ヒーローの5類型 高機動幻想ガンパレードマーチを叩き台に。

 ふと思い立ったので、私の大好きな名作ゲーム『高機動幻想ガンパレード・マーチ』及びその周辺設定を叩き台に、私のヒーロー観をいくつか並べてみようかと思います。原作設定と誤解と曲解と私の主観がゴチャ混ぜになったどうしようもない記事ですが、まあ、色々と諦めてください。
 お品書きは「ゲームプレイヤー」「世界移動存在」「絢爛舞踏」「バカ」「決戦存在」の5本立てとなっております。

ゲームプレイヤー

 OVERSという、七つの世界を股にかける巨大プログラムを通じて他世界の悲劇に介入する存在。平たくいえばテレビの前でコントローラーを握ってエンディングを目指す人のこと。あるいは希望を信じて祈る人。(prayer)
 私たちのことですね。ゲーム内では大抵ヒーローです。どうしてゲームをするのかといえば楽しいから。私たちはそんな身勝手な行動原理でどこの誰とも知れない人々の人生にちょっかいを出し続けます。ちょっかい出される側からするとおそろしく理不尽な話でしょうね。
 私たちは自分の楽しみのためにゲームをします。そしてゲームをするからにはエンディングを目指します。なるべく一番のハッピーエンドを追いかけます。よくできたゲームは一筋縄ではいきません。そう簡単にはハッピーエンドを見せてくれません。けれど私たちは何度も何度も悲劇に挑み、無数の失敗の果てにいつかは世界を救います。どこの誰とも知らない人々の世界を。
 ゲームプレイヤーはただの自己満足だけで、どこかの誰かの幸せを祈ることができる存在です。きわめて身勝手ですが、結果的に私たちは英雄的な働きをし、またその心根もヒーローそのものです。

世界移動存在

 七つの世界を行き来し、それぞれ自分の目的のために旅をする存在。オーマとかアラダとか呼ばれる存在でもあり、多くは何かしらの超常的な能力を持ちます。そのへんの設定は私もイマイチ理解できていないのですが、要するに仮面ライダーとかスタンド使いとかといったスーパーヒーローをイメージすればたぶんだいたい合ってるはず。
 ただの人にはできないことができるので、何かしらの悲劇に介入することになった際には英雄的な活躍をします。ライダーキックができればそれだけでただの人間の何十倍も目立つでしょうとも。必然、彼らはある程度恐れられつつもある程度頼りにされることになります。
 世界を渡るとかいう超常的なことをしているだけあって、その行動原理はただの人とは少し違うところがあるかもしれません。けれどわざわざ世界を渡るとかいう超常的なことをやらなければいけない理由があるだけあって、ただの人よりはちょっぴり人生経験が豊かかもしれません。彼らは少なからずどこかお人好しな傾向が強いように見えます。
 世界移動存在はその存在自体が英雄的です。彼らに英雄的なふるまいをするつもりは必ずしもないでしょうが、その姿に憧れ、自分も正義の味方になろうと夢に願う子どもたちを増やし続けるという意味で、彼らはどこまでもヒーローです。

絢爛舞踏

 語られるときどきで定義が大きく変わるのですが、概して世界を変えるほどの力を持つ存在。ガンパレード・マーチの範囲で語られる分には、人の限界を超えた、ありえない努力家ってイメージな気がします。
 「竜はただのトカゲだが、空を飛ばねばならぬから空を飛ぶ。火を吹かねばならぬから火を吹く。最強でなければならぬから最強なのだ」 絢爛舞踏はただの人の子として生まれます。けれど大切な人を守るため、あるいは戦いに負けられないために、人より多くの訓練を重ね、人より多く仕事をし、人より多く未来予測を立てて、人より多くそれを実践します。その結果、彼らは普通の人には絶対にありえない成果を叩き出します。たまに現実にもいますね、こんな人。
 彼らのしていることのひとつひとつは誰にでもできることでしかありませんが、普通はそこまで積み重ねられません。当たり前のことしかしていないのにありえない成果を出す彼らを普通の人々は畏怖します。けれど、彼らからしたらそれはしなければならないからしただけのことに過ぎません。世界の認識について、彼らと普通の人々とは決定的なギャップがあるので、必然的に世界は変わります。
 多くは恐れられ、歓迎されませんが、彼らの叩き出す成果が英雄的であることを否定することは誰にもできないでしょう。そもそも彼らが絢爛舞踏となるのは目の前に悲劇が見えているからであって、その悲劇を覆さんとする彼らの奮戦ぶりは間違いなくヒーローそのものです。

