ヒーリングっどプリキュア 第19話感想 With best wishes for―― 今はまだ小さな子どもたちへ。

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よーちよちよち。踏みつぶされたいのかな? 握りつぶされるほうがいいかな?

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(主観的)あらすじ

 ラテが風邪をひいてしまいました。ここのところ強いメガビョーゲンが多く現れていたので体力が落ちていたのでしょう。

 当然、みんな優しく看病してくれます。のどかたちも、お父さんお母さんも、お医者さんも。なのにラテは全然嬉しくありません。悲しい気持ちで胸がいっぱいになってしまいます。
 だって、みんなが優しいからです。一方で自分は何もできないからです。まだ小さいから仕方ない、とは思いたくありませんでした。だってお母さんのテアティーヌ様は小さなころからビョーゲンズと戦っていたといいますし、のどかやラビリンたちもプリキュアとして立派に戦っています。自分が何もできないのは、仕方ないことじゃなくて、単に自分が弱いせい。そう思います。

 いつもより強いメガビョーゲンが現れました。ラテが病気のため感知が遅れてしまったせいです。浄化に向かったのどかたちもあっという間に倒されてしまいました。
 弱いのはもうイヤだ。ラテは勇気をふりしぼってメガビョーゲンに立ち向かいます。だけど全く歯が立ちません。ただただのどかたちを心配させ、バテテモーダに嘲笑われるばかり。

 そこに、先代のプリキュアが現れました。のどかたちをも上回る圧倒的な強さであっという間にメガビョーゲンを倒してくれました。弱ったラテのこともいとも簡単に助けてくれました。
 彼女がどうして現れたのか、彼女が何者なのか、誰も知りません。

 プリキュアのバトル展開は大きく分けて4パターンあります。
 ひとつはプリキュアが敵を圧倒する流れ。バトル前にドラマパートでの問題解決が済んでいると大抵こうなります。何発か殴って、軽くお説教して、浄化しておしまい。ちょっとノルマ消化感あるやつ。
 ひとつはバトル中に悩みを解決したプリキュアが形勢逆転する流れ。問題解決の糸口が見えてきたくらいのタイミングでバトルに入るとこのパターンになります。たぶん一番多い。
 ひとつはゲストキャラクターがプリキュアを支援する流れ。ドラマパートでの主役がプリキュアではなくゲストキャラクターだった場合はこのパターンです。プリキュアの替わりにゲストキャラクターが成長を示すことで形勢逆転を起こします。
 そしてひとつは、誰かに助けてもらう流れ。謎の新キャラが横槍を入れてきたり、とどめを刺される前に敵ボスの都合で幹部が呼び戻されたり。これははっきりいえばバッドエンドです。仮に敵を撃退できたとしても、見ていてどこかスッキリしない描写になります。このパターンになるときはドラマパートのほうで起きた問題も全然解決されないまま次話へ続くので、なおさらスッキリしません。
 TRPGで喩えると、前者が成功判定、真ん中ふたつが中間判定、後者は失敗判定みたいな感じですね。

 では、今回ドラマパートの何が解決していなかったのかといえば、それはもちろんラテの弱さです。
 たしかに勇ましくメガビョーゲンに立ち向かいました。けれど、彼女が本当に欲しかったのは自分を奮い立たせる勇気ではなく、現実に目の前の事態を解決させられる強い力です。いくら勇気をふりしぼったって、のどかたちを助けることができなければ、ラテにとっては何の価値もありません。
 だからプリキュアは負けました。ラテではなく、ぽっと出のキュアアースに救われなければなりませんでした。全てはラテが強くなれなかったから。
 だけどラテは子どもです。のどかが言うように、弱いのはけっしてラテが悪いせいではありません。小さな子どもが無力なのは当然のことで、仕方のないことです。これから大きくなっていけば自然とできることも増えていくんですから、今はまだそれでいいんです。

