フリップフラッパーズ第13話感想 第一夜。巣立つあなたが贈る、とびきりの優しい「嘘」。

虹の向こう、空の彼方、広がるグラデーション渡って。
光は粒になるよ。集めよう。
ひとつになればもう不思議はなくなっちゃうね。
見える世界が夢なんだ。

フリップフラッパーズ 1 [Blu-ray]

(主観的)あらすじ

 ピュアイリュージョンに消えるミミをパピカが追いかけていったあの日、パピカはココナを託されました。たとえ記憶を失ってもパピカはココナと再び縁を結びます。
 ココナがミミの束縛から脱し、ミミは悲しみに狂いました。ひとりぼっちの彼女はもはやココナすら求めず、すべてをやり直すためにすべてを破壊し尽くそうとします。ココナは自分で決めた自分の道を守るため、パピカと力を合わせて彼女を止めます。
 戦いの終わりに呼応して閉じはじめるミミのピュアイリュージョン。ミミを救うためにパピカが残り、ココナはひとり現実へと帰ります。
 そこは奇妙なものが何ひとつない世界。ピュアイリュージョンもミミの欠片もなくなり、ブーちゃんはショベルカーに、ユクスキュルはただのウサギに戻りました。だからピュアイリュージョンに残ったパピカと再会する手段ももはや存在しません。
 ・・・なんて、嘘です。この世界は嘘の世界です。閉じかけていたミミのピュアイリュージョンを打ち壊し、ココナがつくり変えた世界です。すべてが丸く収まり、今度こそココナはパピカと共に巣立っていきます。ミミがその姿を幸せそうに見届けています。

 たくさんの葛藤の果てに巣立ちの時を迎える今夜の夢は第一夜。再会のために百年をじっと堪え忍ぶ恋の夢。いかにも第一夜なモチーフが山ほど出てきたということは、やはり前回のボスラッシュは第十夜だったんですね。
 後半脚本のハヤシナオキさんがKanonの久弥直樹氏かもしれないという噂は本当かもしれないなあと、見ていて思いました。親に対する愛情と諦観が入り交じった態度(大人は不変であるというある種の諦めというか)や、奇跡に対する考え方(人の手で生み出せるものではないが人が願うことで引き寄せられる)といった独特な世界観がよく似ています。
 最終話はあくまで子どもの巣立ちを祝福する爽やかな冒険譚として描かれました。明らかに別のテーマを描いていた伏線のうちいくつかは着地点を失ってしまったように見えますが、それはそれ。意外な側面からあらゆる要素にあるべき帰結が用意され、物語全体としてはきれいに収束したのではないでしょうか。
 あ、今回いつも以上に劇中で描かれたものを拡大解釈した語りが多くなっているので諦めてください。(今さら)

「百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」

 自分はこう云う風に一つ二つと勘定して行くうちに、赤い日をいくつ見たか分らない。勘定しても、勘定しても、しつくせないほど赤い日が頭の上を通り越して行った。それでも百年がまだ来ない。しまいには、苔の生えた丸い石を眺めて、自分は女に欺されたのではなかろうかと思い出した。
 すると石の下から斜に自分の方へ向いて青い茎が伸びて来た。見る間に長くなってちょうど自分の胸のあたりまで来て留まった。と思うと、すらりと揺ぐ茎の頂に、心持首を傾けていた細長い一輪の蕾が、ふっくらと弁を開いた。真白な百合が鼻の先で骨に徹えるほど匂った。そこへ遥の上から、ぽたりと露が落ちたので、花は自分の重みでふらふらと動いた。自分は首を前へ出して冷たい露の滴る、白い花弁に接吻した。自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。

 「前はね、お姉さんだったの。その前はお婆さんで、その前は赤ちゃん」 第一夜に重ねて解釈するなら、パピカの時間は相対的にきわめて高速で周回していたことになるのでしょうか。檻の壁面にはおびただしい数を数えた跡があります。ふたりの時間が初めて一致したのは、ココナ主観で5~6年ほど経過してから。
 パピカの主観ではその何倍もの年月が過ぎ去っており、いつしかパピカは自分の名前すらわからなくなってしまいます。ミミに託された大切な願いとともに。