バカ

 ガンパレード・マーチの用語というより芝村語ですね。 人のために進んで損ができる者、自分が信じたものを貫ける者、嘘をつかずに生きる者。そういった存在。つまりは子どもっぽい夢想家です。現実を目の当たりにしてもなお夢を見られるってだけの。
 他のヒーロー像と違って彼らに世界を変える力はありませんが、世界中みんなが彼らのようになったならきっと世界は今よりも良くなるだろうと感じさせる、ロマンがあります。きっと本当は誰しもがそういう人をこそ好きなんだと、そうなれずにいる自分を悲しく思っているに違いないと、そういう希望を呼びます。
 結果が伴えばサイコー、結果が伴わなくてもそれはそれ。バカなのになぜか愛される人にはそれなりの理由があります。たぶん、本人にではなく、彼らを見つめる私たちの中に。同じように、きっとバカ自身もバカが好きだからバカをやっていられるんでしょうね。
 バカの言動は英雄的です。カッコイイです。もしも現実とは違う夢を見ることを無意味と断じるならば、その場合においてはバカには一切の価値がないでしょうが、しかし現実にはバカの見る夢を尊いと思う人々がたくさんいます。世界は案外夢に飢えていて、だからバカは世界に希望をもたらすヒーローです。

決戦存在

 世界の命運が決まろうとする局面に現れる、特別な運命を持つ存在。けれど彼らは超常的な力を持たず、超人的な努力もせず、物語のヒーローのような尊敬すべき精神性すら持ち合わせません。本当にごく普通の、どこにでもいるただの人です。
 彼らにできることは、運命を変えることだけ。「やっほー」と手を振っては信号無視の自動車に轢かれる誰かの不幸を回避し、「あいつウザイよね」と陰口を叩いては誰かを殺そうとしていた人の憎しみを霧散させ、「メンドクサイ」と仕事をサボっては明日起きるはずだった重大な事故を未然に防ぎます。偶然に。どんなヒーローだ。
 「世界は、いつも最もわかりにくい方法で世界を守ろうと画策する」 決戦存在に選ばれる人物の特徴を強いて挙げるなら、彼らの生き様はきわめて日常的です。・・・語彙が足りなくて意味不明ですね。例えば高校生くらいの少年少女が大人たちの盾となるために戦争の最前線に送られるような悲惨な物語においても、決戦存在は平和な世の高校生と変わらずヘラヘラ笑って恋バナしたり戦車の整備をサボったりします。彼らはどんなときでもどんなところでも、当たり前の日常を失いません。それが唯一の特徴でしょうか。
 世界は「日常」の手によって守られるべきです。だって私たちはいつもの日常を営むために悲劇と闘うんですから。だから決戦存在はごく普通の日常のなかから生まれます。日常の力で戦う英雄です。彼らはヒーローすらも非日常の存在であることを許しません。誰かが非日常のなかに身を置く限り、悲しみは絶えずそこから生まれてくるでしょうから。「悲劇」の対義語は「日常」。そんなの、昨今のヒーロー番組を見ていれば明らかじゃないですか。(横暴な言いぐさ)

 以上、(おそらく原作での扱いとも相当に矛盾しているであろう)ヒーローの5類型をもって新年の挨拶に替えさせていただきます。あなたはどういうヒーロー像を持っているでしょうか。当ブログでは今年も懲りずに主観でアニメ等の感想を綴っていきますので今後ともよろしくお願いいたします。

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