Go!プリンセスプリキュア第39話感想 あなただけの夢。みんなが祝福してくれた夢。

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あなたに会えたこと、みんなを守れること、私の力よ。もっと強く優しく美しく。

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(主観的)あらすじ

 「プリンセスになんてなるな!」 かつてはるかの夢を一番に応援してくれたカナタが,今ははるかを呪縛します。「私・・・プリンセスになっちゃいけないの?」 クローズの策略によって夢ヶ浜は絶望の森と化し、希望の象徴たるプリキュアたちも必死に応戦していますが、今のはるかにはどちらも遠い物語。絶望に囚われたはるかは変身することもできません。
 暗い悲しみの中で、はるかは自分の夢の起源を見ます。どうして花のプリンセスになりたいの? ・・・それは「キラキラ可愛いから」。たったそれだけ。拍子抜けするくらい他愛のないきっかけでした。けれど彼女のその夢は優しく祝福されました。「それじゃあこれをあげるよ。君の夢のお守りさ」 はじめは異国の王子様に。「いいじゃない。それではるかが元気に育ってくれるなら、どんな夢だって」「よーし、頑張れ、はるか!」 つづいて両親に。それからノーブル学園で経験したたくさんの出会いに。「思い出した?」
 はるかの瞳に光が戻ります。だって彼女はいつも夢と共にありました。出会いも祝福も努力も、すべて夢に導かれたものでした。元より彼女は夢を失うことなんてできっこなかったのです。夢ははるかの全部だから。

 呼応するように希望と絶望を巡る戦いが彼女の目の前に帰ってきます。はるかは戦わなければなりません。「みんなの、そして私の夢を守る」 そのために。Let’s go,PRINCESS.
 花と笑顔を纏ってキュアフローラは奮戦します。取り戻した夢が彼女にたくさんの力を注いでくれます。それでもなお押し切れぬほどに絶望の力は強大ですが、恐れることは何ひとつありません。フローラには支えてくれる仲間がいます。動きを封じられては援護を。奇襲には迎撃を。強襲においてはコンビネーションで。ロッドを奪われたならさらにふたつのロッドが力を貸してくれます。
 それから、たった今彼女のおかげで生まれた新しい夢も。「はるか。君が笑顔でいられるように、僕は君の夢を守りたい」 カナタの新しい夢は新しいドレスアップキーとなり、みんなの夢の力を束ねたプリキュア・グランプランタンによって全ての絶望を吹き飛ばします。

 なぜだか急にGo! プリンセスプリキュアを観たくなったので。あらすじがいつにも増して酔っ払っているのもなんとなくそういう気分だからです。
 Go! プリンセスプリキュアは非常にテーマ性の強いシリーズで、だいたい全部が重要回、だいたい全部が作品を象徴するエピソードといえる、異常に密度の高い物語となっています。ドキドキ!プリキュアに始まる自立的なプリキュア像はここで最高潮となり、それに付随して問わずにはいられないヒーローの幸福のありかたについてもひとつの揺らがない答えを導きだします。
 夢を持とう。努力しよう。そうすればみんながあなたに憧れて、あなたと肩を並べるヒーローになってくれるから。雑に説明するならだいたいこんな感じ。一見するとスマイル以前は最重要視されていた「人と人との関係性」の論理が“主”ではなく“従”の立場となっていて、プリキュアシリーズではずいぶん異端の考え方に見えますが・・・案外そうでもなかったんだなあと、改めて第39話を観て思った今日この頃。
 そんなわけで、最終回の感想を書いた頃とはこの物語に対する解釈がちょっぴり変わっているかもしれません。もしかするとあちらとは矛盾したことを書くかもしれませんが、気にせずおもったことをつらつらと書き綴っていきます。あれ書いてから2周くらいGo! プリンセスプリキュア観てるので見方が変わるのも仕方ないさ。(他人事)

夢はあなただけのもの

 「プリンセスになんてなるな!」 夢を失ったカナタにはるかの夢の大切さはわかりません。「いったい何が・・・」 その場に居合わせなかったみなみときららははるかの身に起きた出来事を知り得ません。この状況をつくったのはクローズですが、はるかが絶望したのは彼の策略のせいではありません。まして不幸な巡り合わせが折り重なった偶然の事故でもありません。
 「夢は人を追い詰める。お前たちがあいつをひとりぼっちにしたようにな!」 これは夢を追いかけていれば誰しもがいつか必ずぶつかる試練です。だって「花のプリンセスになる」夢ははるかだけのものですから。他の誰も手を貸すことはできません。
 誰しもがそれぞれに自分の夢を持っています。今はたまたま近くの道を歩んでいますが、それぞれ目指す目的地が違うのですから、やがては離ればなれになってしまいます。一度は互いに助け合いの手を届かせることができたとしても、いつか互いの手が届かない遠くへ道が分かたれる日が必ずやってきます。はるかの場合は今日がそうだっただけ。だから他の誰も手を貸すことはできません。これははるかが自分ひとりで乗り越えなければいけない試練です。

