ヒーリングっどプリキュア 第32話感想 私とあなたとはそれぞれ違う人間だから。

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自分を他の誰かと比較する必要なんてない。がんばっている姿を見ている人はちゃんといるのだから。

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(主観的)あらすじ

 今日は学校の職業体験として、沢泉旅館のお手伝いをします。ちゆの弟のとうじも一緒です。学校に通っていないアスミは撮影係。

 旅館のお仕事はおもてなしの心が大切。たくさんやることがあって、そしてたくさん気配りしなきゃいけないこともあります。仕事ぶりに個性が出ます。のどかは作業が丁寧なところ、ひなたは周りを明るくする笑顔を褒めてもらいました。

 一方でとうじは・・・、失敗ばかり。張りきりすぎて、ムチャばかりして、みんなに迷惑をかけてしまいました。自分には何もできない。そう、落ち込むとうじ。
 けれど、そんなとうじのためアスミがペギタンから伝言を預かってきました。とうじはちょっと不器用だけど、一生懸命で、優しい子なんだと。とうじの自分では気付いていなかった良いところを、ペギタンはちゃんと見ていて、そして褒めてくれたのでした。

 とうじは元気を取り戻し、自分ががんばったことでお客さんに喜んでもらえる、旅館のお仕事の喜びを学びました。その様子を見ていたちゆも、今まで知らなかったとうじの新しい一面を知ることができて、自分もいっそう精進したいと胸をときめかせるのでした。

 今話は前話で描かれた“みんなで協力する意義”を補足する内容でした。『ヒーリングっどプリキュア』において、誰かと協力しあうことによる最も大きな価値は、自分の新しい側面を見つけられることとして描かれます。「相手がいるから自分の世界が広がる」(第30話)ってことです。

 このあたりの考えかた、プリキュアシリーズではもう何年も繰り返し描いてきたことでもあります。

 「私、生徒たちに教えてあげたいの。世界にはステキな出会いがたくさんあって、ステキな出会いは新しい自分にも出会わせてくれるって」(『魔法つかいプリキュア!』第50話)
 『魔法つかいプリキュア!』では、それぞれ違う世界で違う暮らしをしてきた女の子たちが自分とまったく違う視点を持つ友達と出会い、その違いに学ぶことで大きく成長し、また、3人で過ごすことのできる奇跡のような毎日を大切に慈しんでいきました。

 「だってわかるもん。あなたの思いも私たちと同じところからはじまってる。『大嫌い』の反対の『大好き』。その思いがあるなら、きっとあなたを笑顔にできる!」(『キラキラプリキュアアラモード』第46話)
 『キラキラプリキュアアラモード』では、バラバラの個性を持つ6人が出会い語りあうことで、それぞれの心の澱となっていたネガティブな思いが大切なものを愛する思いから始まっていることを発見し、自分を心から好きになれるよう成長していきました。

 「アンリくん、ごめん! 私、なんて言えばいいのかわかんないよ。――けど、私は悲しい顔のアンリくんを放っとけない! ワガママかもしれない。けど、応援したいの!」(『HUGっと!プリキュア』第42話)
 『HUGっと!プリキュア』では、心折れ前向きになれなくなってしまった人たちのため、本人に代わって「それでもがんばってほしい」と願いを込めたエールを贈りあうことで、どんなに辛く苦しいときでも自分たちの輝ける未来を信じられるようにしていきました。

 「『私は大人ルン』 そう言い聞かせてきたルン。家族やサマーンのみんなに認められたくて。――でも、認めてくれたルン! みんなは、ありのままの私を! サマーン星人の私。プリキュアの私。地球人の私。私は私のままでいていいんだって、みんなが認めてくれたルン!」(『スタートゥインクルプリキュア』第40話)
 『スタートゥインクルプリキュア』では、無自覚な思い込みや偏見、意固地なこだわりによって知らず知らず狭めてしまっていた自分の可能性を、多様性豊かな人々との出会いによって再発見、再定義し、心の宇宙を無限に広げていきました。

