超人女子戦士ガリベンガーV 第58話感想 まぶしい光は怪談の天敵。

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生徒役:電脳少女シロ、周防パトラ、花京院ちえり

全て、まぶしい!!に持っていかれた気がします。

出演バーチャルYouTuber

電脳少女シロ

「でも、お母さんだったんだね。最後までね。そっかあ」
「そうね。なんか深いよね。話がね。単純じゃないですね、怪談って」

 血しぶき上げるモンスターは好き。コロせないゾンビは嫌い。そんなマンガみたいな性向を持つ戦闘型AI。もちろん幽霊も苦手です。虫だったり集合体だったり不潔なものだったりと意外に弱点が多かったりもしますが、最近そういうものに接する機会が増えてきたので割り切りつつもあります。
 「いるだけで○○な子」という表現がこれほど似合わない人物もなかなかいないでしょう。いればだいたい何かしています。傍若無人に暴れてみたり、賢く機転の利くトークを繰りひろげてみたり、斜め上にカッ飛んだ名言を連発してみたり、他の共演者を気遣ったり、イジりたおしたり、あるいはゴキゲンにキュイキュイ笑っていたり。ちょくちょくワケワカンナイこともやりたがりますが、そういうときは「シロちゃんの動画は為になるなあ!」と、とりあえず納得しましょう。彼女はあなたが為になることを望んでいます。
 まるでアブない人のようですが、そして実際アブない人なのは確かなのですが、ああ見えて彼女は共演者をよく見ています。聡明です。共演者の対応力を推し測り、ギリギリ捌ききれる程度のムチャ振りを仕掛けるのです。おかげでいつのまにか人脈の輪がずんどこ広がってきました。タチが悪いったらありゃしない。

周防パトラ

「まぶしい! まぶしい! 小峠さんまぶしい!!」
「わかる」

 おじさんおじさん呼ばれすぎて、本当にボイスチェンジャーを使っているオッサンなんだと誤解されることもしばしばな魔界の女王様。さすがにこの見た目でオッサンなわけねえだろ! 胸毛とか生えてないだろ! いくら言動がオッサンだとしても! 本当に女王なのかどうかは議論の余地があるにしても! 声は本物だから!
 なにかと多芸なクリエイター気質で配信活動の幅広く、特に作詞作曲ができることで知られており、同じ喫茶店で働くメンバー全員のオリジナルソングも手がけています。イジられキャラだけど中心人物。あるいは尻拭い担当。美少女へ向ける極まった性的関心にさえ目をつぶれば、目をかすませれば、あいや、目を背けさえすれば、そこそこ常識人です。
 彼女がひときわ力を入れているのがASMR。より心地よい音を求めて50本ものマイクを買い集め、生音採集のためのロケハンも厭いません。根っからの音屋さん。それもこれも全てはファンを寝落ちさせたいがために。

花京院ちえり

「やったー! ガチで当ててしまった! よかったー!」
「いいよ。さすが怪談女ですね」

 夏が来るたび部屋の明かりを消したがるホラー大好きお嬢様。以前からずっとガリベンガーVで怪談の授業をやってほしいと熱望していました。だけどホラー映画の主人公はまず明かりをつけるべきだろうと主張するリアリストな一面もあります。主人公への道は遠い。今日も主人公の言動にツッコミを入れつつきっちりホラーを楽しみます。
 花京院ちえりの特徴はなんといってもかわいいことです。彼女は自分の外見がかわいいことを信じていますし、内面もかわいくふるまおうと心がけていますし、ファンにもかわいいと言ってほしいと呼びかけています。理想のため地道にがんばる努力の人です。彼女は花京院ちえりがかわいくあるためにありとあらゆる努力を欠かしません。女は度胸、ちえりはかわいい。今日もちえりちゃんはかわいいなあ!
 そんなわけで彼女の配信の空気は全体的に茶番じみています。まず彼女自身が「ちえりちゃんはかわいい」と宣言し、すかさずファンも「ちえりちゃんはかわいい」と唱和することで、花京院ちえりというバーチャルなアイドルをみんなでかわいく盛り上げていく――。一種の観客参加型演劇が彼女のメインコンテンツとなっています。

授業構成おさらい(+ 補足事項)

超難問:怪談の謎を解明せよ!

