私は・・・ココナが大大大好きだから助ける!
(主観的)あらすじ
ミミはアスクレピオスを滅ぼします。ソルトを傷つけます。パピカを遠ざけます。それらはココナを守ってくれなかったから。ミミはココナとふたりきりの永遠を選びます。
パピカは悲しみます。ココナに「大嫌い」と言われたから。ミミに「大嫌い」と言われたから。大好きなふたりのどちらかを選べと言われたから。
ソルトはミミの涙を受け取ります。大切な人のもうひとつの願いに触れ、彼は然るべき相手・・・ヤヤカにそれを託します。
ヤヤカはココナを助けることに決めます。何もかも関係なく、ただ、それが自分の願いだから。願いを同じくするパピカとともに、ピュアイリュージョンの冒険に挑みます。
長かった現実の物語も今回で終わり。(たった2話ですけどね) 次回からまた夢の冒険です。夢十夜になぞらえるのを完遂するかはまだわかりませんけど。
実は第7話で「選ぶ」話をしたのが私の中でしこりになっていたんですよね。書いた内容は今も間違っていないと思っているのですが、それでもなぜか。以後フリップフラッパーズの感想では「選ぶ」「選択する」という言葉を使えなくなっていました。
そういえばこの物語は「アモルファス」をただの「欠片」と言い換える物語でしたもんね。ピュアイリュージョンという混沌からエルピス(希望)だけを選別しようとするのがダメなんですね。そんなことをしたらパンドラの箱からは災厄ばかりが溢れ出てしまいます。エルピスを箱の底に隠したパンドラさんをどうにか説得して、もう一度箱を開けてもらわなければいけません。
選択
おかあさん。子どもを無条件に愛してくれて、子どものためにあらゆる苦難を遠ざけてくれる、絶対安全な居場所。
苛烈な現実に居場所のことごとくを失ったココナは、期せず新たな居場所を得ます。「家族に会いたい、かな」 おかあさん。誰もが当たり前に持っていて、なのにココナには与えられなかった、憧れの居場所。
おかあさんはココナを傷つけるもの全てを排除します。アスクレピオス。ソルト。パピカ。現実。それから・・・。
「きれいな髪。お母さんみたいに伸ばしたら」「やっぱり似合ってる」「そんな子はココナにふさわしくないわ」「友達ならお母さんが用意してあげる」「何も考えなくていいのよ」
それから、決断。
ミミは決断することの痛みを知っています。
研究所を抜け出す決断は、ソルトとの絆を失う結果に繋がりました。
生まれたばかりのココナを守る決断は、我が身の自由を失う結果に繋がりました。
パピカを見捨てない決断は、何もかもを失う結果に繋がりました。
ひとつ何かを決めることは、他の何かを切り捨てること。現実はままならないものですね。現実はイジワルなものですね。パピカと出会い、ソルトと出会い、白い檻のような部屋から抜け出して、遊ぶことを知り、愛することを知り、自由という喜びを知り、けれどその実態は決断を迫られる日々の連続。
楽園に暮らしていた原初の人間は、知恵の実を食べた罪で苦難多き大地に堕とされました。求めるならば捨てよ。幸は辛であがなえ。それが現実のルール。現実において、決断とはすなわち痛みです。大切なものを掴むために、別の大切なものを切り捨てる苦しみです。できることなら二度と味わいたくないと誰もが願う、けれど幾度も突きつけられる、この世の不幸です。
痛いのは嫌ですか? 苦しいのは嫌ですか? 実はひとつだけ、それらから逃れられる方法があります。
あらかじめ選択してしまうことです。大切なものをひとつだけ、自分の中に定めてしまうことです。そうすればどんな決断を迫られようとも答えは自動的に定まるでしょう。大切なものがひとつしかないのですから。切り捨てるもののことなんて考えないで済みます。痛みも苦しみもなくなります。
「ココナを守ってあげる。だから私と替わってよ」 では究極の選択をはじめましょう。あなたの一番大切なものは、ココナですか? それとも自分ですか?
