
お姉さんたち、ほんとキャラバラバラじゃない? 話すこととか、雰囲気とか。なのによく仲よくできるよね。

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(主観的)あらすじ
動物園に遊びに来たのどかたちに、孝太くんという男の子が話しかけてきました。トラが大好きで、よくこの動物園に来ているんだそうです。本当は友達と一緒に来る予定だったようですが、ちょっと動物の好みが合わなくてケンカしてしまい、今日はお父さんと来ていました。
「次はどの動物見たいの?」
そう聞かれたのどかたちの答えはてんでバラバラ。友達なのにキャラが違うと孝太くんは呆れてしまいます。自分だったら絶対仲よくできない、メンドクサイ、変だと。
とりあえず端から順に回ることにしましたが、のどかたちは自分がリクエストした動物以外でもずっと楽しそうです。孝太くんからするとそんなところもまた変に思うのですが、のどかたちにとってはいつものこと。考えたこともありませんでした。
バラバラだからいいんだと、孝太くんのお父さんが言います。それぞれキャラが違うからこそ、自分では興味のなかった動物を見られたり、いつもなら注文しない料理をシェアしたり、相手がいるから自分の世界が広がるんだと。
のどかたちがあんまり楽しそうにしているものですから、孝太くんも友達ともう一度仲直りしてみようと思うようになるのでした。
対して、ビョーゲンズのシンドイーネ。
ダルイゼンやグアイワルがメガパーツの研究でそれぞれ自分なりの成果を出しつつある一方で、彼女だけこれといった結果を出せていませんでした。キングビョーゲンへの愛だけは誰にも負けていないつもりですが、そのキングビョーゲンは功績のない彼女に目を向けてすらくれません。
焦るシンドイーネはどうにか自分だけの功績を見せたいと思うあまり、なんと自分自身にメガパーツを埋め込むことを思いつくのでした。
来週は待ちに待った映画公開日です。来週はテレビ放送のほうが毎年恒例駅伝回のようなので、こちらを楽しみに暮らしましょう。
前日にはしっかりお風呂に入って、洗いたての服を着て、衛生的な身だしなみを心がけて映画館に行きましょう。自堕落なオッサンオバサンと違って子どもたちは日頃から身ぎれいでいるよう両親に気を配られています。清潔に慣れている彼らの鼻をナメてはいけません。お前らクサいぞ。
今話は人というものが本来みんな違うことを確認する物語。重要展開に向けた前フリみたいなところもあるので、さほど目新しい話は出てきません。のどかたちがみんなバラバラな個性を持っているのはいいことだし、だからこそ協力しあえたときは強い。そういうお話はこれまでの物語でもう何度も描かれてきました。
一方で、自分だけの個性を求めるあまり少々無謀な行動に出てしまう、シンドイーネのような人物もいます。逆さまハートのティアラと涙のタトゥーに複雑な気持ちのありようを感じさせられますね。狂おしいほどに切ない彼女の思いを、“個性”を良いものとして享受してきたのどかたちは、そして誰よりアスミは、どのようにして受け留めていくのでしょうか。
メンドクサイ
「ふわあー。よく知ってるね」
「あのアムールトラは体重が250kgにもなるのね」
「トラがお好きなのですか?」
「ネコと同じって思うとトラもかわいいよね」
みんなに優しくありたいのどかはまず孝太くん自体に関心を向けます。
好奇心旺盛なちゆはマイペースに情報収集。
アスミは相手の“好き”という感情に興味津々。
周りにリスペクトする気持ちの強いひなたは自分なりに好きだと思えるところを見つけます。
みんなバラバラ。視線の先も、興味を抱く対象も、4人それぞれに違います。
こういうバラバラな個性をメンドクサイって言う人もいるでしょう。私もそうなんですけど。
子どものころから何かにつけメンドクサイメンドクサイと口癖のように言っていたのですが、両親からするとこのワードはずいぶん引っかかる物言いだったらしく、よく注意されたものです。干渉されるのもまたメンドクサかったので、ついぞ直さず今だに使いつづけているんですけどね。今思えば頑固な子どもでした。直していないってことは今もか。
実際のところ“メンドクサイ”といっても、そこまで自堕落なニュアンスじゃないんですよ。いうほど明確に拒否しているわけでもありません。ただ、できれば自分の考えを変えたくなかった。ささやかなこだわりすら曲げたくなかった。だから自分と違う考えかたや提案を受け入れたくなかった。
ついでにいうと、自分も誰かに対して干渉したくなかった。考え方を変えさせたくなかったし、こだわりも尊重してあげたかった。他人の生き様に責任なんて持てないと思ってた。でも、誰かと一緒に過ごしているかぎり、お互い一切干渉しないでいるってこともできなくて。
だから、自分と違う考えかたをする相手との対話を「メンドクサイ」って言って、できるだけ躱していたんですよね。
孝太くんの言う「メンドクサイ」も、私のものと同じニュアンスを感じます。友達に合わせたくないし、合わせてほしくもない。だからたとえ本心では気に入っている相手だとしても一緒にはいられない。自分と違うその個性を気に入っているからこそ。衝突したり折衝したりするくらいなら、お互い別々の場所でのびのび自分らしく過ごしたい。
「別にいいよ、あんなやつ」
「『あんなやつ』というのは、つまり嫌いなのですか?」
「てゆーかメンドクサイ。ケンカするのもメンドクサイから、俺もう友達いらねー」
そうそう。“嫌い”じゃないんですよね。あくまでメンドクサイだけ。
のどかたちの関係性を変だ変だ言う割に最初から好感を持っている様子だったのは、つまり、そういうわけですよ。
のどかたちは4人で一緒にいるのに個性バラバラです。一緒にいるのにお互いありのままの自分でいられるなら、孝太くんは何も“メンドクサく”感じる必要はありません。
自分ではそれほど興味のないものを見に行くのって、そこまでメンドクサイことですか?
