グレースはテラビョーゲンをつくりたいと思ったのですか?
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(主観的)あらすじ
最近のどかの様子がおかしいです。いつもより早い時間からランニングしていたり、お弁当の量を増やしたりしています。それ自体は必ずしも悪いことではないかもしれませんが、ひょっとしてストレスでも溜めているんじゃないかと心配になります。
学校では吹奏楽部の金森さんが熱心にトランペットを練習していました。定期演奏前なのに風邪で休んでしまい、どうにか遅れを取り戻そうとしているんだそうです。
そんな金森さんを、同じ吹奏楽部の菅原くんが注意していました。菅原くんはパートリーダーを務めるほどトランペットに真摯に打ち込んでいて、なおかつ自分にも他人にも厳しい人です。金森さんは部活仲間に迷惑をかけたくなくて中庭で自主練していたのですが、それはどうやら部内で禁止されていることだったようです。
練習場所に困った様子の金森さんを見て、菅原くんは別の時間帯と場所を教え、しかも練習に付きあってくれるようになりました。
菅原くんが言うには、吹奏楽はひとりでがんばるだけでどうにかなるようなものではないんだそうです。その点、金森さんは焦りすぎ、気にしすぎ。風邪くらいで過剰に自分を追い詰めてしまっている金森さんのことを彼なりに心配しているようでした。
そんなふたりを見ていて、アスミはのどかの様子がおかしかった本当の理由に気がつきました。
のどかも焦っていたのです。自分がダルイゼンを生み出してしまったんだということを先日知ったから。だから責任を感じて、自分がなんとかしなきゃ、もっとがんばらなきゃと、ついつい無理をしてしまっていたのでした。
アスミはのどかがひとりでがんばらなきゃいけないとは思いません。だって、のどかは自分で望んでダルイゼンを生み出したのではないんですから。のどかが責任を感じる必要はないと、みんなで一緒にがんばりたいと考えます。
そのことをのどかに伝えて、アスミは翌日から一緒にランニングすることにしたのでした。
子どもにできることは少ないです。
子どもは大人に比べて体が小さく、力も弱く、知恵も足りない。何より、負っている責任が少ないからです。“やらなきゃいけないこと”が少ないということは、すなわち“できること”も少ないということに他なりません。
だってそうでしょう? 任せてもらってもないのに勝手に何かを始めたら、それがどんなに良いことであっても必ず誰かに迷惑がかかります。本来あるべき支援を受けられない分、本当の実力も発揮しきれません。
私たちはひとりで生きているわけではありません。常に誰かが周りにいることを前提にして暮らしています。だから、誰かに任されたこと、認められていること以外で、私たちにできることは案外少ない。
大人にだってできることは少ないです。普通の会社員が国家予算を組むことはできませんし、お医者さんに新幹線の運転手は務まりませんし、料理上手な主婦でも勝手にお隣の晩ご飯をつくることはできません。子どもと同じで、負える責任には限りがあるからです。
ダルイゼンを生み出してしまった。だから私がダルイゼンをやっつけなきゃいけない。
そうじゃありません。
過失や不幸はイコールで責任と結びつくものではありません。かわいそうな子がさらに不幸になっていくのを誰が喜ぶものか。
私はみんなのために地球をお手当てしたい。だからダルイゼンをなんとかしたい。
これなら筋は通ります。
責任は自分のやりたいことのために負うべきです。もちろん必要な努力と合わせたうえで。
それでなら、周りの人もあなたの責任感を喜んで認めてくれることでしょう。
責任もないのに勝手に気負ってひとりで無理することを、あなたの周りにいる人たちは“無責任”だと言うでしょう。
私の応援したいあなた
「じゃあ、走らなくていいストレス発散方法をみんなで考えるラビ!」
今話の面白いところは、のどかの知らないところでアスミたちが心配してあれこれ思案しはじめるところですね。
おかげでちゆの奇行がまたひとつ明らかになりました。アスミの奇行もひとつ増えました。ひなたは思っていた以上に普通でした。ちょっと無粋なことを書くなら、おかげで学校に行けない組の出番も確保できました。
まあ、最初にストレスが原因だとか勘違いしてしまったせいで、妙案は出てきませんでしたけどね。
「ボクだったら落ち込んで走れないペエ」
「落ち込んでるふうではないラビ」
「俺だったら『ダルイゼンめ!』ってなるな。それだ!」
