ヒーリングっどプリキュア 第28話感想 わかること、わからないこと。

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大丈夫。もしものときはまた戦う。一緒に戦ってくれるお友だちもたくさんできたの。何度倒れても、私はもう負けない!

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(主観的)あらすじ

 のどかの病気が再発しました。病原不明。病理不明。なのに体調だけが悪くなる不思議な病気。
 原因はメガパーツでした。のどかはダルイゼンの実験によって体にメガパーツを埋め込まれた結果、あのときと同じ病気になってしまったのでした。

 みんなのどかを心配します。だけど、ビョーゲンズのことについてはまだわからないことだらけ。何をするのが正しいのか、どうしたらお手当てできるのか、のどかのお見舞いに行っていいのかすらわかりません。
 けれど、アスミの提案でお見舞いに行ってみることにしました。のどかのことが心配だから。自分が心配しているってことだけは、わかるから。

 病室に到着すると、のどかが苦しんでいました。ラビリンの手を握った瞬間、プリキュアの力に拒絶されたメガパーツが苦しみだし、どうやらのどかの体の外へ抜け出そうとしているようです。そのまま歯を食いしばってメガパーツを体から追い出すのどか。

 実験結果を見届けに来たダルイゼンは、のどかの体から出てきたビョーゲンズを見て驚きました。そいつは自分とそっくりの姿をしていたのです。そして理解しました。自分もまたのどかの体で育ったんだと。かつてのどかに巣くっていた病原体は自分だったんだと。
 のどかもまた、ダルイゼンに聞かされて同じことを知りました。そしてのどかは自分がダルイゼンを生み出してしまった事実に複雑な思いを抱くのでした。

 「ふん。全てにおいて興味なさそうなお前が珍しい」
 ビョーゲンズという組織は個人的な欲で活動することが少ない集団で、だからこそ視聴者視点からも彼らが人間と共存する未来を想像しにくくなっていました。仮に今後彼らが人間社会に溶けこもうとするとして、そんな彼らに私たちが何をしてあげられるか、何をきっかけに仲よくしてあげられるか、全然想像できなかったんです。
 比較的我欲がはっきりしていたのは出世欲全開だったバテテモーダ。次いで(組織への忠誠心と区別しにくいものの)キングビョーゲンを恋慕しているシンドイーネ。メガパーツを手にしてからはグアイワルが手柄にこだわるようになり、最近ではダルイゼンも自分たちのルーツに興味を持つようになりました。
 大半がろくな欲で動いている感じがしませんが、それでも共感することはできるようになりました。将来彼らとどういう会話をするのか想像できるようになりました。前よりも少しだけ人らしさを感じられるようになりました。

 「思いだしたよ。俺を育てたのは、キュアグレース、お前だって」
 ついには因縁までできました。悪趣味な呼びかたをするなら、一種の特別な絆とでもいえるもの。おぞましくも目を背けることができなくなった関係性。
 のどかにとって、もはや彼らの存在は“プリキュアとして戦うべき敵”ではなくなりました。少なくともダルイゼンは“自分の責任において消し去るべき敵”です。敵は敵でも自分の敵。
 のどかの戦いに、“みんなに優しくできる人でありたい”以外の個人的な動機が芽生えた瞬間でした。

 のどかは優しい子です。その優しさは、病気という辛い経験を経て培われた思いがあるからこそ生まれたものでした。
 では、誰かを憎むという忌まわしい経験を経たあとには、彼女はどんな思いを抱き、何をしたいと望むようになるのでしょうか。

 「自分さえよければいいの!?」
 「いいけど?」(第6話)

 知ることです。まずは。
 可能なら経験もしてみることです。
 よく知った相手のことは愛することも憎むこともできるでしょうが、何も知らない相手のことは、興味自体を持たないか、偏見でもって嫌うことしかできません。

 もっとも、知りたくても知れないものだって、世のなかにはたくさんあるわけですが。

サザンクロスはどこに消えた?

 「ええー! もう、なに? わかんないことだらけじゃん! 怖いー! もうー!」

 「恐怖は思考を停止する」(『スタートゥインクルプリキュア』第1話)、と言った人物がいます。
 彼は、まず彼自身が恐怖に冒されていました。かつて異星人によって故郷を荒廃させられたトラウマにより、彼は他人が自分を理解してくれるという可能性を信じなくなりました。誰かのことをこれから知ろうとする人に「お前ごときが」と罵声を浴びせ、その好奇心を「現実を知らないくせに」と頭から否定していました。
 「カッパード。他の星の人のこと、信じられないかもしれない。でもさ、私のことやみんなのこともわかってほしい。知ってほしいの。・・・怖がらないで」『スタートゥインクルプリキュア』第45話)
 他人にまた裏切られる可能性を恐怖するあまり、他人と手を取りあえる可能性を考えることすら拒否していました。
 彼の停止していた思考力を解放したのは、だから、暗い夜空の星々に無限の可能性を思い描いた女の子の、きらきらひかるイマジネーション。

