ヒーリングっどプリキュア 第10話感想 一緒ならできる、と彼女は言った。

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ラビリン。また私が間違えそうになったら、そのときはまたちゃんと言ってね。

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(主観的)あらすじ

 メガビョーゲンが現れました。それも同時に3体も。
 場所はのどかたちが校外学習に来ていたガラス美術館、それから少し離れた川原と野原。のどかたちも3手に分かれて戦うことにしたのですが、発生から時間が経つほどにメガビョーゲンは強くなり、しかも職人さんの思いのこもったガラス作品を庇いながらの不利な状況。1人ではまるで歯が立ちませんでした。

 ラビリンたち妖精はそれぞれのパートナーに、一度合流して1体ずつ浄化することを提案します。ちゆとひなたはそれに同意するのですが、のどかはその場を動こうとしません。自分がいなくなった間に取り返しのつかないことになったらと思うと、悲しくて申し訳なくて、どうしても嫌だったからです。
 けれどこのままではどうにもならないのも事実。次第に作品を庇いきれなくなってきて、あわや壊されてしまう――と思ったそのとき、幸いなことにちゆたちの応援が間に合ってくれました。3人で急いでメガビョーゲンを浄化します。

 ちゆたちが来てくれたからよかったものの、自分の判断は間違っていたと、のどかは反省します。ラビリンのいうことを素直に聞くべきでした。今朝もちゆに「周りも見て考えなきゃ」って教えられたばかりだったのに・・・。
 少し自信をなくしながら、のどかはちゆたちと一緒に次のメガビョーゲンのいるところへ向かいます。

 3幹部同時侵攻という、プリキュアの敵組織にしては珍しく理に適った戦略。もっとも、事前に打ち合わせていた作戦というわけではなく、偶然3人とも同時にお仕事したってだけなんですが。それにしてもえげつない。
 次話で協力技初披露ということもあって、今話は仲間がいることの意味を問うてきます。3人いるなら3地点を同時にカバーできるというのも道理ではあるでしょう。けれど、それではチームである意味がありません。
 のどかたちは自分だけでは力が足りないからラビリンたちと手を取りあいました。ラビリンたちのほうも自分だけでは地球をお手当てできないからのどかたちを必要としていました。6人ともみんな、自分ひとりでは足りないところがあるから協力しあってプリキュアになったんです。
 そして今回、のどかはプリキュアになってなお自分にまだ足りていないところがあったことを自覚します。

 じゃあ、これからはひとりでも戦えるように全部何でもできるようになるべき?

 ――いいえ。それもひとつの解決かもしれませんが、それではチームでいる意味がありません。

初めは誰もが無力だった

 「それは私が初めて実用品じゃないものをつくった想い出の作品なの。私がこの道に進もうと決めたのは、こういう美しいガラスを見て、自分もつくりたいと思ったからなの。ちょうどあなたたちくらいの頃ね。それで仕事にして何年か経って、もっと可能性を広げたくなってフランスに留学したとき、私も自分の感じたものをガラスで表現したいって、たまらなくなってね。試行錯誤を繰り返してようやく完成させた作品なのよ」

 尺を削られたのか何なのか、変にざっくりとしか語られませんでしたが、話を整理するとガラス職人さんの経歴はこういうことですね。

中学生のころ出会ったグラスアートに憧れ、ガラス職人を志す。
 ↓
当初は実用品ばかり手がけていたが、数年後、自分の可能性を広げたくなってフランス留学。
 ↓
留学先で見た、そこらの街角で自由にアートを楽しんでいる人たちの姿に刺激を受ける。
 ↓
純粋な表現美術としての工芸家に転身。いよいよ自分もグラスアートを手がけるようになる。

 グラスアートに憧れて道を志したのに留学前は実用品しかつくっていなかったことと、留学先で刺激を受けたものがグラスアートではなく街角画家であったことがミソですね。なかなか面白い経歴だと思います。
 この人が今やっている仕事は子どものころ刺激を受けたグラスアートが元になっているのに、実際にその夢を叶えるまでにはもう一度、他人からの大きな刺激を経ています。
 「自分もグラスアートをつくりたい!」→「よし、じゃあつくろう!」とはすんなりいかなかったんですね。経済的な理由なのか何なのか、最初は実用品をつくる職人として働いていました。同じガラス製品をつくる仕事なのに、なぜかその仕事では自分のなかの初期衝動を満足させられず、留学して初めて「自分は表現活動がしたかったんだ!」と、燻りつづけていた初期衝動の本質を理解したと。