 かつてたくさんの人々を救ってきたプリキュアも今ばかりは遠く。プリキュアはあくまで日常の守り手です。外敵からあなたを守ってくれることはあっても、あなた自身の問題をプリキュアが解決してくれることはありません。
 あるいはGo! プリンセスプリキュアにおいては夢の導き手を兼ねますが、それだってやはり今のはるかの助けにはなりません。今はるかを苦しめているのは他でもない、彼女自身の夢なのですから。

 「カナタ。私・・・プリンセスになっちゃいけないの?」 甘えです。この発想は同時にかけがえのない大切なことへの気付きでもあるのですが、一面において自分の夢への責任を他人に押しつけようとする甘えです。花のプリンセスになりたいと願ったのははるか自身です。カナタではありません。
 ならばその疑問の答えはカナタではなく自分自身に尋ねなくてはいけません。
 「私、なんでプリンセスになりたいんだっけ・・・?」 その問いかけの答えはこうです。「キラキラ可愛いから」 まるで今欲しい答えには足りません。あまりにも純朴な夢。今はるかを苛んでいる絶望の大きさには到底釣り合わないほどの、小さな小さな夢でした。
 では、春野はるかをキュアフローラたらしめ、グランプリンセスに向かって突き動かし、そして今無様に地べたに這いつくばらせている夢の正体とはなんでしょうか。

 「私、プリンセスになりたい」 記憶の中のはるかはひどく不安そうで、か細い声でようやく自分の夢を両親に打ち明けます。
 なんでこんなシリアスな表情なのかといえば、実はこのシーンの少し前、彼女は男の子たちに自分の夢を笑われていたのでした。第一話冒頭のアレ、ゆうき君との因縁のアレです。「そんなの無理無理!」「お前がプリンセスなんてなれるわけないだろー!」
 「私、本当になれないのかなあ」幼いはるかは心ないイジワルにひどく消沈しましたが、このあと彼女はカナタと出会い、ドレスアップキーとともに夢を追いかける勇気をもらいました。「なれるさ」「本当?」「君がその夢を大切に育てることができたら、きっと」
 「うん! 私頑張る!」 その、はるかにとって最初の頑張りがこのシーン。

 「私、プリンセスになりたい」 それはつい今しがた彼女自身をひどく傷つけた言葉です。男の子たちに笑われる原因となった夢です。クローズがいつも主張しているように夢は容易に絶望へと反転します。案の定、今だって目の前の両親は突拍子のない打ち明けごとに困惑しているではありませんか。
 けれどはるかは誓っていました。「私頑張る」と。誰のために? カナタではありません。プリンセスになりたいのも、これからその夢を育てるのも、他でもないはるか自身です。
 反応のよくない両親に対峙して、彼女はもう一息だけ勇気を振り絞ります。「花の、プリンセスに・・・」 不安は最高潮。心細さが小さな身体に押しよせて、もうまっすぐ前を見つめることも叶いません。憧れのプリンセスを盾に、彼女は必死に頑張ります。勇気試す今日はきっと、明日変えるためにあるから。

 だって、こればかりは誰も助けてくれません。花のプリンセスになりたいのははるか。他の誰でもないのですから、頑張らなければいけないのははるかひとりだけです。あなたの夢はあなただけのものです。他の誰も責任を取ってはくれません。他の誰も手を貸すことはできません。
 夢を叶えようとするのは本質的に孤独なことです。

あなたの夢を支えてくれる誰か

 「へえー。どうして?」 けれど。夢を叶えようとするのは本質的に孤独なことだけれど、それでもあなたはひとりぼっちではありません。

 「お前がプリンセスなんてなれるわけないだろー!」 夢のせいで傷つけられ、「私、本当になれないのかなあ」 一度は夢を失いかけたはるかが、「うん! 私頑張る!」 それでももう一度夢を追いかける勇気を得たのはどうしてだったでしょうか。
 もちろんそれはカナタとの出会いがあったからです。彼が「なれるさ」と力強く言い切ってくれたからこそ、はるかはプリンセスになれるという希望を取り戻しました。彼が「その夢を大切に育てることができたら」と道を示してくれたからこそ、はるかは夢のために頑張る決意をしました。
 「カナタ。私・・・プリンセスになっちゃいけないの?」 その問いかけは自分が負うべき責任をカナタに被せようとする甘えですが、一面においては真実です。カナタが「なれるよ」と言ってくれなければはるかは夢を追うことができませんでした。純朴な夢は小さなまま枯れ果てるはずでした。ある意味ではカナタがこの夢を守ってくれたのです。この夢ははるかひとりのもののはずなのに。

