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前フリ
ゲームの主人公になりきるのは難しいなあとしみじみ思いました。
初めてドラゴンクエストをプレイし、勇者に自分の名前をつけたときからずっと感じてきたことです。
私は剣を振れません。私は魔法を使えません。私は魔物の攻撃に耐えられません。・・・そのあたりはまあいいでしょう。郷に入っては郷に従えともいいます。そういう世界だと納得すればいい。
ですが、私は他人の家のタンスを漁りません。私は気安く他人に話しかけられません。私は路銭を稼ぐためだけの殺生を好みません。このあたりはどうしても受け入れられませんでした。主人公が私である以上、いくら別世界といえども個人的な倫理観は現実と連続します。私はそれなりに良い子であり、そしてコミュ障でした。
私が初めてドラゴンクエストをクリアしたとき、勇者の名前は当時好きだった漫画キャラクターのものでした。
私的ロールプレイ観
そんなわけで、私はゲームをするときはいつもゲーム主人公とプレイヤーを明確に区別します。
いわゆるロールプレイというヤツです。主人公という役割を“演じる”のです。主人公に“なりきる”のではなく。
他人に“なりきる”なんてどこの誰にも不可能です。どんな優れた俳優にだって不可能です。俳優とは他人に“なりきる”仕事ではありません。“演じる”仕事です。空想上の誰かを想像し、模索し、納得し、その人っぽく見えるよう己のふるまいや思考形態を調整するのが、演技という技術です。
私はゲームを通じて演技します。プロの俳優のようにうまくできるわけではないので、ひとり遊びのひとり上手限定ですが。
しかしそうしているとだんだん欲が出てきます。
だって、“演じる”というのはとても創造的な遊びなんです。自分の頭の中にひとりの人間、ひとつの人生を描いていくようなものですよ。そんな壮大なものをつくったならば、できることならたくさんの人に見ていただきたい。「私はこんなステキな物語を考えたんだよ」って。
褒められたいわけでも、感動してもらいたいわけでもないですが、チラシの裏に書き殴るのももう飽きました。自分の胸の中にしまっておくには気持ちがあふれすぎました。
ヘッタクソなプレイ日記を書いてみた理由の根っこはそんな感じです。途中でやめるつもりだったはずなのに結局最後まで書いちゃいましたよ。まあいいさ、どうせ損するのはこんなのを読もうと思ってくれた奇特なあなたくらいですし。
ゲーム体験を読み物化する難しさについて雑感
ゼルダの伝説BotWはとても良いゲームですね。コントローラーを握って1分で想像力をめいっぱい刺激されました。リンクをあっちこっちに連れ回して、いろんな経験をさせてみたいと思いました。リンクの物語を隅から隅まで味わい尽くしたいと思いました。とてもロールプレイが捗るゲームです。
これなら私のロールプレイ体験を外部出力するだけでもそこそこ面白い読み物になるかな、とプレイ日記を書いてもみましたが、結果はご覧の通り。さすがに文章力が足りませんでしたね。というか、私の場合は他人にわかりやすく伝えようとするコミュ力が致命的に欠けていますね。しゃーない。
それは私の低スペックゆえのしゃーないことだとして、それを差し引いて考えるにしても、案外ゲーム体験を物語化するのって難しいことなんだなあと思い知りました。こちらは(たぶん)私の能力的な問題ではなく、ゲームというものに由来する難点です。
ゲームのプレイヤーキャラって、冷静に見ると相当わけわかんない挙動をするんですよね。操作ミスとかの話ではなく。
普通の人間は敵の矢を避けるためだからといってジグザグ走法で接敵しません。普通の人間は走りながら野草を摘むための最適ルートを計算しません。普通の人間は馬に勘づかれないギリギリの歩行速度を体得しません。現実にそんな人がいたらキモチワルイなんてもんじゃありません。
プレイ日記を始めた当初はシナリオに関わらないゲーム体験を主体に書こうと思っていたのですが、すぐにやめました。上のような挙動をしているときのリンクが何を考えているのか、私にはさっぱり想像できなかったからです。
脳内でロールプレイしているときは無意識に都合の悪い部分を端折っていたんですよね。文章にしようと思うとある程度筋道立てて考えることになるので、このあたりのキモチワルイ挙動がどうしてもノイズになります。
それから、ゲームをしている私自身の思考も、冷静に見つめ直すとたいがい物語的じゃないんですよね。
リンクの記憶を取り戻すとか、ゼルダ姫を解放するとか、物語的にはちゃんとした目的があるにも関わらず、すぐ脇道に逸れる誘惑にかられます。無意味に凝った戦術で敵を倒そうとします。食べる予定もないのに手元の素材を全部料理に使おうとします。
こういうの、プレイ日記として文章化しようとすると、とりとめがなさ過ぎてうまくまとまりません。小ネタとして2、3挟む程度ならいいんでしょうけどね。自分のプレイングをありのまま辿ると大半の時間をこういうしょうもない活動に費やしていることに気付きます。
今回はそういうわけで、リンクの他に「私」というプレイヤーの存在も外部化して書くことにしました。元ネタはガンパレード・マーチのOVERSシステムですね。こういうワンクッションを挟むと自分のプレイング全体を俯瞰できて、とりとめがないなりに自分が何をしたいのかなんとなく理解できるようになるんですね。リンクを操る私をロールプレイする私、といった構図です。
そういう試行錯誤をした結果として、プレイ日記後半は結局ほぼストーリー部分を語るだけのものになってしまいました。そういうのなら普段プリキュアの感想文を書いているノリで書けますし。でもそれがゲームの「プレイ日記」なるものかといわれると、うん、ねえ?
・・・で?
うーん、どうしたらいいんでしょうね。普段脳内でやっているようにほどよく端折っていく技術を身につけたら、そのうち私でも面白い読み物を書けるようになるんでしょうか?
ゲームのプレイ体験自体は絶対に面白いものなんですよ。こんなにお手軽で創造的な遊びは他にそうありません。あとはこれを面白おかしく出力できさえすれば。
そういう仕組みを確立できさえすれば、ネット上にゲーマー×ゲームの数だけ面白い読み物が氾濫するだろうになあ。ブーン小説、携帯小説、やる夫スレ、なろう系などなどに続く新たな大衆創作家向けのテンプレを、今度はゲーマーから!
ふんわりととりとめのないオチですが、今回はこの辺で。
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