 せっかく託されたというのに、パピカは目の前の女の子が自分にとって大切な存在であることに気付けません。託された願いはこのまま叶わず終わってしまうのでしょうか。
 いいえ。託されたものは繋ぎとめられました。託されたパピカではなく、ココナの手によって。「元気になるまで傍にいるね。ふたりなら寂しくないよ」
 ふたりの絆はココナがパピカに声をかけたところから始まりました。最近になってパピカが強引に結んだものではありません。むしろ、はじまりはココナでした。
 それでいてココナが一方的に繋いだというわけでもありません。今度はココナの言葉を嬉しく思ったパピカの方から「私と友達になって」とお願いします。
 「あいつら、やっぱりズリィよな」 ふたりの「大大大好き」は、ヤヤカが出会うよりもさらに昔から続くものです。まして双方ともに自らの意志で求めた相手。色々ありましたが、そもそもがちょっとやそっとで途切れるようなヤワな絆ではなかったわけです。どんなときでも呼びかければちゃんと届く。すれ違っても最後には笑いあえる。そんな関係。
 「違う! そうじゃなくて、ココナのことが」「大大大好きだから!」 ズルいですね。

 待ち続けたのはパピカだけではありません。
 「私、待たされるの嫌いなんだけど」 ミミもまたソルトとの再開を待ち望んでいました。ココナ以外を諦めた今のミミはそうでもありませんが、諦める前の方のミミはずっと待っていました。
 研究所からの脱出。ミミとココナを守る最初で最後の機会を、ソルトは整理しきれない複雑な思いのせいでフイにしました。二度目の脱出には参加しましたが、時すでに遅く、その脱出行では誰も救えませんでした。
 「今さら何しに来たの?」「償いだ」「優柔不断な男が、今ごろ現れて邪魔するの?」「そうだ。許してもらうつもりはない」 これは負債の清算です。もし最初の機会にミミを助けてあげられたならば。そんな身勝手な感傷で、自己満足で、ソルトは命がけでココナを守ろうとします。それがかつて愛した女性の一番の願い事だったから。
 ミミはその身勝手をずっと待っていました。愛するダメ男からの不器用な愛情表現をずっと待っていました。ココナひとりだけを選択した心の裏に、ソルトに止めてもらいたいと甘える心を残していました。だから彼が行動してくれたことだけで満足です。「あなたは戻って」 負債の支払いに命まで貰う必要はありません。愛する娘が無事にひとり立ちし、愛する夫の心までも取り戻したのですから、他に望むものはもう何もありません。
 ただし。優柔不断の弁済を十数年も待ち続けてあげたんですから、ちょっとした利子くらいは請求してもいいですよね。「いいのよ。その代わり、私が一番じゃなきゃひどいんだから」 情けない男性の「一番」。命に比べてずいぶんな低金利です。
 結局、ミミがソルトに求めていたものは最初から最後まで愛情表現だけでした。甘えん坊が不器用さんに恋すると苦労しますね。

巣立ち

 前回の感想では今のミミのことを「寂しがり屋」と表現しましたが、なるほど、むしろ「甘えん坊」と言った方がしっくりきますね。
 「子どもは親のものなんだから!」とかなんとか、親として明らかにダメなワードを連発しつつ、ミミはココナに執着します。母親が我が子に甘えます。典型的なダメ親です。

 現実でめいっぱい傷ついたミミはあらゆるものを諦め、ココナとふたりだけの世界を求めました。愛しい我が子だけは絶対に自分を傷つけないと信じていたから。
 「悪い子にはお仕置きしないと。お母さんがお尻を叩いてあげる。いい子になるまで永遠に」 他の全てを切り捨てたものですから、ココナに拒絶されては彼女の居場所は世界中どこにも存在しません。どうしても、是が非でも、非を是にねじ曲げなきゃいけないとしても、ミミは絶対にココナを取り戻さなければいけません。そうしなければ彼女は永遠にひとりぼっちです。「離れない。離さない。絶対に逃がさない!」
 あえて不気味な世界に放り込んで、愛娘に「おうちに帰りたい」と言わせるお母さんマジ性質悪い。全身全霊をかけて手段を選びません。大人げなんかかなぐり捨てて、必死も必死です。