究極の選択をしたのですからミミはもう迷いません。もはやどんな決断を迫られようと決して苦しみません。彼女はいつだって、ココナだけを選んでいればいいんですから。
迷い
ソルトはミミに銃を向けながらも撃つことができませんでした。
パピカははっきりしない態度のせいでココナに「大嫌い」と言われてしまいました。
彼らはミミと違って、大切なものをひとつだけに絞ってはいませんからね。痛みを恐れて決断を迷ってしまいます。
「逃げよう、4人で」「もうバラバラになるのは嫌」 それが彼ら共通の願いだったはずです。ミミが欠けても、ココナが欠けても、その願いは永遠に叶いません。そのうちの誰かひとりでも切り捨てる決断なんか、そのうちの誰かひとりだけを特別にする選択なんか、できるはずがないのです。
だから迷います。迷って、いずれも掴みそびれます。ミミは見苦しく思うでしょうね。迷う人は無力です。無力なままでいられなかったからミミは選択しました。ソルトとパピカにはその覚悟がない。情けない。
決断すると痛くて、迷うと何も得られない。現実はイジワルです。それならいっそと、他人のお仕着せた選択に縋ったのがヤヤカでした。
「私は信じてた。人が傷ついたり傷つけたりしなくて済む世界になるなら、居場所がなくなるくらいなら、誰かに与えられた方がずっと幸せだって」
アスクレピオスに所属するのは楽でした。アスクレピオスの命令に従って、どんなときでもアモルファスの回収だけを選択していればいいんですから。たとえそれで大切な友達と敵対することになっても、傷つけることになっても、その痛みから目を背けることができます。自分で決断していないから。他人のつくった居場所に縋るのって、なんて楽なんでしょう。
ウソ。
お仕着せられた命令があっても、ヤヤカは結局ココナを傷つけることを選択できませんでした。
ミミだってそうです。いくらココナを選択したところで、大好きなソルトを傷つける痛みからは結局目をそらせませんでした。
「もう要らないから」 その言葉とは裏腹にこぼれる涙。その言葉とは裏腹にソルトを殺さず遠ざけるだけにとどめてしまう矛盾。
「ソルト。私を止めて。本当はココナを遠くから見守ることができればそれだけでよかったのに」 何もかもが嘘っぱち。大切なものをひとつだけ選択したところで、それが常に自分の願いに適うなんてことはありません。本音を裏に隠せるようになっただけです。
「私は変わったの」 嘘です。ピュアイリュージョンに潜んでいたイドが表に出てきただけです。
「ココナのためなら何でもするって決めたから」 言っていることと行動が矛盾しています。
「私たちは幸せに暮らすの」 だったらどうしてそんな不幸せそうな顔で話すんですか。
「人は、ピュアイリュージョンは、いくつもの顔を持っているの。全部本当の自分よ」
なればこそ、たったひとつの選択では、たったひとりのあなたすら満足させられるわけがないんです。あなたにはいくつもの顔があるのだから。本当はいくつもの大切なものを持っているのだから。
零れた涙は欠片に変わります。願いを叶える欠片に。ミミの選択を打ち砕こうとするソルトの手に、彼女のもうひとつの願いが託されます。
結局みんな、迷っています。
決断
決断すれば傷つき、迷えば得られず、選択しても結局大切なものを切り捨てなければならない。現実はままならないものです。
「うっせえ! ココナを助けたくないのかつってんだよ!」
けれど、それでもあなたの願いを叶えるのはあなたの決断だけです。あなたがココナを助けたいと願うなら、ただそれだけを決断すればいい。そうすればココナは助かります。あなたが助けるのだから。
「いいか。私はココナを助けたい。相手が母親だろうとなんだろうと知ったこっちゃない」
決断はあなたから別の大切なものを奪うかもしれません。ココナを助けたらミミが傷つくかもしれないし、それを防ごうとするならまたココナに嫌われるかもしれません。
けれど、あなたが決断したのは失うことじゃありません。願いはあくまでココナを助けること。それに付随する痛みはただのイジワルです。現実が勝手に押しつけてきただけです。そんなもののためにあなたが気をつかってやる必要なんてありません。
「ダチだから助ける! お前はどうなんだ」
たったそれだけ。理屈も前提も言い訳も要りません。現実が押しつける窮屈なルールに縛られなければいいだけのこと。あなたの願いは子どもみたいにシンプルなんだから、迷うことなんて、はじめから何ひとつありません。
「グダグダと似合わないこと言ってんじゃねえ! お前はそうじゃないだろ!」
これまでパピカたちは夢に遊んできました。たくさん、たくさん。現実がいくら鬱屈していても、夢でなら自由に笑えることを、あなたたちは知っています。こっちだって一生懸命苦労して遊んできたんです。わざわざ現実のルールに従ってやる道理なんてありません。
夢は現実を変えられません。夢でつくったお城を現実に持ち込むことはできません。けれど、それでも現実を変えられるのは夢だけです。夢の中で力をつけたあなたの願いは、いつか現実でもお城をつくりあげるかもしれません。
あなたがココナを助けたいと願うなら、その願いは叶うでしょう。だってあなたが助けるのだから。もし現実がその代償としてあなたからミミを取り上げようとするなら、今度はミミも助けたいと願えばいいだけです。あなたはそう願えるのだから。イジワルな現実のルールなんて蹴飛ばしてしまえ。そんなの願い下げだって。
だから今はシンプルな決断だけをしましょう。
「私は・・・ココナが大大大好きだから助ける!」
これであなたの願いは叶います。
感想文があまりにも理想主義すぎて我ながら変な笑いが出ますけどね。(毎回そうですけど)
けれどまあ、実際ソルトの願いがヤヤカを動かしたじゃないですか。彼の土下座を見て私たちもどうにかしてあげたいと思っちゃったじゃないですか。ミミを殺すなんていう痛みを伴う決断は無理でも、「パピカを助けてほしい」ってだけの都合のいい願いは案外叶っちゃうこともあるわけですよ。
「摩擦のないユートピアなど存在しない」とはいいますが、摩擦をあがなう代償はなにも傷つくことじゃなくてもいいのかもしれませんね。現実ってのは鬱陶しいルールを押しつけてくるけれど、案外いいやつです。
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