 安原眞琴先生は江戸文化に造詣の深い日本文学博士です。父親は評論家として有名な安原顕。立教大学や法政大学などで教鞭を執り、和歌、落語、吉原文化などを中心に教えているようです。
 ガリベンガーVにおいては第19話の遊郭の授業以来実に1年ぶりの登壇。ただし、前回のステージイベントや忘年会での出演はあったのでそこまで久しぶりという感じもしませんね。

 日本における怪談文化の歴史は意外に新しく、1700年代、江戸時代中期頃から怪談ものの読み物や歌舞伎、落語などがさかんにつくられるようになりました。百物語が生まれたのもこの頃です。もちろんそれ以前にも怪談が語られなかったわけではありませんが、それらは今昔物語などに他の物語とともにまとめられていたに過ぎず、怪談がひとつのジャンルとして文化を形成したのはやはり江戸中期からということになります。
 今回の授業では日本において怪談が流行した時代のトピックをいくつか紹介しつつ、有名な怪談2編を楽しむことになりました。

トピック1:どうして夏に流行ったの?

 「みなさんに質問です。怪談といったらどの季節を思い浮かべますか?」
 「うーん・・・」
 「怪談といったら、でも、夏だよねえ」

 こういうの、授業計画(※ 授業の台本みたいなもの)を組むにあたって地味に難しいところのひとつなんですよね。
 普通の生徒は当たり前の質問であればあるほど警戒して答えたがらないものです。だって、わざわざそんなことを聞くってことは絶対何か含みがあるってことですもん。当たり前の答えを言ってもクラス内での株は上がりません。それでいて、もし引っかけ問題だった場合にはムダに恥をさらすことになります。ハイリスク・ローリターン。やだやだ。
 でも、教師の立場からすると実はこういう簡単な質問でこそ積極的に声を出してほしいところ。教師ひとりがひたすら喋りつづける授業と生徒がたくさん発言する授業とでは、生徒たちの集中力が全然違ってきますから。いつ当てられるかわからないから緊張感がある、という意味ではありません。周りの友人が授業に巻き込まれることで生徒たちに当事者意識が付くんです。他人事のつもりで話を聞くのと自分事として聞くのとでは、たとえ内容が教科書に書かれた大昔の出来事であっても、肌触りの生々しさが明らかに変わって聞こえるものです。
 だから教師としてはこういうところでできるだけ生徒の発言機会を多く設けたくなるものなんですが、前述のとおり、生徒は簡単な質問ほど固く警戒します。ままならないものですね。
 花京院ちえりのように警戒しつつも声に出してくれる生徒の存在は、だから、教師にとってはたいへんありがたいものなんですよね。
 内申点もあげやすくなるので、もしあなたが小~高校生なら、ちょっと勇気を出してどんどん挙手していったほうがオトクですよ。少なくとも教師視点では生徒の間違いは恥じゃありません。加点対象です。
 反対に、もしあなたが若手教師ないし教育学部生なら、この手の設問は意外に結構な確率で失敗するものと考えておきましょう。搦め手を用意するか、積極性ある生徒を事前に見繕っておいてアイコンタクトでも送りながら挙手を求めるべきです。

 さて本題。
 実際、怪談といえば夏です。当然ですね。
 ですが安原先生によるとこれは日本特有の文化なんだそうです。正直なところ私は海外の映画や怪談話には詳しくないので全然裏取りできないんですが、言われてみればたしかに秋とか冬の時期を舞台にしたホラー映画もよく見かける気がします。
 日本ではどうして夏に多く怪談話が語られるようになったか、というのが最初の設問。

 「モテたいから! 日本の男性ってシャイじゃないですか。だから女の子を口説くために恐い話をして、『キャー!』みたいな」
 ・・・やってる人、いるんですかね?
 普通に考えて、グループで怪談大会するなら話し手より他の聞き手に助けを求めそうなものですが。仮にサシで本当に恐がらせるレベルの怪談話をする機会があるとしたら、その時点で充分脈がありそうな気もしますし。
 まあでも、いるかもしれない。決めつけはよくない。

 「やっぱ夏って暑いけど、よく『恐い話を聞くとゾクゾクして寒くなる』みたいな、『寒気が!』みたいな、そういう涼しさを求めて夏にやるんじゃないかなって思ってた」
 よく聞く説ですね。テレビでもたまに検証番組で取り扱われています。
 ただ、調べてみるとどうも諸説あるようで、サーモグラフィで明確な差が出たとか出なかったとか、深部体温になら有意な差があったとかやっぱり無かったとか、人によって言っていることがマチマチです。
 実感としては頭とか背中あたりが特に冷える感じなんですけどね。検証だとむしろ四肢の末端の体温が下がるという結果が比較的多いようです。

 「日本って気づかいの文化だと思うんですけど、で、夏って夏休みがあるので、春秋冬とみんな気づかいで疲れちゃったストレスを解消するために、夏さらに強いストレスをぶつけてストレスの相殺を図るんですね。無かったことにするんですよ。悩みをすり替えるんです」
 なんか怪談関係なく、ちょこちょこ独特なライフハックを実践しているらしい電脳少女シロなら普段からやっていそうなテクニックですね。
 ちなみに日本に夏休みという概念ができたのは明治初期のこと。欧米の学制に右へ倣えで導入されました。それまでは盆休みすら無かったらしいです。昔の日本って仕事と私生活を分ける考えかた自体が稀薄だったので、明確な休日は正月くらいにしか設けていなかったんですよ。
 ただ、日本で大きな怪談ブームが起きたのは江戸中期と、その次が明治後期です。時系列的には怪談流行時に夏休みという概念が充分定着していたと考えることもできますね。

