「一番大切な人」が何人いたって問題ないでしょ?
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(主観的)あらすじ
今日はあきらの高校の文化祭。いちかたちはあきらの妹のみくちゃんと一緒に楽しく学園祭を回ります。けれどあきらは実行委員長としてみんなに頼られていてなかなかみくちゃんの傍にいられず、そのことを申し訳なく思っている様子。
エリシオがその心の隙を狙います。みくちゃんとそれ以外のみんな、どちらか片方だけしか守れないとしたらどうする? あきらには選べません。選びません。みくちゃんも他のみんなも一番大切な彼女は、己の身を削ってでも両方を守ってみせます。
力を使いきったあきらは大ピンチ。今度はあきらを直接襲おうとするエリシオの攻撃に抵抗できません。けれど大丈夫。あきらが守ったみんなのキラキラルが、今度は反対にあきらを守ってくれるのでした。
自分の身を飾る宝石や金箔を人々のために使う、幸せの王子の行く末は。あきらの物語はドキドキ!プリキュアの再演です。幸せの王子は宝石も金箔も失うことなく、いつまでもいつまでも人々を幸せにしつづけます。少なくともプリキュアにおいてはそういうことになりました。・・・いいかげんあっちの感想も再開しなきゃなあ。
久しぶりにあきら様をお慕いするファンの集いの活躍を見られてウキウキしてたのですが、それ以上にゆかり派勢力が拡大しているのを不意打ちで見せつけられて大爆笑っスよ。ついに男子まで例のどんぐり目に。苺野高校の生徒全員にどんぐりが感染する日も近い。
幸せの王子
ドキドキ!プリキュア放送開始当初、八面六臂の活躍でひたすら人助けをしつづける相田マナのことを、いい歳してプリキュアを見ているオッサンオバサンファンたちは心配して観ていました。私もそのひとり。
いくら優秀な生徒会長だからってこれはさすがに身を削りすぎなんじゃないのか。いつか傷つき疲れて倒れるか、あるいはその心性をエゴだと指摘されてしまうんじゃないのかと。うむ、実に年寄りらしい穿った上から目線ですな。
けれどマナは結局最後まで人助けをやり通しました。人助けで摩耗することなく、むしろどんどん輝きを増していきました。
どうしてか。その答えは、ちょうど向こうでも文化祭で語られましたっけね。
マナの人助けは誰かを救ったその時点で消費されてしまうものではなく、「愛」としてその人の心に残り、次はその「愛」を受け取った人が別の誰かのために人助けの輪を広げてくれるもの。さらにはその別の誰かがまた次の誰かにまで。
助けられる誰かの中にはときにマナ自身も含まれていて、だから彼女は人助けで摩耗することがありません。むしろ人助けをするマナの「愛」は無限に複製されて際限なく広がっていき、そんな世界のステキに彼女は強い喜びを感じます。
こうして幸せの王子が貧しい人々のために贈った宝石や金箔は消費されることなく、むしろそこに込められた「愛」とともにどんどん増殖して、街中を幸せで満たしていくことになりました。
翻って、さて今話のあきら。
「今日はちょっとバタバタしてるんだ。本当はみくの傍にいたかったんだけど・・・」
病弱な妹を思いやる優しいお姉さんは申し訳なさそうに表情を曇らせます。けれどね、みくちゃんはあきらが思うほど弱い子ではないんですよ。
「大丈夫! 平気だってば」
その言葉が強がりなんかじゃないことを、私たちはすでに知っています。
第15話。ひとつ前のあきらの当番回で描かれたのはあきら本人ではなく、あきらのためにがんばるみくちゃんの姿でした。
病弱だと語られていたみくちゃんは大方の想像を裏切り、とても勝ち気で活発な子でした。彼女は自分の力不足を思い知りながら、それでも諦めずにキラキラパティスリーのお手伝いに挑戦しつづけました。すべてはいつも優しくしてくれるあきらに感謝の気持ちを伝えるために。
みくちゃんは不幸な境遇に甘えて一方的に愛を受け取るだけで満足するような、そんな弱い子ではありません。大好きな人から優しさを与えてもらうのと同じくらい、大好きな人に優しくしてあげることに幸せを感じられる強い子です。
だから、あきらの申し訳なく思う気持ちは見当違い。
あきらがみんなのために忙しくしているなら、みくちゃんは彼女がそちらに集中できるよう協力しようと考える子です。
「去年までは普通の学園祭だったのよ。けど剣城さんの提案で、今年は来てくれた人に喜んでもらえるにはどうしたらいいか、生徒みんなで話し合いや準備をしてこうなったの」
「へっへへー!」
見てくださいよ、この誇らしげな笑顔。
「お姉ちゃん、呼んでるよ?」
「やっぱり、私が傍に・・・」
いいえ。本当は申し訳なく思う必要なんかないんです。
いつも通りの優しいあなたであることこそを、みくちゃんは望んでくれています。心から。
あなたがあなたらしくいられるように支えてあげること。それはみくちゃんがあなたに贈る「大好き」のかたちであって、あなたが申し訳なく思う気持ちはむしろそれを軽んじてしまいかねないものです。
本当は、ただその好意を素直に受け取るだけでいい。