 「ねえ。メガパーツのせいって言わなくていいのかな」
 「得体の知れない怪物のせいって聞いたら余計心配するペエ」
 「知ったところで治せるわけじゃないからな」

 「のどかっちもどうなっちゃうかわかんないしさ・・・」

 「ご家族が動揺されてるときにお邪魔するのは・・・。私たちがお手当てしてあげられるわけでもないのに」

 さて。何をしたらいいでしょうか。
 メガパーツを体に埋め込まれるだなんてこれまでになかった事態です。どうすればのどかを助けてあげられるか知っている人はひとりもいません。
 何をしたらいいのかわからないのに行動したらどうなるでしょうか。
 わかりません。きっといろんな可能性があるのでしょうが、そのなかには望まない未来へ進む可能性だって無数に存在していることでしょう。
 誰も失敗なんかしたくありません。大切な友達の命に関わることなら、なおさら。

 さて。何をしたらいいでしょうか。
 可能性はきっと無限に存在します。良い可能性も、もちろん、悪い可能性も。

 「のどか・・・。ごめんラビ。ラビリンはヒーリングアニマルなのに、どうしたらいいかわからないラビ。――何もしてあげられないラビ」

 恐怖は思考を停止する。
 だってそれは、取り返しがつくかどうかすらわからないことだから。
 誰も正解を知らないことだから。
 失敗できないことだから。
 なのに、良い可能性も悪い可能性もどちらも起こりうることだから。

 恐怖が思考を停止させます。
 何かをたくさん考えているようで、その実ただの堂々巡り。
 「できない!」「できない!」「できない!」「できない!」・・・脳内でひたすら同じことを叫びつづけているだけ。
 何もしない、という選択肢にだって、結局良い可能性も悪い可能性もどちらも起こりうるんだということに考えが及ばないないほどに。

 “何もわからない”という恐怖。

 「前の病気のときと様子が似てるの。原因不明でね、ただ見守るしかできなかった」
 「今でもどうして治ったんだかわからなくてね。――あんなのはもう、二度とごめんだ」

 さて。何をしたらいいでしょうか。
 目の前の困難に立ち向かうため、あなたは何かをしたいと本当に考えられているでしょうか。

未知を切り拓く者

 「昔、人々は南の空に輝くサザンクロスを目印にして旅をしていた、そう教えたけどね。ただの目印じゃないんだよ。旅人はね、サザンクロスを見ながら遠くで待つ大切な人や、新たな大陸を思い描いたんだ。サザンクロスは人々に進む力を――イマジネーションをくれる星座なんだよ」(『スタートゥインクルプリキュア』第11話)

 さて。何をしたらいいでしょうか。
 何をするのが正しいのか、わかりません。
 何もしないことが正しいのかも、わかりません。
 考えるための基準がありません。
 あらゆる選択肢全てが手探りで、どの選択も同じだけ良い可能性も悪い可能性も待っている気がします。

 ・・・本当に?

 「泣かないで。大丈夫だから。前はね、原因がわからないままずっとずっと苦しいのが続いて、体も心も不安で辛いままだったけど、今はビョーゲンズのせいだって知ってるもん。体はやっぱり辛いけど、でもね、心はがんばれる。だってね、ラビリンがいてくれるもん」
 あなたはすでに知っています。明るい未来に最も近しい可能性、その存在を。

 「のどかに会いに行きましょう。――みなさんも不安で、心配なのですよね? ラテものどかに会いたがっています。そして私も」
 あなたはすでに知っています。あなたが今、失敗を恐れながらもなお叶えたいと思っている、ささやかな願いの存在を。

 「ありがとね。バテテモーダとかまだ全然いるけど、それでも、今私ががんばればみんなを助けられるんだもんね。・・・意味なくなんか、ないんだよね!」(第13話)
 あなたはすでに知っています。すでに経験しています。

 「ねえ。ケンカしないで済む方法ってないのかな? ――そうだよね・・・。でも、仲直りの方法はあるから、いっか」(第15話)
 あなたはすでに知っています。すでに経験しています。

 「よかったら明日、私と一緒に近くの公園に行ってみない? 一緒に遊びましょう! ブランコとか、滑り台とか、それにね、シーソーとか、あとは――。じゃあ、約束ね!」(第17話)
 あなたはすでに知っています。すでに経験しています。

