キラキラプリキュアアラモード第24話感想 羽ばたくためのプラクティス / 「がんばる」の双方向性。

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私たち、もっと知りたいな。得意なことも苦手なことも。シエルさんのこと、いっぱい。

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(主観的)あらすじ

 キラ星シエルが新しくプリキュアの仲間に加わりました! いちかたちのことをもっと知りたいと学校にも来てくれますが、さすが天才パティシエ、勉強もスポーツもとってもパルフェ! ・・・ちょっぴり日本語が苦手で、腹ペコさんで、すぐアワアワしちゃう困ったところもあるけれど。
 学校で妖精の姿に戻ってしまうトラブルもありましたが、いちかたちのフォローで窮地を脱しました。
 完璧なようでいてどこか隙があるシエル。だけど大丈夫! 彼女にはいちかたちが付いています。困ったときはみんなで協力して、得意なことはみんなのために率先してがんばりましょう。それが仲間なんですから!

 世間は夏休み(いいなあ)ということで、プリキュアは恒例の追加戦士強化月間です。日常ではスットコドッコイだけどバトルではとってもパワフルというオーソドックスな構成。前回ニガみを残したピカリオのその後のことについてはアバンで即回収し、安心してフォーカスをシエルに一点集中です!
 グレイブとエリシオという新たな敵も登場しましたが、彼らはたぶん個人的な思想を持たないシンプルなキャラクターになるんでしょうね。スイーツづくり、つまり「大好き」についての考え方を確立した今、いちかたちの障害となりうるものは純粋な悪意、スイーツにそもそも興味を持たない外敵です。
 それにしてもいちかかわいい。伊藤さんちのいちかさんは最近坪田さんちの子にすら勝るとも劣らない奇人に成長しつつありますね。グッドです。彼女を取りまく世界はそもそも優しい祝福に満ちているので、多少強引にgoingしても概ね許容してもらえます。

失敗でステップアップ

 シエルの場合、仲間になる前からあらかじめ欠点を提示されていたので、掘り下げるべき方向性は初めからある程度決まっています。
 彼女は他人にあまり興味を持たなかった。大好きなスイーツやその材料にばかり関心を向けていて、食べる人の思いにまで考えが及んでいなかった。
 前回彼女はそのことで絶望したわけですが、一歩早く同じ欠点を克服した弟の助けによってスイーツに思いを込めることのステキを体得し、彼女は夢と希望を再び追うための翼を得ました。ですがその翼はあくまでピカリオがくれた借り物の翼。本当の意味で自分の心に翼を宿すにはもう少し勉強が必要です。

 「みんなのこともっともっと知りたいと思って。それに学校も一緒だとすごく“仲間”って感じじゃない?」
 友達一年生のシエルはまだまだ“仲間”がどういうものなのかわかっていません。手探りながらとりあえず「知る」ことからはじめようと考えました。以前キウイを自分のスイーツに取り入れようとしたとき、思いつく限りの試作品をつくりまくっていたのと同じノリですね。とても素直でひたむきな子です。
 ですが今彼女に求められているものは、これまでしてきたことの延長線上にあるものではありません。もし仮に延長線上にあったなら前回彼女が絶望することはなかったでしょう。だって、それはつまり、今まで通りの努力を続けていればいつか必ずたどり着けるってことになるんですから。
 今までの方法論では通用しないから絶望したんです。だから、素直さひたむきさは彼女の大いなる美徳であるものの、今話に限ってはそれらを使わせません。空転します。

 「もし困ったことがあったらなんでも言ってね」
 「困ること? ノンノン。学校だって『パルフェ』!」
 「・・・『完璧』ってこと?」

 今話で彼女に期待されているのは、「大好き」な思いを伝えること・・・の前段階。
 「大好き」な仲間を頼ることです。
 アサガオの花言葉は「固い絆」。ツルが支柱にしっかりと絡みつく様からこの花言葉を託されました。仲間との絆は相手にしっかり頼るところから始まります。