 アダムとイブがエデンの園を追われる原因となったヘビの正体は、一説にはサタンだともいわれています。元は天の御遣いでありながら地の底へ堕とされた堕天使サタン。彼もまた寂しさに耐えあぐねて友を求めたのかもしれませんね。

 さて、そんな超ド級の甘えん坊お母さんに対して我らが主人公たちがどう対応するのかといえば。
 「それでもミミは絶対にココナを悲しませたりしない! そんなミミは大っ嫌いだ!」 正直なところ予想の斜め上すぎて変な声が出ました。真っ正面からの全否定。人間や世界の多面性、多義性、これまで語られてきた多重な視点による世界観をガン無視しての、堂々たる拒絶です。
 巣立ちの物語としては真っ当ですけどね。今やココナはパピカの隣という自分でつくった居場所を得て、母親の保護を必要としなくなりました。彼女はもう自分の足で、自分が選んだ道を歩くことができます。たとえどんな事情があろうとも、母親による束縛はひとり立ちの障害でしかありません。
 「本当に勝手」 ええ、勝手です。ココナを束縛しようとするミミと同じくらい勝手。お互い相手の気持ちなんてまるで考えません。もはや和解の余地もなく、ココナの心はミミから決定的に離れ、いよいよミミのひとりぼっちが確定しました。

 たったひとつの望みを砕かれたミミにできることはただひとつ。ちゃぶ台返し。
 なんだこのクソゲー、やってられっか。普通、人生にはリセットボタンが存在しないのでこういう場合には自殺を選んじゃうものですが、ハタ迷惑なことにこの人、リセットボタンを持っています。いえまあハタ迷惑さ加減ではどっちもどっちですけどね。それでもたったひとりの絶望が世界を飲み込む壮大な絵面を描くんですから大したものです。
 もちろん巣立ちの用意が調った子どもたちは容赦しません。どれだけ壮大な絵面だって、どれだけ大人げない駄々だって、そんなの子どもたちには何の関係もない。やるべきことはたったひとつ。立ち塞がる壁をグーパンで打ち砕き、その向こうにある未来に向かって飛び立つのみ!
 大人のワガママはかわいくありませんが、子どものワガママは祝福されるべきものです。
 「私たちの冒険の邪魔をしないで!!」

 いかな甘えん坊お母さんであっても子どものワガママはやっぱりかわいくて、そのためなら自分の駄々を引っ込めざるを得ません。こうしてミミはココナとふたりで永遠を過ごすことも駄々をこねることも諦めるしかなくなり、他の全てを切り捨てる前の自分へと帰ることになります。「戻りましょう。娘が産まれる日をただ心待ちにしていたあの頃に」
 なんという力業。けれどこれこそが自分で決断する人の持つパワーです。自分が決めたことなら無茶無謀を蹴飛ばしてでもまっすぐ追い求められる。ハッピーエンドへの最短ルートです。

 もしも現実を戦う力がなかったら夢に遊ぶのもいいでしょう。夢に現実は変えられませんが、現実を変えることができるのは夢だけです。
 一生懸命遊んで、いつか現実を戦うための夢を手に入れましょう。胸の中に夢さえあれば、現実に立ち塞がる壁のほとんどはなんとかなるものです。

L.I.E.NEWS、あるいはSerendipity。

 そんなわけでココナの巣立ちという物語は完結したはずなのに、なぜか唐突に現れる意味不明な試練。奇妙なものが何ひとつない世界。ここからはエクストラゲームです。第12話まででココナの親離れは済んでいたというのに、いったい何のために第13話が用意されたと思っている!

