亜人ちゃんは語りたい 第6話感想 どこにでもいる普通の女の子。彼女を取りまく愛情と努力について。

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たとえ亜人じゃなくても、ひとりとして全く同じ人間なんていないでしょ。

 「今の先生の話、両親にも聞かせたくて・・・」 とかひまりが言っていたのでどんな親が出てくるのかと身構えていたら、存外まともというかすごく頑張っている方々で困惑。けれどよくよく話を聞いてみると納得。ひまりも家族の一員として、両親の取り組みの意義をきちんと理解しているんですね。
 かくして亜人ちゃんたちはどこにでもいるごく普通の高校生として日々を楽しんでいます。私たちと同じように、家族や社会に支えられながら。私みたいに穿った視点で視聴しているとたまに忘れそうになりますが、この作品は障害者福祉を啓蒙する社会派アニメではなく、どこにでもいる女の子たちの日常系アニメです。

とりとめなく

 オープニング日下部さんかわいい。日下部さんかわいい。

 主夫聞くところによると男性の専業主夫というのもなかなか苦労の絶えないものらしいですね。町内会からPTA、スーパーのちょっとした催しものに至るまで、あらゆるものが母親の参加を前提に企画されますから。世の中には目に見えないバリアが無数にあります。
 亜人や障害者と違って本人の能力には何のハンディキャップもないはずなのに、それでも何かと不利益を被ってしまう人々。こういう不平等もいつかは解決されていくべきなんでしょうね。

 「どちらかが傍にいてやろうと思いまして」 「傍にいてあげなきゃ」ではなく「傍にいてやろう」。言い回しひとつとっても子どもへの愛情に満ちあふれていてステキですね。なんといってもこの言葉からは子どもへの信頼が感じられます。子どもからしても義務感/責任感から愛されたくはないですよね。

 「最近は町さんや日下部さんの親御さんともいろいろ連絡しあうようにもなりましてね」 ひとりの保護者がひとりの被保護者に対して常に目を行き届かせるのは不可能です。それでは保護者の気が休まる暇がありません。けれどふたりの保護者がふたりの被保護者を監督することは充分に可能です。ハンディキャップを乗り越えるために努力を強いられるのはなにも本人だけではありません。
 ハンディキャップを持つ子どもたちに限らず、子育てや老人介護なんかでも「孤独になるな」「コミュニティを頼れ」とはよくいわれることですね。それさえできていれば回避できたであろう悲劇を、私たちの社会は無数に経験してきました。

 「先生のような亜人に見識のある方がいらっしゃると、娘たちを学校に預ける身としては安心できますよ」 おそらくひまりが鉄男を両親に引き合わせたのはこれが目的ですね。親の身ではなかなか手の届かない学校内に信頼できるコネクションがあるというのは心強いです。ひかりはいくらか特別な配慮が必要な子なのでなおさら。そういうところにちゃんと気付いて自分から行動できるひまりは家族思いですね。
 もっとも、ひかりの場合は仮に鉄男がいなかったとしても、学校内に常に最良の理解者がついていてくれるわけですが。そのあたりひまりはちょっとだけ過小評価している傾向がある気がします。

 「双子なのに大違いだなあって」 割とセンシティブな話題ですね。特にハンディキャップを持つ子の親は、我が子に「特別」ではない生き方をしてほしいと願うものなので、なおさら。ひかりの父親はこういう発言を気にするような人じゃないでしょうけどね。それでも鉄男が思わず謝罪するのはわかる話です。

 「お姉ちゃん! またこっちの冷蔵庫に血のパック入れてる!」 ひかりの鉄男に対する無作法を咎めるのかと思いきや、全く別の、生活感溢れる小言でした。私ならお客さんのいる場でこんなこと言えません。ひかりは言うまでもないですが、この子もこの子で意外と図太いですね。やっぱり双子です。
 ・・・ひまりさん実は鉄男に姉の生活指導をしてもらうつもりだったんじゃ。

 「血も涙もない」「血の気が引く」「血が騒ぐわ」「血祭りにあげてやろう」 ひかりさん基本的に劇場型ですよね。芸人根性というか。鉄男相手の時のだらーっとした態度もあれはあれでつくっている感じがします。ひまりに対する甘えっぷりもたぶんそう。
 素の自分を隠しているとか他人に気を許していないとか、そういう批判ではありません。彼女の言葉は常に本音で、心から周りに甘えまくっているのもよく伝わってきます。ひかりの被るペルソナは自分を隠すためのものではなく、周りから受けた優しさに応えるための愛情表現なんでしょう。
 『ゆゆ式』の野々原ゆずこもよくこういう立ち居振る舞いをしますね。ひかりのメンタリティは彼女とよく似ています。大好きな人を楽しませようと、ほどよく空気を和ませようと、気持ちを明確に伝えようと、あるいはより濃密なコミュニケーションを求めようと、彼女たちは自覚的にいくつものペルソナを使い分けます。自分に向けられた愛情を高く評価するからこそ、最大限の愛情表現を持って全力でお返ししているんです。とてもステキ。愛に満ちたやりとりです。
 「お姉ちゃんはいつも自分をよく見せようとしすぎなの!」 さすが、よくわかっているじゃないですか、ひまりさん。この道化っぷりがあなたのお姉さん一番の魅力です。