 「自分のことは自分が一番よくわかっている」なんて言う人がいますが、そんなことはない。いやさ、仮に本人が一番たくさんのことを知っているのが事実だとしても、他人から見てわかること悉くをあなた自身が全部把握しているとは限らない。
 私とあなたとはそれぞれ違った眼球と脳みそを持っているわけで、それぞれ違う時間と違う環境で育ってきたわけで、私から見える世界のありかたとあなたから見える世界のありかたはそれぞれ絶対に違います。そもそも違う世界を眺めているんですから、当然、私から見えるあなたとあなたから見えるあなたのありかたもまた、絶対に違うんです。
 違うところには発見があって、発見したからには学ぶことも必ずあります。

 ふたりはプリキュア。女の子ふたりが手を繋ぎあうことから始まったプリキュアシリーズは、ずっとそうやって、子どもたちの自然な気付きと学びを描きつづけてきました。

同じ仕事、違う働き

 「よく気がついたわね」
 「沢泉に来てくださったお客様に笑顔になっていただきたいから」
 「いい心がけね。これからも色々なことに気を配れるようにね、ちゆ」

 旅館のお仕事はおもてなしの心が何より大切なんだと、前回、第17話で学びました。通り一辺倒の画一的なサービスではなく、ひとりひとりのお客様を見て、それぞれのお客様が一番喜んでくれることを常に考えていなくちゃいけないんだと。

 「ねえ、エミリーさんいつもどんな遊びをしているの?」(第17話)

 前回、ちゆはこの命題をものすごい力技で攻略しました。
 何をしたらお客様が喜んできれるかどうしてもわからなかったので、いっそ直接本人に聞いてみました。
 それはそれで有り。結果として、ちゆは難しいお客様をしっかりと笑顔にすることができたんですから。

 前回の物語において、沢泉旅館のお仕事の神髄とはそういうものでした。

 「大丈夫。まだ時間はあるし、お部屋を丁寧に掃除することはお客様への大切なおもてなしだわ」

 「わあ、いい返事ね。ステキ! 笑顔も大切なおもてなしよ」

 ですが、今回はまた違います。のどかが褒められたのは作業の丁寧さ。ひなたが褒められたのは笑顔の明るさ。ちゆですら気配りの細やかさを褒められたのであって、前回みたいな力技のリクエスト聴取をまたやったわけではありませんでした。
 同じ沢泉旅館のお仕事、同じお客様へのおもてなしのはずなのに。

 今話はそういう物語です。

 一見同じことをしているようにみえて、実はみんなそれぞれ違うことをしている。それぞれ違うかたちで果たすべき命題をクリアしている。違うけれど、みんな同じことのためにがんばっている。
 そういう構図。

 だから、今回とうじの落ち込んでいたことはそもそも見当違いだったんですね。

 「僕、失敗ばかりで。それを全部お姉ちゃんに助けてもらって。同じ姉弟なのにどうしてうまくできないんだろう」

 同じ姉弟であっても、同じお仕事を同じようにできるとは限りません。お仕事のやりかたは人それぞれ。とうじにちゆと同じ働きかたはできないでしょうし、同じ働きかたをしなくちゃいけないわけでもありません。
 ちゆととうじは同じ姉弟でありながら、それぞれ別の人間です。沢泉旅館のお仕事の目的がどの従業員にとっても同じお客様へのおもてなしであるはずながら、具体的なお仕事のしかたは人によって少しずつ異なっているのと同じように。
 「君。モコを預かってくれていたんだね。ありがとう」
 とうじはとうじなりのやりかたでお客様を喜ばせてあげられたらそれでいい。
 そのはずでした。

 なのに、それがどうして自分なりの仕事ぶりを認められなくなってしまうのか。

 「ミスは仕方ないけれど、お客様の前でため息なんて・・・。おもてなしの心をなくすのだけは見過ごせないわ」

 それは、自分というものが見えなくなってしまっていたからですね。
 そもそも自分は何をするためにがんばっていたのか。今の自分の姿は周りの人からどういうふうに見えてしまうのか。そういうことに考えが回りませんでした。
 失敗して、いっぱい迷惑かけて、情けないやつだ。自分をそういう一面的な視点からしか評価することができませんでした。

 その視点は正しいけれど、正しくない。
 失敗を反省すべきだという意味では正しいのですが、その気持ちを露わにする態度が目的に適っているのかというと正しくありません。
 とはいえ落ち込んでいるときにそんな視点を持つことは実際難しいことでしょう。

