女の思想が自分ひとりで考えたものだったからなのかもしれません。
         えれなは小学生のころの悩みを解決したとき、誰のアドバイスも受けませんでした。全部内省をがんばった結果の自己解決でした。それはとてつもなく立派なことで、そうそう誰にでもできることではありません。大変価値のある“自分だけの言葉”です。ですがこれは、一方で自分以外の誰の言葉でもないという意味でもあります。
         えれなは自分で心に壁をつくって、自分で悩んで、そして自分で乗り越えました。全過程が自分のなかだけで完結していました。だから、その成功体験はえれな自身にとっては絶対的なものですが、他の人にとっても善い考えかただという保証が無いんです。自分以外の誰も関わっていない成功体験なんですから。
         相手のほうから笑顔を支持してくれる場合はいいんです。えれなが保障しなくても向こうが自己責任で善い考えかただと信じてくれます。
         ですが、笑顔になってくれない人が相手だと、えれなには自分の考えかたがその人にとっても善い考えかただと保障してあげる手立てがありません。だから彼女はそういうとき、強く出ることができないんです。相手の元々の論理を尊重して、自分の考えかたを引っ込めてしまいます。

         ですが、物語を通してえれなはたくさんの人と出会い、笑顔についてのいろんな考えかたに触れてきました。今話のジョー・テング先生のアドバイスなんかはその最たるものです。いろんな考えかた、自分とは違う考えかたと出会い、えれなは自分の“笑顔”の論理が他人の視点からはどう見えるのかを学ぶ機会に恵まれました。
         今ならば、彼女は笑顔になってくれない他人に対しても、自分の考えかたを強く勧めていくことができるかもしれません。元々は自分だけの言葉だった彼女の論理も、今となっては多くの人の目に触れ、賛同を受けた、みんなにとっての善い考えかたです。

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