 「へえー。どうして?」 不安に押し潰されそうになっている幼いはるかに、彼女の母親は先を話すように促します。優しい声色で、彼女に夢を語ることを許します。
 「キラキラ可愛いから」 はるかはここでようやく緊張をほどきます。たったそれだけの小さな小さな夢なのに、彼女はこんなことすらひとりでは口に出せませんでした。この夢ははるかひとりのもののはずなのに、実際にはカナタや両親、周りの人の手を借りなければ最初の一歩すら踏み出すことができないのです。

 けれどそれでもやはり「花のプリンセスになる」夢ははるかひとりのもの。
 「なれるさ」 そう言ったカナタはこのときディスピアの暴虐によって夢の大切さを忘れかけていました。声をかけたのは落ち込んでいるはるかにトワとの思い出を重ねた感傷であって、初対面のはるかに対してどうという思いがあったわけではありませんでした。
 「プリンセスか、また変わった夢を持っちゃったもんだ」「いいじゃない。それではるかが元気に育ってくれるならどんな夢だって」 彼女の両親もまた、興味を持ったのは「花のプリンセス」自体ではありませんでした。夢の持つ力を信じて、我が子の夢に「元気に育ってほしい」という自分たちの夢を託しただけでした。
 はるかにははるかの、彼らには彼らの、それぞれの夢があって、そしてそれらは互いに不可侵です。お互い責任を取ってあげることはできません。手を貸してあげることもできません。
 それでも、はるかの夢は彼らの存在を必要としました。

 これは祝福です。
カナタや両親がくれたものは。はるかの夢が必要としていたものは。はるかの夢が不可侵でありながら、それでもただひとつそれを支えてあげられるものの名は。
 あなたは夢を抱きました。それがどんなものであれ、夢を持つのはそれだけでステキなことです。だからあなたがか弱い夢に絶望しないように、私はあなたを応援しましょう。
 あなたは夢を語りました。それがどんなものであれ、私はそんなあなたの瞳に輝きを見ました。だからあなたが夢に向かって歩み続けられるように、私はあなたを応援しましょう。
 あなたは夢のための努力を誓いました。それがどんなものであれ、私はその意志を好ましく思います。だからあなたが努力し続けられるように、私はあなたを応援しましょう。
 ・・・おおう、いくらなんでもポエムが過ぎました。(今さら) そんなこんなで、はるかの夢は彼女ひとりの努力だけではなく、たくさんの祝福に支えられて大きくなっていきます。どんどん多くの人を巻きこんでいきます。
 初め、はるかに祝福をくれたのはカナタと両親だけでした。その頃は彼女の夢も努力もとても小さくて、見つけられる人が限られていたからです。
 ノーブル学園に入学するとその夢は爆発的に大きく花開いていきます。はるかがたくさんの人と出会い、たくさんの人がはるかの努力を知り、そしてたくさんの人がはるかの夢を応援するようになったからです。

 はじまりは小さな小さな夢でした。今のはるかを苛んでいる絶望とは到底釣り合わないほどに。
 当たり前です。彼女の夢は彼女だけのものでありながら、しかし同時にたくさんの人の祝福が詰まっているのですから。そしてその祝福はただ無条件に与えられるものではなく、あくまで彼女の努力への応援として与えられたもの。さらに彼女は祝福を力に変えてより大きな努力を、周りの人はそんな彼女にさらに大きな祝福を。・・・・・・
 「夢は君の全部なんだね」 この雪だるま式に大きく膨れたはるかの夢は、同時に彼女が努力するための原動力。同時に彼女を応援してくれるたくさんの人たちの祝福。同時に彼女がより成長するための動機であり、すなわち過去・現在・未来に至るまではるかの全てを網羅する、彼女の人生そのものです。
 無自覚ながらはるかは初めからそのことに気付いていました。「カナタ。私・・・プリンセスになっちゃいけないの?」 もし夢の全てが彼女ひとりだけのものならそもそもこんな発想にはなりません。ひとりぼっちで夢を追いかけていたのなら、その旅路に他人が介在する余地はありません。絶望を他人のせいにできる時点で、本当は誰かの祝福を受けていることに気付いているはずです。きっとあなたも。
 「ひとりじゃないよ、トワちゃん。みんながいてくれたから立ち上がれる私がいるの」