 安原先生は、実は歌舞伎の影響が強かったんだと説明します。
 江戸時代の歌舞伎座が「涼み芝居」といって、夏の時期に多く怪談物を上演していたから、日本では怪談=夏というイメージが定着したんだと。

 舞台演劇というものは舞台上に結構な明るさの照明を必要とします。また、日本の伝統的な芝居小屋では客席より一段高いところに舞台を設置します。なので、暑いんですよ。ものすごく。
 なので、江戸時代の歌舞伎座には土用休みという習慣がありました。ただでさえ暑い夏の時期、一枚目や二枚目三枚目などの人気俳優は避暑のため長期休暇を取っていたんです。その間は若手俳優たちが中心となって芝居を上演することになるわけですが、人気俳優がごっそりいなくなるということはすなわち、普段と同じ演目はできないということになります。
 そこで、どうせならということで若い彼らはこぞって普段やらないような変わった演目を求めました。怪談物が選ばれたのはその一環です。日本では江戸中期まで怪談話が大きなブームを経験することはなかったので、俳優にとっても観客にとっても手垢の付いていない新鮮な題材が多く残っていたんですね。

 また、地方の農村では盆狂言といって、祖霊供養の一環として幽霊ものの芝居を演じる習慣がありました。この風習を地方出身の俳優たちが歌舞伎の世界に取り入れていったのだという説を唱える研究者もいます。

 いずれにせよ、夏の暑い時期に若い俳優たちが演じる怪談物の舞台はたいへん好評となり、やがて芝居の世界に留まらず怪談自体が夏の風物詩として定着していったわけです。
 日本三大怪談と称される『四谷怪談』『皿屋敷』『牡丹灯籠』がいずれも現代の怪談と比べて長めなストーリーとなっているのも、元が舞台脚本だったからなんですね。

トピック2:「のっぺらぼう」の特徴は?

 日本の怪談文学史におけるきわめて重要な人物のひとりとして、小泉八雲がいます。
 実名をパトリック・ラフカディオ・ハーン。イギリス人とギリシャ人、さらにアラブ人の血も入った混血児として生まれました。彼はその血と家庭環境ゆえに国の枠組みを超えて多くの習俗に関心を持つようになり、さらに若い時分には文章の巧みな新聞記者として頭角を現していました。
 やがて日本に強い関心を持ち、訪日して英語教師として働きながら古典文学や土着民話などを収集し、欧米諸国向けに翻訳・編集した本を多く発表するようになります。このうち、日本各地から収集した怪談話を八雲の感性で再解釈しつつ短編集に仕立てた『怪談』は、後年日本で怪談ブームが起きたこともあり、国内でも翻訳されて人気の1冊となりました。

 「英二をデフォルメしたらこんな感じになりそう」
 「私もそう思いました」
 「『私もそう思いました』じゃないですよ先生。似てないでしょのっぺらぼう。いやいや、先生よく見てくださいよ。先生。ホントよく見てください。先生あの俺よく見てください。先生。俺がのっぺらぼうに似てるかどうかちゃんと見て確認してくださいよ。いや先生。先生ホントに。たまんなくなってるじゃないですか、先生。そんな面白いですか」

 新手のセクハラですね?
 そういえば安原先生、前回出演時も脈絡なく小峠教官の顔を見て吹き出していましたっけ。きっと笑いのツボが遺伝子レベルですり込まれているのでしょう。

 閑話休題。
 さて、その『怪談』から、のっぺらぼうに関する出題をひとつ。(※ 『怪談』には「狢(むじな)」というタイトルで収録されています)

 「のっぺらぼうって、人間を誘惑して肩を叩かせて、振り向くイメージがシロあって、トントンってさせて、『なーにー』って振りかえって、顔を見られたらおしまいみたいな感じだった気がするな」
 電脳少女シロの回答。誘惑っていうのは何と混ざったんでしょうか。