他人の心の内を想像するのはかくも難しい。
「のどかはいつも一生懸命です。だから、のどかのために私もがんばりたい」
面白いところもうひとつ。
アスミはのどかのがんばり屋さんなところ自体は好ましく思っています。なのに、がんばりすぎるところは心配する。いつもより早い時間からがんばってランニングすることをやめさせたいと思う。
「のどかを元気にしてあげたいラテ」
ラテがこう言ったからでもあるんですが、アスミがのどかの努力を好ましく感じることの前提には、まずのどかが元気であってこそなところがあるんですね。
「なぜのどかは私のために尽くしてくれるのですか? プリキュアだからですか? 疲れているのに色々お世話をしてくれたり、私のためにケガまでして、それでも笑顔で説明してくれたり。のどかはそういうふうに生まれたのですか? 私がラテをお守りするために生まれたように」(第21話)
一度聞いてみたことがありました。のどかがいつも一生懸命な理由。
「私ね、いろんな人にたくさん助けてもらって、今、こうやって元気でいられるの。それで、私もいろんな人を助けたいって思うようになったのね。だから、そういうふうに生まれたんじゃなくて――、経験して、変わったんだと思う」(第21話)
のどかは自分が元気になれたから、自分がこうありたいと思ったから、がんばっているんだと答えました。
アスミの知るのどかはそういう子ですし、アスミの知る一生懸命になれる理由とはそういうものです。努力は自分がやりたいと思ったときに行われなければなりません。
そんなアスミがランニングに出かけるのどかを心配そうに見つめていたということは、つまり、そういうことですね。
のどかには元気に、嬉しそうに努力していてほしい。
そのためならアスミもいくらでもがんばれる。
「――このような経験も、いつか私に何か変化をもたらすのでしょうか」
「うん。きっと。私も新しいこと経験するの、すごく楽しみ」(第21話)
変わりましたね。使命だけ持って生まれてきたばかりの頃から見違えるほどに。(※ これ書いたの何回目だっけ?)
私の尊敬するあなた
「今の、菅原有斗くんっていって、楽器の演奏がうまくてうちの学校じゃ有名なんだよ。でもね、クールでストイックで、同じクラブのメンバーからも恐がられてるって話」
「それだけ音楽に対して熱心ってことだよ!」
ずいぶんと語気強く話に入ってくる金森さん。
ここまでムキになるということは菅原くんは本当に噂どおりの人で、金森さん自身、部活中もそこまで仲よくはしていなかった感じでしょうか。フォローする言葉が自己流解釈じみているところに距離感が滲みます。
それでいて、心から慕っていることもまた強く伝わってきます。
「金森。昼休み、ここでの練習はクレームが来るから禁止されてるって知ってるだろ」
楽器の音は近隣住人からクレームが入りやすいもの。お昼の時間帯だとお母さんがやっと子どもを寝かしつけたところだったり、夜勤明けの人の貴重な就寝時間ド真ん中だったりするわけで。
恐い部活仲間からの手厳しい正論。
ですが、金森さんは萎縮しながらも困っていることを隠さず打ち明けます。
「音楽室で他のメンバーと一緒に練習しろよ」
「でも、勘がまだ戻らないから。みんなの練習の足を引っぱるわけには・・・」
「――放課後なら、奥の庭は演奏しても平気だから」
「・・・ありがとう」
奇妙な信頼感。厳しくはあるけれど、こういう相談事を嫌わない人でもあると信じているんでしょうね。
まっすぐな人。
正直な人。
少なくとも音楽のことに関してなら誰より信用できる人。
そんな人が言うわけですよ。
「・・・ごめんね。うまくできなくて」
「焦りすぎ」
「うん。気をつけます」
「じゃなくて。風邪なんて誰でもひくんだから、気にしすぎ。ひとりでがんばればどうにかなるほど吹奏楽は甘くないよ」
実際、ひとりにしないようにと気を回してくれながら。
だったら正しい。だったら信じられる。
ここは私が負い目を感じるべきところじゃないと。
私の負うべき責任は、もっと別のところにこそある。わかっていた。自分でも口には出していた。
私が本当は一番大切にしたいもの。
「定期演奏会前なのに体調崩しちゃって、サイテーだよ」
遅れを取り戻すことでも、みんなに迷惑をかけないことでもなく。
そこに自分も責任を持ちたいと思っちゃって、いいんだ。
あなたが見ていてくれる私
「焦り・・・」
金森さんと菅原くんのやりとりを見て、アスミはやっとのどかの今の気持ちを理解します。
「なんか、金森さんと私って似てるのかもって」