 良い可能性も悪い可能性もあって、どれを選んだらいいのかわからなくなるときがあるかもしれません。
 それでもあなたはすでに知っているはずです。こういうとき何を基準に考えたらいいのかを。
 自分のやりたいこと。
 自分の願っていること。
 それを叶えるために行動する。きっと叶うと信じて前向きになる。
 あなたはいつだってそうしてきて、それでうまくできていました。その経験が、自信が、恐怖を振りきります。

 「――何もしてあげられないラビ。巻き込んでごめんラビ。ラビリンがのどかをパートナーに選んだから・・・!」

 違う。
 あのとき選んだのはのどか自身。プリキュアになったのも巻き込まれたんじゃなく自分で望んでのこと。パートナーとしてラビリンがのどかに助けられてきたように、のどかもまたラビリンにたくさん助けられてきました。
 何もしてあげられない、なんてことは絶対にない。

 「だってね、ラビリンがいてくれるもん。ラビリンと出会って、ビョーゲンズと戦う力をもらったもん。毎朝ランニングもしてるもん。だから私、絶対負けないよ」

 私はすでに知っています。
 何があろうと、私の願うことはいつかきっと叶うことを。
 数多の成功と失敗を繰り返しながら今ここにいられている、私の全ての経験が、「私を怖がらなくていい」と保障してくれています。

 さて。何をしたらいいでしょうか。

 「いける! いけるよ、のどかっち!」
 「のどか、がんばって!」
 「ラビリンもがんばってください!」
 「悪い悪いメガパーツ! のどかの体から――」「私の体から――」「出てって!!」

そして、わからないこと

 「大丈夫。もしものときはまた戦う。一緒に戦ってくれるお友だちもたくさんできたの。何度倒れても、私はもう負けない!」

 世の中わからないことだらけ。
 わからなくて、わからないから怖くて、ついつい立ちすくんでしまうこともあるけれど、それでもどうにか乗り越えられる。14歳なりの経験が、“わからない”に打ち勝つための自信を貸してくれる。

 ・・・それはそれとして、すぐまた次の“わからない”が襲ってくることもあるけれど。
 世の中わからないことだらけですからね。

 「思いだしたよ。俺を育てたのは、キュアグレース、お前だって。メガビョーゲンの一部だった俺はお前のなかで成長してこの姿になったのさ。まったく面白い。ますます気に入ったよ、キュアグレース。また会おうぜ」

 ずっと、気持ちが理解できないと思っていた相手。
 そんな相手と奇妙な因縁で繋がれてしまった困惑。
 過去に自分を苦しめ、またこれからも自分を苦しめようとしている相手への憎しみ。

 それらとどう向きあっていけばいいのか、今はまだ、のどかにはわかりません。
 わかりませんが、いつかわかっていかなければなりません。

 大丈夫。今回だって乗り越えられたんだから。これまでも乗り越えてきたんだから。
 理解できないものを理解するための方法は、これまでののどかたちの物語のなかに、たしかにあったはずです。
 あなたは今日、それができたんですから。

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    コメント

    1. ピンク より:

      今回、もうご両親やラビリンたちに感情移入してしまって堪らなかったです。
      それでもまだひたむきに進もうとする当の本人ときたら。

      キングビョーゲンという親玉がいるのは知ってるはずなので、のどかひとりが勝手に責任負う必要なんか無いのに……。
      考えてみたら当たり前ですが、終始本当に何もできない無力さに思わず腹が立ってしまいました。

      とはいえのどかのひたむきさに希望を見出したのもまた事実です。
      今回『病気』がビョーゲンズ由来だと分かったので、以降は対策を練られるわけですしね。
      ダルイゼンはお喋りぬいぐるみが絶賛予約受付中(新武器のCMが普通に流れてるので、多分これも本来の放送スケジュールに合わせた告知)だそうですが、さてこれが何を意味しますやら。

      • 疲ぃ より:

         最後のシーンののどかの決意は「潔癖だなあ・・・」って思っちゃいました。
         あそこで責任を感じてしまうのは、自分がビョーゲンズを生み出してしまったという“結果”が、のどか自身の理想に反することだからなんだと思います。
         のどかはみんなに優しい自分でありたい。みんなの役に立ちたい。なのにダルイゼンを生んだことで間接的にみんなに迷惑をかけてしまっている。それが許せない。

         自分の責任とすること自体は自由です。ダルイゼンを倒すことは(のどかの中では)みんなの役に立ちたいのどかの理想に適うでしょう。自分のやりたいことのために自分に義務を課すことを、私はけっして悪いことじゃないと考えます。
         ただ、今ののどかはそういうポジティブな責任の負いかたをしていませんからね。自分の過失を雪ぐため、みたいな。それはよくない。誰も喜ばない。

        • 東堂伊豆守 より:

          今回のラストで少々引っかかるのが「私がなんとかしなくちゃ」という言い方をしている点で、「私が浄化しなくちゃ」ではないんですよね。
          戦闘時におけるチームメイト達の「ケダリーは浄化したわ!」「このままダルイゼンも浄化するラビ!」という好戦的な台詞とは温度差がある印象で、もしかすると「浄化」以外の選択肢を考慮する必要があると感じ始めている……のかも。
          そうだとすると、徹底抗戦に傾くラビリン達との決裂も想定しなければならなくなってくるわけで……。
          ここら辺にまつわるのどかの本音が次回「のどかのストレス」エピソードで明かされるのか、注目される所ではあります。

          • 疲ぃ より:

             そこは普通に「浄化しなきゃ」って意味だと思ってましたね、私。むしろアスミがどんどん丸くなってきている今、のどかが一番荒っぽい考えかたをしていそうですらある。のどかにだけ呪わしい因縁が付いちゃいましたからね。
             浄化以外の選択肢が持ちあがってくるのはたぶんこれからですよ。で、ラビリンたちも浄化しようと思い詰めすぎていたのどかを心配したからこそ、のどかが新しい可能性を模索していくのを今度は応援していくパターン。

    2. 東堂伊豆守 より:

      地球という天体が誕生して約46億年。
      地球に生命が誕生して約38億年。
      ところがーーーーーーヒーリングアニマル第1号・テアティーヌが、見習いとして先代プリキュア・フウと共に「地球のお手当て」に従事していたのが……竪穴式住居の集落がある時代、すなわちせいぜい数千年前、なんですよね。
      つまり、ヒーリングアニマルの歴史って人類の文明の歴史と同じかそれよりも短い程度でしかない、ということになるわけで……。そもそも見習いアニマルのパートナーの条件が「心の肉球にキュンときた”人間”」であることから見ても、地球さんは、人類という種の存在を前提にヒーリングアニマルを設計した、と考えられます。
      一方、ビョーゲンズの主力を成すテラビョーゲンの「宿主」は人間に限定されておらず、ヌートリアや雛鳥なども対象となっている……んですが、人間以外の生物を宿主とする場合は「その個体自身をビョーゲンズ仕様に作り替える」のに対して、人間が宿主の場合は「ビョーゲンズを産み出す苗床とか代理母のように扱い、使い捨てる」という違いがあるんですよね。
      ひょっとすると、ビョーゲンズの出現には人類文明の発生が影響していてーーーーーーこの「ビョーゲンズによって蝕まれた地球をお手当てする」ために産み出された、というヒーリングアニマルの本当の役割は「人類を頂点に戴く」生態系の守護、なのか……?

      • 疲ぃ より:

         大丈夫です。キュアアースのペアで「心の肉球にキュンときた」のはアスミです。そしてキュンとさせたのはラテのほうです。それでちゃんとプリキュアになれました。
         つまり、テアティーヌ様の言った“人間”の定義にはヒーリングアニマルも含まれる。(※ 暴論)

         ちなみに当ブログでは、劇中で人間の言葉を話していたり人間同等の扱いを受けていたりするキャラクターは全て人間扱いです。三人称は“彼”か“彼女”。数える単位も“人”です。すなわちヒーリングアニマルは人間。前作に出てきたロケットのAIさんももちろん人間です。
         ノーマライゼーションを意識してのこと・・・ではありません。ぶっちゃけ人間とそうじゃないキャラクターをいちいち区別するのがめんどくせーのです。
         私にとっての人間の定義はテアティーヌ様よりさらに広い自信があります。

         ちなみにバテテモーダの宿主は寄生中に体力を切らして死んだ説を唱えたいのですがいかがか。

        • 東堂伊豆守 より:

          そういえばヌートリアが直接バテテモーダに変身するシーンとか、雛鳥がネブソックに変身するシーンとかは劇中に存在しないんですよね。……てことはヌートリアや雛鳥も花寺のどか同様”苗床”にされた、ということなのかな。「ビョーゲンズは全ての生命を平等に扱っております」と?
          で、ヌートリアが生きてるのか死んでるのか……は存じ上げないんですが、ただこの問題は結構重要で、のどかが回復できたのは単に「メガビョーゲン種がダルイゼン化して出ていってくれたから」というのではなく、「のどかの精神力と両親の支え、そして医師団の懸命の対症療法によって時間を稼げたから」だと見るべきなんですよね。そう解釈しないと、のどかの長きに渡る闘病は「無意味だった」ということになってしまうわけで……。

          • 疲ぃ より:

             幼児向けアニメでこんな酷な描写がされるわけがないので公式設定とは異なるでしょうが、私はそういうことだと勝手に思っています。
             まさしくズバリ、この説が一番のどかの憧れた人たちの“諦めない優しさ”に価値を持たせてあげられるので。ホント残酷な話ではありますが、これこそ人間にあって野生動物にはない最大のアドバンテージ。

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