 「親しき仲にも【ティータイム】あり」
 完璧に見えて、シエルは日本語が苦手です。日常会話に支障は出てないので、正確には単なる語彙不足ですね。パリ留学から帰ってきたばかりなのでしかたないことです。それでも彼女のプライドは傷ついた様子。私としてはこの自由な感性を高く買いたいところですが。
 「お腹、空いた・・・。どうしよう! どうしよう!? ヤバい! うわー!!」
 完璧に見えて、シエルは追い詰められると思考が止まります。心の病に陥りやすい気質ですね。変身が解けるのはわかっているんだから、お昼ごはんか、せめて間食くらいは用意しとけよというツッコミは無しの方向で。今までは自分の城に篭もっていたので時間の融通が利いたんですよ、きっと。

 そんな感じで何かと隙の多い子なので、人前で妖精としての正体を晒すという、プリキュアシリーズ前代未聞の失態を晒してしまうことになります。
 「最初に言ってくれたらよかったのに」
 「そんなの格好悪いキラ。今までずっとひとりでなんとかしてきたキラ」

 これが仲間を頼れない今までのシエルの限界。どんなに能力が高かろうと、しょせんひとりでは自分の手の届く範囲のことしかできません。半径85cmがこの手の届く距離。
 今までは自分を成長させてくれていたはずの彼女のプライド。ですが、今回ばかりは高く羽ばたくことを阻害する枷にしかなっていません。だから今までの方法は通用しないんですってば。

 余談。
 正体がバレるという割とシャレにならない事態に陥りながら、今後の身の振り方ではなくあくまで今追われていることだけを問題とするスタンス、さすがはキラキラプリキュアアラモード! えみるちゃんにペコリンを見られても「ワンペコ!」の一言で強引に片付けた作風はダテじゃない!

 実際のところ、こんな感じで比較的どうでもいい部分でのリアリティをガン無視する姿勢って、物語づくりにおいてはすごく大切だと思うんですよね。こういうところまで現実にありそうなくらい丁寧に描写すると、枝葉の話が増えすぎて一番語りたい主題がボケてしまいます。色々考えてあるのってそれはそれでパズルみたいで面白くはあるんですけどね。
 特にプリキュアはテーマ性が非常に強い物語ですし、まして視聴ターゲット層を未就学児童としている作品でもあります。彼らは国語科教育を満足に受けていないので読解力が不十分。ストーリー軸の整理が不十分な物語を自分なりに咀嚼する力はまだまだ期待できません。
 テーマが複雑だとか高尚だとか、そういうのはいいんです。そういう思想性をうまく飲み込みやすくするのが「物語」の機能のひとつですから。実際、評価の高い児童文学が掲げるテーマは大人が舌を巻くほどに深いものが多いです。なのに、私たちは子どもの頃に読んだそういう本を、生涯にわたって自分なりの哲学の根底に置けているわけで。子どもの感性をナメてはいけません。
 テーマが難しいことは構いません。作者が充分にそれを噛み砕けてさえいれば、読み手は意外と容易にそれを受け取ってくれることでしょう。ある物語が難解と評される場合の一番の問題は、たいてい主題と枝葉の要素があたかも同じ重さであるかのように混在し、未整理のままこんがらがってしまっているところにこそあります。
 トレーディングカードゲームのデッキづくりに似ていますね。特殊なコンセプトを除けば、デッキ枚数無制限なルールだとしても、どれも自ずと適切なデッキ枚数に収束していくという。(わかる人にしかわからない例え)

 たぶんね。
 少なくとも読み手が私ならそうです。こんなトピックに長々と文量を使ってしまっているこの感想文なんて典型的な悪い例。

一緒ならハッピー

 己が課した枷のせいでせっかく得た翼を羽ばたかせられずにいるシエル。もちろんいちかたちが彼女を支援します。だって“仲間”ですから。

 「今までずっとひとりでなんとかしてきたキラ。だから、心配しなくても・・・」
 「私たち、もっと知りたいな。得意なことも苦手なことも。シエルさんのこと、いっぱい」

 いちかの感受性が鋭く閃きます。今シエルが直面している問題は仲間に頼れないことですが、その根本はそもそも彼女の思考が他人の思いにまで及んでいないことにあります。今も昔もずっとそう。
 だから、いちかは「頼れない」という問題を直接指摘するのではなく、自分の思いをシエルに伝えることから取りかかります。