のどかは金森さんと自分を重ねながらも、菅原くんの言葉の意図を飲みこみそこなっているというか、まだちょっと混乱している様子ですね。そこ、表情をこわばらせるべきシーンじゃない。
のどかが負っているものは地球規模の問題ですしね。「風邪なんて誰でもひく」なんて言いかたで簡単に割りきれないのも仕方なくはあります。ダルイゼンは誰でもは生み出さない。
「グレース。どうして焦るのです。自分でも焦っているって気付いているのでしょう?」
「・・・だって。だって、私がダルイゼンをつくりだしちゃったから。そのせいで地球が。だから、私がなんとかしなきゃ、もっとがんばらなきゃ――」
アスミは知っています。のどかという子の行動原理は、本来こういうかたちではないはずだということを。
アスミは知っています。かつてのどかを変えた経験は、けっして病気そのものではなかったはずだと。
アスミは知っています。アスミの好きなのどかは、そんなことのためにがんばるような子じゃなかったと。
「グレースはテラビョーゲンをつくりたいと思ったのですか?」
「そんなこと思わないよ!」
「そうです。あなたはそんなこと望みませんよね」
アスミは知っています。のどかは、自分がそうしたいと思ったからみんなに優しくしている人。病気よりもそのとき体験したみんなの優しさにこそ影響を受けた人。憧れを叶えるためにいつも一生懸命な人。
この子は、望まないことのためにこれまで努力してきたんじゃない。
「金森さんの風邪と同じです。あなたのせいではありません。だから、自分を責める必要はないのです」
他の人にとってはどうだか知りませんが、アスミの知るのどかなら、もっとずっと大切なものを持っていたはずです。
地球を守るため? ダルイゼンをどうにかするため? そんなもの、みんなに優しくありたいという理想を叶えるための過程でしかないじゃないか。
本質を履き違えている。負うべき責任の重さを見誤っている。たかが風邪をひいたことでの遅れを取り戻すことが、定期演奏会を成功させるよりも大切なことなのか。そんなはずがない。地球を救うことは、ダルイゼンをやっつけることは、みんなに優しくするよりも重要なことなのか。そんなはずがない。そんなものは過程でしかない。あなたが夢を実現させたらそんな小さなものは全部おまけで付いてくる。
あなたはもっと、あなたが本来やりたかったことのために自分の力を注ぐべきだ。
「焦るのどかは心配ですが、がんばるのどかは大好きですよ」
アスミはいつも一生懸命なのどかのことが好きです。
使命として誰かに負わされたわけでもなく、自分がやりたいと思ったことをがんばってきたのどかが好きです。
自分で自分の道を決めたのどかたちと出会って、アスミは変わりました。
だって、いつも楽しそうだったから。
あんなふうになりたいと思ったから、変われたんです。
コメント
ダルイゼン本人ですらのどかの過去を返してあげられない以上、あのまま責任を履き違え続けてたら近い将来潰れたでしょう。
まるっきり他人のせいにできない真面目さも嫌いじゃないですけど。
で、引き続き冒頭の両親&アスミに胸が痛みました。
みんなにあんな顔させるために頑張ってるわけじゃないのに結果そうなっちゃった現実と、やっぱり何もできない不甲斐なさで。
前回ラストで友達ができたと改めて宣言したはずなのに、人間そう理屈通りにはいかないものですかね。
次回は本来もっと早い段階でやりそうなテーマの予感ですが、何やら後半戦に相応しい不穏な空気も……グアイワルのEテレじみた実験がいよいよ身を結んだり?
第11話あたりでもうこれ理想を下げる気無いんだなと理解して以来、のどかが今のまま努力しつづけることを否定するのは止めにしたのですが(※ ええ、初期は本当に痛々しく思っていました)、この子の目指す“優しさ”というのは本当に茨の道です。
だって、原体験が入院中に体験したお父さんお母さんやお医者さんたちの優しさですよ? そんなの親だから、仕事だからこそ心を摩耗させすぎずにできることであって、本来ならのどかみたいに無償でやっていい水準の善意じゃないですもん。
他人のために尽くすのなら(精神的にでも金銭的にでもいいから)せめてちゃんと対価を受け取るべき。それが心を壊さずに努力しつづけるための最低条件です。
それをまるで償いであるかのようにマイナススタートで、無報酬前提でやり通そうとしたら、そりゃあね、今回みたいに早々にダメになるわな。自分で自分にやりがい搾取しているようなものです。大切な人がブラック労働している姿を見て応援したくなる家族や友達がいるものかっての。