そう。太陽を狙って、思いっきり投げるんだ!
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(主観的)あらすじ
近頃表情が柔らかくなってきたいおな。そんな彼女に、ある日、海藤くんという男の子が告白してきます。
めぐみたちの計らいによって、いおなはデートすることになりました。海藤くんは紳士的で、恋がどんなものかわからず戸惑ってばかりのいおなから笑顔を引きだしてくれました。けれど、それもまたいおなからするとなんだか怖くて、彼女は適当な理由をつけて彼の前から逃げだしてしまいます。
一息ついたいおなが戻ってくると、そこに海藤くんはいませんでした。いたのは幻影帝国のナマケルダと、未来を閉じ込められた鏡ひとつ。いおなはプリキュアに変身し、仲間たちと一緒に戦います。恋愛という不幸を滔々と語るナマケルダに、恋を知らない彼女は返す言葉を持ちません。次第に追い詰められていきます。
しかしいおなは見ます。海藤くんの未来が閉じ込められた鏡に、日だまりのような輝きを。恋はまだわからないけれど、それでも私はあの人を大切な人だと思う。助けたいと思う。そんな何にも振り回されない無垢なる思いが、いおなをキュアフォーチュン・イノセントフォームへと覚醒させます。
プリキュアというヒーローを自己犠牲の精神から解き放った偉大なシリーズ、ハピネスチャージプリキュア!。すでにドキドキ!プリキュアが橋頭堡を築いていたとはいえ、その後にこのシリーズが追随してくれなければ、おそらく現在のプリキュアはありませんでした。Go!プリンセスプリキュアがストイックに自分の夢を追求できたのも、魔法つかいプリキュア!が心から世界の祝福を信じられたのも、そしてキラキラプリキュアアラモードが多くの人と幸せの受け渡しをやりとりできているのも。すべてはこの物語が「地球のため、みんなのため。それもいいけど忘れちゃいけないこと」を再定義してくれたからです。
この記事ではそんなハピネスチャージ!プリキュアから、イノセントフォームが初披露された第32話について語ろうと思います。このエピソード、プリキュア全シリーズの中でも特に好きなんですよね。・・・今「1、2を争うくらい」と書こうとしたのですが、直後いくつもの名エピソードが脳裏に浮かんで撤回しました。どれが一番とかとてもとても決められないっス。
幸運
「氷川って最近感じ変わったよな。よく笑うようになった」
海藤くんがいおなを好きになったことに特別な理由はありません。幼馴染みだとか特別に優しくしてあげたとか何か事件に巻きこまれたとか、そういうドラマチックな理由づけは何ひとつありません。ただ前々からなんとなく気になっていただけです。強いていうならいおなの表情が柔らかくなったことが告白のきっかけにはなりましたが、せいぜいそのくらいです。
きっかけらしいきっかけなんてなかった。恋なんていうのは概ねそんな感じのものです。人が誰かに恋をするのに理由なんて必要ありません。そういうどうでもいいことは第六感だとか無意識だとか本能だとかがテキトーに処理してくれるものです。私たちは余計なことを考えず、ただ恋心に振り回されていればいい。
「恋はするものじゃなくて、落ちるものだから」
「俺、お前のことが好きなんだ。付きあってくれないか」
「突然そんなこと言われても・・・」
つまりいおなにとって、海藤くんからの告白は全くの偶然です。降って湧いた幸運です。それは自分が招いたものでは絶対になくて、だから彼女は戸惑ってしまいます。持てあましてしまいます。
「どうするのって言われても、恋とかしたことないし・・・。ピンとこないわ」
「どうしよう。なんだか緊張してきた」
なにせ彼女はほんの少し前までろくに笑いもしない、かわいげのない女の子でした。幻影帝国への復讐心に身を焦がす戦士でした。それがまさか、突然恋愛なんていう華やかな舞台の上に立つことになるだなんて。
戸惑ういおなは太陽に背を向けていて、その表情は陰に隠れていました。せっかくひめの手でかわいらしく着飾らされても、しかし自分の姿を鏡に見て、素直に笑うことができません。
これじゃまるで恋愛ドラマの主人公みたい。自分には似合わないとでも思うでしょうか。けれどね、海藤くんがいおなをチェックしていたのは、あなたが笑うようになるよりずっと前からだったんですよ。
太陽
固い表情でデートに臨むいおなでしたが、その緊張は海藤くんが少しずつ解きほぐしてくれます。
「氷川、見てみろよ。キリンの目、優しい目してると思わねえ?」
「オスでもまつげバサバサなんだぜ」
「うまい!」
「太陽めがける感じで投げるんだ。そう、太陽を狙って、思いっきり投げるんだ!」
少しずつ、少しずつ、いおなの表情がほころんでいきます。太陽に向かって輝かしくその笑顔を晒していきます。
それは海藤くんが太陽のように明るくて暖かな人だったおかげでしょうか?