プリキュアは選ばない
「あなたには究極の2択の刑を与えましょう。今からこの装置で捕らえた人々のキラキラルを抜いていきます。あなたの守りたい方だけを助けてあげましょう。遠慮なくお選びください」
プリキュアに選択肢を提示した時点でエリシオの負けです。お疲れ様でした。
そもそもヒーローとはだいたいそういうものなのですが、プリキュアは選ぶということをしません。わざわざ解説してもらうまでもなく、彼女たちは片方を選ぶことがイコールもう片方を切り捨てることだと理解しています。
そんな理不尽まっぴらごめん。
選択肢を与えられた時点で、プリキュアというヒーローは選択肢そのものをぶん殴りにかかります。
「大好きな相手を守ろうとする行為には限界がある」
知ったことか。
「それでも! 私は絶対に誰も犠牲にしない!」
選ばなければいけない理由が自分の力不足にあるなら、今すぐ強くなればいいだけの話。
そのための手段として自己犠牲を取ってしまうあたり、エリシオの見立て通りあきらは比較的心の弱いプリキュアではあるのだけれど。けれどそれでもやっぱりプリキュアなんです。
あきらの「優しさ」はひたすら誰かの都合を優先させるもので、彼女はなかなか自分らしさを見せようとしてきませんでした。むしろ彼女自身、「優しさ」とは誰かのために尽くすこと、とすら思っているきらいがありました。
自分のためではなく、ただひたすら誰かのために行動するだけなら、なるほど、エリシオの提示した選択肢は選択肢たりえたことでしょう。それなら主義とエゴの葛藤です。「他人のため」とうそぶく行為には、必ずそれを行おうと思えるだけの個人的な動機付けがあるはずですから。
かつてゆかりはあきらのそういう根底にあるべき動機すら見せないところに胡散臭さを感じ、ことあるごとに手厳しく皮肉っていました。
けれどね、第25話、そのクイーンオブメンドクサガール・ゆかりとの関わりあいの中で、すでにあきらはみんなに優しくする動機をすでに見つけていたわけですよ。
どうしてみんなに優しくするのか?
簡単なこと。
みんな「大好き」だからです。
ゆかりが「大好き」だから、しつこく彼女の憂鬱に口を出したがる。
みくちゃんが「大好き」だから、やたらと世話を焼きたがる。
学校のみんなが「大好き」だから、ついつい大役を引き受けてしまう。
「大好き」だから。あきらはみんなが「大好き」だから、自分の「大好き」を表現するために、自ら望んで人助けをしています。
「どうしてもみんなのためのクッキーがつくりたくて」
「『一番大切な人』が何人いたって問題ないでしょ?」
その行動原理はいちかのスイーツづくりにかける「大好き」となんら変わりありません。
「究極の2択」?
バカバカしい。あきらにとってみんなを守ることもみくちゃんを守ることも同じことです。選択肢になってすらいない。もしこれが仮にみくちゃんを含む大勢 対 見知らぬ誰かの2択でも、あきらは同じように迷い、そして変わらず選択肢自体をぶん殴ったことでしょう。
「みんなのことを大切に思って何が悪い」
それらにかけるあきらの思いは、主義とかエゴとかそういうヤヤコシイものではない、もっと素朴な「大好き」でしかないのですから。
王子を守れ!
自らの幸福のために人助けをすること。相互に助けあう「愛」の円環をつくること。
この2点をもって、あきらの“プリキュア流幸せの王子メソッド”は達成されました。
幸せの王子が街の人々を救ったなら、今度は街の人々が王子を守る番。
「訂正しましょう。あなたの心の限界は想像以上でした」
はいダメー。あきらの「大好き」はすでに彼女の外側にあるシステムに組み込まれています。彼女ひとりの心の強さだけを推し測ることに、今さら何の意味もありません。
計算を誤ったエリシオの攻撃は、あきらを「大好き」でいてくれるみんなの心の強さによってあっさりと阻まれます。
彼女の博愛に報いる感謝を。
「大好き」のこもったクッキーには「大好き」を詰めこんだクッキーでお返しを。
「みんな、ありがとう!」
そしてそれに報いる次の「大好き」。
かつてドキドキ!プリキュアにおいてはみんなの「愛」が結集し、キュアハートをパルテノンモードに進化させました。
勝てるはずがない。今エリシオが対峙しているものは、どこかのラスボスすら一蹴りでねじ伏せてみせた無限のパワーです。
キラキラプリキュアアラモードが扱うキラキラル・・・「大好き」の思いは、あの「愛」とよく似ていますね。つくる人と食べる人。助ける人と感謝する人。自分と他人の垣根を越えて、お互いにお互いのためを思って、循環するたびにどんどんふくれあがっていく無限のパワー。
まだ20話近く残っている段階でここまで大きく成長を果たし、さてキラキラプリキュアアラモードはこれからどんな未来へ飛躍するんでしょうね。
心配はしていません。プリキュアはいつだって鮮烈な、毎年全く新しい哲学を切り開く物語。話数なんていくらあっても足りやしません。
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