 「まぶしい! まぶしい! 小峠さんまぶしい!!」
 「まだ言ってんのかよ」

 なにやら妙な小芝居を挟んだ周防パトラの回答はカットされてしまいましたが、文脈から察するにこちらも“顔を見てはいけない”みたいな趣旨だったんでしょうか。

 「なんとなく、逃げ場がない感じがするなって思って。たしか、のっぺらぼうが出てきた! ってなって、そのあと警察に行っても、『もしかしてこんな顔じゃなかった?』って言って、またのっぺらぼうが出てきた! ってなって、気絶して目覚めるみたいな感じの話だった気がして。どこに行っても逃げ場がない、みたいな感じかなー」
 唯一怪談のあらすじがちゃんと頭に入っていたのは花京院ちえり。これでガリベンガーVにおいて、かわいいだけじゃないもうひとつの属性を手に入れましたね。
 ちなみに小泉八雲版では警察ではなく蕎麦屋です。

 「それってつまりエンドレス小峠さんってことですかねー?」

 “再度の怪”といって、同じ妖怪に何度も驚かされるというのは怪談にはそこそこ多いパターンです。
 だからどうしたっていう突っ込んだ話までは今回の授業で扱いませんでしたが、民俗学ではこういう類型をヒントに、どの物語がどのようにしてどういう範囲に広まっていったのかを調べることがあります。土着の民話というのは主に口伝で広まっていくので、語り継がれるうちに語り手がどんどん脚色していくことで、よく似た別物の物語がいくつも生まれてしまうことがしばしばあるんですね。
 たとえば日本には「ぬっぺふほふ」や「朱の盆」など、のっぺらぼうとよく似たあらすじの怪談話が複数残っていますし、これらとよく似た物語のうち最も古いものを辿ると、中国古典の「夜道の怪」という物語に行き当たることができます。
 私は学生時代に講義で「かちかち山」を調べました。ウサギの悪事(復讐)がそれはもう何パターンも数多く豊富あって、しかもどれもこれもめっちゃえげつないものばかりでドン引きした記憶があります。人間の想像力って業が深いなって。それにしてもアイツなんで善玉っぽく語られてるの?

トピック3:なぜ女は毎晩水飴を買ったの?

 ネタバレになるのでタイトルへの言及はあえて避けられましたが、これは「子育て幽霊」と呼ばれる怪談ですね。

 「これもう簡単ですよ。流行ってたから! タピるー、みたいに、水るー、みたいな」
 同業他店に目もくれず1店舗にだけ通い詰めるのはミーハーというよりむしろ通っぽい感じがしなくもない。

 「水飴といったら、よく屋台に置いてあるりんご飴とかみたいな感じだから。で、これは怪談話なわけだから、人間の首とかを水飴でコーティングして、観賞用に置いとく用とか」
 ひょっとして水飴の現物、見たことない?
 いえまあ、私も屋台で売っているのは見たことなくて、南部煎餅に挟む用の津軽飴くらいでしか水飴なんて食べたこともないんですけどね。「2本の割り箸に巻き付けて練って、白っぽく柔らかくなったところを食べる」なんてのは話としては聞いたこともありますが。ジェネレーションギャップってやつですかね。

 「女は鼻毛が剛毛だったんですね。ブラジリアンワックスをご存じですか、教官! 水飴を割り箸に巻き付けて、鼻に突っ込む! 両穴に! そんで一気に引き抜く! それで女は美を保ってたんでしょう」
 ここ最近の電脳少女シロの珍回答のなかでも出色の出来じゃないでしょうか。私はたいへん気に入りました。この回答を聞けただけでも今話は大満足です。怪談のなかで女は6日ないし7日ほど毎晩通い詰めていたはずですが、いったいどんだけ伸びるのが早かったんでしょうね。鼻毛でラプンツェルをやれそうな伸びっぷり。
 それにしてもなぜブイ子を犠牲にした。

 実際の怪談では、女は6日間毎晩1文分だけ水飴を買い、また一説には7日目には文無しだからと着ていた着物を質にして飴を買って行ったとされます。これは三途の川の渡し賃として、故人を埋葬する際に六文銭を一緒に埋める風習があったことに由来します。
 女は死んでいて、墓のなかで子どもを産み、その子を育てるために水飴を買っていたんだというのがこの物語のあらすじです。
 実は江戸時代の日本では土葬が主流でした。たしかに仏教では火葬が推奨されるのですが、一方で神道や儒教は伝統的に土葬なんです。案外日本は多宗教な国だったので、仏教の影響力も実は限定的だったんです。土葬だったからこそ、子育て幽霊は墓の下で出産できたんですね。
 ちなみに日本において火葬が主流になったのは明治から大正にかけてのことです。宗教的な理由ではなく、感染病対策として普及が推進されました。

 子育て幽霊の話は例に違わず日本各地に点在していますが、そのうち京都六道辻で語り継がれていた怪談では、現代にも残る実在の飴屋が登場します。この飴屋では幽霊子育飴という商品名で今もその飴が売っているそうな。
 まあ、水飴じゃなく固形のべっこう飴になっていますが。ネットの評判だと美味しいらしいですよ。

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