・・・いいえ、実はそうでもありません。彼はいおなに笑ってもらうために、本当はちょっとだけ頑張っていたのでした。彼は必ずしも太陽ではありません。ときにはその表情を陰らせることだってあります。本当の彼はそういうどこにでもいる男の子のようでした。
「デートに誘われて嬉しかった。でも、あまり楽しくなかったんじゃないかって、心配だったんだ。そりゃそうだって。いきなり告白しちまったし、強引に自分の気持ちだけ言ってたし」
「意外。海藤くんってそういうの慣れてるように見えたわ」
「まさか。いっぱいいっぱいだって」
だとしたら、いおなの表情を明るく照らしてくれたものの正体は何だったんでしょうか?
いおなに笑顔をくれた海藤くんの、その太陽のような明るさを生みだした原動力は、何だったんでしょうか?
「前からお前のこと気になっててさ、俺さ・・・!」
それが、ひょっとしたら恋というものなんでしょうか。太陽じゃない海藤くんを太陽にしてみせた、ガラじゃないいおなを笑顔にしてみせた、なんとも不思議なものの正体が。
・・・だったら、私も恋を知ったら変わってしまうのでしょうか? 海藤くんのように。
「わ、私、飲み物かなにか買ってくる!」
それはどことなく怖いものです。自分が自分じゃなくなるのって。たとえそれが、好ましい変化だとしても。
陰り
「少年を恋の苦しみから解放してあげました。この世界の恋をすべて消し去るのです!」
いおなが恋を拒絶したから、いおなの世界は海藤くんを失っただけで陰りに沈んでしまいます。あの太陽のような明るさも暖かさも、きっといおなが恐れて逃げだしてしまった、そして海藤くんだけが知っている、恋の作用だろうから。
この世界はこんなにも暗かっただろうか。そう、暗かったに違いない。だって、彼とデートして過ごしたあの時間、あのひとときは、私に似つかわしくないくらい明るくて暖かなものだったんだから。
「・・・何ですか?」
それに背を向けてしまったいおなにとって、この世界は当然に暗いものです。明るいものは全部海藤くんと一緒に鏡に閉じ込められてしまいました。
「助けられますか?」
鏡に映るあの輝かしいものを持たないくせに。その身を自ら陰りに置こうとするくせに。恋の何たるかもわからないくせに。
そのくせ、果たしてあの太陽に向かって手を伸ばせるものですか?
「わかりましたか? 恋などしたら最後。振り回されるだけなのですよ」
それでも、いおなは何としてでも鏡に閉じ込められたものを助けださなければなりません。
だって、海藤くんの閉じ込められた鏡がどうしようもなく眩しく輝いて見えるんです。
どうしていおなが海藤くんを助けださなければいけないんでしょう?
それは、彼女自身がそう願うからです。
彼女自身があの太陽のような輝きに魅せられたからです。
彼の教えてくれた恋の明るさ、暖かさを、彼女自身が好ましく感じたからです。
憧れたからです。
「海藤くんが話してくれたこと、嬉しかった。なのに逃げたりしてごめんなさい。気持ちはちゃんと受け止めました。でもまだ『恋』とか『付きあう』とか、わからないの。だけど、私のことを見ていてくれて嬉しかった」
海藤くんを見つめるいおなの“後ろの方から”陽光が差し込みます。
だって、彼女が見ているものは鏡です。鏡はそれを見つめるあなたの姿を映すもの。もしもそこに輝きが見えるのだとしたら、それはあなたが持っていないものだなんてことはなくて、本当はとっくにあなたも持っているはずなんです。
恋を知らないいおなは、けれど恋のステキを知っています。その、太陽のような眩しい輝きを。
「私も海藤くんのことが、大切です」
無垢
陰りに落ちたはずのいおなの全身が輝きはじめます。
「イノセントな思い」とは何でしょうか?