 ですが、『ヒーリングっどプリキュア』に限ってはそれを仕方ないこととしておく物語ではありません。
 のどかも、ちゆも、ひなたも、あるいはラビリンたちも、この物語における主人公たちは最初みんな無力でした。叶わぬ願いを胸に抱え、自分なりに一生懸命努力しているのにままならないことばかりの日々。そんな彼女たちが強くなれたのは、そう、プリキュアに変身できたからです。
 プリキュアに変身して、彼女たちは変われました。

 ラテはこれからプリキュアを目指さなければなりません。
 パートナーになる予定の人は、どうやらひとりでもすでに充分強いプリキュアのようだけれど、それでも。

小さな手ではつかめない

 私の地元のスーパーでは昔から現金つかみ取りイベントをやっていたんですが、子どものころワガママを言って1回だけやらせてもらったときは、まあね。母の5分の1の金額も取れませんでしたね。

 そんなどうでもいい話はさておき。

 「お薬飲まなきゃいけないから、ちょっとだけがんばろ」
 「ほーら、ラテ。ちょっとだけ。あーん。ふわぁ、ありがとう。がんばったね」

 「ちゆちゃん。今日は部活いいの?」
 「どうしてもラテが心配で。今日は私たちが傍にいるからね」

 「じゃーん! これ、ウチに来る飼い主たちがめっちゃいいって言っててさ。ラテも安心して眠れるかなって」
 「ありがとう、ひなたちゃん」

 「じゃーん! ラテにお土産だ! ・・・同じ毛布!?」
 「洗い替え! 洗い替えにしようよ! ねえ、ラテ」

 みんな優しい。みんな、いつも優しい。
 どうして? そこに関しては今さら疑問を抱きません。周りにいるみんなが優しい理由をラテはすでに知っています。

 「いい? 今は私もラテの家族だからね。私も、お父さんも、もちろんのどかも、みんなラテの味方。ここがラテのおうち。だから安心してここにいてね」(第6話)

 かつてのどかのお母さんが言ってくれました。みんなラテの味方だと。本当の家族じゃなくてもみんな家族になってくれると。
 みんながラテに優しいのは、みんな優しい人たちだからです。
 誰もラテに見返りを求めません。だからこそ、本当にいつも優しい。ラテが病気で弱っていてもいなくても変わらず優しいし、ラテが病気で何もできなくなっても何かできたとしても、やっぱり優しい。

 優しいんです。ものすごく。

 「どこが辛い? 教えてくれるかな」

 その優しさが、辛い。

 「元気になれないのが辛いラテ」

 せっかくみんな優しくしてくれるのに、それに対して自分は何もしてあげられない。
 みんな心配してくれているのに、自分は元気になってあげることすらしてあげられない。
 今、ラテの胸にあるのはどうしようもない無力感。

 「みんなラテに優しいラテ。でもラテ、何もしてないラテ。みんなプリキュアになってがんばってるラテ。ラテはいつも助けてもらってるだけラテ」

 いつもそうでした。
 みんな当たり前のようにラテに優しくしてくれました。ラテにはその“当たり前”がどうしてもできないのに。
 みんなすごい人ばかりです。そのなかでラテひとりだけが全然すごくない。なのに、すごいみんなはそのすごい力をラテのために使ってくれている。ラテは自分のことすら満足にできずお世話されてばかりなのに。

 「そっか。そんなこと思ってたんだね。でもね、ラテ。私たちこそラテのおかげで助かってるんだよ」
 「ラテ様が地球の苦しみを体で感じてくれてるから、ラビリンたちがお手当てできるラビ」

 ほら、また優しい。
 そんなの“すごい”っていいません。だって、みんなはがんばっているんです。ラテはのどかたちがこれまでしてきたことを全部見てきました。のどかたちが誰かに優しくしてあげるためにがんばって、何かすごいことをやり遂げるためにまたがんばってきた姿を、ラテはずっと間近で見てきました。
 ラテは知っています。優しい人は、すごい人は、みんながんばってるんだって。
 それに比べたらラテなんて全然すごくなんてありません。だって、メガビョーゲンを感知する能力なんて生まれつき備わっていただけのもの。ラテはそのために何の努力もしていません。だから、そんなことで「助かってる」なんて言われても全然嬉しくなんかありません。
 自分が誰かのために何かをできた、という実感を伴うようなものではありません。