 「あなたはそこにいるあなたを『タダノモノ』だと蔑む」
 そもそもこの物語の発端は、極端に自己評価の低い少女のため息でした。

 「私はそんなあなたを抱きしめるつもりさ」
 そんな不幸ヅラした少女にたくさんのステキを教えてあげるための物語でした。

 「偶然世界が形を変えたとしても、あなたがいれば何にでもなれる気がした」
 良いことも悪いこともたくさん経験しました。冒険に連れて行ってくれた人がいるから。

 「泣いてた。笑ってた。走ってた。ひたすら輝いてたよ。もう恐くないね」
 泣いたり笑ったりしながら、たくさんの世界のステキを見ながら、ひとりの少女はついに自分の道を自分で決められる強い子に成長しました。

 「意味のない存在も愛の下で産み落とされた。『タダノモノ』じゃなかった」
 私をこんなステキだらけの世界に連れてきてくれたあなたの愛を、今ようやく実感することができました。

 「折り重なる偶然が抱くSerendipity」
 あなたの愛があったから私は思いがけない幸福に巡り会うことができました。
 だから、今度はあなたにも、愛を。

 ミミの不幸は生まれつき宿していた彼女の特別な力が招いたものでした。
 ピュアイリュージョンがあるから研究所に閉じ込められ、ピュアイリュージョンに行けるからたくさんの同年代の子どもたちを犠牲にしてしまい、ピュアイリュージョンで起こした事故が大切な人の心すらも遠ざけました。
 彼女は自分の力に翻弄されて傷つき、疲れ、ついには我が子とふたりだけの世界に逃げようと考えるほど追い詰められてしまいました。
 その弱い心は打ち倒されましたが、冷たい現実が彼女を傷つけ続ける事実は何も解決していません。彼女は閉ざされゆく世界にひとり残り、愛娘の巣立ちを助けるために、今度も自分を犠牲にしようとしています。

 そんな悲しい結末、まっぴらごめん。
 「斬って斬って斬り捨てる!」 ひとり立ちしたピュアブレードの刃がお母さんの世界を破壊します。先ほどモンスターお母さんの駄々を真っ正面から打ち砕いてみせたのと同じように。
 そこに新しく生まれたものは、ピュアイリュージョンの力が何ひとつ及ばない特別な世界。お母さんを傷つけるものを取り払った、お母さんがどこにでもいる普通の人として安らげる当たり前の世界。
 ここはココナがミミのためにつくった優しい「嘘」の世界です。不幸な少女なんていなかった。

 自分でついた嘘に自分で騙されるココナかわいい。

 「奇跡は起こらない。目覚めを待っているだけ」
 人は自分の手で奇跡を起こせません。だから子どもたちには自分よりもたくさんの幸福が訪れてくれるように祈るんです。「ココナが生まれてきたら、ココナには好きなように、自分で道を選んで生きてほしいの。私にはそれが許されなかったから。だから生まれてくるこの子には」

 「奇跡に驚かない。出会うべき愛に出会ったんだ」
 子どもたちが思いがけない幸福に巡り会えたのなら、それはきっとお母さんがたくさんの愛情と祝福でもってその訪れを祈ってくれたから。奇跡だけれど必然です。
 だとしたら。子どもがお母さんを想う気持ちだって、思いがけない幸福をもたらしてくれてもいいじゃありませんか。

 ココナが巣立っていきます。「ミミの欠片」と同じ色をした蝶たちを引き連れて。
 先ほど遺言のようにたくさんの言葉を並べていたのが嘘のように、ミミも穏やかな笑顔でそれを見送っています。やっぱりハッピーエンドはみんな笑顔でなきゃ。
 もしも我が子を束縛していたら、ふたりで閉じこもる選択以外を諦めていたら、この思いがけない幸福が訪れることは絶対になかったでしょう。
 最後の最後に産み落とされたこの世界は、ミミの愛のおかげで幸せになれたココナが、ミミの愛に応えるために連れてきたSerendipityです。

※ 念のため書いておきますが、歌詞の解釈としては相当恣意的な読み方をしていますのであしからず。

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