 「アスミ。お願いがあるペエ」

 だからこそ、自分以外の視点から自分の姿を見てもらうことが大切になるんですね。
 私とあなたとでは見えているものが違っているはずだから。

違う考えかた、同じ思い

 「皆それぞれいいところがあります。のどかはとても丁寧で、ひなたは周りを明るくする笑顔があって」
 「でも、僕には何もないや。お姉ちゃんはあんなにできるのに」
 「いいえ。とうじさんにもいいところはあります。それは――」
 「とうじはちょっと不器用なところもあるけど、とっても一生懸命で、優しい子ペエ。お風呂でズブ濡れになったのも仔犬を守ろうとしたからなんだペエ。僕は今日ずっと見てたからとうじのことがよくわかったペエ」
 「・・・僕が、一生懸命で優しい?」
 「ええ。とうじさんのことを見ていた人がそう話していたのです」

 とうじが自分のことを悪いようにしか見ることができなかったのは、自分視点でしか自分のありようを見てあげられなかったから。
 他の人の視点からなら、当然に、もっと違う良いところを見つけてあげられるものです。

 今話はそういう、ものすごく当たり前のお話。
 アスミの教えてくれたペギタンの視点を知ったことで、とうじはこれからペギタンと同じ視点から自分を見つめることができるようになったことでしょう。

 これが、前話でプリキュア・ヒーリング・オアシスというかたちとして描かれた、“みんなで協力する意義”。
 それは必ずしもみんなと友達になるということではないかもしれません。それは必ずしも心を通わせ合うことではないかもしれません。ただ、“知ろうとする”というだけでも価値がある。“伝えようとする”というだけでも価値がある。誰かのために優しくあろうとする気持ちは、ただそれだけで自分と他人とをつなぎ、それぞれひとりではできないことをできるようになる、大いなる力となさしめうる。

 ちなみに。

 「わかる、それ! すっごいできる兄弟いるとなんか焦るの、めっちゃわかる!」

 とうじの気持ちがわかると言っていたひなたですが、実際のところ彼女自身はとうじと違うやりかたで自分の気持ちを解決しています。
 「ほら! ほらね! お姉の味には届かないんだよ、私がつくると!」(第13話)
 ひなたの場合はとうじと違って、結果として誰かを喜ばせられるようになるだけでなく、過程としてもお姉さんと同じ味のジュースやパンケーキをつくれるようになれないと満足できません。独自路線NGです。なので彼女は第14話以降、ちょくちょくお姉さんの移動販売車を手伝いながら、同じ味を出せるまで愚直に練習を繰り返しています。
 このあたり、気持ちがわかるといってもやっぱり考えかたの違う他人同士ですね。

 これもまた大切なことです。

 なにも、必ずしも同じ考えかた同士でなければ思いを通じあわせられないわけではありません。協力しあえないわけでもありません。
 これまでのどかたちが出会ってきたたくさんの人たちのなかには、のどかたちと気持ちをひとつにしてくれる人もいれば、違った考えかたをする人たちもいました。アスミなんてその最たるもので、最初は何を考えているのか理解することにも苦労していました。
 それでも、思いを通じあわせられなかったわけではありませんでした。今ではアスミもプリキュアです。

 のどかたちが全く気持ちを理解できなかった相手はごく限られています。

 「自分さえよければいいの!?」
 「いいけど?」
(第6話)

 そもそも根本的なところからのどかたちと考えかたが異なっていた者たち、ビョーゲンズ。

 けれど、考えかたが異なるというだけでは思いを通じあわせられない理由とはなりえません。沢泉旅館の、お客様をおもてなしするためのお仕事を、みんな違うやりかたでもって達成してみせたように。とうじとひなたとでは目標に近づくためのアプローチが異なっていたように。
 のどかたちはまだ、彼らを知らないだけです。
 知ったところで、人間と病原菌、共存なんて到底できそうにない相手だとしても。まずは相手のことを知ろうとしなければ、思いやりを向けてみなければ、本当に戦うしかない相手なのかどうかもわかりません。