 前話でニャトランも同じもどかしさに苦しんでいましたね。
 ひなたたちが織江さんのお手伝いをしてくれたのはニャトランが織江さんと出会ったおかげ。そういう考えかたもできるはずですが、それではニャトランの気持ちは収まりませんでした。ちゃんと自分の手で織江さんのためにがんばらないと、自分が誰かのために役立てたという実感はなかなか湧かないものです。

 「ラテもママみたいに早くお手当てしたいラテ。ラテの夢ラテ」
 「あらあら。そうね。叶うかどうかは、ラテ、あなた次第よ。私たちのお手当てはね、強くないとできないのよ」

 ――なのに、大人はすぐこういうことを言います。
 大きくなったらできるようになる、と。今はまだできなくていいんだと。
 大人は知っているからです。子どものころに抱えた負債は大人になってから返せばいい。帳尻はそれで合う。大人には無力だった過去があり、それなりに力をつけた現在もあり、だから必ずしも無力な時期だけで周りの人との関係に釣り合いを求める必要は無いんだとわかっています。
 だけどラテは子どもです。子どもは自分の全人生のうち、無力な期間しかまだ知りません。強くなってから、大人になってから返せばいいという考えかたに実感が追いついてくれません。だから、もどかしく感じます。自分がひどく情けない存在のように思えてしまいます。

 「今はゆっくり甘えてくれればいいからね」

 大人のいつか未来に強くなれることを確信した祝福の言葉は、自分の未来を知らない子どもにとって今まさに無能者であることを痛感するだけの烙印。

 「ラテは――、弱いラテ」

 みんなとちがって、なにもできない。

未来の前借り

 はい。そんなわけで、ラテが今感じている無力感はかつてのどかたちが感じていたものと全く同じものです。

 「――だから、プリキュアになれて嬉しかった! ラビリンが私を選んでくれて嬉しかったの! 絶対応えたいって思った。ひとりじゃできなくても、ラビリンと一緒ならできるって思って」(第2話)

 「怪物は私も恐いわ。でも、それ以上に大切なものを守りたいの。どうしても守りたいの! あなたは? 私はあなたより大きいから少しは力になれると思う。もし勇気が足りないなら私のを分けてあげる。大丈夫。私がいるわ」(第3話)

 「なあ、ひなた。俺と一緒にプリキュアにならないか。あの怪物。ビョーゲンズから地球を守るんだ。お前のなかの好きなものや大切なものを、お前の手で、守るんだよ。ひなた。お前ならできる」(第4話)

 のどかたちはそのもどかしい思いを、プリキュアの力を得ることで解決しました。現実に即していうなら――、まあ、反則技です。現実の子どもたちは普通、プリキュアになれませんから。
 ただ、のどかたちが叶えたいと望んでいたことはいずれも意外にささやかな夢。人助けをしたいだなんて、大人になればプリキュアの力を得るまでもなく誰でもできることです。大人になるまで待てる前提なら、現実の子どもたちにだって充分に叶えられる願いです。

 プリキュアに変身するというのはあくまで自分の未来の姿を前借りすることに過ぎません。
 だから幼い視聴者にとって、プリキュアに変身できるのどかたちは憧れのお姉さんであり、親しみ深いお友だちでもあります。“変身”という行為を挟んで彼女たちは大人らしさと子どもらしさを行き来します。

 「今ビョーゲンズが来ないように念送ってんの!」
 「そっか。私もやる!」
 「ラビリンもやるラビ!」
 「俺も!」
 「ビョーゲンズが来ませんように!!」

 今話におけるのどかたちは、ラテから見ればすごい力を持った大人ですが、その一方で本人たちからすればラテと何も変わらない無力な子どもたちでもあります。プリキュアのすごい力を持っているくせに、ビョーゲンズが来ないようにするためには願掛けくらいしかできることがありません。