 のどかたち3人ともに刺さる話ですね。
 入院中に看病してくれた人たちのかいがいしい優しさを、そのまま今度は自分がみんなにしてあげたいと思っているのどか。
 子どものころ出会った空と海とが溶けあう青に憧れ、その憧れのまままっすぐ空を目指して跳びつづけているちゆ。
 周りの人たちがいつもしてくれる親切をステキだと思い、どうにか自分も同じことをできるようになりたいともがいているひなた。
 3人とも、今は思ったように自己実現できていません。

 今のままでは今後も彼女たちは自分に満足することができないでしょう。のどかの理想としている優しさは普段から為すにはどう考えても行きすぎていますし、ちゆがいくらハイジャンプをがんばったところで本当に空を泳げるわけじゃありませんし、ひなたは根が粗忽すぎて微に入り細に入る親切には向いていません。
 憧れているイメージが3人とも現実的ではありません。
 「夢は追いかけていればいつか叶うもの」 そういいますが、夢見るだけで全部うまくいくようなら誰も苦労しませんよ。夢は夢。憧れは憧れ。いつかなりたいと思って空想する理想の自分は、現実に再現するにはどこか歪つで、無理があって、そうそう素直に叶えることができないものです。私は現実を変えることができるのは夢だけだと信じていますが、夢自体に現実を変える力は、実は無いとも思っています。
 多くの人はそういう夢の無力さに気付いて、折れて、萎えて、そこそこのところで妥協して、子どものころの夢を“完全なかたちで”叶えることを諦めてしまいます。けっして悪いことだとは思いません。ハタから見れば無様かもしれませんが、それでも、私たちは自分にできるかぎりの範囲でがんばって夢を叶えたのですから。

 ただ、なかには本当に子どものころの夢をそのまま実現してみせた人たちもいます。今話に登場したガラス職人さんもそのひとり。
 彼女たちはいったい私たちと何が違ったんでしょうか?
 諦めなかった?
 ええ。そのとおりでしょう。彼女たちはとてつもない情熱を持って妥協せずに来たからこそ、普通なら叶えられない大きな夢を叶えることができました。
 けれど、だったらその“普通ではない”情熱はいったいどこから来たんでしょうか?

 そこでガラス職人さんが語るわけです。私も最初はこうじゃなかったんだよ、と。

 ・・・ところでどうしてモブのセリフひとつでこんな長々語っているのかといえば、彼女のこの生きかたが、今回のどかのぶつかった壁を乗り越えるための助言になりうると思ったからです。

 「本当に助けようって思うなら、目の前のことだけじゃダメなんだよね・・・」
 「グレースは一生懸命だったラビ。そういうこともあるラビ」
 「ラビリン。また私が間違えそうになったら、そのときはまたちゃんと言ってね」

 のどかは――今回、本当にダメなことをしてしまったんでしょうか?
 だとしたらどうして、ラビリンは優しくフォローしてくれるんでしょうか?

今、無力な私たち

 「手分けしよう! 私たち3人いるんだもん」
 間違いでした。3人一緒に行動して、1体ずつ浄化していくべきでした。

 「私がぶつかったら大切な作品が壊れちゃう」
 間違いでした。メガビョーゲンは時間が経つほど強くなります。戦い以外のことに気を取られていては、最終的に今の浄化技が効かなくなるくらい強化されてしまうでしょう。(※ 次話に向けたメタ読み)

 「・・・嫌。だって、ここを離れている間に取り返しがつかなくなっちゃったらどうするの? このステキな作品たちは? つくった人の――長良さんの思いは? 私は絶対守りたい! ここを離れたくない!」
 間違いでした。そうやって意固地になって戦いつづけた結果、結局守りたかった作品たちを壊してしまうところでした。

 今回、のどかの判断自体はどれも間違いだらけでした。状況判断に失敗したことで、自らをどんどん窮地に追いやってしまっていました。そこは反省するべきでしょう。

 ですが。
 「グレース、落ち着くラビ! グレース!! このまま守りきれなかったら同じラビ!」
 だからといって、諦めろと?

 のどかは入院中に受けた特別な優しさに憧れて、自分もああなりたいと思って、それでちょっと極端すぎるくらい人に親切にしようとがんばっている女の子です。
 プリキュアになることを決めたのもそれが理由でした。
 「絶対応えたいって思った。ひとりじゃできなくても、ラビリンと一緒ならできるって思って」(第2話)
 今の自分じゃできないくらい大きな優しさ――地球をお手当てすることも、プリキュアになればできると知って、それが嬉しくて。
 そんな子が、誰かのためにがんばりたいと決めたことを諦めて、ガラス職人さんに「守る」と約束したことを妥協して、それで彼女はこれからも同じようにがんばりつづけることができるでしょうか?