 「ねえ。もしかして僕のことずっと見ててくれたの、お姉ちゃん?」

 ぶっちゃけ違います。ペギタンです。このぶきっちょパワー系がそんな繊細なムーブするわけねーだろ!
 ・・・ですが、とうじのことをずっと気にかけていたことまでは、間違いじゃありませんでした。

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    コメント

    1. ピンク より:

      予告だと場面のつながりがよく分からず、何故か『ペギタンがとうじに姑じみた意地悪する話』だと思ってました……。

      そういえば私も、中学生のときに職業体験の授業がありました。
      ああいう授業って自宅OKなんですかね?
      本人の自由とはいえ、子供のうちはもう少し冒険してもいいんじゃないかなーという大人のお節介が。
      しかし大抵の仕事を上手くこなせるお姉ちゃんにお手伝いを任せきりにしないとうじは凄く立派です(ズボラの視点)

      超絶王道プリキュア話の一方で、ビョーゲンズは過程の段階でも同じ方向を向くことを要求されてるみたいですね。
      まあさっさと地球を蝕むことが私たちでいう『健康で文化的な最低限度の生活』を作るための礎と考えられるので、効率的にその辺進めるに越したことはないですけど……なんとなく違和感があるような。
      ダルイゼンが平気そうな同僚を見ても妙に副作用を懸念してますし、何か悪いことの始まりになってしまうんでしょうか。

      • 疲ぃ より:

         職業体験、班分けとかオリエンテーリングとかはした記憶があるんですが、なぜか実際行った覚えはないです。・・・風邪でもひいたかな?
         たしかちゆみたいに自分の家が引受先になった子は他の班に回されていた記憶です。

         ビョーゲンズねえ。生存競争というには背負っているはずの市民の影が見えないところが気になっていますかね。キングビョーゲン+幹部(+ナノビョーゲン?)だけの少人数を養うだけだったら侵略闘争なんてせずテキトーな物件買って暮らせばいいのに。
         ダルイゼンたちだって戦いが終わったら市民として暮らすんでしょうに、非人道的な人体実験で彼らを使い潰すような真似をしたら本末転倒なのでは? と疑っています。養うべき者たちの姿が見えないからこそ

    2. 東堂伊豆守 より:

      もともと、キングビョーゲンに心酔するでもなく媚びへつらうわけでもなかったダルイゼンに、イイ感じの離反フラグが立ちはじめてきましたが……。
      我らが主人公、花寺のどかさんは着実に一人前のメサイアへの道を歩まれる一方で、この病原ズ構成員・ダルイゼンとの「極めて個人的な」因縁をも急速に育んでいらっしゃる御様子で、……もしかすると、最終決戦辺りで「地球をお手当てするメサイア」の道を捨てて「たった一人の男を救うために全地球を敵に回すことも辞さないエゴイスト」へと変貌を遂げたりするんでしょうか……?
      プリキュアは「メサイアコンプレックスよりエゴイストの方がナンボか健全」という考え方を基本スタンスとして16年間やってきたシリーズではありますが(前作「スタートゥインクルプリキュア」はとくに「根っからのエゴイストが、結果的に宇宙を救う」展開でエゴイスト賛歌を強く打ち出した印象)、果たして17年目にしてこのスタンスを返上し「メサイアコンプレックス上等」路線に踏み出すのか?あるいは、むしろ、より強烈な形で「エゴイスト推奨」スタンスの再確認を行うのか?
      最終決戦、BGMに流れるのは「アメイジンググレース」か?
      はたまた「空と君のあいだに」か?
      (たぶんどっちでもない……たぶん)

      • 疲ぃ より:

         プリキュアシリーズ通してもう何度も描かれてきた“みんなのためor自分のため”の葛藤ですが、今回は敵方のダルイゼンのほうにも同じ葛藤を突きつけているのが面白いところですよね。
         シンドイーネのように恋慕の感情でキングビョーゲンに従っていたわけでもなく、それでいてバテテモーダのように野心があって働いていたわけでもなく、ただそういうものだからビョーゲンズとして活動してきた彼。それが段々と個人的な興味で動くようになってきました。
         ダルイゼンが何を中心命題としてのどかたちと共存、もしくは敵対していくのかがとても楽しみです。
         プリキュア側だけで葛藤していくより重層的な描写になればいいなと期待しています。

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