 前話でピカリオがしてみせたことと同じです。シエルは自分がいちかのように他人の思いを慮れないことに絶望した。だからピカリオが精一杯の「大好き」をワッフルに込めて彼女に食べさせた。そのことによってシエルは自分に「大好き」を受け取る感性が最初から備わっていたことを自覚した。
 いちかは「知りたい」とだけ言いました。シエルが“仲間”として自分たちを頼ってくれようとしないから。先に「知りたい」と言ったシエルの言葉は彼女だけのものじゃない、私たちも同じなんだよと、思いが双方向であることを指摘しました。そのことによってシエルは自分がしたいと思っていたことを“仲間”なら相手もしたがっているということ、つまり「頼ってもいい」ことを理解しました。
 シエルは眠るピカリオの前で誓っていたんです。「私がんばる。いつかピカリオが目を覚ましたとき、『すごいね』って言ってもらえるように」と。自分ががんばりたいのだから、同じ仲間であるいちかたちも同じ気持ちでいるのは、本当なら当然のことだったんですけどね。
 「私たちもパルフェと一緒にがんばる。私たち、6人で新しいプリキュアの仲間だもん」 あのときいちかははっきり言っていたわけですが、ひとりでがんばることしか知らなかったシエルにはその本当の意味が理解できていなかったんですね。なんとなく同じ思いで嬉しいって気持ちは感じていたのに、具体的な行動としての意味までは想像できていませんでした。

 「大好き」はいつも双方向。つくる人が「大好き」な思いを込めてスイーツをつくったなら、食べる人も「大好き」な気持ちでスイーツを食べる。つくる人が食べる人のことを思ってスイーツにたくさんの「大好き」を込めたのなら、食べる人だってそれだけたくさんの「大好き」を返してくれる。
 “仲間”という関係もそれと同じでした。あなたが私を「大好き」なだけ、私もあなたが「大好き」。だから遠慮なく頼ってくれていい。私があなたに何かしてあげたいのだから。あなたがそう思ってくれているのと同じように。
 そもそもお互いに「大好き」という思いで繋がっているのが仲間なんですから、構造が同じになるのも当たり前ですね。

 「私たちもいるよ!」
 ひとりじゃ乗り越えられない苦難もあるけれど、みんなとなら絶対に乗り越えられる。
 「私と私の仲間を甘く見ないでくれる?」
 みんなと手を繋げば半径6300kmがこの手の届く距離。
 「パルフェ、お願い!」
 さっき助けてくれたのとは反対に、いちかたちもシエルを頼ってくれる。だからこれでいいんだ。頼ってもいいんだ。これが“仲間”なんだ。

 シエルは虹翼から枷をひとつ取りはらいました。
 循環する「大好き」な思い。プリキュアのパワーの源にあるその概念について理解を深めました。

 スイーツづくりにおいてシエルの技術とセンスは並々ならぬものがあります。
 一方、デコレーションのアイディアならいちかが誰よりもユニーク。
 ひまり、あおい、ゆかり、あきらだって、シエルの呼び方ひとつ取ってみてもみごとにみんなバラバラです。
 キラキラプリキュアアラモードは6人の個性バラバラな少女たちの物語です。できることできないことがみんなそれぞれ違います。「人はね、みんな違う。愛し方や痛みも違う。その違いがステキだって今なら言える」 けれどバラバラだからこそ手を繋ぎあえたとき強くなれる、と教えてくれたのがひとつ上の先輩。キラキラプリキュアアラモードはそれを踏まえて、さらに先へと踏み出します。

今週のアニマルスイーツ

 コトリカップケーキ。難易度星2つ。だからひらがなとカタカナの命名規則はどうなってるんだよと。

 ヒツジカップケーキのときと調合がエラい変わっていますがどうしたんでしょう。コトリの方がデコレーションのクリームが多いので、その分ベースの食味をあっさり目&小麦の存在感強めにしたとかそんな感じでしょうか。
 ドラジェは聞き慣れない方も多いかと思いますが、アーモンドに甘い衣をまぶしたお菓子です。アーモンドチョコレートのチョコを糖衣に変えたようなものとイメージするといいでしょう。洋菓子としては定番中の定番なので、大きめのケーキ屋さんやデパ地下を探すと簡単に見つかるはかと思います。最近はコンビニも焼き菓子のラインナップに力を入れているのでどこかで見かけた気もしますが、どこだったかな。

 というかバタークリームたっぷりで超おいしそう。超食べたい。いつものことながらつくるの絶対メンドクサイけど。

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