 間違いは間違いです。
 どう言い繕ったところで今回のどかのしたことはことごとく失敗だらけでした。たまたまちゆたちが間にあってくれたからよかったものの、そうでなければ結局のどかの優しさへの憧れは現実の厳しさによって折られていたことでしょう。
 でも。だからといって。ガラス作品の無事を諦めることもまた、のどかにとってはやっぱり間違いでした。

 3手に分かれることを決めた時点で八方塞がりとなっていたどうしようもない状況。
 よくある話です。夢を叶えたというお話よりもよっぽどありふれた、陳腐で理不尽なお話。多くの人はこういう現実に直面して、もうどうにもならなくて、憧れていたものに妥協せざるをえなくなるものです。

 今後もこういう失敗は何度もあるでしょう。
 だって、今ののどかたちは理想のなりたい自分にはほど遠くて、やりたいことも自分ひとりじゃ満足に為し遂げられなくて、大きすぎる憧れに対してどうしようもなく無力なんですから。
 力が足りないから失敗する。朝にちゆから言われていたことを大事な場面でもまた繰り返す。人は急には変われないから。子どもはゆっくり成長していくものだから。無力な人はそう簡単に強くなれないものだから。
 だとしたら、結局夢は夢。憧れは憧れ。――やっぱり、のどかたちもどこかで妥協することを覚えるしかないんでしょうか?

 いいえ。

力合わせて

 「お嬢さんたち。本当にありがとう」

 今朝の人助けはうまくできました。
 のどかが始めたお手伝いを、よく気がつくちゆがフォローしてくれて、ひなたも自分の経験則から助けてくれて。女の子の力では普通動かせない側溝のグレーチングだって、3人力を合わせれば持ち上げることができました。
 のどかひとりの力ではきっと最後までやり遂げられなかった人助け。ちゆたちがいてくれたおかげでうまくできました。

 そういうことです。
 きわめて簡単なお話。のどかたちがこれまでもずっとしてきたこと。
 ひとりじゃ失敗してしまうかもしれないなら、みんなで力を合わせたらいい。

 「ただでさえビョーゲンズの浄化は危険ラビ。なのに、あんなに鈍くさかったらもっともっと危ないラビ」(第2話)
 当初、ラビリンはのどかをプリキュアにさせるべきではないと思っていました。のどかは運動が得意じゃないから。
 「ラビリンがのどかに助けてもらったみたいに、のどかに難しいことはラビリンが助けるラビ」(第2話)
 ですが、後に考えを改めました。のどかに苦手なことがあるならその分は自分が助けてあげたらいいと。
 今作のプリキュアは人間と妖精が2人1組で変身するヒーローです。物語の文脈として、そもそも助けあいが大前提。
 のどかはひとりの力じゃ思ったような親切ができないからラビリンの助けを求めました。ラビリンもひとりの力では自分の使命を為せないからのどかをパートナーにしました。ちゆやひなたたちもそれぞれ事情は似たようなもの。
 そもそも彼女たちは、自分のやりたいことを為すためには今の自分が無力すぎることを知っています。

 だから、プリキュアになりました。
 だから、パートナーになりました。
 だから、チームになりました。
 自分が無力なことをわかっているからこそ。
 無力でも、大切なことを諦めたくなかったからこそ。

 「本当に助けようって思うなら、目の前のことだけじゃダメなんだよね・・・」
 「グレースは一生懸命だったラビ。そういうこともあるラビ」

 ラビリンは、だからのどかの失敗を咎めません。
 それどころかのどかが自分で「目の前のことだけじゃダメ」と言ったことまで「一生懸命だった」と言い換えて、丸ごと肯定します。のどかのそういうところはラビリンにとってむしろ好ましく思うところだからです。その真摯さこそが、まっすぐな情熱こそが、かつてラビリンの心の肉球をキュンとさせました。

 今回のどかがやらかした一番大きな間違いは、ひとりで戦おうとしてしまったこと。3手に分かれるべきではありませんでした。ラビリンの助言を聞いたうえでどうするか改めて考えてみるべきでした。のどかたちは無力だからこそプリキュアをやっているんですから。
 「ラビリン。また私が間違えそうになったら、そのときはまたちゃんと言ってね」
 「もちろんラビ!」

 真に反省すべきはそこ。たとえのどかに目の前のことしか見えなかったとしても、いつもならラビリンが支えてくれるし、のどかと違う視点を持ったちゆやひなたも近くにいてくれます。
 これからも助けが必要だとのどかが言ってくれるのなら、ラビリンにとってもこれほど嬉しいことはありません。

 ガラス職人さんは自分ひとりの力で夢を叶えきることがかなわず、留学先で街の人たちのアートへの姿勢に刺激を受けることで、本来の自分の夢をようやく実現させることができました。
 自分に足りないところがあるのなら他の人の力を借りてもいい。そういうことができるのなら、最初は無力だった人も、もしかしたら特別な人になれる可能性がある。必ずしも全部自分だけでできるようになる必要なんかない。というか、何でも自分ひとりだけでできる人なんて、きっとどこにもいない。