 「あーっという間にゲームオーバーじゃないっすか! 自分、この世に生まれてまだ何日? こーんな早くプリキュアをやっつけちゃって大丈夫? クッ、ハハハハハ!!」
 「う、うるさい・・・」
 「まだ、終わってないんだから・・・!」
 「ハイハイ。終わってない、終わってない。で、どうするんスか? ――はい。何もできない!」

 ならばこそ、ラテが“子ども”であるという“弱さ”を克服できない限り、のどかたちもまた無様にカッコ悪く弱っちくメガビョーゲンに蹂躙されてしまう運命にあります。
 今話は「子どもは大人ではない」というどうしようもない現実を突きつけられる物語です。
 のどかたちと同じ無力感を抱えるラテが、子どもゆえの必然的な弱さを克服したいと願うなら、それも今すぐ強くならなきゃいけない理由があるのなら、ラテはもう、プリキュアになるしかありません。のどかたちがそのやりかたを選んだのと同じように。

 「ラテもみんなみたいに――、地球さんをお手当てするラテ!」

 いかに勇ましかろうと、いかに心を強く持とうと、ただ勇気を出しただけではラテの抱えている問題は解決しません。
 なぜならラテは子どもだからです。
 たしかにのどかたちプリキュアはいつもがんばっていて、その結果として色々な問題を乗り越えてきました。けれどラテがいくら努力しようと、ラテがプリキュアと同じ結果に至ることはありません。
 なぜならラテは子どもだからです。
 子どもが子どものまま子どもにできることだけしても、たとえいくら努力しようとも、それではラテの願いは叶いません。
 ラテが望んでいる強さは大人の強さだからです。テアティーヌ様やのどかのお母さん、あるいはひとまわりお姉さんののどかたち。彼女たちと同じ強さを得るためには、ラテも彼女たちと同じだけ大人にならなければなりません。

 ひなたがいくら試行錯誤しようとお姉さんと同じ味のジュースをつくれないのと同じことです。そして、いかにおいしくつくれようと、お姉さんと同じ味にできなければひなた自身が納得できないのと同じことです。

 「ラテ様!」
 「ダメ!」
 「ラテ、やめて!」
 「来るニャ、ラテ様!」
 「死んじゃうよ!」

 「よーちよちよち。踏みつぶされたいのかな? 握りつぶされるほうがいいかな?」

 勇気を出したラテはこれまでのラテより強いのかもしれませんが、それはけっしてラテが望んだ強さではありません。テアティーヌ様が教えてくれた強さではありません。別物です。ちょっと強いだけの子どものままです。
 その強さだけでは結局、みんなとおなじことはできない。

子どもの敗北

 今話、ラテは勇気を出すことはできてもプリキュアになることはできませんでした。
 当然です。今作のプリキュアはバディ制。心通じあえるパートナーがいなければそもそも変身する権利が与えられません。いくら大人になりたいと願おうとも、こればかりは別ベクトルの問題です。

 「ラテ。みんな。待っていて。・・・今、私が――。地球よ、その力をどうか私に。お願い! どうか、ラテを守って!!」

 結局、ラテとのどかたちの窮地を救ったのはテアティーヌ様の祈りです。
 ラテの憧れていた大人の力。
 ラテをいつも慈しんでくれている大人の優しさ。
 ラテがいくら望んでも今はまだ絶対に手に入れられないもの。
 古きプリキュアの力。キュアアース。

 これはけっしてラテの勝利ではありません。
 勝利を掴む戦いに赴いたのはテアティーヌ様であり、キュアアース。あれだけがんばったラテですが、結局大人たちに保護されたに過ぎません。

 「ラテ様。あなたの望み、私が叶えましょう」

 それは望んだことじゃない。
 周りのみんなと同じように自分が誰かの役に立ちたいからこそラテはがんばったのに。

 「人間界で負った病は残ってしまうのですね。ああ、お気の毒なラテ様」

 その慈しみはちっとも嬉しくない。
 そうやって一方的に優しくされるだけなのがイヤだからこそラテは強くなりたいと願ったのに。

 キュアアースは、大人は、その気持ちをわかってくれない。

 大人の強さがほしかった子どもは、今日、完膚なきまでに敗北しました。

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    コメント

    1. ピンク より:

      キュアアースはかなり好みのデザインゆえ期待してましたが、ぶっちゃけると現在高感度が下方修正気味ですねw

      いや強いですけど! グレースたちを助けてくれたのは嬉しいし、ついでに華麗なアクションにも感動しましたけど!
      ……最後のやり取り+次回予告で「あ、このヒトは自覚のない敵だな」って思ってしまいました。

      多分本来のプロセスを無視して生まれただけあって、見た目はともかく精神が歪な在り方なんでしょうね。
      まあ私、プリキュアにおける敵側からの成長劇は大好きです。じっくり気長に見守ります。

      • 疲ぃ より:

         『ドキドキ!プリキュア』のキュアエースみたいでしたね。
         今は子どものラテの対照存在として(ちょっとイヤな感じの)大人っぽく描写されていますが、メタ視点では彼女とてプリキュアへの変身を必要とする子ども。何かしら使命以外の個人的な夢を見つけたあたりで、のどかたちと同じ普通の女の子らしくなっていくんじゃないでしょうか。それこそキュアエースもそんな感じでしたし。

         個人的にはビョーゲンズに蝕まれつつある地球の意志の代弁者として、病弱少女っぽく登場してくるかと思っていたんですけどね。(のどかとキャラ被りするか)

    2. 東堂伊豆守 より:

      最初に難癖つけとくと……聴診器を使う頻度が限られてしまう何らかの理由を設定しておいた方が良かったんじゃないかなーと。もっとマメに聴診器でラテの声を聴いておけば……という展開が結構多いんですよね。まあ、この辺は玩具の機能との兼ね合いもあって苦しいところなんでしょうが。
      そういえば、11話で「蝕まれた自然は時間を掛けないと元には戻らない」という深い話をやった直後に「ミラクルヒーリングボトル一発でワフーンするラテ」を出しちゃったのは、玩具メーカー様の「それはそれ。これはこれ」という主張が露骨過ぎて(いやむしろ番組スタッフの玩具メーカーに対する当てこすりか?)……。
      それはともかく、
      これまで、ヒーリングガーデン総帥としての使命感、殊に「ラテを立派な次期総帥に育て上げねば」という使命感に従って、幼くか弱い娘を戦場に送り出したテアティーヌが、その娘の絶体絶命の危機に際してとうとう”母親の情”を見せてきたのが今回の白眉だったように思います。果たして女王が遂に見せた”一人の母親”としての情は、彼女の”強さ”か、”弱さ”か……。
      この”母親の情”に「忖度」する存在として登場してきたとおぼしき新キャラクター・精霊少女。お目付け役(?)の彼女と、自立への焦りを見せはじめたラテの衝突を介して、ラテ・テアティーヌ親子の正念場が展開されるようで……「ノブレス・オブリージュの親子」の新展開はなかなか上々の滑り出し、面白くなってまいりました。

      • 疲ぃ より:

         傷は治っても風邪は完治しなかったので・・・。元はといえばあの風邪も度重なるビョーゲンズ襲来による体力切れが原因ですし、何でもかんでも元どおりってわけじゃないですよ、たぶん。

         キュアアースのラテを保護しようとする動きにはおそらくラテ自身の反発が来るだろうと思いますが、キュアアースがテアティーヌ様の願いによって現れた存在である以上、ラテが反発するなら=母親への反抗というニュアンスも生じてしまうのが面白い構図ですね。ラテはお母さんの強さに憧れて同じ強さを欲しているのに、それを得ようと努力すること自体がお母さんの意志に反することになってしまうっていう。
         もっとも、テアティーヌ様の言う強さは今回ラテが得ようとしたものと若干ニュアンスが異なるので、テアティーヌ様視点では保護しようとする思いに矛盾はないのですが。だからこそラテにとっては難しい状況。

         ちなみに私、作品批判になりそうな言葉はできるかぎり胸の内に隠して(=良い子を演じて)ブログ運営をしたいと考えています。なので、コメントの内容によってはなかなかリアクションを返しにくい場合があることをご容赦ください。

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