 「見たか」「顔真っ赤じゃない」 先ほども書きましたが、お客さんの前でよくもここまで遠慮なくピーチクパーチク仲のよろしいこと。愛情表現をどんどん増幅していくひかり劇場と、それを理解して逐一ツッコんでやるひまりが合わさってこそのこの姦しさですね。妹は姉の鏡。姉は妹の鏡。お互いに影響しあうからこそ、彼女たちはこうも仲良しな姉妹になれたのでしょう。
 ところで鉄男は通報されてもいいと思う。

 レバニラ炒めガタイのいい成人男性と食べ盛り2人を含む5人分のおかずをつくるにしてはフライパン小さくないですか。いえまあ品数次第でしょうけど。

 「ひかりは生まれたときから髪の色も光ってるみたいに明るくて」 中年以降こういう気の利いたセリフを臆面なく言えるのはだいたい女性な気がしますね。若い頃だと男性の方がクサいセリフ吐きまくりなのですが。

 「バンパイアといっても普通の子とそんなに変わらないだろうと・・・最初はタカをくくってたんですけどね」 近頃は出生前診断で胎児の段階から障害の有無を判別できるようになりましたが、日頃から障害者と接している人ほどこれによる堕胎を肯定的に考えることが多いように感じます。それほどに障害者の家族には苦労が多く、また、それが原因で家庭を崩壊させた家族も少なからずいます。それを思うと、私には単純に「命だから」と障害児を家族に受け入れるべきとはどうしても言えません。
 ですが、だからこそこうしてハンディキャップと戦い抜いた家族の絆が輝かしく見えます。誰にでもできることではないからこそ。稀な奇跡だからこそ。

 「そんなわけで私たちちょっとコンビニ行ってアイス買ってくるね」 こういうしょうもない押しつけ、私もよくやりましたね。「今ちょっとゲームで手が放せないから私の代わりにトイレ行ってきて。大きい方」とか。

 「タイミング逃した・・・」 晩酌の用意までされると本気で帰りどき見失いますからね。かといって泊まり込むのはさすがに無理ですし。詰みです。きれいな去り際は望めないと覚悟しましょう。どこで積んだかといえばたぶん晩ご飯をごちそうになった時点で積んでた。

 「親父さん髪の色ずいぶん抜いてるな」 こういうさりげなく身を切る愛情表現は男性の得意分野ですかね。歳を取ればとるほどロマンチストに、且つ照れ屋になっていく、難儀な生き物です。

 「とまあそんな感じで姉の自立を促しています」 自立だの独立だのをテーマにお説教する子ほど自分自身が甘えん坊な傾向があるように思います。自分にそのケがあった方が相手のそういう部分に気付きやすいものですし、それに向こうが自立すれば自分の依存癖も自動的に解消されますし、ね。(穿ちすぎ)

 「もし本当にバンパイアが鏡に映らなかったとしたら・・・」「気付いてあげられなくてごめんね。ただのズボラだと決めつけて・・・」「そもそも髪結ってもらうときいっつも鏡に映ってるじゃない」 ところでガスの元栓は締めましたか?

 「ひまりは優しいからね。早とちりも仕方ないよね」「そ・れ・は、今も昔もただのズボラでーす!」 この劇場型。ゼラが溶けるまでシーリングライト浴びてろ。

 今話の出番はここだけ佐藤先生芋ジャージ着込んで寄せてあげられたら催淫関係なく男はイチコロなんじゃないですかね。ギャップ萌えという観点もありますが、それ以上にだぼっとした服装の方がおっぱいが柔らかそうに見えるという副作用が致命的。

 「先生、良い子だ、ねんねしなー」 なでなでしたがる子ほど自分自身が甘えん坊な傾向が(ry
 いえまあ町が甘えん坊なのは今さらわかりきった話ですけどね。

 「京子ちゃんのお父さんとお母さんがどうしても手が放せないみたいでね。代わりに来たんだよ」 町の場合はどう頑張っても他人の手を借りずに生活することは著しく難しいので、こういう親同士のネットワークは特にありがたいでしょうね。町自身も他人の手を借りる生活に慣れっこなだけあって基本的に人なつっこいですし。

 車内のひかり教室で別れたあと町が一眠りするくらいの時間経過があったはずですが、この子いったいどこで拾ってもらったんでしょうか・・・?

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    コメント

    1. 匿名 より:

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      いつもブログ興味深く拝見しています。
      障害当事者として、福祉の教育を受けた者として、
      そうそうそういう感じとか、
      そういう見方もあるのかなど思いながら読んでます。

      最近アニメなどで車いすなどを
      たまに見かけるようになった気がします。
      自然に肩ひじ張らずなんとなく出てる時代も
      遠くないかもしれません。

    2. 疲ぃ より:

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       このアニメが普通の日常系アニメとして受け入れられているのが何よりの証拠ですね。
       これだけ現実の障害者福祉を想起させる描写をバシバシ組み込んでいたら、10年前20年前ならもっと大々的に話題にされていたでしょうに。ネット上の反応を見ていると、ひかりカワイイ鉄男カッコイイと、普通に萌えアニメ的な観点からばかり語られているんですもん。

       そう、最近は本当にハンディキャップ持ちのキャラをよく見かけるようになった・・・というか、それだけではなくハンディキャップが物語上の必然に組み込まれないようにもなってきましたね。
       「アスリートだったのに大きな事故に巻きこまれて・・・」とか、「盲目だからこそ感覚が鋭敏で・・・」とか、そういう大仰なバックグラウンドが特になくて、本当にただ生まれつきそうなんだってだけのキャラをたまに見かけます。

       何というか、すげーなー・・・って思います。

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