 「反省会は終わったか?」
 「さあ、切りかえてお手当に集中しましょう」

 のどかにできないことがラビリンにはできます。のどかにもラビリンにもできないことなら、ちゆとペギタン、ひなたとニャトラン、チームの誰かがきっと助けてくれます。
 だから、のどかはひとりで戦う必要なんてないし、ひとりで落ち込む必要もありません。
 「絶対、絶対、助けるから! 待っててね、水のエレメントさん、花のエレメントさん」
 そのうえで、何かを諦める必要すらもありません。

 そういう流れで、次話はいよいよ6人での協力技初披露となります。

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    コメント

    1. ピンク より:

      前回キュアスパークル&ニャトランだけでは防戦が精一杯だったばかりなんですが……
      いつもと違う状況で少し冷静さを失いましたかね。

      冒頭でラビリンたちが「のどかたちと離れてしまったらいざというとき大変」と思ってたのは意外だなと思いました。
      過去作なら、魔法つかいのように妖精が変身アイテムを兼ねた作品でも「友達が一緒にいるのは当たり前」というスタンスだったような?
      考えてみたらこっちが自然な発想なんでしょうけど。

      細かいところだと、実りのエレメントボトルを使った辺りのヒーリングステッキが剣みたいになってヒヤッとしました。
      攻撃的なキュアグレースの顔と動きも相まって余計に。

      • 疲ぃ より:

         今作は被害者が人間じゃないので忘れがちですが、メガビョーゲンが暴れるあいだ苦しんでいる人はやっぱりいるんですよ。ラテとかエレメントさんとか。
         そう考えると、入院期間が長かったのどかとしては心穏やかにはいられないんだと思います。少しでも早く助けてあげたい。病気の苦しみから救ってあげたい。

         のどかは自分に辛かった経験があるからこそ周りの人に優しくできる、というキャラクター造詣になっているんですが、それは一方で苦しんでいる人に肩入れしすぎるという意味でもあります。水族館のときみたいに「エレメントさんを助けよう」って感覚が薄いときのほうがかえって冷静に、優しい気持ちで行動できるという。

    2. 東堂伊豆守 より:

      前作「スタートゥインクルプリキュア」の第10話では、星奈ひかる/キュアスターのプリキュア任務に対する自覚の甘さがチーム全体を危機に追いやる形となっていたのに対して、今回の危機は花寺のどか/キュアグレースの責めに帰すべき失態とは言い難いところがあるんですよね。むしろ第一義的には「メガビョーゲンは時間が経つと成長する」という情報を”徴用された一般市民”プリキュアに提供せず、初動対応のミスを誘発した”職業軍人”ヒーリングアニマル三人衆に責任があるというべきで。
      とくにラビリンは、チームの結束を考慮せずメガビョーゲンの性質のみを材料に優先順位を決め、その判断を(素人の)グレースに押しつけて彼女の離反を招くミスをも犯している(他の二人はグレースの性格も考慮して美術館を最優先にした)。
      ここら辺の甘さが「見習い」ヒーリングアニマルゆえの限界なのかな……と思ってしまうところですが。
      一方、明確にキュアグレース自身の失態と言える部分は、事態収拾を焦るあまりに「HUGっと!プリキュア」第11話以来の登場となる”プリキュアの剣”を召喚してメガビョーゲンを斬殺してしまおうとした事でしょうか。この「焦りや意地から冷静さを失い暴走する」精神状態の象徴として”剣”が出現し、冷静さを取り戻すと同時に消滅する、という演出は非常に劇的で分かりやすく、今後のプリキュア作品においても活用されそうな名アイディアだと思います。

      • 疲ぃ より:

         私としてはむしろ星奈ひかるこそ自分に非がないところまで自分のせいにしすぎていたっていう認識ですね。あの子は・・・というか、あの物語自体が周囲に気遣って何でも自分の責任にしようとするあまり、かえって周りの気持ちをわかってあげられない、という構造でした。

         のどかの場合はそもそも自分が未熟だ(※ ラビリンとセットでやっと一人前)って自覚からスタートしている子なので、多少自分の非とはいいきれない部分があってもどんどん反省して成長の糧にしていくんじゃないでしょうか。
         あんまりやりすぎると自己肯定感を削りすぎて卑屈な子になっちゃうかもしれませんが、その点はほら、この子にはラビリンという絶対的な味方がついていますから。たしかに2人セットでちょうどバランスが取れています。

         “剣”というモチーフはたしかに攻撃性の象徴として使われているところがあるように感じますね。
         のどかはああ見えて意外と直情的な子なんだと思います。誰かを助けたいという気持ちが強すぎて、すぐ余裕がなくなってしまうというか。

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