自分では絶対注文しないような料理をシェアするのって、そこまでメンドクサイことですか?
私はそうは思いません。自分の行きたいところには行けているし、食べたいものも食べられているわけで。
ただ、もしどこかで自分が我慢したり誰かに我慢させたりするようなことがあればと思うとついついムダに身構えちゃって、結局出不精になっちゃうんですけどね。
「秀一! 一緒に行くぞ」
「いや。僕、足遅いからお前は先に・・・」
「いいから。行くぞ」
誰かに合わせるのってメンドクサイことでしょうか?
いいえ。本当は、いいえ。
足が遅い子の歩調に合わせたくらいで私のこだわりは侵害されない。私のやりたいことは邪魔されない。むしろ余計な気を回されることこそ煩わしい。
ちょっとくらい足が遅くたっていい。少しくらい頭が悪くたって構わない。別に、それが理由で私に干渉してくるわけじゃあるまいし。誰かと一緒にいて煩わしいことはもっと別にある。
たとえ私とあなたとでキャラが全然違っていたとしても、それは友達やるのにメンドクサイって理由にはならない。そもそも私はできることなら遠慮したくないし、遠慮させたくないと思ってる。だからそんな違いは、たとえば気の置けない間柄になれたなら何の問題にもならない。本当は。
「今日見たお姉さんたちがさ、キャラバラバラだけどすげー楽しそうで。だから、そういうのもありかなって」
だから、いいなあって思う。のどかたちの関係を。
個性バラバラでもお互いメンドクサイ干渉をしないで済む関係性がありうるのなら、むしろバラバラのほうがいい。
「キャラが違うからこそ楽しいってこともある。興味のなかった動物を見たり、いつもなら注文しない料理をおいしいと感じたり。相手がいるから自分の世界が広がる。友達はいいもんだ」
誰かと友達になる良さは、案外メンドクサがりな性格と矛盾しません。
私は何者になれる?
「あれはダルイゼン? またキングビョーゲンさまに褒められようと思って・・・! 何かあるはずよ、あいつらを出し抜けるようなメガパーツの使いかたが!」
「ダルイゼンなんかに負けてたまるもんですか! 何が起こるかわかんないけど、キングビョーゲンさまのためなら構わない。私が一番になるのよ。キングビョーゲンさまの一番に!!」
ああ、メンドクサイ。
自分を変えなきゃいけないだなんて。
「もう! 私は大好きなキングビョーゲン様にお会いしたいだけなのに!」
「“大好き”?」
「そうよ。大好きよ! 悪い?」
「いいえ。“大好き”は悪くありません。ですが、あなたの“大好き”のために、私の、そしてみなさんの“大好き”を傷つけることは許しません!」(第22話)
誰かに干渉する思い。
譲れない思いのためにどうしても誰かを傷つけてしまう状況。
“大好き”は悪くないかもしれません。
けれど、その“大好き”がシンドイーネ自身を傷つけることになりました。
誰だって、できることなら自分の考えを変えたくはないでしょう。好き好んでこだわりを曲げたがる人なんていないでしょう。
それでも変えようと決意するときがあります。変えたくない自分よりも、もっと大切な何かのために。
「役に立たない者の姿はキングビョーゲン様には見えないようだな、シンドイーネ」
これまでの自分を捨てる賭けに出た彼女に、のどかたちは何を言ってあげられるでしょうか。
自分の無力を痛感し、今のままでは叶えられない理想の自分になるために、プリキュアという力ある存在へと変身した子どもたち。
変身してなお、結局一歩ずつしか前進できていない、まだまだ発展途上の子どもたちは。
「本当に助けようって思うなら、目の前のことだけじゃダメなんだよね・・・」
「グレースは一生懸命だったラビ。そういうこともあるラビ」
「ラビリン。また私が間違えそうになったら、そのときはまたちゃんと言ってね」(第10話)
それこそ、のどかもあのとき同じ辛さを味わったはずです。
あのときのどかは何を思ったでしょうか。
あのあとのどかはどうしたでしょうか。
のどかは優しい子です。入院中に出会ったたくさんの大人たちの優しさに憧れ、今度は自分もみんなに優しくできる人になりたくて、プリキュアに変身しました。
「私ね、いろんな人にたくさん助けてもらって、今、こうやって元気でいられるの。それで、私もいろんな人を助けたいって思うようになったのね。だから、そういうふうに生まれたんじゃなくて――、経験して、変わったんだと思う」(第21話)
かつて自分はたしかに変わったんだという自覚が彼女にはあります。
ですが、あのときはどうだったでしょうか?