あなたのおかげで生まれた誰かの夢

 夢はあなただけのものです。けれどそれが大きく育まれたのはたくさんの人の祝福があってこそです。さて、ではあなたに祝福をくれた人たちは何者でしょうか。

 例えばはるかを初めに祝福してくれたカナタや両親がそうだったように、彼らは自分自身の夢を叶える旅路の途中にある人々です。
 Go!プリンセスプリキュアの物語において夢を叶え終わった人は、実は登場しません。(プリキュアシリーズのお約束として)精神的に円熟しているはずの老人たちですら、ディスダークによって絶望させられる余地がある、発展途上の夢を必ず抱いています。誰しもが自分だけの夢を追いかけながら、それでもはるかを応援してくれます。
 そう、みんなはるかと何も変わりません。はるかはみんなと何も変わりません。みんな自分だけの夢を追いかけていて、同時に誰かの夢を祝福してあげられる優しさも持っています。だったらはるかだって、誰かの夢を祝福してあげられるはずじゃないですか。

 自分の犯した罪の大きさにおののくカナタは、償うためにはるかを探します。このときの彼はしかし、どうして夢を否定してはいけなかったのか、その本質を理解できていません。だって彼は夢を知らないから。「傷つく君を助けたかった。ただそれだけだったのに、僕が一番君を傷つけてしまった」 できることといえばはるかのために髪飾りを拾ってあげることと、ただ謝ることくらい。
 夢を持たない彼の、自分の夢を追いかけながら誰かを祝福してあげられる普通の人々に比べてなんと無力なことか。「すまない」と涙をこぼす彼の弱々しさときたら。

 そんな彼を、一足先に夢を取り戻したはるかが祝福します。かつて彼が「なれるさ」と祝福の言葉をかけてくれたように、今度ははるかが。「私は、プリンセスを目指すよ」 それはあの日の彼からの言葉に対する祝福であり、はるかをこれ以上傷つけまいとしてくれた現在の彼の優しさへの祝福でもあります。あなたが守ろうとしてくれた女の子は、今もちゃんと笑っていますよ。

 かつてカナタの祝福がはるかの小さな夢を救ったように、このはるかの祝福もまた、カナタの小さな夢を救いました。
 そう、夢を失ったはずのカナタにだって、本当は小さな小さな夢が芽吹きかけていたのです。さっき自分で言っていたではありませんか。「傷つく君を助けたかった」と。誰に頼まれたわけでもなく、自分の意志で何かを成し遂げたい。その気持ちが夢ではなくて何だというのでしょう。
 はるかの祝福を受け、夢の強さをも知ったカナタは、さっそく彼自身の夢を育みはじめます。「君が笑顔でいられるように、僕は・・・」 「傷つく君を助けたかった」に比べるとずっとポジティブな夢となりました。

 人は誰しもが自分だけの夢を持っています。絵本作家として成功した望月ゆめが、それでも今なお新しい夢に挑戦しているように、人はどんなときだって夢を追い続けずにはいられません。それは夢を失ったとされていたカナタですら例外ではなく。
 カナタが育んだ夢は、はるかの贈ってくれたプレゼントを核に、新たなドレスアップキーを生みだします。このプレゼントは彼がはるかの演劇の練習に付きあってくれたことへの謝礼。今さら自覚するまでもなく、本当は初めから彼も小さな夢を持っていたことのなによりの証拠です。

 かくして日常と夢を巡るプリキュアの戦いははるかの目の前に帰ってきます。だって今の彼女は自分の夢の正体も、自分が誰かの夢に対して何ができるかも、正しく理解しています。今この瞬間、彼女は誰よりもプリキュアにふさわしい。
 ともすると自分だけの孤独な旅路と誤解されがちな夢にまつわる物語を、たくさんの人を巻きこんだ祝福の物語として認識した彼女はまさに夢の導き手。後に絶望すら夢に向かう努力のための原動力として包括するに至ったのは、この物語における「夢」がここで「個の物語」を超越できたからですね。
 Let’s go,PRINCESS. はるかは夢そのものとなって戦います。共に戦うひとりひとりに感謝の言葉を贈りながら。あなたに会えたこと、みんなを守れること、私の力よ。もっと強く優しく美しく。

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