幻影帝国の強大な力に対抗できるそいつはつまり、何事にも揺らぐことのない強烈な確信。「私はこう信じる」という絶対的な自信、あるいは信仰、またあるいはときに愛とも呼ばれるものです。
「あなたはまだ知らないのです。恋は憎しみや悲劇を生むということを」
俗世の垢にまみれた大人のしょぼくれた理屈をはねのけ、ただ私がそう信じるからそれは確かだ、という無敵の確信が、あなただけの道を切り開きます。
それが無垢ということ。個人主義のひとつの極地。誰にも何にも侵されることのない、あなただけの絶対の絶対です。
いおなは恋のステキさを確信しました。ナマケルダが何をわめこうが聞きやしません。他の誰が何と言おうと、私は恋がステキなものだと知っている。私は海藤くんの向こうにそれを見た。それだけが事実。
突然降って湧いたように訪れ、私に明るさと暖かさをくれる、それが恋。今までの自分がどうだったとかそんなことすら関係ない。恋はステキ。そしてこの世界には、そんなステキなものを受け取れる幸運が確かに存在する。
ハピネスチャージプリキュア!は自己犠牲を美徳としていた従来のヒーロー像を否定する物語です。
主人公の愛乃めぐみは自分を磨り減らして世界を救い、そして不幸になりました。ラスボスのレッドはかつて神として人に惜しみない愛を与え、やがてそれを悔いることになりました。
この自己犠牲に打ち勝つために持ち出された論理が「イノセントな思い」、つまりある種の個人主義になります。何か絶対的なものを信じつづけることができれば、そのための行いは少なくとも自分にとって絶対に意義のあるものだし、挫折したって何度でも立ち上がれる。そんな感じの理屈。
だからイノセントフォーム覚醒にまつわる一連のエピソードにはいずれも今作の魅力がぎゅっと凝縮されています。
割と感覚的なものなのでわからない人にはわからないかもしれません。もしあなたがそうでしたらごめんなさい。私にはこれ以上噛み砕いて説明するのは難しいです。
今回いおなは恋がわからないなりに恋を肯定しました。自分が恋するかはまだわからないけれど、少なくとも恋はステキなものだと。
そんなふんわりとした信念が、しかしこの先でヒーローを自己犠牲の精神から救うことになります。プリキュアが自分自身の幸せを追求するきっかけになるんです。
私はイマドキのヒーロー像の方が好ましく思いますよ。
コメント
この作品、「ハピネスチャージプリキュア」でやっていた「外国にもプリキュアがいる」設定も今やっている「ひろがるスカイプリキュア」の悪役会議廃止も「ヒーリングっどプリキュア」でやってほしかったです。
プリキュアで悪役会議廃止にするなら「ハピネスチャージプリキュア」もそうしてほしかったですね。理由は、リアルタイムで放送された当時はブルーは多くの視聴者から嫌われていたからもし悪役のパートがなければ逆に扱いがよくなっていたのではと思うのです。(コミカライズみたいに)酷い時には、同じ中の人も誹謗中傷になる程嫌われていたキャラでもハピプリから見た2年前の「スマイルプリキュア」の敵キャラのジョーカーですら再評価された程だったとか。もしリアルタイムで放送されたのが近年の時代つまり2020年代に入った後だったらネットでは忠実以上に炎上してこんな題名の動画まで作られたかも。「ブルー=歴代無能キャラ№1」「ブルーが無能すぎてジョーカーの株が上がる」…など💻📱二次創作でもこんな題名の漫画作られたりして。「青神下がれば道化師上がる」…など🟦↓=🤡↑一方で私はブルーが他の視聴者から嫌われているのを見て複雑な気分でした。「ブルーも見た目好みだからそれだけに非常に残念だ…。スタッフや出演者、そして他の視聴者は『ブルーだけが男じゃない』って言いたいのかな…。」と思っていました。
「どこかで誰かが言っていそう」という建前を借りて自分の言葉として発信するのが憚られる書き込みをするのは卑怯者のふるまいだと思います。