ひとつのものを守ることに固執するあまり、かえってたくさんのものを取り落としかけたあのとき。
「諦めなきゃいいんだよ。みんな、見捨てるつもりで花のエレメントさんを最後にしたわけじゃないでしょ。全部のエレメントさんを助けたい気持ちは変わらないでしょ。だったら、どんなに難しくてもお手当てをつづける。それしかないんだよ」(第11話)
あのとき、のどかは本当にまた変わろうと思っていたでしょうか?
変わったとき。変わらなかったとき。
のどかにとって、はたしてそのふたつの違いとは何だったでしょうか?
この物語はプリキュアです。チョコパフェやイケメンと地球のみんなとを天秤に釣りあわせていた時代から、このマインドだけは一貫して変わらず大切にされてきました。
シンドイーネ。
あなたは今回、誰のために自分を変えようと思いましたか?
あなたがずっと大切にしてきたその思いって、そもそも誰のものでしたか?
コメント
勉強イマイチらしいけれど、孝太くんがあれだけ動物の知識を覚えられたのは秀一くんの影響でしょうか。
いや雑学だけやたら詳しい子ってクラスに1人はいたような。
ともかく、孝太くんの心の宇宙は30話スタート時点でとっくに広がってるはずだと感じました。トラ以外もしっかり楽しんでましたし。
私なら喧嘩の理由を聞いた時点で「くっだらねえ!」と笑い飛ばす(実際比較できないものを真剣に比べてるから笑ってしまう)ところなんですが、まあたしかに保護者からすればきちんと諭すべき場面ですね。
子供が友達との距離感を測れないのは割とありがちらしいので尚更。
お父さんたちが無理して一緒に動物園行かせなかったあたりは、本人たちが納得しないと意味がないという判断でしょうか。
無論、バラバラで良いというのは互いへのリスペクトあってこそですけど。
そういえばネットの炎上案件も、ぱっと見内容が問題視されてるようでいて本当は無神経さがトリガーになってる気がします。
シンドイーネさんと円山先生はどうなるんでしょう……ていうか結局、キングビョーゲンズ気の何がシンドイーネさんをあそこまで突き動かしてるのやら。
男の子の動物好き乗り物好き恐竜好きはねえ。あのあたりハマると向学心関係なくとことんまで知識を仕入れますよね。私、子どものころはそれなりに読書家で雑学好きのつもりだったんですが、あの手の分野だけはマニア連中に逆立ちしても敵いませんでしたね。
孝太くんはホント、最初から自分以外の多様性を受け入れる素地が整っている子でしたね。第二次反抗期前は自分と他人との境界が曖昧になりがち(※ 価値観を共有できるのが当たり前だと思い込みがち)なので、本当なら価値観を共有できない子の理解不能感というか、なんともいえない気持ち悪さに折りあいを付けることがすごく難しいはずなんですが、孝太くんはよくがんばりました。
そうなんですよね。自分と違うバラバラな考えかたを良しと思えるためにはリスペクトが大前提ですよね。自分の考えもいいものだし、それと並び立つくらい他の人の考えも素晴らしいと思える敬意。それが自分と他人との境界を築きます。
ネットの炎上案件はホントにね。よくもあそこまで自分事のように入れ込んでしまうものです。他人の不祥事なんて、不倫だろうがパクリだろうが他人事は他人事じゃんね。
シンドイーネのキングビョーゲン様への愛慕はたぶんアレですよ。まず最初に刷り込みのごとき忠誠心があって、それを自分のなかで理由づけしようとして、この感情は愛なんだと解釈しちゃったパターン。
不健全かもしれませんが、本人が納得しているかぎりはそれもアリかなと思います。自発的な意志無しで従っているよりは健全ですし。